2021年12月30日木曜日

目で食べる

  食べ物の味わいは、味覚より、視覚の影響は大きい。

 汚い食堂で食べたら、あまりおいしくないし、嫌いな人と食べたら、やはりおいしくない。

 お寿司屋さんのカウンターで食べると、握る人、握る場、握る道具などが、目にはいる。お寿司の味は、これで決まるのだとすれば、美味を追い求めたとしても、通ぶったとしても、所詮、限りがあるなあ、とつくづく思うようになりました。

 ということがわかると、美味を追い求めたり、通ぶっている人がいると、なんとなくむなしくなります。自分もそうしていないようにと反省しています。

 『老子』80章に「甘其食」(其の食をうましとす)とは、実に、このあたりのことを言ったもので、ただ純粋に食べよ、素朴にガシガシ食べよ、と。

2021年12月26日日曜日

のど養生

  掌友会の講義は2時間ほど。この時期、のどがイガイガするので、長くしゃべると荒れます。なので、数日前から、のど養生しています。失敗すると、講義中に、ゴホゴホしてしまいます。学校の先生は、一日中、講義しているから、なお一層、留意していると思います。

 いろいろ養生があるけど、部分養生もあるんです。鍼灸の先生なら、手の掌養生でしょうか。どれだけいい状態の手の掌を維持できるか。みなさん苦労していると思います。

 ベストなこころ・からだで、治療にのぞむ。現役である限りの義務だと思います。それができないなら、引退しましょう。スポーツ選手をみたら自明のこと。

2021年12月25日土曜日

12月26日 掌友会の講義

  明日は、東京衛生学園同窓会の掌友会の講義(2回目)です。

 『内経』を題材として講義ですが、意外に聴講生が多いので、おどろいています。ズーム講義なので、参加しやすいからなのでしょう。時代なのかもしれません。

 今回は、「ツボ」について。どうやって「ツボ」を見つけたのか。を展開します。なかなかの内容にしあがりました。縁ありしひとは、ぜひ、聴講されたし。


2021年12月23日木曜日

万歳楼袖彦著『灸治論』(九州大学図書館蔵)

「若きときの学問は、煙草のけふり((煙))となれる人多し。晩学ならでは身に(そま)ぬものなり。昔より晩学して名誉となりし人、王羲之をはじめ、和漢あげて(かぞ)えがたし。今、世間の人多くは、諸術諸芸とも、口には(その)理屈を(とけ)ども、(その)学ぶ処は中途(なかば)にて、俗にいう幽霊なり。幽霊は腰より下はなしといふ。何事も腰なく踏張(ふんばり)りなきを幽霊仲間といひ、常に格別の抜け出たる芸術もなく・・・」

 現在読んでいるもので、感銘を受けたところ。

 儒教を語り、道家を語るのは、ちょっと調べればできるが、語る前には、『論語』も『老子』もきっちり読んでおきたい。東洋医学を語るにも、『素問』『霊枢』をきっちり読んでおきたい。

「晩学して、身に沁み込ませるべし」

じゃないと、芸術・技術が抜け出ない。滲みる言葉でした。


2021年12月17日金曜日

踵のウナ

 

足の重心は、踵のウナ、にあります。
ウナに重心を置くと、長く立っていても、疲れません。
座ってばかりいると、重心がずれて、立っていると疲れてしまいます。
東京衛生学園に行くとき、約1時間くらい、
電車の中でウナのチェックをして、重心を修正しています。
重心を治すと、姿勢が良くなりますので、全体に疲れにくくなります。
重力に従った重心なので、自然なのです。
下手な運動よりすぐれています。
電車は、ぼく的にはジムなのでした。


2021年12月13日月曜日

にぼし

 

 近くのスーパーに大きな煮干しが売っていたので買ってみた(上)。つかってみると、どうも煮干しくさい。仕方ないので、水出しにしている。

 かつおぶし屋で煮干しをかってみた(下)。こんな小さな煮干しでだしがでるのかと不安になっていたが、思いのほか、実力があり、頭・はらわたをとらなくても、煮干しくさくないし、出しもよく出る。

 人は見た目ではないというが、煮干しもおなじでした。


公と私

 公私混同。議員さんは公の人だから、私的なことが目につくと、たたかれる。

岸田首相が、お友達の石原さんを審議官に採用しようとしたら、たたかれた。

その石原さんがかかわる政治団体がコロナの助成金を受給していたので、たたかれた。

審議官という役も、助成金の額も、彼らからしたら大したことないものだが、それでも公の中の私には、マスコミは敏感である。

コロナ自粛期間に、銀座に飲みに行って、辞めた議員、落選した議員もいる。昭和なら通用したものが、いまは通用しないことに気が付いていなかったのだ。

自分のまわりの蠅だけ追っている鍼灸師も昭和だなあとつくづく思う。心を閉ざしすぎ。世の中が変わっているのになあ。



栴檀

 昨日は、講座のために、多摩に行きました。通り道に、しろい(花? 実?)がたくさんついた樹木がありました。写真をとっていたら、知らないお二人が寄ってきたので、「何の木でしょうね?」と尋ねたら、さっそくアプリで調べてくれました。写真をとってそのアプリを通すと、候補の樹木名や特徴がでてきました。おおよそ、栴檀ではないか、とのことでした。

「栴檀は双葉より芳し」という諺はしってましたが、ご本人に会うのは初めてです。「芳し」というくらいですから、時期にはよい香りがするのでしょう。しかし、今は、スマホ一台でなんでもできるのですねえ。

 個人的な感想だと、いつでも、知識を、スマホから取り出せるという意識がはたらいて、覚えないくせがつくようです。沢庵宗彭(個人名)の生卒は、なんどもなんども検索してしまっています。覚えようとしないから、覚えないのだと思います。検索しないで、考えたものは、よく覚えているから、記憶力の問題ではないと思います。

 栴檀の香りは、じつにたのしみなのです。

 

 

 

2021年12月8日水曜日

父親

 いま考えてみると、父親は、変人だなあ。

 35歳で、仙台の赤門鍼灸学校入学。この時点で子供は4人。母親の実家に預けて、仙台のどこかで単身で住んで、学校に通ったと思われる。

 その当時は、鍼灸は視覚障害者の職業で、晴眼で五体満足の成年がこころざす仕事ではありませんでした。母親の実家は、肩身の狭い思いをしていたとおもいます。あきれていたかもしれません。

 38歳で、松島で開業。亡くなったのは67歳ですから、約20年の臨床でした。

 尺八を吹いたり、毛筆は達者でしたから、風流な人だったのかもしれません。ぼくは18歳で上京したので、あまり父親のことは、よくわからないのです。

2021年11月27日土曜日

通円

 

 写真は、宇治の通円の、満天というお抹茶です。

 お抹茶は新宿の青松園で買うことが多いのですが、京都方面にいったら、お茶屋を見つけたら、寄って買うことにしています。

 満天は、いままで飲んだものでは、一番おいしい。

 通円は、宇治橋のたもとのお茶屋さんで、1160年の創業だそうです。現在の建物は、1672年だそうです。いやはや、すごいです。

2021年11月26日金曜日

鍼灸師会35年

  日本鍼灸師会から、35年会員として、感謝状をいただきました。会の活動には参加していませんが、業界の活動を支援したいという気持ちがあるので、ずっと会員を続けています。

 感謝状を飾っておく習慣がないので、筒の中に保管しておくだけです。母方の実家は、額に入れて長押の上に飾っていました。昭和のかおりがします。

 いまは、家族の写真を壁にはったり、絵がからざれていたりしています。おしゃれになったというか。


2021年11月21日日曜日

おさがり

  いままで、息子や、むすめの、おさがりが定番でしたが、ついに、お孫のおさがりに至りました。息子にはシャツ、娘には靴を、いただきました。これからも、お孫にもおさがりをもらうのかもしれません。

 生まれて数週間、実家にいたので、赤ちゃん用の一そろいがありました。写真のクリームや、浴室にはベビーせっけんの残りがあります。もったいないので、せっせと使っています。

 『老子』に、「三宝」を大事にしている、という話があります。その一つが倹約です。はからずも、三宝の一を実践できているので、ありがたいことです。

 


2021年11月14日日曜日

無添加煮干し

 

