2016年5月28日土曜日

温灸実践セミナー

 6月5日に講師をつとめる「温灸実践セミナー」は、午前・午後、定員が埋まったようで、ひと安心です。

 わがままを言わせてもらえば、東北の片田舎の出身者ですから、静かに目立たない人生を願っています。ただ、頼まれれば断れないという性格のために、みずからの願い虚しく講壇に立ってしまっています。

 お話することは、おもに知熱灸と灸頭鍼で、どちらも島田先生から教わった方法です。あらたに工夫したのは、小知熱灸くらいです。ぼくの努めは、この方法を後輩に伝えていくことだと思っています。教わったというより、視て覚えたものですから、コツさえわかれば応用可能です。それほど難しい技術ではないのですから。ただ必要なのは、こころの純粋さ、だろうと思います。

 『論語』に、孔子は「一隅を挙げて、三偶をもつて反(かえ)さざれば、復(ふたた)びせず」といって、一つのヒントを挙げて、三つの答えが返って来ないようであれば、再びヒントをあげることはしなかったらしい(述而篇)。

 伊藤仁斎は、「教えをうけ入れる素地がないときには、まるで種を不毛の地にまくようなものである。季節に合った雨が降っても、芽を出さないのは何ともしようがない」という。

 仁斎のいう素地とは、能力が低いことではなく、こころの純粋さである(に違いない)。それは、『論語』に「思い、邪(よこしま)無し」とあるように、一通した哲学である。仁(忠恕)とは言うものの、こころの純粋さがなければ、仁は発揮されない。『論語』は「仁」がテーマになっているらしいが、「純粋」で読んだほうが核心なのでは無いか。

 三つの答えが出ないのは、不純だからで、先生に気に入られたい、嫌われたくない、自分が優れていることを示したいなど、いろいろ考えているからなのです。かくいう樸も、セミナーでは、良い所をみせたいという不純なこころを持っています。せめて、本番は、素(す)で臨みたいと願っています。(願っているのも、不純なのですが。)
 


2016年5月16日月曜日

同じ電車に乗っていても

 山手線の先頭車両に乗っていると、スピードを落とさず、ホームに滑り込みます。まるで、通過するみたいに。思わず「山手に、快速あったかな?」と、自分をうたがうほです。それでも、減速し、ホームの先頭に、ちゃんと止まります。同じ電車でも、最後尾にのっていると、やんわりホームに到着します。

 同じ電車に乗っていても、景色は大分違います。同じ電車だから、同じ景色というわけではないようです。

 数日前の新聞に、

 急須で飲むタイプのお茶を精算してきた静岡は、ペットボトルや飲料の多様化による緑茶離れなど、新しい消費動向への変化に付いていくことができませんでした。結果として、年々、栽培をあきらめる生産者が多くなり、茶をつくる工場も次々と閉鎖を余儀なくされています。

 とありました。

 世の中のニーズに対応できないと、自分は生き残るつもりでも、生き残れないということでしょう。個人がニーズに対応するのか、業界が対応するのか。判断がわかれるところだが、余儀なくされているところをみると、個人は、業界が何とかしてくれると楽観していたのだとおもいます。業界は、個人の苦境を知らないか、目をつぶっているか、結果としては何もしていなかったのかも知れません。

 おなじ構図が、仏教界にあるようです。末端では、葬儀離れ、お墓離れ、お坊さん離れがすすんでいるのに、中央の宗門は、現状を知らないか、目をつむっているか、何も対策をしていないようです。お寺は、末端から、すこしずつ衰退していくのでしょう。

 人ごとと思っているけど、わが業界も同じようかも知れません。おなじ業界にいても、みる景色は異なっているようです。

 僕はお灸は危機的と思っていますが、ほかの人たちは危機とも思っていないし、楽観している人もいるでしょう。というわけで、ひとりで焦っているわけなのです。何を焦っているかというと、学校のお灸教育が、旧態然として、世の中のニーズとかけ離れているからです。ニーズに対応できるように、いろいろな灸法を教えてあげてほしいと思います。

 土手の蟻の巣が、河の氾濫の発端である。象牙の箸を買ったときが、金持ちが衰退するきっかけである。というような中国の話があるように、ちいさな見逃しが、鍼灸業界を消滅させるかもしれません。

 誰かが何とかしてくれる、と思いたいのですが、業界が対応してくれる、宗門が対応してくれるというのと同じように、実際は誰も何にもしてくれないようです。経験からすると、学校も、業団も、学会も、見ている景色が違うのですから、お灸が危機的とは思っていません。ですから、不満を言っても、何も変わりません。

 気がついた一人一人が立ち上がって、活動しないかぎり、ずるずる下降して行くのではないでしょうか。自分たち世代は良いとしても、何もせず、下降したまま、負の遺産を、後輩にわたすのは、やっぱり心苦しい。わたしたちの借金を、無責任に、子供や孫に押しつけようとしている、今の日本と同じでしょうか。歴史的にみれば、破廉恥かも知れません。








2016年5月9日月曜日

『千金方』灸例

 『千金方』巻29に「灸例」という文章がある。施灸の凡例というタイトルだが、ツボの意義、ツボの取り方、艾炷の大きさ、施灸の時間帯、施灸の順番、灸の生熟法など、面白いことがたくさん書いてある。

 施灸家の必読文献だと思って、解説を書いて、その下書きを編集長に見せたら、面白いというので、昨年のお盆休みに一気にまとめて、『医道の日本』に投稿した。

 掲載するかどうか編集会議にかけますので、待ってくださいと連絡あったきり、音沙汰無し。4月末になって、他の原稿依頼のメールがきた時に、『千金方』灸例は機会を見てご相談しましょう、ということで、非掲載になったらしい。

