2012年12月22日土曜日

友あり、遠方より来たる

『論語』の第一篇は学而篇。『論語』のダイジェストであり、小論語ともいわれている。その内容は、学ぶことの楽しさを述べた「学んで時に習う」、共に学ぶ友達がいる悦び述べたのが、「友あり遠方より来たる」、世間から評価されないことをうらまない「人知らずしていからず」の3要素からなる。

2番目の友達が遠くから訪ねてきて楽しいぞ。今では、交通手段があるので、東京から行くのに、大阪でも3時間もあれば訪ねることができる。がしかし、電車も道路もない時代であれば、一ヶ月はかかるのではないか。それも、健康で到達する補償はないのだから、会いに来てくれたのは、万金に値する。

松尾芭蕉が「奥の細道」行では、俳句仲間、弟子達に、何月何日ころ行くからお世話頼む、のような手紙を書いていたかも知れない。「奥の細道」に、いくつかの目的があったとして、その一つが「友有り遠方より来たる」を実行することであろう。

金沢では、弟子の小杉一笑が、師匠に再開するのを心待ちにしながら、旧年の冬に36歳で早世した下りがある。再会を楽しみにしていた芭蕉は「塚もうごけ、わが鳴く声は、秋の風」という句を残した。そのときの、慟哭ぶりがめに浮かぶ。

福井では、等栽という人が、10年以上も前に芭蕉を訪ねてきたことがあるので、町の人に尋ね訪ねして、それらしき家にたどり着き、再会を果たす。律儀な人というより、両足で「友有り」を実行した人です。

学友は、ごく当たり前に、空気のように存在しているため、孔子が指摘するように、その重さを顧みるべきではないだろうか。『論語』の第一篇は、「奥の細道」を読んで、はじめて理解できた気がする。『素問』も『霊枢』も、時間がかかればかかるほど、味わい深くなる。

2012年12月3日月曜日

簡を用いる者は日々に精し

用方簡者、其術日精、用方繁者、其術日粗、世医動、以簡為粗、以繁以精、哀矣哉、


 この文章は、和田東郭(1742--1803)先生の『蕉窓雑話』に挿入されている、和田先生の「医則」の一つである。少しばかり翻訳してみると。


「簡」簡単な治療をする人は、その医術は日増しに精妙となる。
「繁」複雑な治療をする人は、その医術は日増しに粗雑になる。
世の中の医者は、ややもすれば簡単な治療を粗雑とみなし、複雑な治療を精妙とみなしている。なんと哀しいことではないか。
 
 
 東洋医学が、精度を増すのは望ましいことだが、理論で修飾されていくのは、どうも恐い。200年前の和田先生の憂慮は、この辺りにあるのかも知れない。陰陽五行説は簡なのか、繁なのか、経脈説は簡なのか、繁なのか。そもそも、それを分別すること自体、繁なのであるが、それでも一度は分別しておかねばならない。
 
 興味深い記事に、鈴木育雄さんが『医道の日本』782号に書いたものがある。病院で鍼灸を担当したが、「実際は、難しく膨大な現代医学の勉強についていけず、また、小難しく結果のでない鍼灸に絶望」して、治療効果が上がらないのをなんとかしようと、「どんな診断がついていてもひとまず忘れて、ともかく症状を軽減する」方向に転換したところ、治療効果があがってきたという。まさに、簡繁の典型ではないだろうか。
 
 東洋医学で、なにが簡なのか。鍼灸の養成学校も増えて、鍼灸師も増えて、どんどん収拾が付かなくなっているいまこそ、足元を見直す時期のような気がする。
 
 
 
 
 
 

2012年11月22日木曜日

自然に、さらに、自然に


 黄帝曰.願聞自然奈何.岐伯曰.臨深決水.不用功力.而水可竭也.循掘決衝.而經可通也.此言氣之滑澀.血之清濁.行之逆順也.(『霊枢』逆順肥痩篇)
 