 植物油脂がコーティングしてあるのが、一般の干しブドウで、ブドウ同士がくっつかないようにしているのだそう。

 その油脂自体、その油脂の酸化を嫌って、ノンオイルレーズンというのがあるようです。

 無添加煮干しとは、塩や、酸化防止剤が入っていない煮干しのこと。てっきり、レーズンも、煮干しも、なにも添加していないものと思ってました。

 世の中、知らないことが多いですねえ。

 知らないほうがいいのか、知ったほうがいいのか、なんともいえない2品でした。


2021年11月8日月曜日

半年前の木香バラ

  写真を整理していたら、半年前の木香バラの写真がでてきた。思いのほか、きれいに写っていて、香りが漂ってきそう。

 しかし、スマホの解像度はたかいねえ。200万画素、400万画素の時代とは雲泥の差。



好き嫌い

 『素問』上古天真論に「美其食」(其の食を美とす)とある。こういうシンプルな句が一番難しい。

『老子』80章に「甘其食」(其の食を甘しとす)とある。美は甘(うまい)と同じだから、意味するところは同じである。

 上古天真論によれば、「其の食を美とす」れば長寿につながる。なので①~③のどれだろうかといつも考えている。

 ①好き嫌いしない。嫌いなものを我慢して食べたら、命がちぢみそう。

 ②好き嫌いの分別を持たない。持たなければ心は動揺しないで静かである。心が静かに生きることにつながるから、長生きできそう。

 ③腹が減っている。食べ物はこれしかない。好きも嫌いもない。力強く生きられそう。

 つまり、②が正解かも。



2021年10月30日土曜日

岩鋳のすき焼き鍋

  我が家にある、盛岡の鋳物やさんの「岩鋳」のすき焼き鍋です。

 細君の家にあったものを引き継いでいますので、50年くらい経っているかと思います。

「岩鋳」で調べてみると、こういう花びら形の縁は無いので、貴重なものではないかと思います。また、耳にリングがはめ込んであるのも、無いようです。

 いまは、餃子を焼くときにつかっています。

 台所には、鉄製のものとして、フライパン、鉄瓶、クレープパン、お釜、とあります。いまや、重くて、鉄瓶、フライパンを使うくらいです。

2021年10月24日日曜日

掌友会の講演

  本日は、東京衛生学園の同窓会である掌友会の講演。

 東京衛生学園は、日本内経医学会刊行の『素問』と『霊枢』を教科書として採用してくれているので、発行元の会長だったので、お礼の意味をこめて、『素問』『霊枢』の講義をさせてほしい、とお願いしていたところ、実現の運びになりました。

 オンラインで、60数名の参加があるとのこと。全3回シリーズの第一回目です。

2021年10月21日木曜日

お靴

 

 お孫が、1歳になって、歩き始めました。現在、1歳2か月。写真は、ご愛用のお靴です。

 自分の子供のときは、なんとも思わなかったけど、お孫の靴は、かわいいですねえ。

 


2021年10月20日水曜日

つわぶき


  我が家のつわぶきが咲きました。昨夜来の雨で、葉が洗われてピカピカ。周りも濡れていて、黄色とのコントラストがくっきり。何日も前から咲きそうでしたが、今日は晴れて、気温が高くなるでしょから、今日が満開かと思います。

 上は、二代目ミツマタです。来春に咲きます。

2021年10月14日木曜日

霊がさわった?

  家の近くで、2006年に、4人死亡、17人受傷の、大きな自動車事故が起きた。今日、散歩の途中で、その場所を通過しようとしたら、20メートル手前で、頭痛が発生。少し戻って、迂回したら、頭痛も回避できた。

 ①霊を怖がっているから。

 ②霊のせい。

 ③気のせい。

 こういう体験の初めは、嫁方のおじさんが、柿の木から落ちて急死。その葬儀のあとから、なぞの蕁麻疹が消えず。そのころ、帯津病院に入院していた、故伊藤真愚先生のお見舞いかたがた相談したら、そのおじさんが憑いている。急死なので、死んだ理由がわからないから、教えてくれそうな人に憑いたのだと。仏壇の前で、急死にいたる経緯を説明すれば、きえる、と指導されました。確かに、消えました。

 二番目は、先輩の死に立ち会った時から、1週間くらい、ものすごいくび筋のいたみ、腰痛に悩まされる。1週間後には仕事に復帰したが、腰痛がだいぶ癒えたのが1か月くらい。これはひどかった。くびの痛みの理由、腰痛の理由は、自分ではわからず。先輩の霊がついたとしか考えられない。こちらは、相談者がいないので、自然治癒をまつばかりでした。

 そんなわけで、②だと思って、怪しいところには近づかないようにしているのですが。

 ①かもしれないし、③かもしれないし。

 


2021年10月9日土曜日

神農祭・記念祝宴

  今年の神農祭も中止(11月23日予定)。という案内が来たので、思い出したこと。

 島田隆司在世の時から、日本内経医学会が神農奉賛会に加わり、積極的に参加することになりました。神農祭は昭和28年に始まる。

 記憶に残っているのは、『史記』の研究家の水沢利忠先生が祭祀の司会をしたこと、講演会は会場がいっぱいになったこと、記念祝宴が講堂で行われたこと(龍水楼の出張料理・のちにお茶の水の銀座アスターに変わる)など。

 記念祝宴は、矢数圭堂先生の「憧れのハワイ航路」、原桃介先生の「最上川ふなうた」、東京薬大卒業生の「たにし音頭」が出し物で、とても賑やかでした。日本内経医学会からは、島田先生が「さくら」、島田先生亡きあとは僕が「大根踊り」を出しました。

 バカ騒ぎみたいな祝宴でしたが、もはやむかし物語ですね。矢数道明先生も参加なさってましたが、よく許してくれたと思います。

2021年10月7日木曜日

10月4日 成城の先生から蔵書をいただく 須賀神社

 その中に白州正子の作品が3冊。その中の「かくれ里」がなかなか興味深い。24カ所の隠れ里を紹介している。ここ何度か滋賀県を訪れているので、「湖北 菅浦」が気になり、読んでみると、下のような写真。白い壁にわらぶきの屋根に、心を奪われました。須賀神社附属の建物らしい。

 今、検索してみると、カラーで正面の写真を見つけた。なんという美しさ。2棟ならべる辺りのセンスが、すばらしい。この神社が、いかに愛されているか、想像にかたくない。

 現在は、わらぶきの屋根はトタン屋根に替わっているらしい。



2021年9月24日金曜日

新米

 先週、新米が届きました。あ、そんな時期かと。近場では外出はしているものの、田園風景をみることがなくて、ぽっかりしてました。

 先週は、キンモクセイの花が咲いて、よい香りがただよっていました。生えている環境によって、香りの強さはかわるようです。近場のは、川の両岸のわずかな地面に咲いているので、窮屈なのか、ほんのわずかに香るだけですが、かつて成城学園前に行ったときは、町全体がキンモクセイの香りに包まれていました。

 おなじ両岸には、桜の木もあるのですが、サクラの香りは弱く、山形に行ったときは、桜の香りが田園一体に漂っていました。

 環境によるのは、人間だけでなく、樹木、動物も、体調がよくなって、気分もよいのだと予想されます。 

豚毛のはぶらし

 近くの薬局に常備されていた、ライオンの豚毛歯ブラシが欠品していたので、ネットで検索すると、ちょうどよいのが見つかりました。

 3本くらいあったほうがいいとおもって、「3」を選んだら、3本入りが3セット来てしまいました。

 普通の歯ブラシは、つかっていくうちに、先が丸くなり、広がってしまいますが、豚毛はいつまでも先が生きていて、気持ち良いです。

 世の中に、結構、愛用者がいるんでしょうね。


 

2021年9月13日月曜日

塩竃市浦戸野々島

 


 母方の実家のあった(津波で流された)塩竃市浦戸野々島の全体写真です。中央の建物らしいのが集まっているのが、元の集落跡地。右側の緑地は、元の田んぼ。

 こうしてみると、細長い島の、砂浜近くの狭い土地に住み、後に埋め立てして土地を拡げたことがよく分かります。

 この写真の3時の方角から津波が入り込み、元の集落を飲み込みました。

 浦戸諸島の有人4島(桂島、野々島、寒風沢島、朴島)の7月末の人口は311人。ピーク時の7分の1で、高齢化率は70パーセントを超える。2011年には480人だったから、この10年で3分の1減ったことになる。これから10年でどうなるんだろうか。

2021年9月9日木曜日

さんまぶし

 写真は、さんまぶし。長さ15㎝。すごく大きいにぼしのようなもの。5~6年前に買ったものが、あと数本残っています。

 にぼしのように、水にひたし、昆布と一緒にだしをとります。かつおだしほどは澄明ではないのですが、強いだしがとれます。汁ものによく合います。味噌汁、豚汁。スープにさんまぶしを使ったラーメンもあるとか。

