2012年4月21日土曜日

丹澤先生との講演会(2)

古典の調べ物の時は、港区白金の北里医史研に行くのですが、田町からバス、恵比寿からバスがとても便利です。バスに乗れば、楽ちんで、速く到着するので、便利なので、つい利用するのですが、歩いてみると、意外な発見があります。一軒一軒のお店の表情、咲いている花、歩いている人の表情、あちこちから漂う香り。同じ一本の道なのに、おどろくほど豊かな表情があります。バスでは、無機質な道ですが、歩いてみると多種多様。
 強引な解釈ですけど、歩き感じているのが「野」で、バスにのっているのが「文」ではないでしょう。
歩くことをおろそかにすると、見えているものが見えない、聞こえているものが聞こえない、香っているのが嗅げない、人工的で便利なものは「野」を、自然と失っているのではないでしょうか。「野」だからといって、郊外に行かねばならないわけでなく、自然公園に行かなくても、十分「野」を楽しめると思います。
 北里医史研に行く通りには、両角ジャム工場があって、近づくといちごジャムのにおいがします。昔は、ジャムと言えばいちごジャム。工場の前をとおる度に、小学校の給食が彷彿とします。それから、幸福の科学の神殿のような建物が見えます。バスからは一瞬しか見えません。建物は存在する、けれど、ゆっくりなら見える、速いと見えない。こういうのを、見れども見えずというのではないでしょうか。
 東洋医学は、「野」から発し、それを整理して「文」化された医学です。その「野」を粗末にして、「文」のみを追っても、何も見えないのではないでしょうか。この医学に志したひとには、「野」の大切さに気がついて欲しい。本を置き、教室を出て、町へ行こう!
 


2012年4月16日月曜日

丹澤先生との講演会

4月15日(日)
 丹澤先生と講演会でした。場所は、成城学園前の砧区民会館。数年前に新築成ったきれいな会館でした。主催は、東洋鍼灸専門学校の学生さん。多数の参加者がありました。
 丹澤先生は、いま求められている鍼灸師像について、品性、品格、思いやり、という話をしました。 僕は、『論語』から話題をとって、原点を見つめ直す、というような話をしました。
 今、専門学校で国家試験が最大の目標になって、学生が矮小化されつつある現状をかんがみ、もっと広く、もっと深く、学べ、体験せよ、というエールを二人で送りました。今年の国家試験の合格率が低かったことの反動として、国家試験予備校化のながれは、勢いを増すと考えられます。勢いを増せば増すほど、東洋医学がどんどん歪んで行きそうな気配です。
 僕の話の要約。 『論語』に、「質勝文則野、文勝質則史、文質彬彬、然後君子」とあり、質(本質・中身)が文(外面の飾り)にかてば野(むき出し)であり、外面の飾りが本質に勝てば史(虚飾・飾りすぎ)である。文と質が半々であるのが望ましい、というような意味です。
  史=文が勝っている=文明化が過ぎている=頭脳が過ぎた、人工が過ぎている
  野=質が勝っている=本質、人工の反対の自然が優位になったこと=野生むき出し
 孔子は、表向き、頭が良くて、人徳が優れている人を育成するのを理想としていたが、正味のところは、半分くらい野生人が望ましいと思っていた、ということです。表向き、文化系で菜食系の男子を望んでいたと思われているけど、体育会系、肉食系の要素も懇望していたらしい。
 国家試験予備校というのは、単に片方の人間を育成しているだけですから、どうか、野に出て、大地を踏みしめて、雨に当たり、風に吹かれ、その延長で患者さんに対峙してほしい。教科書と黒板だけみつめていれば、免許はとれるでしょう。教室から出でて、教科書を置いて、マニュアルを捨てて、自然を観よ。人は自然の中の一生物であるから、自然を見つめることが根本である。鍼灸師は、植木職人たれ、農家たれ、漁師たれ。
 (というような内容です。不足するところは、どなたか書き加えてください。)

2012年4月8日日曜日

養生部発足

今年の1月から2月にかけて、東鍼校2年生に対し、養生学講義をしました。単に講義するだけでは、普及には限度があります。今後の必要性と、その急務であることを考え、養生部を発足させ、鍼灸と養生の関わりを見据えながらの養生学を建築し、公にしてみたいと思います。すでに、部員は校正作業メンバーで構成しました。数年後の完成を目指して、4月からスタートします。養生部としたのは、部活的な運営を望んでいるからで、部長は十元であるけれど、部員の積極的な参加を期待しています。このブログで、活動状況を報告していきます。
 養生とは、天寿を全うする生き方でありますので、原発問題、自然災害も含むと思っています。東洋医学者として一石を投じる活動をしたいと目論んでいます。