2017年8月30日水曜日

亀甲積

 久留米の帰りに佐賀市に泊まりました。写真は、佐賀城のお堀と、櫓の石垣です。お堀は広いところでは80メートルあるらしく、それが800メートル四方で囲んでいます。かなりおおきなお城です。
 
 櫓の石垣は、亀甲積みという方式で積まれています。神社の石垣では見ることがあるのですが、お城では初めてです。加工しやすい石らしく、四角ではなく六角に削りだし、積み上げています。「亀甲城」とも呼ばれるようです。平城で、高い樹木があって、城がうずもれたようになるので、「沈み城」とも呼ばれているようです。

 お堀は埋められて、運動場になったり、学校が建ったりすることが多いのですが、ほとんど埋められていないところに余裕が感じられます(土地の余裕か、佐賀県人のこころの余裕か)。時間が無かったので、本丸資料館には立ち寄れず。昔の姿のまま再建したもののようです。またの機会には行ってみたいと思います。とりあえずは、堀をほぼ一周歩いてみました。


2017年8月27日日曜日

下村湖人生家

 8月27日は、久留米市の気血研究会夏期大学に参加しています。60分の講演をしました。テーマは「五神について」。五蔵に宿っている五種類のたましいの話です。『内経』次号に発表内容を掲載予定です。

 25日に柳川市に泊まりました。柳川城址と、柳川名物の鰻せいろ蒸しを元祖元吉屋で食べました。当日は、暑くて湿気で、町歩きも苦行でした。

 柳川城址を歩いていたら、町の人にあいさつされ、柳川高校の野球部の生徒にあいさつされました。あとで聞くと、こちらの人の普通なのだそうです。垣根が無くていい気持ちでした。せっかくだから、野球部の生徒に、県予選はどこまでいったと? と聞いたら、県予選にはでれんと。地域予選でまけたと。と言ってました。だいぶ弱いようです。

 となりでは、硬式テニス部が練習をしていました。こちらはかないウマイ。球筋が高校生らしからぬ、とおもってたら、硬式テニス界ではとても有力な高校なんだそうです。いいものを見ました。柳川城址よりも、印象的でした。

 26日は、下村湖人生家をたずねました。このブログで『論語物語』に触れたばかりなので、柳川でもらったパンフレットの片隅にみつけたときは、とても感動しました。朝10時に着いて、次のバスが13:30とのこと。3時間半滞在しました。そのあいだ誰も来館しませんでした。湖人先生によばれたのだと思います。たましいの洗濯になりました。



2017年8月21日月曜日

補虚写実

 昨日は、第12回、教員のためのセミナー(北里医史研主催)でした。小曽戸部長に相談し、始まった企画です。医史研の客員研究員がおもな発表者です。教員、教員予備軍が受講対象なので、一般の方には情報がまわっていないかもしれません。

 ぼくは、補虚写実の考え方は『内経』が出土文書から受け継いでいる、という視点で発表しました。この視点は、白杉悦雄先生の論文を参考にしたものです。論文を読んだだけではピントこなかったのですが、自分から整理してみるとよく理解できました。

 林克(元大東文化大学教授)によれば、いまや、出土文書を扱わない中国古典の研究はあり得ないそうです。『内経』の研究はもちろん必要だとして、それをさかのぼる文書が出てきたからには、きちんと研究しておかなければ、その学説は危ういのだそうです。

 補虚写実には、おおむね4タイプあります。
 ①養生から学んだ、腠理虚、邪気実。
 ②養生から学んだ、腎精満、腎精空。
 ③医学から受け継いだ、気の有余・不足。
 ④医学から受け継いだ、血の有余・不足。

 ①は、邪気を排除し精気を集める補瀉。
 ②は、満杯になったら外に出し(射精)、外に出したら貯まるのをまつ。補瀉。
 ③は、気有余の熱、気不足の寒、の補瀉。
 ④は、血有余の充血、血不足の虚血、の補瀉。これは脈状診で決める。

 ①と②の瀉は、外に出す。③と④の瀉は、外には出さない。
 ②の補は、貯まるのを待つ、ので時間がかかる。③と④の補は、凸凹が調整されればよい(地ならし法)ので、時間がかからない。
 邪気もしくは外邪という表現を使う場合は、①のみ。②③④で、実を邪気というのは、本来の使い方ではない。
 ③④は地ならしして、程よい真ん中にもっていくのが補瀉。①は邪気を排除して、精気を補うのが補瀉。程よい真ん中ではない。②は満杯と空っぽを繰り替えすのが補瀉。程よい真ん中でもなく、邪気の排除でもない。

 4つのタイプは立ち位置もゴールも違う。これを一緒くたにして補虚写実を論じていたのであるから、わかるはずがない、混乱するはずである。

 きちんと理解して、緊張感をもって行動する。こういう基本ができていなかったとつくづく思う。適当に解釈して、適当に治療する。鍼灸の神さま、怒っているんだろうな。

2017年8月18日金曜日

乱に及ばす

 ジャイアンツの山口投手が、酒に酔って、病院の警備員を怪我させ、病院の設備を壊した。そのことによって、ジャイアンツは、今シーズン出場停止、罰金、減俸などを決めたそうである。
 