 先生は「自然」というけれども、どのように対処すれば良いのか、教えてください。
 
 お答えします。深い淵に望んで(この水を汲み出そうと思案しても)、その水流さえ通せば、何の工夫(功)、余計な力仕事(力)をせずとも、その水は無くなってしまう。
 
 同じように、凹みをならし(循屈)、突き出たのを除けば(決衝)、経脈は自然に通利する。
 
 凹みと突き出たのは、気の滑・渋であり、血の清・濁であり、流注の順・逆である。(これらを調えれば、経脈は自然に流れて、健康になる。)
 
 
 治療は、経脈のめぐりを助けているのでもなく、経脈を疎通させているのでもなく、経脈の自然を取り戻しているのだとは、目が覚める。小賢しい工夫や無用の努力は不要とは、さらに目が覚める。目が覚めて、さわやかな心持ちである。
 
 
 
 
 『素問』『霊枢』の中で一番の文章ではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2012年11月21日水曜日

之れを約するに

君子は、博く文を学び、之れを約するに礼を以てせば、また以て畔(そむ)かざるか。

 孔子の塾では、学ぶことが奨励されている。これは、現在の私たちも同様で、学校で学ぶだけでなく、あらゆる情報が津波のように押し寄せてくる。そのとき、それらの知識や情報を、要約するルールがなければ、支離滅裂、てんでんばらばら、収拾が付かなくなる。

 格好の例が、鍼灸の治療。言い換えれば、先生の数だけ流派があるようなもので、たくさん学んでも、要約できないのであれば、あまり役立たないような気がする。
 
 

 さて、どんなルールで、鍼灸術を要約すればよいのだろうか。それが「礼」だとすれば『論語』を、それが「自然」だとすれば『老子』を、それが、「陰陽五行」だというならば、『内経』を、読まねばならない。そういう意味では、古典は、欠くべからざる至宝なのである。
 

 一番大事なところを粗略にして、技術ばかりに心を捕らわれていては、まるで砂上楼閣のようで、危ういのではないか。

2012年11月11日日曜日

野武士

 50歳の前の島田隆司先生は、もみあげを長くしていたので、黒い顏と合わせて、野武士のようでした。野武士と評したのは、四世神戸源蔵師。
 50歳を過ぎたころから、もみあげを剃り、たまには髪にパーマを当てたりして、イメージがだいぶ変わりました。どんな理由でそうしたのか、聞かなかったのが、残念です。
 さらに、初孫が生まれたころからは、表情が柔和になり、昔の面影は無くなりました。
 『島田隆司論文集』をお持ちの方は、かかれた年代と、そのときの風貌を対比させながら読んでみて下さい。
 書かれた文章の向こうの、書き手を思いながら読むことは、古典も同じかと思います。ただ字面を追うのではない。そういう意味では、『論語』は一級品。

2012年10月31日水曜日

ネコのツメ

患者さんのはなし:
 飼っているネコが、歩き方がよぼよぼで、目やにもたまって、だいぶ老け込んだなあ、と思っていた。あるとき、そのネコの足をみたら、爪が伸びて肉球に刺さっていたようなので、獣医さんに爪を切ってもらった。2週間もしたら、歩き方がしゃきっとして、目やにもなくなり、若々しくなった、とのこと。

 考えさせられるエピソードでした。
 「根本的な問題が解決すると、諸々の問題はほどけていく」
 「老化という概念に捕らわれると、何でも老化になる」
 

 
 

 

2012年10月15日月曜日

機心(その2)

 鈴木大拙の『東洋的な見方』(岩波文庫)の3度目の挑戦。1度目は、意味がわからず、撃沈。2度目は数年前に、おもしろみがわかり、ようやく読破。今回は、本箱を整理したら出てきたので、挑戦というところ。
 機心について、「機心ということ」のほかに、「創造の自由-荘子の一説」に、2回も取り上げている。前回読んだ時には、あまり印象的ではなかった機心が、今回は、キラキラして見えた。
 機心を訳して「はからいのある心」といい、利害得失に夢中にならしむる、という。なんと、的を射た解説だろう。金谷治(岩波文庫訳注)は、「からくり心」と訳したけど、ちょっとわかりにくい。
 臨床のとき、古典を読むときは、せめて機心を無くしたいところ。『論語』為政篇にいうところの「思無邪」(思いよこしま無し)、吉川幸次郎は、「感情の純粋さ」と訳した、このことばと一脈通じているような気がする。
 古典は、ちょっとした文章に味わいの深さがあって、そこに到達するところが楽しみなのかもしれない。

