2015年11月30日月曜日

千金方・千金翼方のデータ販売

 鶯谷書院の主な活動は、古典のテキストデータ作成です。古典研究に大いに役立つツールだと思います。

 『千金方』、『千金翼方』は、人民衛生出版社から影印本がでていますが、個人的には、印刷した本の時は全く興味を覚えなかったのですが、PCの画面にテキストが表示できるようになり、いろいろ検索できるようになって、『千金方』、『千金翼方』を利用する機会が増えてきました。

 ただし、いままで利用していたデータは、誤りが多かったので、このたび校正を加えて、より忠実なテキストデータを作りましたので、みなさんにお分けしたいと考えました。

 ご希望のかたは、鶯谷書院のHPの「CDの申し込み」にお入りください。代金はデータの代金というよりは、鶯谷書院の活動へのカンパと思ってください。こんご、整備されたデータをリリースする予定ですので、ときどき「CDの申し込み」を覗いてください。

 『千金方』、『千金翼方』は、唐の孫思ばくの編集した総合医学書です。鍼灸のみならず、漢方薬、養生も含んでいます。巻一の「大医習業」「大医精誠」は、医者になるための訓辞で、教育的なものも含まれています。

 この中で大事なのは、養生に関する論篇です。これは『内経』にも、『難経』にも、『傷寒論』にも入っていない内容で、まとまった形では『千金方』、『翼方』がはじめての医学書だと思います。全30巻のうち、第28巻が養生巻です。

 現在、学校でも、研究会でも、東洋医学的養生は教えていないと思います。養生は、東洋医学が発信したものですから、わたしたちは養生学を広めなければならない立場にあります。それなのに、誰も関わっていないというのは、とても寂しいかぎりです。

 古典の役割は、現在の東洋医学を、正しく見直すところにあると思います。誤解されて伝えられていないか、積み残しはないか、もっと優れた医論があるのではないか。その批判を始めて取り組んだのが、江戸時代の古方派の医者です。別の枠組みを作ったのではなく、積み残しされた優れた医論を活用しただけのことです。

 古典を読めば読むほど、優れた医論が誇りをかぶり、放置されているなあ、と痛感します。今ある東洋医学は、かつての東洋医学の一部分なのです。実は、わたしたちは一部を全部と勘違いしているのです。北京に行って、中国を見てきたつもりになっているのと、まったく同じです。そろそろ東洋医学を見直すべきではないでしょうか。







2015年11月16日月曜日

文質彬彬

 『論語』に、「文質彬彬、然後君子」という一句があって、文(スマートさ)と質朴(ドロクサさ)は、彬彬(半々)が望ましく、それでこそ君子(ゼントルマン)なり、という意味だが、奥深い意味が込められている。孔子塾では、仁を基本に、礼、孝、文などの完成を目標としたが、それだけであれば優秀で、計算高く、弁が立つ生徒が、ゴールに一番近いことになる。

 しかし、孔子は、文質彬彬と言い、半分は質朴さ、ドロクサさが必要なことをいう。それは、別のところでも、「先進の礼楽におけるや、野人なり」といって、初期の弟子達は、野人的で、質朴であることをいい、「もし之を用いば、吾れは先進にしたがわん」といって、もし選び用いるならば、野人的である弟子達を選ぶと言っている。

 始皇帝が全国を統一したのが39歳で、52歳で亡くなるまで、地方巡視を5回くりかえし、総移動距離は15000キロになるという。驚異的な行動力である。泥臭い人物の極みかも知れない。権力に安座して、ふんぞり返っていても良いのである。やはり、それなりの人は、泥臭さが濃い。

 サッカー日本代表では、岡崎選手は、どろくさいはたらきで、評価が高く、信頼度も高い。ちかごろ、わが業界、この泥臭さが足りないような気がする。「身銭を切る」といって、お金を供出するような意味にとっているが、「身を切る」のと「金を切る」のと、ふたつの意味が込められているような気がする。その「身を切る」ということが、足りないのだと思う。身を切るは、ある程度、自己利益は捨てないとできない。

