2018年11月29日木曜日

温鍼

 11月18日の杉山遺徳顕彰会の講演は「灸頭鍼について」です。前半歴史、後半実技。前半の歴史では、灸頭鍼の祖先と思われる「温鍼」の古典記載を検討しました。

 「温鍼」の初出は王綸(15--16世紀)『明医雑著』で、中国の南方で行われている、効果的な方法だが、俗法であると紹介されています。

 香白芷を使うとあったので、最初は、もぐさに香白芷をまぜて燃焼させるのかと思い、やってみましたが、驚くような効果、変化はありませんでした。
 よく見たら「餅」に作れとありました。どのように餅に作るか、それをどのように鍼にからめるのか、わかりませんでしたが、他の古典から「餅にする」という記載を調べると、唾、蜂蜜、小麦粉などを混ぜて作るとありました。

 作った餅であれこれ思案した結果、これを台座にした隔物灸にしてみました。したら、なかなか良いのです。これだけだったら各物灸ですが、鍼を横刺して、その刺鍼部に隔物灸をすれば、温鍼法となるわけです。温鍼法が数百年ぶりに復活したのです。

 ①温熱効果
 ②白芷の薬効(散寒止痛)
 ③鍼体を温めることにより、皮膚内部への温熱効果

 以上の3点が期待できます。と書いても、具体的にどうするのか、どういう味わいなのか、体験してみなければわかりませんが。また、機会があったら、披露します。



2018年11月26日月曜日

楷樹

 写真は、楷樹(カイノキ)の紅葉。下から見て、薄い葉が透けて見えるのが、ナイスです。大きな木で、空一面が楷樹の紅葉というのは、まあ見事です。湯島聖堂の楷樹は大きなものです。

 楷樹は、孔子の墓所に植えられている木で、子貢が植えたとされている。日本には、大正4年に持ち込まれ、現在ではあちこちに植えられていて、大森の衛生学園前の公園にも植えられています。


11月連休

 11月の連休は、23日に大阪に行き、25日は松島に行き、大移動でした。

 23日の東京駅は殺人的な混雑で、新幹線ホームはごった返ししていました。指定席、自由席は満席で、大阪まで通路で立っていました。2時間半。

 25日の帰りの新幹線も満席で、これも立ってました。こんどは最初から指定席車両のデッキにきめ、本を読んだりしてました。1時間半。

 普段、電車で立っているので、苦行ではありませんでしたが、連休はおそろしや、でした。

2018年11月18日日曜日

めんばん

 松島の近所の斎藤さんのだんなさんは、「松島観光ホテルのめんばんさん」でした(50年ほど前の記憶ですが)。ふと、思い出しました。
 
 板場(調理場)の板長(料理長)さんは、カウンターに立つので花板、立板と呼ばれ、副料理長は、次板、脇板と呼ばれます。めんばんは面板と書き、このどちらかで、方言なのだと思います。「めんばんさん」は尊敬をこめた呼び方なのでしょう。今では、言わないかもしれません。

 松島観光ホテルは、お城の形をしたホテルで、2003年に閉鎖され、3階建ての天守閣風の建物だけが残り、展望台になっています。小藩の本丸、天守閣ぐらいの規模はありました。

 ちなみに、古いホテルに松島パークホテルというのがありましたが、1969年(昭和44)に火事で焼失。中学1年のころなので、半鐘の音、赤く焼けた空、いまでも思い出します。

 めんばんさん、松島観光ホテル、松島パークホテル、無くなった3兄弟でした。

2018年11月16日金曜日

俵型鍼管


 間中喜雄「きゅうと鍼の効用」(主婦の友社、1964年)に、管鍼の写真が載ってました。よくみると、俵型の鍼管のようです。たたずまいがいいですね。

 人的交流からすれば、おそらく4世神戸源蔵作でしょう。そのレプリカを何本か持っていますが、ツボが小さい手足の五兪穴に刺すのには、とても良いのです。ディスポ全盛の時代には話柄にのぼらないことでしょうが、道具話ができなくなるのは、一抹の寂しさがあります。