2012年10月9日火曜日

樸(あらき)の人


 昭和58年(1983)の4月に原塾が始まったが、その打ち合わせとして前年の暮れに、島田治療院に井上雅文先生が来られた。そのときが、『脈状診の研究』の著者、雲上の人との初見だと思う。翌年に原塾が始まって受講生になり、講義の帰りに先生と幾人かとスターリングシルバーという花屋兼飲み屋にたちより、いろいろな話をうかがった。
 記憶に残っているところでは、普段は入浴しないとおっしゃる。数日かに一回入るだけだと(定かではないが、一週間に一回)。蓬髪というのだろうか、頭髪はボウボウで、といっても悪臭、異臭がするわけでもない。
 かばんは、いつも紙袋でした。おされな鞄でなく、高級品の鞄でもなく。着るものも素っ気ない。
 頭脳に反して、無頓着で、人の目を気にしない。上下そろって様子がよく、わざとらしさがない、 ピカ一の樸(あらき)の人でした。
 

2012年9月18日火曜日

機心

 「荘子」天地篇のはなし。ひとりの老人が、井戸から水をくんで畑に水をまいていたところに、孔子の弟子の子貢が通りかかり、井戸から水をくみ上げる「はねつるべ」とい機械があれば、もっと楽に、効率的に、水まきがはかどると教えた。けれど、老人、「はねつるべ」という機械は知っているが、機械にたよると機心が生まれ、機心が生まれると、こころの純白さが無くなる。だから、それは使わないと言った。

 井戸のくみ上げを機械に任せれば、井戸の様子を観察しなくなる。水位はどうか、水質に変化はないか。さらに、くみ上げる方の健康状態まで関わってくる。このような純粋な観察があって、くみ上げが成り立っているわけである。それを機械まかせにしてしまえば、もっとも大切なところを無視し、こころの純白さが無くなる、というわけである。

 鍼灸治療にマニュアルがあるとすれば、まさにこのエピソードに該当する。胃が痛いのには足三里。腰痛には委中。形式通りの治療。そこには、身体を観察するという基本が抜けている。鍼灸治療は、原則的には、人にたよらない、理論にたよらないで、自らの観察から始まる。そういう意味では、とても自由な職業だと、つくづく思う。学ぶ者は、まず最初に、ここに気づくといいのだが。
 

 

2012年9月10日月曜日

13回忌

 昨日は、島田隆司先生の13回忌ということで、島田家と会食しました。奥様も元気でした(というより溢れてました。というより以前のままでした)。合計10名。
 場所は、南千住のうなぎ屋・尾花の予定でしたが、予約不可ということで、浅草のうなぎ屋・前川になりました。眺めは一流、うなぎは三流というところでしょうか。まどの外に、隅田川とスカイツリー、青い空、入道雲。うなぎ代は、景色代込みか。
 あの日。8月10日の水曜日。金古さんから電話が入り、亡くなったと。夕方、病院に駆けつけました。どうしてそうしたのか、脚に触れ、ひかがみがまだ温かいのを確認し、まだ生きているんだと、なぜか安心。帰宅してからは、電話、ファックスで、四方八方に連絡しました。
 まるで、昨日のことのように思い出しました。

2012年8月17日金曜日

自由な治療(2)