 ところがこの数年サンマの不良。今年は身も細いのに、1尾1000円以上もしてました。しばらくは、サンマラーメンは、まぼろしの一品ではないでしょうか。わが家も、数本を使い切ったら、しばらくはさんまぶしとはおわかれです。

 

2021年9月7日火曜日

けやき通りのけやき

 治療院の目の前の「けやき通り」の今朝のけやきです。

 毎年、落ち葉の直前に、はっぱを枝ごと切り取ってしまいますので、拡がって伸びずに、ねぎ坊主みたいになっています。

 落ち葉の季節は、毎日、毎日掃いても、終わらないくらい落ち葉がありました。今は、そんなことはなくて、楽にはなっているのですが。

 落ち葉があったころは、隣の駐車場で焼き芋を作っていました。20年くらい前の話です。いまはたき火も禁止されていますから、いい思い出です。

 枝葉を切り取らなければ、さぞ立派なけやきになっていただろうと思いますが、それはさておいて、いまでも十分立派だと思っています。

 
 

2021年8月30日月曜日

棲雲寺の撞木

 山梨県の甲斐大和にある棲雲寺は前にも紹介しましたが、鐘楼と撞木の写真が残っていました。撞木はりっぱなもので、180センチもありました。これほどりっぱなものは、群馬県川場村の吉祥寺以来です。どちらも、臨済宗幻住派に属する寺で、両寺の開祖は留学僧で、中国の天目山の中峰明本に学びました。鎌倉円覚寺の鐘楼もりっぱなものです。りっぱな分、思い入れも強いのだと思います。ようするに、中国の寺院のコピー(フルバージョン)なのです。手加減しないところに、棲雲寺の開祖の業海本浄の本気がうかがわれます。




2021年8月26日木曜日

蛍光灯に蟻が

 治療室の蛍光灯の中で、蟻が歩いていました。どこから入ったのやら。治療室には他に何匹か居ましたが、集会でも有るのでしょうか。

 さっきは、階段にゴキブリ。丸形の茶色のゴキブリで、さほど素早くはないので、捕まえて、玄関外に逃がしてやりました。何年ぶりかの、ゴキブリでした。

 数日前から、家の中に蚊がブーンと言っています。ホコリのかぶった蚊取り線香を、数年ぶりに、焚きました。

 なにかあるんでしょうか。外が暑いから、家の中に逃げ入ったのでしょうか。
 

2021年8月16日月曜日

70歳を「従心」という

  孔子は、70歳の心境を「心の欲するところに従い、矩をこえず」と言った。漢文だと「七十而従心所欲、不踰矩」で、ここから70歳の雅称を「従心」という。「従心」の背景には、三つの大きな事件があった。

69歳:56歳から始めた諸国行脚(道徳による政治の実現を目的とした)に終止符を打って、魯に帰った。

70歳:弟子の顔回が死亡した(32歳)。

71歳:息子の鯉が死亡した(50歳)。

 道徳による政治の実現を「頑張った」~「頑張らなくなった」

 道徳による政治の実現したいという「執着があった」~「執着がなくなった」

 こういう状況から「心の欲するところに従う」という心境になったものと思われる。

 発言の状況がわかると、その発言の意味合いがよくわかるが、状況がわからないと、表向きはわかっても、ぜんぜんわからない。(とつくづく思う。) 



2021年8月15日日曜日

他人まかせの反省―無心

  すこし面倒なので、調べ物を知人にたのんだところ、忙しいとのこと。しかたなく、国会図書館に行ってきました。要するに、1時間の道のりが「私心」となって、行動できなかったのです。また、調べ物が少ないので、「軽くみた」ので、行動できなかったのでした。

 行ってみれば、警察官が多いので、永田町の緊張した空気も味わえるし、警察官から目をそらさない、こそこそしないという緊迫感も味わえました。

 調べ物は、未達でしたが、他の本をめくって、目的以外の新しい発見がありました。

 森立之の曽祖父の森中虚。お父さんが愚然先生で、壮年に京都から江戸に移り住み、壮年に(森家の菩提寺である)洞雲寺を中興する開基(主な支援者)となったという。つまり、資金を提供したのですが、建築物を全部とすれば、数億円ということになります。つまり、京都の不動産を売却して、それを全部注ぎ込んだと思われます。

 森家の家学は「老子」学で、その極意である「無心」を実践してみせたわけです。森立之が、生涯をかけて古典の研究に没頭したのですが、それも「無心」なのです。幕末明治初にあたって、無益となってしまった中国古典の研究を、止まずに続けたのですから、「無心」としかいいようがありません。

 先人の業績は文字だけではありません。そこから「無心」を学び取ることも大事だなあ、と学び取りました。


2021年8月7日土曜日

青い空と絵

  一泊二日で、墓参してきました。母方の実家の塩竃市浦戸野々島(離島)。

  写真は、青い空とトンビ。肉眼では、もっと紺色だった印象。

 (下)は、泊まったお宿で買った「島を描いた絵」。菜の花の黄色と、海の水色と、松の緑の対比が印象的だったので買いました。すこし安西水丸風。


2021年8月4日水曜日

もぐさん2

  2019年10月に、もぐさの「山正」にもらった「もぐさん」は、ほぼ2年経過して、最近やつれたかなと思って、写真を比べてみたら、左右のほおがややげっそりしていました。お子さんが来院したときに、もてあそんでいるからだと思われます。毛もふんわりから、しっとりにかわっています。色も、艾の煙で、変わっているかもしれません。なんだか、老化をみているようで、生き物だけでなく、無機物にもあるんだなあ、とつくづく思いました。

 

2021年7月25日日曜日

棲雲寺その後

  7月22日(休)に、棲雲寺に行ってきました。


 やはり行ってみなければわかりませんね。ユーチューブで動画配信されていますが。

 まず体で感じる空気感。音の無さ。目の前に空と山しかない。

 中央線の甲斐大和駅からバスで12分。帰りは歩いたので、90分。

 今では2車線の道路ですが、途中の峠の案内板には大正3年の〔牛が荷物を運んでいる〕写真があって、困難な細い山道だったようです。つまり、甲州街道から、7キロくらい、細い山道をたどると行き着く寺だったようで、知る人ぞ知る、名刹だったようです。

 開山は業海本浄(ごっかいほんじょう)で、中国の天目山で8年間修行してきました。当時の禅宗は臨済五山といって、文学僧や役人僧であって、座禅もしなかったようです。求道者は、道を中国にもとめて留学しました。中国では、厳しい修行が行われ、その成果を日本に持ち込んだのが臨済宗幻住派です。(本来を失った)ぬるい禅宗~(本来の)きびしい禅宗を取り戻したのです。

 中国の本家は、人里離れた山奥で、もっぱら座禅し、生涯未悟といって、座禅をやめませんでした。それに倣って、業海も、人里離れた山奥を選んだようですが、写真の山道を思うと、本気の禅宗を目指したことがわかります。帰りは、丁度よいバスが無かったので、歩くことにしました。太陽がてりつけ、後悔心もありましたが、峠の案内板の写真をみることができたので、大収穫でした。








2021年7月12日月曜日

藤沢周平『玄鳥』

  30代前半、湯島聖堂で、大東文化大学を退官なさった原田種成(たねしげ)教授が、段玉裁『説文解字注』を講義なさっているのを知って、1年ほど受講しました。

 専門家の本格的な講義を受けたことがなかったので、たのしみでした。受けたのは、初めのほうの草部で、1年ほど経ってもまだ草部でした。最初から、飛ばさないで、きちんと読み進むのが、中国学の伝統的な読み方だということでした。初学の者でしたから、受講して有益だったかどうかわかりませんが、アカデミーに接したという喜びが収穫でした。

 講座の時に、出版物の、文字の間違い・使い方の誤りなどを指摘すると、大抵の著者からは返事はこないが、藤沢周平さんだけは律儀にお礼を書いてくる、誠実な人だ、というような話をして、出版されたばかりの『玄鳥』を推薦していました。それで、買ったのですが、読んでいません。

 これによって、1991年(平成3年)35歳の時に受講していたのだとわかりました。





『訓詁方法論』

 1986年(昭和61)に難経研究会が、島田隆司、金古英毅、八木素萌(以上、故人)、篠原孝市、谷田伸治、左合昌美の6人で発足(発足には関わっていないので、経緯は不明)。篠原、谷田両氏が早くに退会したので、数年後に呼ばれて加入。島田先生の逝去にともない、自然散会したとおもわれる。

 その時、教材にしていたのが陸宗達(1905~1988)・王寧(1936~)の師弟が著した『訓詁方法論』である。190ページほどの小冊子ながら、中身は濃く、訓詁の意義・方法について知ることができた、記念碑的な本である。勉強といっても、まず翻訳から始まるから、なかなかしんどいものでした。

