いま考えてみると、父親は、変人だなあ。
35歳で、仙台の赤門鍼灸学校入学。この時点で子供は4人。母親の実家に預けて、仙台のどこかで単身で住んで、学校に通ったと思われる。
その当時は、鍼灸は視覚障害者の職業で、晴眼で五体満足の成年がこころざす仕事ではありませんでした。母親の実家は、肩身の狭い思いをしていたとおもいます。あきれていたかもしれません。
38歳で、松島で開業。亡くなったのは67歳ですから、約20年の臨床でした。
尺八を吹いたり、毛筆は達者でしたから、風流な人だったのかもしれません。ぼくは18歳で上京したので、あまり父親のことは、よくわからないのです。
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