 このお盆休みはどこへも行かず、自宅に棲息していました。何年ぶりかで、自宅周辺を自転車でめぐってみました。お店の新旧交代も、ここ埼玉県川口市でもはげしいようです。川口市飯塚地区で薬局を営む患者さんも、飯塚地区もシャッター商店街になってます、とおっしゃってました。
 この間、たまっている文書を整理しました。秋の学会には「散鍼法」を発表しますが、大阪での講演の自由な治療に、とても近い鍼法です。経脈・経穴に固執しないで、邪気、血気、しこり、かたまりなどを取り除いて、病気を治療する方法です。
 成城の講演の配付資料も読み返しました。植木屋さんが「自然界にはマニュアルは絶対通用しません」と言ってたました。(自然界の)人も同じかと思います。ぼくにとってのマニュアルは、たとえば経脈・経穴です。最初から存在したわけでなく、経験を整理して作り上げた学問です。最初は、体験、経験、試行錯誤だったろうと思います。その時の治療は、まだ経脈・経穴が存在していませんから、経脈・経穴に固執しない散鍼法は、相当にふるい姿を受け継いでいるものと思われます。
 すでに学んだ経脈・経穴をいったん忘れて、何よりも自由に、自分の能力を頼みにして治療することが、自由な治療なのかな、と自宅棲息で考えました。最初からマニュアルにガチガチになるのは、いかにもつまらんです。
 



 

2012年8月13日月曜日

自由な治療

昨日は、大阪のオリエント出版社主催の講習会で、3時間ほど講演してきました。おおきなテーマは「自由な治療」で、既成の知識や概念に束縛されない、原初のすがたに基づいた鍼灸について話しました。既成の知識や概念とは、臨床実践を総括ともいえる、陰陽五行説とか、経穴学、処方学です。学校で勉強したことです。
 料理でいえば、料理のレシピがあれば、これに基づけばある程度の料理ができます。できばえの責任はレシピにあります。料理のセンスよりも、レシピに忠実であることが求められます。レシピがないときは、各人が各自の料理を作っていました。できばえの責任は作った人にあり、料理のセンスが求められます。
 そんなことを考えながら、各人が好きなよう治療することを、自由な治療と考えました。それが、原初の鍼灸のすがただったでしょう。
 今は、レシピを追って、原初のすがたを忘れ去っていると思います。自分でさわって、自分で判断して、自分で治療する、この単純なことを忘れ去っています。いちど、原点をたずねてみてはどうでしょうか。
 「自由」ということを「治療」と結びつけてみましたが、原稿もなく、配付資料もなかったので、この報告も、???な感じだと思います。細かなところは、出席者に直接聞いてください。

2012年7月18日水曜日

其の楽しみを改めず(その2)

前回、貧窮生活なのに「其の楽しみを改めていない」と、孔子から絶大なる評価を得ていた顏回の「其の楽しみ」を考えてみました。そして、「感情の純粋さに支えられた喜びを、楽しみというのだろう」とようやく落着しました。が、『莊子』外篇・養生主篇に、顏回の話と同じ沢辺の野生の雉(沢雉)の説話があります。
 「沢辺の野生の雉は、十歩歩んでやっとわずかの餌にありつき、百歩歩んでやっとわずかの水を飲むのだが、それでも籠の中で養われることを求めはしない。籠の中では、餌はじゅうぶんで気力は盛んになろうが、こころ楽しくはないからだ」(岩波文庫版現代語訳)
 野生の雉は、餌が不十分で、天敵に襲われるおそれがあるけれど、籠の中に飼われたくないはずである。なぜなら、自由に羽ばたけないからである。飼われて安心するよりも、翼を拡げる自由をえてこそ、のびのびと、生き生きと、生きることができるのである。からだの満足より、こころの自由を唱えていた荘子らしい説話である。
 としてみると、顏回がもちつづけた楽しさとは、「感情の純粋さに支えられた喜び」かも知れないが、養生主篇を参考にすれば、「こころの自由」と解釈するほうが、よいかも知れない。

2012年6月22日金曜日

其の楽しみを改めず

孔子の弟子の顏回は、普段の生活は、一杯のご飯と、一杯の味噌汁と、狭い路地暮らし。普通の人は、その貧窮さに耐えられないものだが、顏回は其の楽しみを改めていない、何と賢いのだろう。 (『論語』雍也篇)