 昭和61年は、東川口で開業した年で、30歳。30代は、本書を初めとして、「説文解字注」に取り組んだりしてました。北里研究所に出入りするようになったのもこのころで、課題の『史記』幻雲注に取り組んでいました。その幻雲については、最近も調べましたが・・

 その『史記』幻雲注は、北里から出版され、東北大学の金谷治先生に寄贈したところ、ほめてもらい、著書の論語(岩波文庫)をいただきました(何で金谷先生に送ったのかは、思い出せません)。金谷先生は、石田秀実先生の師匠にあたります。

 当時は、教材が少ないので精読してましたし、精読した分、記憶に残っています。若い、ということもあったでしょうが。 


 

2021年7月7日水曜日

中山ラビさん逝去

  新聞の死亡欄に、中山ラビさんが73歳で逝去とあった。なぜか、手元にCD1枚ある。昨日は一日中、そのCDを流し続け追善供養。CD1枚の間柄なのですが。

 「ケンとメリ 愛のスカイライン」というを歌っていた人とのこと。1972年に発売されたクルマらしいので、高校1年生のころか。



2021年7月4日日曜日

NAVI 最終号

  写真は、自動車雑誌NAVIの最終号である。2010年の4月号である。定期的に読んでいたものですが、廃刊を期に、自動車熱も冷めてしまいました。雑誌をよめば新しい情報が入って、気持ちは高まるのですが、根っからのクルマ好きではなかったらしく、冷めてしまったのです。

 医道の日本も、昨年に廃刊しましたが、同じように、鍼灸熱が冷めてしまった人もいるかもしれません。新しい情報も入らないし、大御所の文章に接する機会がなくなり、どうなるんでしょうねえ。

 嘘の情報では困るのですが、ある程度、ばたばた扇いでもらわないと、この業界沈潜しそうです。扇ぐのは、今後は紙媒体ではなさそうです。が、古典を扱っている都合上、紙媒体と縁を切ることは、できなさそうです。若手が、何か考えて、何か実行してくれるのだと、期待したい。



2021年7月3日土曜日

シンポジウム「未病と養生」

 8月22日(日)に「未病と養生」をテーマとしたシンポジウムを北里医史研が開催します。どなたでもご参加頂けますのでふるってご参加ください。明日5日から正式に告知・申込受付予定です。

僕は、第1席で、「養生とは? 初歩的な理解」と題して発表します。他の人は、大学の教授が3人、京都の猪飼さん、鍼灸ジャーナリストの松田さん、の5人です。その中で、養生を、ごく初歩的な解釈をしてみました。(自分では、画期的な内容だと思っています。)

興味のある方は、下記アドレスをのぞいて、お申し込みください。人数制限があるようです。

詳細は、下記の申し込みフォーム(https://kitasatotoikenyojo2021.peatix.com)または、北里大学東洋医学総合研究所医史学研究部医史学研究部facebookページ(https://www.facebook.com/kitasatoishikenをご確認ください。

2021年6月29日火曜日

いも、にどいも

 子供のころ、おやつの定番は、ふかしいも。

 田舎では、いもといえば、さつまいものことを言ったようで、いもをふかすといえば、さつまいもをふかすことでした。

 じゃがいもは、にどいも(二度いも)と言っていました。里芋は、??だが、里芋についている小さいいもを、いものご(芋の子)と言ってました。

 地方によっては、いもは里いものことで、山いもと分けていたようです。じゃがいもは、後から入ってきたので、いろいろ呼ばれ、山梨では、こうし、こうぼう、とかいうらしい。

 ちなみに、子供のころは、とうみぎ:とうもろこし、たまな(玉菜):キャベツ、なんきん(南京):カボチャ、なんばん(南蛮):七味唐辛子、でした。

棲雲寺

 山梨県甲州市にある棲雲寺は、中国に留学した臨済僧の業海本浄(ごっかいほんじょう)が開いた寺で、宗派でいえば臨済宗幻住派。いまは幻住派は無い。幻住は、中国の中峰明本(ちゅうほうみんぽん)を指し、日本から多くの僧が、海を渡って教えを求めた。帰国して、各自、修行地になぞらえて、人里離れた山奥に寺をかまえた。

 要するに、日本風になってしまった臨済宗に嫌気がさして、本場の中国の臨済宗を学びに、中峰明本の元に行ったのである。帰って山奥に寺を開いたが、あまり本場風だったので、日本に定着しないで、自然に他の宗派に吸収されていったみたいです。

 写真は、2008年の雑誌の1ページ。偶然、棲雲寺をみつけて、驚いています。その頃は、臨済宗も、幻住派も、何も知りませんでした。

 

「そば切り発祥の寺」という碑があるらしく、おそらく業海が帰国の時に持ち帰った文化と思われます。

 住んでいるところから、2時間もあれば行けるようなので、近々、行ってこようかとおもっています。

 ちなみに、臨済宗幻住派のお寺は、あちこち行きました。九州にもあるらしいので、宿題になっています。

 


 

2021年6月20日日曜日

総理大臣

 よくかんがえたら、総理大臣、あるいは首相は、名称・立場上、君主の補佐役(相)である。大統領は、君主だから、おおきな権限を持つが、首相には強い権限がない。

 よく考えたら、新型コロナ問題は、戦さだと思う。そうだとすれば、先手必勝、勝機の判断、迅速な行動などが求められる。その指揮者は、戦さ慣れした将軍にまかせるべきである。

 日本の現状では、新型コロナ問題を、将軍でもない、君主でもない、ただの補佐役に全面的に任せているのである。だから、廻りの様子をみながら、くねくねと、ゆっくり対策していくしかないのである。がんばれ、にっぽん。


大坂なおみちゃん

  テニスの大坂なおみちゃんが、インタビューしたくない、と言ったことが、いろいろ議論を呼んでいる。

 インタビューしたくないのは「私」の問題で、今までの人は「私」の問題として、乗り越えようとしてきたけど、なおみちゃんのすごいところは、それを公開して、「公」の問題として投げかけたところ。なぜなら「無私」でなければ、「公」に投げかけることができない。批判されるのをこわがる「私」がいるから公開できないのであって、やすやすと公開したところに、すごいなあと思う。

 傍観者の私たちは、彼女の「私」の部分をみるか、「無私」の部分をみるか。「私」の部分の議論をやめて、「無私」の部分を評価してあげれば、なおみちゃんは無尽の活躍するにちがいないと『素問』上古天真論を読んでそう思う。

 

大谷しょうへい無尽の活躍

 おどろいたのは、四球で出塁し、次の打者がなんどかファールを打つあいだ、なんども1~2塁間を往復して、その打者が三振でその回の攻撃がおわるやいなや投手としてマウンドにたっている。

 今までなら、次にマウンドに立つんだから、1塁では大人しくしていればいいいうだろうがが、大谷くんの、得点に近づこうと小まめに走っている姿は、ベースボールを楽しくしている。

 評論家は、疲労がたまるからオールスター前日のホームラン競争には出ないほうがいいと言っていたけど、どうやらでるらしい。これも、楽しそう。

 『素問』上古天真論に「志閑而少欲、心安而不懼体労而不倦」(心が静かで欲が少なく、心が安らかでおそれなければ、体をうごかしても疲れない)とあるように、無私無欲の人は疲労が蓄積しないのである。

 昔は、上の子が、弟・妹を子守していたようである。写真では、お姉さんが弟をおぶっている。この弟は、少なくとも12~2キロはありそう。おそらく、お姉さんは、3分の1の重さを背負っているのである。

 個人的なことをいえば、8キロ強の孫をあずかって、60分位だっこ(だっこひもで)することがあるが、最後のほうになると、しんどくなる。体重60キロの大人が、8キロの孫で悲鳴をあげているのに、この写真のお姉さんは、こんなに重そうな弟をおんぶして、この笑顔であるから、上古天真論の言うとおり。不平不満があるから疲れがたまりやすく、無私無欲だとそもそも疲れが出にくい。

 大谷くんの無尽の活躍は、無私無欲から出ている。子守の写真をみて、大納得。

 

2021年6月11日金曜日

のっぺいうどん

 滋賀県の長浜の「のっぺいうどん」は名物とのことで、合計2度たべています。

 最初は、割と感動したおいしさだったのですが、二度目は、まあこんなものか、という印象でした。

 最初は、どんぶりも、乗っているシイタケも大きいと思ってたのですが、二度目には、そんなに大きくなかったな、シイタケも思ってたより小さいな、という感じでした。

 最初の印象というのは、自分で相当盛っているんだと思います。だから、何度も行かないと、何度も食べてみないと、冷静な評価は出てこない、という自分なりの結論でした。

 のっぺいうどんとは、干しシイタケ出しがきいた汁で、とろみがつけてあり、大きい干しシイタケがトッピングされ、さいごのショウガのすりおろしが乗ります。干しシイタケ出し、ショウガをまぜるので、田舎の味、素朴な味が好み、慣れている人はおいしいでしょうけど、都会的な味に慣れている人には、???という感じかと思います。