稀勢の里

 力士個人の問題より、横綱の美学からすれば、4敗すれば、引退でしょう。周りは、恩情過多のような気がしてならない。ほかの横綱も、横綱の美学が無いようなので、昔と今の横綱意識は違うのかもしれませんが。

 初めて相撲を見たのは、近所の方のテレビの前。ご近所のみなさんと。東京オリンピックの前年です。それ以降、熱心なファンとはいえませんが、テレビ桟敷で観戦しています。

 大関がだらしないのは、昔からで、あの初代貴乃花でも「くんろく大関」といわれて、9勝6敗がアベレージでした。今場所も、結構、だらしなく、負けてます。

 大相撲がきりっと締まるのは、やはり横綱がいてこそです。3人の横綱は末期的なので、あたらしい横綱が待ち遠しいところです。

 




2018年11月6日火曜日

大器晩成

 大器晩成は、『老子』41章が出典。
 大物は、速成しない(速成したのは、大物じゃない)、晩成である。
 
 大方無隅、
 大器晩成、
 大音希声、
 大象無形、

 3字目は、無、晩、希、無、である。

 希は、14章に「聴之不聞、謂之希」とあり、聞こえないものを「希」というからには、「希」は無いという意味をもつ。

 そうしてみると、晩も、無いという意味をもつに違いない。蜂屋邦夫『老子』は、出土した『老子』に「晩成」を「免成」「曼城」に作るものがあり、「免成」も「曼城」も「無成」の意味で、できあがらないこと、という。

 大きな四角は四隅が無く、大きな器はできあがらず、大きな音は音が無く、大きな形は形が無い。私たちが理解している「大器晩成」とは違う意味のようです。

 なんでこんなことを言い出したかといえば、鈴木大拙『無心ということ』の、

 「本当の祈りというものは、永遠の祈りなので、いつといって成就するものではない。成就したということになるともはや祈りの生活をやめてしまう。」

 という文章と、重なるなあ、と思ったからです。

 極楽が大楽だとすれば、そこいらの楽しみではなくて、得ることができないすごい楽しみがありそうなところです。(しばらくは)夢は極楽に行くこと(にしておきましょう)。

 


 

2018年11月5日月曜日

日本人の体質

 まえに、岡田耕造『お血という病気』から、中国南方と日本とは、気候が似ていて、お血を形成しやすいという説を紹介しました。岡田がいうお血は、血流が悪いことをいいます。鍼灸では、それを気のめぐりが悪いともいいます。

 一昨日は、3年目の、ジャパンセミナーでした。外国の方が日本の鍼灸を学びに来日します。今回は、20人の参加です。1週間ほどの旅程のようです。1週間治療を休むことによる減収と、参加費を払う出費を考えれば、数十万円をかけて日本の鍼灸を学びにきているのです、と主催者の田中さん。毎回参加する方もいます。

 日本では、国内の研修会にも参加しない、ましてや海外の研修会にも参加しない人が多い中、なんと熱心な方々でしょう。頭がさがります。その行動力に「隔ての無さ」「謙虚さ」を感じます。さらにいっそう頭が下がります。

 ところで、その数人を腹診して思うのですが、ほぼ平腹(健康的)なのです。今までの経験でいえば、日本人はほぼ病腹(病気を持っている)なのです。見た目が健康だとしても、病腹なのです。

 このちがいは、①岡田がいうように、お血し易い体質だから、②日本人が「隔てありすぎ」て、体が窮屈になっているから、と考えました。老子は、控えめ(謙)、出ししぶり(嗇)、あえて先頭に立たない、という「三宝」を提唱しましたが、さもなんと思ったセミナーでした。

 セミナーは、9時~5時で、やる方はしんどいのですが、得るものがあれば、報われます。今回は、「三宝」をよく理解できたことが、収穫でした。体にも出るのでした。