 其の楽しみとは何だろう。

 孔安国は、道を楽しむ、といい、朱熹はあえて説かず、「其」の字は玩味すべきであると、なぞめかしている。

 楽しみという語は、『論語』の冒頭に、友達が遠方からたずねてきた、何と楽しいではないか、とある。そこからすれば、手放しで喜ぶことを、楽しむというのだと思う。勉強が楽しいというのは、手放しで喜んでいることで、パチンコが楽しいといえば、手放しで喜んでいる。

 その手放しは、損得ぬきであり、よこしまなこころが介入してはならない。そこで初めて、思いよこしま無し(『論語』為政篇)のことばとつながる。よこしま無しを、吉川幸次郎は、感情の純粋さと訳している。

 感情の純粋さに支えられた喜びを、楽しみというのだろう、とようやく落着。単に学問が好きだ、没頭しているのではなくて、「何々のために」というよこしまなこころを介入しないことが、大事なのではないか。

 古典を読むとき、臨床に役立たせようとか、発表しなければならないとか、なにかよこしまな心が介入したとき、つまり楽しくないわけである。古典は、単に知識を得るための情報誌ではないのだから、純粋な気持ちになって、真正面から読んでほしい。








 

2012年6月11日月曜日

断章取義

断章取義:作者の本意、詩文全体の意味の如何にかかわらず、其の中から自分の用をなす章句のみを抜き出して用いること。(大漢和辞典)

 毎月第2日曜日は、午後から日本内経医学会の講座があるが、昨年から午前にも『内経』を粗読(あらどく)する講座がおかれている。原文の細かいところは保留し、大意をつかむための流し読みであるが、なかなかに有効な方法です。参加自由なので、興味がある方は参加して下さい。場所は、鶯谷書院です。原則として、10時から12時です。
 昨日、始めて参加しました。『素問』調経論篇でしたが、この篇は個人的に何度も読んでいるのですが、昨日は啓発されました。読むときの問題意識次第で、読み取る内容が変わるので、読む度に、ああそうか、そうだったのかと、きらりとします。古典なんぞ古くて難解、と思っている人には悪いけど、こんなにおもしろい本は、無いです。
 みなさんが知っているのは、与えられた、教科書的な知識で、もちろん基礎的知識として必要ですが、古典にはこの医学を造ったときのたくさんの裏話が残っているのです。
 たとえば、虚実に関しては、『素問』通評虚実論篇の「邪氣盛則實.精氣奪則虚」を典拠に、邪気が盛んなのが実で、精気(正気)が奪われているのが虚であるといい、これで虚実のすべてだと思っている人がいるようですが、これが断章取義の典型です。今ある知識を証明するてがかりとして、古典を取り出しただけで、『素問』全体、『内経』全体の意味を無視しています。
 なぜなら、『素問』調経論篇には、五蔵の虚実、血気の虚実(多いところが実、少ないところが虚)、外邪の虚実(風雨の邪が入れば実、寒湿の邪が入れば虚)、少なくとも3分類を提示しています。邪気が盛んなれば実、という定義は、簡単にくずれるわけです。また精気には触れられていませんから、精気うばわるれば虚という定義も、容易に崩壊します。
 おそらく、さまざまな虚実の定義があったのもが、ある時点で整理され、教科書的な定義がうち出されたものと思われます。
 古典を読むばあい、全体を読むことと、個別に読むこととを併走させるのは、理想かもしれません。粗読講座の意味を再確認したしだいであります。


2012年5月15日火曜日

犂牛(まだら牛)の子

土曜日に読んだ『論語』雍也篇「子謂仲弓、曰、犁牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸。」(子、仲弓を謂う。曰く、犁牛の子、騂くして且つ角あらば、用うるなからんと欲すと雖も、山川 其れ諸を舎てんや。)