 サバそうめんというのも名物らしいですが、こちらはちょっと苦手でした。いろいろ食べてみると、面白いです。各地のものを食べてみたいので、長生きせねば。

2021年6月6日日曜日

2030年まで

  アップルが、取引業者に、2030年までに、再生可能エネルギーを使って製品をつくるように、宿題をだしたそうです。あと8年半がリミットです。

 太陽光発電にするにしても、社内で早く決断し、速く着手しないと、到達しないでしょう。ちんたらしているヒマはありません。無理難題をおしつけてきますが、こうしないと何もかわらないのでしょう。

 資源エネルギー庁のHPには、

2050年という近未来は、技術革新が起こることによる大きな変化の可能性が期待される一方で、不確実性も伴います。こうした状況の下では、個別の数値目標を設定したり、単一のシナリオに決め打ちするなどの方法では、刻々と変化する状況に対応できなくなる恐れがあります。

とありました。不確実にしたいために、あとまわしにしたいために、2050年にしているのだと思います。態度を曖昧にしているわけですが、政府がぐずぐすしているあいだに、他国圧力でどんどん早まるかもしれません。

 コロナ対応もふくめて、政策は3流国、4流国なんです。そう思って、住んでいると、ほっとします。どんくさいのも、能力ですから。



2021年6月2日水曜日

即答

  沢庵の『不動智神妙録』に、即答する人は無心で、間が空く人は有心、というようなことが書いてあります。間が空いているあいだに、何か考えているからだと。

 元々、メールはすぐ返すほうだが、この記事を読んでから、いっそうすぐ返すようにしています。1日経つと、遅れた良いわけしなければならないし、いろいろなことを考えてしまって、素直な返事にならなくなってしまう、からなのです。

 即答しておけば返信わすれがなくて安心だし、勘違いや誤りがあっても即答だからあり得ることだし。後でと思って返信を忘れたり、熟考したのに勘違いや誤りがあったのでは、熟考の意味がなくなってしまう。

 というわけで、返事はすぐに、メールはすぐに返信。を心がけています。

 又聞きですが、アメリカの田中さんが、小生のすぐ返信を賞めていたそうです。

2021年5月24日月曜日

小学生のころ何履いていたのか

 

  作家の林望さんご推薦の『日本生活図引』(全5巻、弘文堂)は、戦後の生活の様子を記録した写真と、その解説から成っている。

 写真は、昭和34年撮影の、室蘭市の子供達の「長馬」という遊び、である。上に乗った子供達の足元には、いろいろなクツが見える(⑦で示されている)。ズック、ゴム靴(たん靴)、ビニール靴、だとのこと。もう少し経つと、運動靴、スニーカーが登場するのでしょう。

2021年5月23日日曜日

アゲハチョウ来る

  毎年、この時期に、アゲハチョウがきます。家の前の、グレープフルーツの木に産卵し、孵化した幼虫がグレープフルーツの葉を食べて大きくなります。子々孫々、受け継がれているようです。誠実さに、頭がさがる思いです。

 このグレープフルーツも、長女が小さい頃に種を蒔いたもので、な30数年もの。桃栗8年、ゆずのばかやろ16年といわれる、ゆずの仲間です。結実するのが相当遅いのです。あせらず、じっくりという場合の「鑑」です。

 しかし、毎年、どういう風にして、申し送りしているのでしょうね。



ざら紙

 家の中を片付けていたら「更紙」が出てきました。小学生の頃「ざら紙」と言ってたものが、「更紙」だったと、50数年ぶりに判明。

 ほかに「わら半紙」というらしい。雑貨屋で、1枚50銭でした。50銭という通貨は無いので、2枚で1円でした。古い貨幣単位が残っていた、ぎりぎりの年代なのでしょう。

 なお、運動会では、地下たびを買いました。底はボール紙で、使い捨てでした。そのころは、まだ、運動靴、スニーカーも無くて(何、履いていたんだろう)、運動会には、地下たびでした。

 件の雑貨屋で、「何文だね?」と聞かれて、「◎文半」とか答えた記憶があります。しらべてみると、1文は2.4センチとのこと。まもなく、運動靴が 出回って、地下たびは買わなくなりました。

 件の雑貨屋は、家の目の前で、「百貨店」って言ってました。半世紀以上も前の話でした・・・


 

2021年5月16日日曜日

身に染みている歌

 先週の日曜日、森山直太朗が、五木の子守歌を歌っていた。いつものあの調子でうたっていたので、赤ん坊は寝ないだろうな、と思った。抑揚無く、しずかに歌ったほうが良いとおもう。つまらなくて、単調な講義が、眠くなるように。

 何年か前に、森山良子が、聖者の行進を歌っていたけど、ルイアームストロングのと比べると、なんか違うなという印象。

 調べてみると、葬送の帰り道の歌とのこと。墓場までの歌は、重々しい演奏で故人を悼むためのものに対し、墓場からの帰りの歌は、魂が解放されて天国へ行くことを祝う明るい演奏なのだそう。

 開放感がなかったのかも。開放感がにじみ出てくるような人生を歩まないと出てこないかも。

 上手に歌うのと、歌が上手なのとは別だねえ。

2021年5月7日金曜日

奥羽本線赤岩駅

  まんが読んでたら、奥羽本線の赤岩駅が3月12日に廃駅になったとのこと。

 実は、40年ほど前に降りた駅なのです。この漫画のホーム見覚えあります。

 駅から(何も無い畑みちを)13号線に向かい、13号線を米沢まで歩いたのでした。

 長いトンネルは車に乗せてもらったり、山形県は、バスに乗ったのかもしれません。

 米沢には素泊まりの旅館に泊まった。

 ここまでは覚えているのですが、何しにいったのか。まったく思い出せません。


2021年4月30日金曜日

茶は政所

 

 近江の永源寺で買ってきた「政所茶 平番茶」というのが、右の写真。

 全葉を乾かしただけ?の素朴なものです。番茶のあっさり、緑茶の渋み、両方兼ね備えてものです。

 100度のお湯で3分間というから、紅茶とおなじです。通常の番茶は、100度のお湯で60秒ですから、「平番茶」というのですが、番茶と緑茶のハーフですね。

 茶樹は40年が寿命のところ、政所茶は300年だそうです。こういうのを、枯淡の茶というのでしょうか。無農薬だそうです。いいものに出合いました。

 中国の武威岩茶の古いものは1000年だそうです。足下にもおよばないですが、それが1000円くらいで買えるのですから、すごいのです。お茶で言えば、人生最大の収穫でした。

2021年4月29日木曜日

お地蔵さん

  昨年、2度ほど、お地蔵さんが夢枕に立ち、あかるい光を浴びました。何も語りはしなかったのですが。そんなわけで、どのお地蔵さんなのかと、探すのですが、意外に見つかりません。

 4月29日、島田先生の墓参にいったら、なんと、お地蔵さん。豪華に6体。もしかしたら、このお地蔵さんに手招きされていたのかも。なんども墓参に行ってましたが、無縁のものと、素通りしていました・・・

「掬水月在手」(水を掬えば、月は手に在り)

 心を寄せて行動を起こすと、結果が得られる、というのが、身に染みました。


島田先生墓参

  本日、合間をぬって、島田先生の墓参に行ってきました。東武東上線の高坂駅から歩いて10分くらいですが、駅前から周辺まで、区画整理が終わったようで、見違える街になっていました。むかしながらの、細い道は、無くなりました。寒村から、おしゃれな市街になりました。おそらく、沢山の樹木を切ったのでさっぱりしたのかもしれません。

 そういえば、杉山和一は、江ノ島にお礼参りとして、毎月通ったそうです。片道30キロですから、往復で丸2日です。杉山和一の業績は、こうした目に見えない誠実さに支えられているのかと思うと、ぼくらももっとしっかりせねば。

 菩提寺は曹洞宗広済寺ですが、屋根がおもしろくて、写真を撮ってきました。

 横広の顔のよう。鼻は卍です。曹洞宗か、広済寺の独特の型式かとおもったら、近くの天台宗東光院も同じようでした。

 この地区の共通デザインか、建築時期の流行なのかも知れません。


 