 「古典を読んで役に立つのか」と思ったことは、自分に利益になるかならないかを考えたことであり、思った段階で「身を切っていない」ことになる。 孔子に、「今、なんじは画(かぎ)れり」と指弾された冉求が良い例で、「画れり」は「自分自身を見限っている」と訳されているが、「いま、おまえは、自分に有利か、不利かを、考えただろう」と個人的には解釈している。孔子的には、黙って俺に就いてこい、なのである。古典を損得の目でみた時に、その門戸は閉ざされる、と思っています。

いずれにしても、身銭を切って東洋医学に奉仕する人が、にょきにょき出ているのを、ねがっています。

 

2015年11月7日土曜日

宗鏡寺(すきょうじ)

 1日の大阪(オリエントセミナー)から足をのばして、出石(兵庫県豊岡市)に行ってきました。ここは、沢庵和尚の出身地です。一時、宗鏡寺に「投淵軒」なる庵を構えていたというので、是非とも行きたいと思った次第。

 出石町は、2005年の平成の大合併によって豊岡市に併合されましたが、それまでは人口1万人余りの小さな町だったようです。鉄道の駅がなく、豊岡駅ほか、バスで20~30分ほど。そのためか、昭和の雰囲気がたくさん残っていました。

 行ったその日は「お城まつり」に当たり、町はとてもにぎやかになっていました。小学生数校と中学生1校の鼓笛隊のパレードがあって、とても懐かしく(今でも鼓笛隊というんでしょうか)、出石城の城下町なのですがさほど広くはないので、素朴な町がにぎやかになって、華がさいたみたいでした。

 出石皿そばが有名らしく、10センチくらいの皿にすこしばかりのおそばが乗っていて、それを次々と平らげるのだが、わんこそばよりは少し多めなので、皿数は増やせませんでした。多い人では150枚のつわ者がいるそうです。夏に、島根の出雲そば、山口の瓦そばに続いて、地元そばが続きました。お味は、関東のそばと同じで、食べ方に少しの特徴がある程度でした。

 町は、東、北、南と山に囲まれ、西は川が流れ、田んぼが広がっています。 宗鏡寺は町の東側、山の麓にありました。日が出るのがとても遅いようです。投淵軒は、さらにその奥、うっそうとした木に囲まれていました。冬は50センチくらい積雪があるといいますし、日の出るのが遅いので、沢庵さん相当に寒かったでしょう。

 小ぶりで、交通が不便で、歴史もあって文化性を感じさせる、素朴な町でした。

 

2015年11月4日水曜日

三城めぐり

 11月1日のオリエントセミナーは、阻滯の一つである硬結の話をしました。硬結は、本来は無いもので、発生すると体が不調になります。その硬結は、皮下にあり、筋肉にあり、関節にあります.
どのように探るか、その方法を話してきました。参考にした文献は、宮脇仲策『鍼学発蒙訓』と奥田意伯編『鍼道秘訣集』でした。それらの硬結からどのような病気が生まれるか。よくよく説いてあります。つまり、硬結を解除することを治療とし、その結果、硬結から生まれた病気が治るのであります。硬結がなぜ生じたか、両書はそれについては触れていませんので、こんごの課題でもあります。

 その後、丹波篠山城、竹田城、但馬城の、兵庫県の3城をめぐってきました。先月の岡城とあわせて4城。ふりかえってみれば、石垣の石の積み方(野面積み)が共通していました。四角の石をきれいに積むのとは違って、丸く、大小さまざまの石を積み上げる方法です。野面積みの野性味を帯びた力強さに圧倒されてきました。素朴で、しかも強靱で、さらに美を備えている。野面積みに惹かれて4城めぐりしたのかも知れません。

 野面積みを行う石工を穴太衆(あのうしゅう)というのだが、現在も十四代が後を継いで、各地の石垣を修理しているらしい。早く知っておれば、伝統の学術大会で講演してもらったのに。かえすがえすも残念。

 孔子先生も、文質彬彬と言っているように、きれいに整った鍼灸システムだけでなく、素朴な鍼灸も確立されなければならないでしょう。野面なる鍼灸を。