2016年10月24日月曜日

米国の鍼灸教育

アメリカのバークレイの鍼灸学校の校長からのめーるにはおどろきました。

アメリカでは中医学をベースに、
1.東洋医学的な生理学
2.病因論
3.病機論
4.診断理論
5.治療理論(鍼灸・湯液)
 これと並行して、西洋医学の1~4をかなりみっちりと学んでいます。
 その上で、臨床950時間、さらに患者数350名の臨床が義務付けられています。

 最後の行。350名の臨床が、おどろきです。

 3年の制度だとすれば、1年間に120名ですが、1年次には無理だとすれば、2年次・3年次に各175名になります。毎日、臨床実習の時間があるわけではないでしょうから、週2回だとすれば、1回につき2名弱の臨床実習をこなさなければなりません。1クラス30人だと、1授業あたり60名の患者を用意しないと実現しません。

 2年次も3年次も週2回とすれば、60人の患者を4日分用意しなければなりません。日本の学校で、協力患者を毎日60人用意できるでしょうか。

 ちなみに新大久保の学校では、3年次に臨床実習があって、治療できるのは年間で2~3人だそうです。バークレイ校の1パーセントです。愕然としました。

 根本的に教育制度内容を改めないかぎりは、こんご、どんどん日米の差が開いていくのでしょう。

 米国式の鍼灸教育をうたった専門学校が出てきたら、おもしろそうだな。


無味

 
 愛読書『味覚極楽』の赤坂虎屋の黒川光景の段に、

「すべてべっとりといつまでも舌へ甘味が残るのは、菓子の下の下に属すべきもので、舌へ載ってにわかに味が出ず、無あじの如く淡々たる中に、自然にうす味が湧いて出るのが三昧境である。」

とあった。和歌山の醤油ラーメンの味が、そういえば、そんな気がします。出しがしっかり利いているラーメンやが多いなか、???という味の体験は少ない。もう一回、食べてみたい。

 そばつゆでも、かつお節の風味は、不要なのだそうです。

 誰にでもわかりやすい濃厚な味。それを超え、次のステップに至るのが、侘、寂、粋なのかもかもしれません。和菓子というのは、そういう意識をもって、味わうものなのでしょうね。

 T先生が入院されて、銀座の「空也もなか」をお持ちしたとき、「粋なおかし」と評してました。値段は高くないのですが、たいへん喜んでいました。通人は、見る所がなるほど違う。

 生活の中から、侘、寂、粋、が消えている、のに今、気がつきました。日本鍼灸というフラッグを掲げるならば、失ってならないのに・・・・・

2016年10月20日木曜日

和歌山城

 和歌山城は、戦国時代に築かれ、江戸時代に増築されているので、石垣の表情の移り変わりをみることができ、中々面白い。

 写真は、戦国時代の石垣で、なにやら雑然と積まれているが、400年以上経っても、ゆがみもなければ、崩れてもいない。無造作に積んだように見えて、相当な技倆が備わっているようだ。

 穴太積みとも違う、なんとも逞しい石垣である。

 和田東郭の医則の「方を用ゆること簡なるものは、其の術、日に精し」を髣髴とさせる。江戸時代になって、医論が盛んになって、修飾うるわしくなるが、その分、弱々しい。

 鍼灸医学も、たしかに精細な理論もうるわしくあるが、シンプルで荒々しいのも捨てがたい魅力がある。陰陽五行、相生相剋の法則も良いが、法則が無いという法則も良いと思うのだが。


和歌山城 一の門跡は左に2回直角に曲がる。



2016年10月15日土曜日

和歌山ラーメン

 和歌山に来たので、和歌山ラーメンをいただきました

 まず、JR和歌山駅ビル内の丸美商店。麺は普通だけど、スープは、何とも美味しい。目の前に、早寿司があったので、それもパクリ。チープなサバ寿司だったから、要らなかったかも。何の出しかは、不明。

 ホテルが、南海電鉄和歌山市駅近くだったので、二つの駅を歩くことにした。途中に和歌山城が見えるはずだし。電車でも一駅。バスも走っているらしいが、とにかく歩くことに。

 和歌山城がライトアップしてたので、無駄歩きだとおもったけど、ひともうけでした。

 おそらく、3キロくらいか。結構、暗い中を、道を間違えないかと案じながら、小一時間あるきました。その途中に、麺屋ひしお、なるお店があったので、ちょっとのぞく。遅くまでやっているというので、チェックインしたあとに向かうことにした。

 麺屋ひしおは、醤油ラーメンで、スープはあの醤油色。あじも醤油味なのだけど、出しの味は無いような(よくわからない)。

 醤油は癖が強いから、それを醤油色のスープにしたのは、努力賞ではないでしょうか。煮詰めていたら、味がどんどん替わるだろうし。敢闘賞かな。と麺屋ひしおの醤油がなんと湯浅商店(日本の醤油の元祖)のお醤油でした。

 和歌山ラーメン2軒完食でした。
 

ヌーベルシノア

 本日は、講演のために、大阪に来ています。昨夜は、関係者と中国料理店で会食でした。

 中国料理は、大皿から各自が取り分ける「分食」が、基本なのであるが、この店は、最初から小皿に分けて盛ってくる「個食」でした。

 個食は、ヌーベルシノア(新しい中国料理)という方式らしく、高級なジャンルに入るのだが、上品すぎて、パンチフルな本場の中国のを食べなれてしまうと、何とも肩すかし的なのです。

 とはいっても、少食な樸には、量的にはちょうどよい。日本人用にアレンジしたといえば、そうなのでしょう。

 しかし、日本の中華は、中国の料理とは別物で、日本独自に進化したのでしょう。鍼灸も、そうなのかも知れません。日本の鍼灸に安住しないで、原型をたどり、中医学に学び、より鍼灸を深化させたいところです。

 


2016年10月3日月曜日

養生灸その2

 具体的に養生灸の方法を書いてあるのは、貝原益軒(1630~1714)の『養生訓』です。ここには、毎日一壮、百日続けると書いてあります。病気治療のためには、多壮灸すべきですが、あくまでも軽微を、長く続けるところに特徴がありそうです。

 養生灸の初出は、『千金方』だろうと思います。その「灸例」に、阿是穴に施灸しておけば病気予防になる、と書いてあります。

 問題は、この阿是穴です。

 圧痛点と言われていますが、圧痛点ならば全身に分布しているので、どの圧痛点を選ぶのかが大きな問題になります。素人がやる養生灸に、専門的な選穴理論は、問題外です。

 また、選んだ圧痛点が病気予防になるのは、どのような理由なのでしょうか。

 というようなことを考えると、阿是穴問題は、なかなか解決しそうにない。しかし、これが解決しないのであれば、養生灸を唱えたところで、砂上の楼閣にすぎない。となえることで、自己満足しているに過ぎない。

 私説ですが・・・

① 阿是穴は、ああ(阿)、そこ(是)という穴で、圧痛点とはちがう。
② 素人が、そこと認識するのであれば、普段から気になるところを解消しうるツボ、そこが、ああ、そこ、なのである。
③ 普段から気になる所、たとえば肩こりがあれば、元気がなくなるので、それが解消されれば
元気が戻る。というのが、病気予防の理屈か。
④ 自分で施灸できるという条件をつければ、場所は、四肢か、腹部でしょうか。

 結局、普段から気になっている所(不調箇所)が解消し、ああ、そこ、と言わしめるところが、阿是穴なのではないでしょうか。

 【本日の提言】  
 養生灸をしましょう、と提案しても、自力でできなければ、目的は達成できない。