2021年4月25日日曜日

65歳 得るもの

 4月5日に、65歳になり、得るもの、いろいろです。

 お寺を味わえることができるようになったのは、得るもの。

 ひとつひとつが味わい深くなったことも、得るもの。これだけ得れば、御の字です。

 玄米が美味しくなったのも、得るもの。食べても、胃が重くならず、さわやかなのは、前には無かったことと思う。

 体は身重になるけど、気持ちは身軽になるから、フットワークがよくなっているのも、得るもの。

 コロナ以降、日曜日家にいることが多くなり、サザエさんをよく見ています。心がさわやかになるので、得るもの。

 あんまり「失うもの」無いかも。

近江の永源寺

 宣言が出る前にと、すき間をついて、近江の永源寺に行ってきました。留学僧の寂室元光が開山の、臨済宗のお寺です。1361年。

 建物は、江戸時代に建て直されていますが、境内は、当時のままですから、往事をしのぶには十分です。

 31歳で中国に渡り、37歳で帰国しました。永源寺の開山になったのは71歳です。無くなったのは78歳。死んだら、この寺は壊してくれ、壊せないなら誰かにあげてくれ、と遺言したそうです。

 境内に入るのに大歇橋(だいけつきょう)を渡ります。変わった名前だなと思っていたら、昨日読んでいた有馬頼底『茶席の禅語ハンドブック』にヒントが書いてありました。

「求心歇処、即無事」(臨済録)

 求心 歇(や)む処、即ち無事なり。

 つまり、追い求めるのを、この橋で止めよ。橋を渡れば、さあ、修行だ。

 そういう意味なのかと思いました。

 帰りに、政所茶(まんどころちゃ)を買ってきました(番茶)。「宇治は茶所、茶は政所」といわれるような古くからの茶の産地とのこと。通販でも売っていますが、買うときは、再訪したいと思います。よいお寺でした。

2021年4月22日木曜日

たががはずれる

 わが家のご飯の流儀は、土鍋で炊き、飯台で冷ます。冷ますのは、前はうちわで、今はドライヤー。急激に冷やすと甘みが出るのです。

 その飯台のたがが、きのう外れたのです。たがは銅製で、お寿司やさんによれば、竹製と銅製は、板と一緒に伸び縮みするので、外れにくいと。ステンレスのたがは、そうでないので、外れやすいと。

 きのう外れたのは、板が乾燥しすぎたからです。乾燥すると板が縮んでしまうのです。お寿司やさんによれば、何日か休みが続くとなれば、お店には、飯台に水張りに行かねばならないそうです。つまり、いつも、一定程度の湿り気が無いと、たががはずれるのです。

 「たがが緩む」というけど、たがは緩みません。板が湿り気を含んでふくらむとたがが締まったようになり、板が乾燥すると縮んでたがが緩んだようになり、はずれるのです。「たががゆるむ」というのは、たがの締め付けがゆるむことではなく、内側の緊張感がゆるむこと、なのだと学習しました。


2021年4月15日木曜日

『無限の清風』

  鎌倉のお墓参りのついでに、建長寺、円覚寺に立ち寄ったときに、売店に、吉田正道住職の『無限の清風』を買った。住職のことも知らないし、ほんのこともしらないのだが、折角だからと買ったもの。

 しかし、読んでみると勉強になり、利益がありそうな本は利益がありそうだが、何となくかったものでも利益になるのだから、はじめに「利益ありそう」などと分けることは、自分の世界をどんどん狭くしているのだと気が付きました。

 『無限の清風』に、師匠の実家、故郷をたずねる、というのは感動的です。

 室町末期、中国の高僧の元に数多くの留学僧が海をわたって、臨済宗がいま在るのだが、別の坊さんの、高僧の寺跡をたずねるという文章(別の本)も、感動的でした。先輩たちは、この道を歩んだのか、この川の水を掬って飲んだのか、同じこの木を眺めたのか。なににも、かににも、心を寄せていた姿が、感動的でした。

 丸山先生の墓参のあとに、昔住んでいたという廃屋をたずねていましたが、他の人からみると、感動的なシーンだったのです。『無限の清風』からいろいろ学びました。

2021年4月13日火曜日

以て爾(なんじ)の隣里の郷党に与えんか

 仲間が急逝し、奥様が遺稿をあつめて詩集を作った。奥様から、ご希望者に贈呈します、と連絡があって、希望者はわずかだった。いろいろ理由があろう。

 昔は僕も、必要ないものとして断っていた。しかし、「論語」の次の文章を読んでから、なんでもいただくようになった。

 弟子の原思が町長になった。孔子は給料を「粟900」と決めた。原思は、そんなにたくさんの給料は要りません、と断った。孔子は、ならん、君が必要ないなら、村の人に分けてあげればよいではないか。

「原思、之が宰と為る。之に粟九百を与う。辞す。子曰く、無かれ。以て爾の隣里の郷党に与えんか」

 原思は、無欲ぶっているが、自分のものにしようと思っていたから多すぎるといったので、私有の欲はあったのである。さすが、孔子先生。私有しないで、みんなにあげればいいんだよと。孔子先生のは、仏教でいう柔軟心(にゅうなんしん)と言うのでしょう。

 この文章をよんでから、飲まないお酒をもらっても、ありがたくいただくことにしているし、嫌いなものでももらうことにしている。持ち帰って、欲しい人にあげればよいので。



2021年4月12日月曜日

もっこうばら 咲く

  今年も、木香薔薇が咲きました。

 世の中、コロナ、ワクチン、なんやかんやとうるさい中、いつもどおりに、微香をただよわせて、開花しました。しばらく爽やかな風がふきます。

 テレビをみれば、暗雲わきあがり。窓下をみれば、雲は吹き消され、蒼天をみるがごとし。

 写真では、微香ただよわぬのが、難。

 


藤平健2

 『百味箪笥』を読むと、『傷寒論』は完璧な医書、とある。

「傷寒論は、まさに類型診断学の極致というべきものであって」と。

「すでに用済みの古代の書」というような人は、つまみ食いしているのである。

 魂を込めてよまない限り、その本質がわからないのである。だから、江戸時代の先生方は、熱心に読んだ。単なる文献ではないから、つまみ食いは無益である。

 中西深斎(1725~1803)は、38歳で吉益東洞の門下になり、『傷寒論』の重要性に覚醒し、医院を閉鎖して『傷寒論』研究に没頭した。30年かけて、『傷寒論弁正』をあらわした。一生を賭した『傷寒論弁正』の崇高さには、だれも近づけはしない。

 一生を賭けて『内経』を読む。残りの人生は、そうありたい。

 

 

 

 

2021年4月4日日曜日

藤平健

 藤平健『百味箪笥』(緑書房)が、書架にあったので、読む。というか、漢方家の随筆なので、敬遠していたのです。差別していたことを反省。

 眼科医なのだが、漢方も使い、手術もやり、注射もするという。それは「現代医学と漢方との、いずれを用いた方が、この患者の病気を、より早く、より根治的に、そして安価に治すことができるか」という三原則を踏んでいるからだという。漢方ごりごりではない先生なのです。

 丸山昌朗先生は、医師なのだが、鍼と灸しかやらなかった、と聞いて、カッコいいなとおもっていたけど、藤平先生もカッコいいなと思う。現在の自分の心境では、藤平先生に近い。

 現在、丹塾古典部で、能美友庵『六診提要』を読んでいるが、これまたすごい。多くの先生方は、治療の証を決めるために診るのだが、能美先生は病気を診ているのです。鍼灸師は、すぐ鍼を刺したがるけど、大いに反省せねばならない。

 これからは、病気をよく診て、「より早く、より根治的に、そして安価に治す」ために、どの治療が良いのか考えながら、治療したい。なんでもかんでも、自分の領域にひきずりこむのは、保身の極みで、恥ずべきことです。良著をよんで、身あらたまる。


2021年3月25日木曜日

比するに赤子においてす

 『老子』第五十五章に「含徳の厚きは、比するに赤子においてす」とあり、道の徳を秘めた人(が、道の徳を秘めているかどうかを照合する場合)は、赤子で比べる。言い換えれば、赤子のような人が、道の徳を秘めている人なのだというのです。 

 その赤子は無心だといわれるので、なんとなくそれを信じていたのですが、昨夏に孫が生まれて遊びにくるので、観察してみて、無心というのはどういうことなのか、確認してみました。

 不満があると泣く、体調が悪いと泣く、不安だと泣く、気にくわないと泣く。どこが無心なのだろう。

 7ヶ月になると、イヤなものはイヤらしく、ぷいと横をむく。我が出てきている。どこが無心なのだろう。

 ただ、怖さしらず、きたないもの知らずのところはある。高いところにおいても怖がらないし、なんでも口にいれるし。この点は、無心のよう。

 総合すると、老子が、道の徳を秘めた人は赤子のようと言った意味は、なんとなくの無心ではなく、分別が無いことを指すようである。感情が無い、我が無いことでは無いらしい。