 非掲載になったことより、編集会議の結果の報告が無かったのが残念。非掲載は、『医道の日本』は、古典に距離を置いているようなので、落胆するまでもないが、段取りが悪いのが、何とも気持ち悪い。

 気持ち悪いので、他の原稿依頼も、断ったのだけれども、ここで『医道の日本』と縁が切れると、古典を広くアナウンスする場が無くなるのが問題。

 そこで、老子が出て来て、「聖人は争わず」と。気を取り直して、『千金方』灸例原稿を、再投稿しようかと思った次第。

 灸の生熟法というのは、現今には無い概念。材料としては、生艾は粗製艾、熟艾は精製艾。灸法として、さっと熱を通すのが生法、じっくり熱を通すのが熟法。知熱灸生法で、灸頭鍼は熟法。本来の意義は、知熱灸はさっと熱を通し、灸頭鍼はじっくり熱を通すということが理解できていれば、、活用・運用が上手になるのに・・・・・

 施灸の時間帯は、午前は適せず、午後が適しているという。施灸の順番は、頭から足へ、左から右へ、という。

 艾炷をつくるのは表であり、施灸の考え方などが裏にあり、表裏一体となって施灸が完成するのに、表ばかりじゃ、ダメですよね。どう考えたって。こうなったのは、お灸は、鍼の代用、代替と見なされているからなのです。日陰の道を歩んでます。負けるな、お灸。
 

 

2016年5月4日水曜日

鼻水に頭皮マッサージ

 『外台秘要方』の体裁作業は、2週間ばかりかかりきりで、ようやっと終了。校正のためにプリントアウトしたら、A4版で、なんと1000ページでした。入力してくださった方、感謝いたします。謹んで校正させていただきます。

 『外台秘要方』の巻22に、はなみずの治療で、「以摩囟上、佳」「並摩頂」というのが、拾えました。囟とは大泉門のことで、ツボでいえば顖会。頂は頭頂部のことで、ツボでいえば前頂、百会あたり。この辺りを撫でるとはなみずを治すことできるという。撫でるといっても、マッサージすることでしょう。
 
 そのばあい、頭皮が固いことが条件になるかもしれない。鍼ならば、横刺が良いでしょう。固くない場合は、この撫でる方法は不適応。

 その固さを確認するには、両拇指で、左右から挟み、絞るようにするとよくわかります。頭皮を上から押しのでは、ただ固いだけで、病的な固さとの違いがわかりません。こういうのはコツがあって、文字で説明しきれません。

 『鍼道秘訣集』の跋文に、「世俗の諺に、秘事は睫の如しとて、仮令(かりそめ)の事にも秘伝、習い有ることなり。此の習い、知ると知らざると天地の違いあり」とあるように、ちょっとしたコツを知っているかいないかで、結果に大きな違いがあると言うのは、至言ではないでしょうか。秘事とは奥義秘伝、睫のごとしとは目の前に有りながらみえないこと。手品も、目の前でトリックがあるのだが、睫のごとし。

 ちょっとしたコツというのは、ちょっとしたモノなので、見逃しやすい。しかし、ちょっとしたコツに気がつかないと、何年経っても向上しないのかも知れません。日頃の問題意識があれば、どこがコツなのか気がつきやすいかも知れません。

 
 

2016年5月2日月曜日

ふたたびの出石町

 4月29日は、大阪で講演があったので、その足で、再び、沢庵宗の出生地の兵庫県出石町を尋ねてきました。

 その足でといっても、大阪から電車で、約3時間。帰りは、京都を経由して、家に帰るまで7~8時間。遠いといえば遠いのだが、徒歩で歩いた時代を考えれば、相当に近い。

 そこから沢庵は京都に行き、時には江戸に行き、山形県に流されたこともあり、いずれも徒歩なのだから、なかなかの脚力である。大阪の堺にもしばしば通っている。行雲流水とはいうけれど、本当に、あちこち歩き回っている。

 出石町は、現在は豊岡市になっているが、合併前は、人口1万人の小さな町である。基本的には、ビルというのが無い。無いわけではないが、市街地から外れてホテルがあり、高校がある。しかし、街中は、黒い瓦の木造二階建てばかりで、簡素で雑然さがない。あとは、田んぼと山である。静かで、落ち着いた街。こういう街も、今や珍しいのではないか。

 今回は、有子山城跡に上ってきました。標高321メートル。徒歩で1時間40分(案内板にそう書いてあった)。半分はわりと急な上り坂。半分は遊歩道。半分の上り坂で、志が折れそうになって、何度、中止しようかと迷いましたが、天候も良いことだし、この次があるとも限らないし、がんばって登り切りました。そのご褒美なのか、とっても良い眺めでした。眼下に、出石の街並みが見え、遠くにはきれいな山並みが見え、夢ごこちでした。あとから、月1回はのぼるという中年が上ってきて、しばらく雑談しました。

 沢庵寺といわれる宗鏡寺も、また行きました。切符売りのおばさんが覚えていてくれて、やはり雑談してきました。この寺には、沢庵が、48歳の時に、1年ほど静かにしていた「投淵軒」があります。小さな庵です。淵(水の底)ようなところで、静かにして居たい、という意味が込められています。武将に人気があったので、あちこちから声がかかり(いかざるを得ない)。心がせわしい時は、淵に身を投じて、静かにしていたかったのだろうと思います。

 また行くかも知れません。