2014年4月20日日曜日

初期の医学

 仏教の本を読んでいます。
 インドの仏典があり、それを中国訳(漢訳)したもので中国仏教が発展し、その中国がら我が国にもたらされ、根付いたのが日本の仏教です。インドの仏典は、お釈迦さんが在世の時に説かれた話とか、ずっと後になってお釈迦さんを知らない弟子たちが聞いた内容と、さまざまな時代と形式で残っているようです。その中でもお釈迦さんが在世の時に説かれた内容を、初期仏教というようです。

 中国医学も同じような経過をたどり、
 初期の医学、それを整備した医学、経験を加味しながらさらに理論化した医学というように考えることができます。今読んでいる、『黄帝内経』は、初期の医学から整備した医学への過渡の産物のようです。五行説で整理しているのは、整備した医学であり、理論的、あるいは意識的操作がなされた産物であるので、そのあたりを考慮しておかねばならないでしょう。

 初期の医学の抽出は、『黄帝内経』より古い、馬王堆医書、張家山医書をよく研究すれば明らかになるはずです。その中で、「十一脈」は、十二経脈説の祖型ですから、あきらかに初期の医学です。それから、導引(運動、ストレッチ、呼吸、あん摩)も、初期の医学で、この中の筋肉部分が専門化されて、経筋概念になったものと思われます。両医書には、五蔵に関する記載が少ないところを見ると、初期の医学では五蔵はあまり重視されていなくて、『黄帝内経』で五蔵の記載が深まっているのは、臨床などをふまえて整備された結果といえそうです。

 お墓、戒名、お葬式をどうするとかいう問題は、日本の仏教の問題であって、初期の仏教とはまったく関係ないものです。お通夜で、お寿司をつまみ、お酒をのんでいるし、お葬式のかえりには、塩をわたされる。こういうことをああだ、こうだと論議するより、仏教の本質を知ることのほうがはるかに大切なのではないでしょうか。 

 同じように、日本の鍼灸も、現在の鍼灸の状況を整理したり、追っているだけでは、鍼灸医学の本質はわからないだろうと思うし、本質がわからないかぎり、これからも今まで通りだし、将来、何も変わらないと思います。いま、原典をさぐって、初期の医学を明らかにすることが、大事だときがつきました。馬王堆、張家山が発見される前までは、『黄帝内経』が原典だったのですが、それより古い両書が発見された以上は、馬王堆、張家山が原典であるのは明白となりました。

 というわけで、鶯谷書院の活動として、馬王堆、張家山などを重視していきたいと思います。

 
 宣伝ですが、6月14日(土)18時~21時、講演をすることに成りました。
 詳しくは、三景(http://oq83.jpのホームページをみてください。