 『老子』の理解に孫が役に立つとは。この3月は、『老子』五十五章が、少し理解できたので、少し進歩しました。

 


雑草だましい②

  2020年7月1日に紹介しました雑草くん。ついに刈られてしまいました。丸坊主に。

 しかし、さすがに、豹は死して毛皮を残すがごとく、刈られた雑草のあとは、写真のとおり「雑草、いわおも穿つ」がごとく、アスファルトを侵食していました(縁石の左側の黒っぽいすじ)。まじまじと見ると、雑草の力、侮れず。

 微々たる活動とても、長い間には痕跡を形成し、それが好影響となれば。と、自分自身を励ましました。


2021年3月21日日曜日

円覚寺 黄梅院

  昨日は、北鎌倉の丸山先生のお墓参りをしてきました。会の行事としての墓参は28日なのですが、用事があって行けないので、モリモリ行ってきました。

 写真は、円覚寺の黄梅院の屋根で、のし瓦が立派でしたので、撮ってきました(わが家の3倍くらい積んでありました)。のし瓦については、2020年2月のブログでとりあげました。

  

 独りで行ってきたので、感慨深い、北鎌倉になりました。

 ①街が線香の香り。

 ②小鳥がさえずる。

 ③ドラ・太鼓、読経が聞こえる。

 ④懐かしい?景色。

 ⑤北条氏が中国の名僧を招いた国際都市(最先端の仏教都市)だった回想。


 懐かしい?景色とは、子供の頃、松島瑞巌寺の境内で遊んでいたので、似たような建て物や三門があって、共鳴したような感じでした。どちらも観光客がいる、というのも共通しているかな。

 みんなで行くと、わいわいしているし、感慨にひたっている場合じゃないので、①~⑤は拾えないのです。たまには、独りもよいものです。

2021年3月10日水曜日

わがやの階段

 

 左側が鍼灸院の階段。右側が漢方薬局の階段。幼児には楽しい空間らしく、前の歩道を歩くのに、たいていは階段で道草していきます。4段と3段で、幼児には楽しく見えるのでしょうね。

 小学生になると、道草しないですね。一応、ひとん家、という意識があるんでしょうか。

 階段は水害対策もあるし、建築制限でセットバックしていることありますが、幼児目線でいえば、遊びを残してくれた、ということになります。

 ながく大人をやっていると、幼児目線、青年目線がなくなり、というか失ってしまったのは、残念。どんどんつまらなくなるし。残念。

 


2021年3月6日土曜日

山の上のホテル

  3月6日、22時から、テレビ東京で「新美の巨人」で、山の上のホテルを特集していた。

 北里医史研と内経医学会の共同編集の『黄帝内経明堂』(1999年3月1日発行)が、間中賞を受賞したので、そのお祝いで、山の上のホテルのレストランバー(店名忘れた)を利用したのです。

 賞金が、30万円で、天引きされて27万円。みんなで飲んで使い果たしました。

 大東文化大学の林教授。医史研の小曽戸部長、島田先生をはじめ、10数人で、主にワインを飲んだのだとおもいます。

 懐かしい思い出です。(お店は、違うのに変わったかも知れません)

 義父は、中華料理が好きで、あちこち行きました。山の上のホテルの新北京という中華料理屋にも行きました。今でもあるようです。


2021年3月5日金曜日

丸光デパート


 昭和33年の仙台駅前。高いビルは、丸光デパート。7階~8階の、高層建築。今は、その丸光デパート自体は無いようである。

 仙台には、藤崎、三越、長崎屋、十字屋などのデパートがあったが、藤崎、三越だけ残っているよう。繁華街の一番町通りの北に三越、南に藤崎があって、一番町通りは宮城県民にとっての大繁華街でした。仙台駅からは1キロ以上も離れているので、中学生のときは足を伸ばせませんでした。高校になると、荒っぽい高校だったので、制服着てうろうろできないしで、結局、大繁華街は全く知りません。

 なので、駅に近い丸光デパートに行くと、仙台に行った満足感がありました。

 駅前の仙台ホテルも無くなっているようです。ここでは、2004年の伝統鍼灸学会仙台大会の打合をしました。樋口先生、浦山先生。こちらからは、形井先生、加賀谷先生、宮川と、形井先生の車(ホンダ・セイバー)で行きました。つい昨日のことのようです。滅多にみない車でした。滅多にみないといえば、三菱のデボネア。今となっては、乗ってみたい。




2021年3月1日月曜日

トヨタ・ヤリス

  車検の代車が、トヨタ・ヤリス。電気とガソリンのハイブリッド車で、スイッチをいれても、エンジンはかからないで、ただ「スタンバイ」するだけで、アクセルを踏むと走り出す。びっくり。

 加速は、強く踏むと、電気とガソリンで、強い加速が実現します。弱く踏むと、電気だけで、ソフトに加速します。コンピュータが、綿密にコントロールしているお蔭。トラブルになったら動かないでしょうけど、トラブルにならないのでしょう。すごいねえ。浦島太郎になった気分。

 ヤリスでびっくりしているのだから、電気自動車の加速は、すごいのだろうねえ。「やっちぇえ日産」というCMがあったけど、やっちまったんだろうねえ。

 数年の内に、電気自動車が標準になり、自動運転が標準になるのでしょう。なんだか、進歩についていけてない。

 動力部分は進化しているけど、ドアの作りとか、タイヤの走る音とか、あまり進化していないよう。「最低限に走る」に特化しているのかも。

 

2021年2月23日火曜日

玄関

  昔の家なら玄関は独立していて、周りの塀と門とで、立派な家のステータス3点セットでした。この当たりの新しい建て売りだと、玄関は壁の中に組み込まれ、塀や門はありません。そんなスペースがあるなら、駐車場にしてしまいます。

 おしゃれな玄関ならば、ガラス戸で、中に趣味のバイクが飾ってあったりして、ステータスなんぞ掃き捨てました、という雰囲気です。

 最近では、コロナ対策のために、玄関内に手洗いがあったり、コートを消毒したり、掛けたり、さらなる進化形は、玄関のとなりが浴室になっていて、戸外のけがれを、戸内にはいれないぞ、という構造にしているそうです。

 タイル張りで、広くて、奥に在った、昭和のお風呂は、周回遅れとなってしまいましたねえ。五右衛門風呂を知っている人も、だいぶ少なくなってきました。

 嫁の実家では、普段の出入りは勝手口で、玄関を使うのはお客様だけでした。松本の姉の家の玄関は、クツを脱いであがるところは3枚の畳が敷いてあります。

 玄関て、いろいろなんですねえ。

2021年2月21日日曜日

弓削田醤油

  テレビで、木桶を使った醤油を作っている弓削田醤油さんが紹介されていた。埼玉の醤油屋さんです。醤油の味は、木桶だけでなく、蔵の中も味に影響し、さらには蔵の廻りの樹木も醤油の味になるといって大切にしていました。格好いいでした。

 いま木桶は絶滅が危惧され、小豆島の醤油やさんが最後の職人に教わって自ら製作しているそうです。自分たちが作った木桶が良いものなのかどうかは、孫の時代にならないと分からないといいます。若者たちの真剣さが、格好いいでした。

 たしかに、鍼灸も生業としては一代限りでも良いが、孫の時代にも役立つように、技術の伝承、学問の整備、深化を、今のうちにやっておかねばならない、と木桶の話で顧みました。僕らもかっこよくならなきゃ。

鳥の鍼灸治療

 山脇東門の『東門随筆』に、

南都の天満という所に大成(だいなる)鳥屋あり。此(この)主人、鳥の病を療(いえ)るに、毫鍼をさし、灸もすえて治する也。甚(はなはだ)上手(じょうず)成故(なるゆえ)、大坂あたりの鳥屋抔(など)より大切の鳥の療治を頼(たのむ)よし。

とある。鳥屋なら誰でもできそうであるが、そうでは無いらしい。努力だけでは、なしえないこともあるようである。ようするに、天分というものである。

 以前に、患者さんが、旦那は野鳥を飼育するのが上手だ、と話していた。野鳥を飼育するのは、誰でもできるものではないという。やはり天分なのでしょう。

 鍼灸でも、天分のある人の治療は、格別のものがあると思う。僕の後に島田先生の見習いになった〇屋さんという人は、ツボが見えると言ってました。指先に感じる人もいるらしい。こういうのも天分だろうとおもう。