 お祭り用の生け贄の牛は、角が立派な(角)、赤牛(騂)が選ばれる。弟子の仲弓もそれに相当するのだが、父親が犁牛(まだら牛)だったので(素行が悪かったので犁牛にたとえた)、人々は仲弓を低く評価する。「山の神、川の神は正当に評価するから、おまえを見捨てることはないぞ」と、励ました一句。
 人物は、余計な情報を交えずに、正当に評価するべきで、過去のこと、たとえば出生の理由、前科、前歴などで判断してはいけない。
 これは孔子本人が、過去に正当に評価されなかった経験から発せられた一句である。孔子は、正式な手続きをしないで結婚(野合)した両親から生まれたために、仲弓と同じように、出る杭は打たれるではないが、正当に評価されなかった。こうした経験をふまえて「旧悪をおもわず」「おのれの欲せざるところ、人にほどこすなかれ」という句が生まれたのである。
 仲弓、めげるなよ。
 
 孔子先生は、いい先生だなあ。

2012年4月21日土曜日

丹澤先生との講演会(2)

古典の調べ物の時は、港区白金の北里医史研に行くのですが、田町からバス、恵比寿からバスがとても便利です。バスに乗れば、楽ちんで、速く到着するので、便利なので、つい利用するのですが、歩いてみると、意外な発見があります。一軒一軒のお店の表情、咲いている花、歩いている人の表情、あちこちから漂う香り。同じ一本の道なのに、おどろくほど豊かな表情があります。バスでは、無機質な道ですが、歩いてみると多種多様。
 強引な解釈ですけど、歩き感じているのが「野」で、バスにのっているのが「文」ではないでしょう。
歩くことをおろそかにすると、見えているものが見えない、聞こえているものが聞こえない、香っているのが嗅げない、人工的で便利なものは「野」を、自然と失っているのではないでしょうか。「野」だからといって、郊外に行かねばならないわけでなく、自然公園に行かなくても、十分「野」を楽しめると思います。
 北里医史研に行く通りには、両角ジャム工場があって、近づくといちごジャムのにおいがします。昔は、ジャムと言えばいちごジャム。工場の前をとおる度に、小学校の給食が彷彿とします。それから、幸福の科学の神殿のような建物が見えます。バスからは一瞬しか見えません。建物は存在する、けれど、ゆっくりなら見える、速いと見えない。こういうのを、見れども見えずというのではないでしょうか。
 東洋医学は、「野」から発し、それを整理して「文」化された医学です。その「野」を粗末にして、「文」のみを追っても、何も見えないのではないでしょうか。この医学に志したひとには、「野」の大切さに気がついて欲しい。本を置き、教室を出て、町へ行こう!
 


2012年4月16日月曜日

丹澤先生との講演会

4月15日(日)
 丹澤先生と講演会でした。場所は、成城学園前の砧区民会館。数年前に新築成ったきれいな会館でした。主催は、東洋鍼灸専門学校の学生さん。多数の参加者がありました。
 丹澤先生は、いま求められている鍼灸師像について、品性、品格、思いやり、という話をしました。 僕は、『論語』から話題をとって、原点を見つめ直す、というような話をしました。
 今、専門学校で国家試験が最大の目標になって、学生が矮小化されつつある現状をかんがみ、もっと広く、もっと深く、学べ、体験せよ、というエールを二人で送りました。今年の国家試験の合格率が低かったことの反動として、国家試験予備校化のながれは、勢いを増すと考えられます。勢いを増せば増すほど、東洋医学がどんどん歪んで行きそうな気配です。
 僕の話の要約。 『論語』に、「質勝文則野、文勝質則史、文質彬彬、然後君子」とあり、質(本質・中身)が文(外面の飾り)にかてば野(むき出し)であり、外面の飾りが本質に勝てば史(虚飾・飾りすぎ)である。文と質が半々であるのが望ましい、というような意味です。
  史=文が勝っている=文明化が過ぎている=頭脳が過ぎた、人工が過ぎている
  野=質が勝っている=本質、人工の反対の自然が優位になったこと=野生むき出し
 孔子は、表向き、頭が良くて、人徳が優れている人を育成するのを理想としていたが、正味のところは、半分くらい野生人が望ましいと思っていた、ということです。表向き、文化系で菜食系の男子を望んでいたと思われているけど、体育会系、肉食系の要素も懇望していたらしい。
 国家試験予備校というのは、単に片方の人間を育成しているだけですから、どうか、野に出て、大地を踏みしめて、雨に当たり、風に吹かれ、その延長で患者さんに対峙してほしい。教科書と黒板だけみつめていれば、免許はとれるでしょう。教室から出でて、教科書を置いて、マニュアルを捨てて、自然を観よ。人は自然の中の一生物であるから、自然を見つめることが根本である。鍼灸師は、植木職人たれ、農家たれ、漁師たれ。
 (というような内容です。不足するところは、どなたか書き加えてください。)