 ぼくは、酒が飲めないので、人生の半分を損しているね、と言う人がいる。たしかにそうなんだろうと思うけど、お酒で失敗したニュースを見ると、飲めないことも、まあ有りだと思う。

 孔子は「ただ酒は量無し。乱におよばず」(『論語』郷党)といって、結構な酒飲みだったようである。聖人君子にして、このようであるから、中国はお酒には寛大かもしれない。酒乱は『霊枢』論勇篇では「酒悖」というし、倉公の診藉にも、病因が「酒に酔って道路に寝た」からというのもあるから、昔から、大トラはいたのである。

 お酒の過飲が、健康を損なうのは、自分で解っていると思うけど、正常な判断ができずに一生を棒に振るかも知れない事件を起こすのは、自分が解っていないだけに後悔は強いかも。

『素問』上古天真論篇は養生を述べるが、ポイントは節度である。節度ある飲食、規則的な生活。そういうことが、理想の養生なのだという。それが中々守れないから、上級の養生なのでしょう。

 


2017年8月17日木曜日

2ミリ角の文字

 30代は、文字学がマイブームで、『説文解字』に始まり、いろいろな字書を、片っ端からめくっていました。なにしろ、文字学が、字書が、医学古典講読に役立つのかどうか、そういう情報がありませんでしたので、むやみやたらにめくっていました。
 
 写真は、朱駿聲の『説文通訓定声』というもので、文字の通用例をみるのにとても役立ちます。久しぶりにみましたが、文字は2ミリ角で、読むのは大変でした。30代は苦でもなかったのです。

 この本を、何ページめくっても、何文字読んでも、すぐ医学古典講読の役立ちになるわけではありません。だから、読まなくてもいいのですが、基礎知力の育成には欠かせないと思っています。個人的には、こうした回り道をして、地道に読む方が合っていると思っています。

 幸いというか、左目は遠視で、右目は近視です。なので、遠くは見えるし、近くもみえる。時間ができたら、『説文通訓定声』をじっくり眺めたいところです。

2017年8月10日木曜日

感性が落ちている

 スマホでは、メモ機能をよく使います。思い出したこと。読んで感動したセリフ。その中に、こういうのがありました。出処は不明(たぶん新聞記事)。 
 
「人の芝居が下手に見えた時は、自分が下手になっている時だと思え。感性が落ちている。」山本學

 山本さんは俳優さんなのですが、その演技はあまりみたことがないので、山本さんがどういう人なのかよく分かりません。しかし、その言葉は印象的でした。

 最後の感性が落ちているというのは、看過できませんでした。わたし達の職業で、感性が落ちてしまったら、重篤な事態だと思います。「人が下手に見える」ことはなくとも、「下手に見える」を「人の悪い所がみえる」に置きかえれば、日常よくあります。その時に、感性が落ちているのですから、愕然としました。

 沢庵和尚によれば、悪い所が見えるのが悪いのではなく、良くも悪くも、そこに心がとまることがダメなのである。ゆえに心に自由がない。心に自由がないから、感性も落ちるのである。

 いずれにしても、感性を落としたまま、30年臨床をやってきたかも知れません。こころを入れ替えて、後半戦に挑むしかない。

2017年8月7日月曜日

うつむく者

水野南北(1760~1834)の『南北相法』

・仰向くようにしてきょろきょろと歩く者は、これを「しらむ」といって、心が上の空で大いによくない相である。
・身体が豊かで、脇目もふらずに、少し下をみるような歩きかたをする者は、これを「くろむ」といって心が丹田におさまっている大変よい相である。
・身体がみすぼらしい上に、俯くようにして歩く者は、子に縁遠く、苦労が多い。

 いま、スマホを持って、下をむいている(うつむいている)人がとても多い。必要な情報を得るのであればしかたがないが、覗いてみるとゲームをやっている者が多い。ゲームをやるものやらないのも個人の勝手だが、しぜんに下をみるクセがつくし、背中も丸くなるので、注意したほうがよいとおもう。卑屈(背をかがめて低めること)が身についてしまいますよ。

 自分の将来が、ゲームごときで、決まってしまうのかと思うと、おそろしい。
 自分の将来が、くろむを意識することで、良くなるのならば、実にたのしい。


 

2017年8月3日木曜日

『大漢和辞典』

 我が家には、『大漢和辞典』が2セットある。治療室と、自分の部屋と。

 本体12巻と、索引が2巻。語彙索引を計ってみたら2900グラムあった。日に何度も引くことがある。その時は、筋トレだと思っている。3キロの鉄アレイを上げ下げしていると。これが何歳までできるんだろう。ふと思った。

 古典を読むときの、第一の地の作業といえば漢和辞典を引くことだと思う。ひと通り地の作業を終えてから、翻訳本を読むことにしている。そうでないと、翻訳本で間に合えば、地の作業をしなくなるからである。

 人の仕事を、ちゃっかり借りて、すまし顔しているのは、性に合わない。できれば、そういうことをしないで、自分で視た聴いた調べた、その範囲内で、生きていくほうが、性に合っている。

 もちろんヒントはたくさんもらいます。もらいますけど、自分なりに理解してから、使いたいと思います。このときに、工具書が、とても有難い。『医古文の基礎』第一章が工具書の使い方であるのは、なかなか配慮に富んでいる。