 天分なのかどうかは、同じ道を歩んでみて、結果として、天分が有ればよし、天分が無かったならばあきらめるしかない。


2021年2月15日月曜日

石灯籠 壊れる

  今般の地震で、仙台の瑞鳳殿(伊達正宗の霊廟)の石灯籠100基ほどが壊れたとのこと。昼間の観光時間だったら、被害が出ていたかも。お墓も壊れたところもあるよう。お墓は別としても、石灯籠は元にもどさなくても良いのではないかと思う。観光資源かも知れないが、人的被害を考えたら、こわい。(と仙台市長になったつもりで、考えてみました)

 人間の10年は、大地の一呼吸の間とのこと。また地震がくるのでしょう。新幹線の高架も、地震のたびに破壊されて、なんだか「背伸びした人知」が揺さぶられているよう。

 これから原発の廃炉にもお金がかかるし、古くなった道路、橋の修理にもお金がかかるし、そして災害の復旧にもお金がかかるし。これまでと、これから先とでは、世の中だいぶ変わるんでしょう。

 しかし、東北地方に対する自然界の当たりが、きびしい(ような気がする)。

 

2021年2月7日日曜日

おっさん(僧侶)

  実家では、僧侶のことを「おっさん」と呼んでいました。若くても、年配でも、「おっさん」です。方言かと思っていたら、滋賀県の永源寺について書いた随筆の中に、

「ほうか、去年のオッさんも風邪ひいておいでた、永源寺さんは、ほんなに寒いかの」

とあって、滋賀県でも「おっさん」と呼ぶらしく、気になって検索してみたら、関東では言わないものの、東北、東海、関西では「おっさん」と言うようである。「和尚さん」の略称のよう。

 おそらく近所に寺院があって、地域的な交流しているときの、ご近所さんとしての親しみをこめた称び方なのでしょう。「ぼんさん」「ぼうさん」とは少し違うようですが・・・




自転車のギア

 

 ふと(毎回ですが)、息子の自転車のギアをみたら、なんと9段でした。前が3段でした。どうやって、組み合わせるんだろう。アングリ。

 僕が前に乗っていた自転車(盗まれましたが)は、後5段、前2段でした。それでも使いこなせませんでした。

 中学の時に乗っていたのは後4段のみで、それでも通学には十分間に合ってました。当時の主流は5段でしたから、父親は4段というものをどこから探してきたんだか。

 今乗っているクルマは、鍵の方式が3種類。鍵穴にカギをいれれるもの(古い)。手に持っているスイッチをオンオフするもの(一つ前の)。手元でオンオフしなくても、カギさえ持っていれば、ドアノブを握っただけでオンオフになるもの(最新の)。3つの時代をすべて遺しているという感じです。

 時代は、どんどん進んでいるんですねえ。

2021年2月1日月曜日

飛び降りるコツ

 『蕉窓雑話』は、和田東郭の座談の記録で、当時の受講生の熱心ぶりがうかがわれます。筆記録なのでしょう。先生の話を、一言も洩らさぬ、という緊張感が伝わってきます。

 「摂州高槻の鳥屋の伝に、凡て屋の上、又は岸の処などの高より拠なく飛ねばならぬことあり。其時には所詮勢いの止まらぬと云処にて、わざと屋ねの端まで走り来たりて、端に成りたる時、臍下へ気を脹り口を閉てどっと飛下る中に、今二三尺許に成たる処にて、我が体を上へ飛上る心持にかがむ時は、やはり三尺の処より飛びしわり合に成て、ふうわりと落るものにて、直に落ちたるなりにてあるかるるもの也」

 どうしても高いところから飛び降りなければならないときは、下腹に息を吸い込んで、着地の手前で、飛び上がるきもちで身体をかがめると、まるで三尺のところから下りたようになり、ふんわりと着地できて、落ちたすぐから歩き始めることができる。という。

 小学生のころ、しばしば、屋根から飛び降りたり、崖から飛び降りていました。そういえば。3メートルくらいでしょうか。こわさ知らずというか。

 このコツは、小学生の時に、聞いておきたかった。今聞いても、飛び降りられない。

 



山脇東門『東門随筆』

 山脇東門の『東門随筆』に。

 「南都の天満といふ所に大成鳥屋あり。此主人鳥の病を療るに、毫鍼をさし、灸もすへて治する也。甚上手成故、大坂あたりの鳥屋抔より大切の鳥の療治を頼よし。先年南都へ行たる時、右の鳥屋にて聞たり。是も牛馬の鍼を受るに異ならず。療道の広事、此の如きなり。」

 奈良の天満という地区に、大きな鳥屋があり、この主人は鍼と灸を使って、鳥の治療をするという。とても上手なので、大阪などの鳥屋が大切な鳥の治療を依頼しているとのこと。この話はその鳥屋で聞いた話。牛や馬の治療もおなじだと。(鍼・灸)治療はこのように広く応用できるのである。

 考えさせられる一文です。飼い主から状況を聞くだけで、ご本人からの情報は無い。そうすると触診だけで治療方針を立てるのだから、鍼灸の本源はここに有るのでしょう。

 ただし、ヒトの治療では、患者さんの心と、治療家の心が、絡んでくるので治療効果が下がりそうです。ここが、クスリと違うところです。

2021年1月23日土曜日

沢庵の「切れ」

  古人の筆跡の断片を「切れ」といい、良い値で販売されています。

 写真は、江戸時代の禅僧の沢庵宗彭の「切れ」で、


「(一)手縮、一手伸、重陽」と書かれています。ある古典の一部を切り取ったようです。

 切り取りなので、この文面で完結はしていません。ただ、筆跡をたのしむだけです。

 大物は高いので、こういう小物を飾って、私淑するのも、良きかと思っています。




2021年1月17日日曜日

蝋梅咲く

  半月ほど前から(気がついたのが)、蝋梅が咲いていました。

 丸山先生のお墓まいりが2月11日だったころ、門前のお宅に蝋梅が咲いていました。今は、3月末なので、お目にかかることはないのですが、ご近所で咲いていました。

 世の中、気ぜわしくなっているのに、蝋梅はいつもどおり、淡々と花を咲かせています。

 蝋梅をみたら、気ぜわしくなっている世の中に連れて、自分の心も気ぜわしくなっているのを、内省しました。


2021年1月8日金曜日

正法眼蔵随聞記講話

  T先生からいただいた書籍の一つに、「正法眼蔵随聞記講話」(月刊ペン社)というのがある。タイトルからして、読まないだろうなと思っていたところ、ふと、めくってみたら面白いのである。

「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)は、道元の著。

「随聞記」(ずいもんき)は、弟子の孤雲壊奨(こうんえじょう)の著。道元に随従したときの感想記。

「講話」は、鎌田茂雄先生の解説。

 ようするに、仏教の、禅宗の、曹洞宗の解説書である。表の「正法眼蔵」は、裏の「随聞記」を読むとよく理解できるらしい。

 ふと(またまた)、本棚をみたら、鎌田茂雄先生の『中国の禅』(講談社学術文庫)があって、買っても読まなかったのですが、急に興味がわいて、読もうか、と気を取り直しました。


ピラカンサ報告

  以前、わが家のピラカンサの実、小鳥が食べにこない、と報告しましたが、正月三が日になって、一気に、食べ尽くしていきました。わが家の順番でなかったのか、実が熟していなかったのか、理由はわかりませんが、小さく安堵しています。

 何羽で来たんでしょうか。10羽や、20羽で、食べきれる量ではないのです。20羽が3日間きて、のべ60羽というところでしょうか。

 むかし、冬の果物といえば、リンゴとみかんだけでした。特にミカンは、こたつに入って、何個も食べました(手が黄色になるまで)。

 むかし、ミカンを何個も食べていた人間は、ピラカンサの小鳥と同じだなあ、と感じいりました。

2021年1月1日金曜日

新宿・杏林堂

  小川先生の年賀状で、新宿・杏林堂を閉じたと知りました。

 新宿野村ビル5階。日本経絡学会の学術部長だった井上雅文先生のお手伝いしていたとき、学会誌の編集会議が杏林堂で行われていましたので、何度か行ったことがあります。

 話では知っていましたが、あの杏林堂に行けるとは思っていませんでした。左右に個室になった治療ブースがあり(7~8位?)、正面には院長の部屋。治療院としては、島田治療院、井上治療院しか知らないですから、別世界のようでした。

 その時はまだ、晴通院長がご存命で、一度だけお見かけいたしました。

 編集会議は、丹沢章八先生、小川卓良先生、島田先生、井上先生、金古英毅さんの面々。ムンムンとした熱さを思い出します。