2012年4月8日日曜日

養生部発足

今年の1月から2月にかけて、東鍼校2年生に対し、養生学講義をしました。単に講義するだけでは、普及には限度があります。今後の必要性と、その急務であることを考え、養生部を発足させ、鍼灸と養生の関わりを見据えながらの養生学を建築し、公にしてみたいと思います。すでに、部員は校正作業メンバーで構成しました。数年後の完成を目指して、4月からスタートします。養生部としたのは、部活的な運営を望んでいるからで、部長は十元であるけれど、部員の積極的な参加を期待しています。このブログで、活動状況を報告していきます。
 養生とは、天寿を全うする生き方でありますので、原発問題、自然災害も含むと思っています。東洋医学者として一石を投じる活動をしたいと目論んでいます。

2012年3月5日月曜日

丹塾古典部門(5)

丹塾古典部門では、張家山出土の『引書』につづき、『脈書』を読んでいるが、この医書は『内経』の下地になっているもので、原初的な医学観、身体観が記録されているので、きわめて重視すべき医書なのであります。
 故島田先生には、『難經』からさかのぼって『内経』を読むな、と言われてました。それは、『難經』医学と『内経』医学は異なるものだから、『難經』医学観で『内経』を読んではならないという意味です。この観点からすれば、『内経』から『脈書』へさかのぼるのは、おそらく危険なことだろうと思う。まず、『脈書』を消化しなければならない。その上で、、『脈書』のエキスが『内経』にどのように染みこんでいったのか、その軌跡を追うことが必要なのではないでしょうか。
 『霊枢』に九鍼という思想があります。これは、病気に合わせて鍼があるということで、その鍼を運用するに技術が要る、という思想です。何でも毫鍼で治療するのは、その逆で、毫鍼の技術が先にあるわけで、すべて毫鍼向けに病気を観察するということになります。『霊枢』からすれば本末転倒なのです。
 しつこいようですが、九鍼の医学思想は、【病気をよく観察する→それに適応する鍼を選択する→その鍼を運用する技術を駆使する。】ですよ。

2012年2月11日土曜日

本の引っ越し

かつて、東洋鍼灸専門学校に古典研究部をつくるべく、宮川が下準備していましたが、結局は同校を辞職することになって、計画は潰えてしまいました。その下準備のための図書、個人蔵のほか、日本内経医学会蔵本が、ながらく同校の倉庫に預かってもらってましたが、本日、鶯谷書院に無事、引っ越し完了しました。
 東鍼の鍵の開け閉めをしてくれた荒川先生、ほか12名の有志のお力のたまものです。この場をかりて御礼申し上げます。壁の両脇の本棚にたくさん本が並んでいる姿は、壮観です。これで、ようやっと下地ができたかと思います。
 あとは、みなさんのお気持ち次第です。資料と場所ならできるだけご協力いたします。頭の中はご自分で耕して下さい。

2012年2月2日木曜日

丹塾古典部(4)

丹塾古典部の第一部、古代文化の基礎知識。1月22日の覚え書き。「職官」を読む。
 資料としては『康煕字典』編集に携わった人の地位と氏名の一覧表。『康煕字典』は張玉書の編とはいわれているが、ご本人は文部大臣みたいな人で、もちろん自ら担当してはいない。総監督というところ。実際は、28名に渡る担当者が行った。おおよその所属が翰林院で、皇帝の詔や令の草案を作る仕事で、文学にもっとも長けている軍団である。張玉書さんがそんなに偉いとは。
 『医心方』を編纂したのが「従五位下行鍼博士兼丹波介」の丹波康頼であるが、「行鍼博士」という意味が長い間わからなかったが、今回判明。「従五位下」と「鍼博士」の地位で、従五位が鍼博士より高い位の場合は、職官の上に「行」をつけるのだそうで、その反対は「守」をつけるのだそうである。これで一件落着。
 小さい謎が解けるのって、幸せです。

