2012年5月15日火曜日

犂牛(まだら牛)の子

土曜日に読んだ『論語』雍也篇「子謂仲弓、曰、犁牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸。」(子、仲弓を謂う。曰く、犁牛の子、騂くして且つ角あらば、用うるなからんと欲すと雖も、山川 其れ諸を舎てんや。)

 お祭り用の生け贄の牛は、角が立派な(角)、赤牛(騂)が選ばれる。弟子の仲弓もそれに相当するのだが、父親が犁牛(まだら牛)だったので(素行が悪かったので犁牛にたとえた)、人々は仲弓を低く評価する。「山の神、川の神は正当に評価するから、おまえを見捨てることはないぞ」と、励ました一句。
 人物は、余計な情報を交えずに、正当に評価するべきで、過去のこと、たとえば出生の理由、前科、前歴などで判断してはいけない。
 これは孔子本人が、過去に正当に評価されなかった経験から発せられた一句である。孔子は、正式な手続きをしないで結婚(野合)した両親から生まれたために、仲弓と同じように、出る杭は打たれるではないが、正当に評価されなかった。こうした経験をふまえて「旧悪をおもわず」「おのれの欲せざるところ、人にほどこすなかれ」という句が生まれたのである。
 仲弓、めげるなよ。
 
 孔子先生は、いい先生だなあ。