2012年1月27日金曜日

養生学講義その2

養生学講義その1は導引でした。身体を動かすことです。その基本理念は「流れる水は腐らない」です。流れる水とは、ずばり血流を指します。手足首腰がなまらないように、適宜に動かしたり、のばしたりするメンテナンスを導引といいます。一定の術式にそって行います。
 馬王堆医書でも張家山医書でも、導引の書と、十一脈の書が、同時に出土していますから、脈とは血流ととても近い概念だと考えられます。その後、血流のはたらきがいくつかわかるようになり、そのはたらきを気と表現して、のちに脈には気が流れると解釈し直したのだとおもいます。
 つまり、流れるという現象をみたのと、はたらきをみたのとの違いでしょう。
 というようなことを考えた一週間でした。
 その2は、食養生です。

2012年1月20日金曜日

養生講義その1

セミクローズドであるが、東洋鍼灸専門学校2年生対象に、鶯谷書院書院で、養生学の講義をします。シラバスにも掲載されている授業でしたが、同校の都合により教科からはずされました。期待してくれた学生のために、コマ数は少ないけど、講義をすることにしました。
 土曜日10時~3時。の3日間。90分授業で言えば、6コマ分です。
 養生学が東洋医学の枠組みに入ったのが、唐・孫思ばくの『千金方』からであり、これを踏んで、我が国の『医心方』も日本人の養生学を確立しました。
 このような叡智を受け継がないで、たんに鍼灸学だけを学んでいるだけでは、東洋医学の大きさ、深さ、そして遠くを見つめるまなざしは、理解できないと思います。
 カリキュラム的には窮屈だろうけど、鍼灸だけでなく、湯液、養生を教える専門学校が、いつしかできるのを期待しながら、養生学の講義をしたいと思います。

2012年1月13日金曜日

論語(2)

個人的に論語を読み始めて、10年くらい。東洋鍼灸専門学校の課外学習に論語をとりあげて、5年くらいでしょうか。これくらい時間が経っているのに、半分も読み終わっていません。かかれている内容を、体験を通して読みたい、という望みがあるので、残り半分を読みおわるのは、だいぶ先でしょう。解説本2~3冊読めばいいのでしょうが、その表層的な読み方が好みじゃないので、行ったり来たり、出たり入ったりしながら読んでいるわけです。それから、論語を懐疑的に読む人もいますけど、知識として読んでいる人はそれでいいのでしょうけど、ぼくは盲信的によんでいます。良いとか悪いとかの選別が煩わしいし、そういう心で読むのも後ろめたい。
 ところで、東洋鍼灸専門学校での課外学習の論語は3月でおしまいです。今まで、ご参加いただいたみなさんに感謝いたします。みなさんがいなければ、熱心に読まなかったと思います。みなさんのおかげで論語を繰り返し繰り返し読むことができ、深耕できたことが、自分の宝でもあります。
 古典は拙速に読んではならない、というのが僕の信条です。同じ文章でも、こちらの体験度、知識度に応じて、解釈が変わってきます。その解釈が変わるところが、じつに楽しいのであります。
 それでも、古典全体の内容を知るためには、速読は必要ですが、速読で終わないようにしましょう。

2012年1月2日月曜日

お正月の感想

学生時代食べたラーメンは、なぜかほうれん草、なると、シナチクがトッピングされ、どこでも同じ味だでした。おいしくも無かったなあ。そんなラーメンからみると、今のラーメンには「よく頑張った」と賞賛を送りたいくらい進化しました。どうでもいい存在から、ぜひ食べたい、並んでも食べたいと言わしめた、その努力に敬意を表したい。
 古典もそうありたい。古典を読んでみたい、並んでも読んでみたい、3食減らしても読みたい。みなさんに、そう言われるように、今年はトライしますそ。