2022年12月31日土曜日

恬淡的お正月

  1月の第二日曜日は研究発表会で、おそらく20年以上、連続で発表してきました。そのために、お正月気分がなく、お正月の旅行もできない状況が続いていました。くら~い、年末年始だったのですが、次回の発表を免除されたので、すがすがしい年末年始を迎えています。ようするに会長の義務だったのです。会長を退いたので、解放されたのです。いいことづくめです。

 恬淡虚無の恬淡は、心静かという意味ですが、僕の場合、役職をしりぞいた結果として(一時的に)恬淡となりました。

 ちなみに、恬淡は、物静か・大人しいと同義ではありません。虚無と連動するように、心の中が空っぽの結果としての恬淡なのです。何かを考え、感情をおさえながら、あるは目立たないようにと、大人しいのでは、恬淡といわないのです。

 家には17段の階段があります。1日3往復したとすれば、1年で1000回往復します。建ってから20年以上も経過していますから、2万回以上も往復しています。目を開けて往復する分には恬淡ですが、目をつむると不安が出てきて、不恬淡になりますから、恬淡を維持するのは、そうとう大変なことのようです。

2022年12月19日月曜日

不語似無憂

 大燈国師(京都大徳寺の開山、宗峰妙超)の詩。

「千峯雨霽露光冷」(千峰、雨霽(は)れて、露光冷(すさ)まじ)

「見渡す限りの山々の草木に、雨上がりの露が光り輝いている」


 これに対する白隠禅師の下語(あぎょ・短評)

「君看双眼色、不語似無憂」(君、看よ双眼の色、不語は無憂に似たり)

「その目を見てごらんなさい。何も言わなければ憂いなど無いようにみえるだろう」


 右の掛け軸はその下の句の「不語似無憂」と書いてあるようです。良寛が愛した句で碑にもなっていて、その拓本を購入したので、軸装してみました。


 通常の解釈がなんともしっくりしないので、『老子』的に解釈してみました。


 私の両眼は、雨後の山々のように、澄んでいるだろう。

 私が何も語らないのは、雨後の山々が無憂(無心)なのと同じである。

 (過去のいろいろなことは、雨に流されてしまったさ。)

 

 大燈国師は禅僧。京都で乞食同然の生活をしていたが、花園天皇の帰依をうけて、大徳寺の開山となった。



2022年12月15日木曜日

至道無難禅師法語・道歌 提唱

  

 至道無難禅師とは、江戸時代の臨済宗の僧侶。白隠禅師の法祖父にあたるという。これを辻双明老師(1903~1991)が解説したものが、テープに記録されており、起稿し、ワープロ印字して、本の体裁にしたもの。外字はなんと手書き。老師には、いくつか著書があるようだが、検索しても、この本は出てこない。

 老師の死後にテープから起稿したようで、それでも難解な用語を間違わずに起こしています。起稿者の熱心さがにじみ出てきます。たいした体裁ではないのですが、いいほんです。体裁がいいのは、編集者がやるので、上手さが出るだけなのです。

 奥付がないので、出版に関する情報はほとんどなし。おそらく、製本して、聴講者や、縁のある人に頒布したのだと思います。全何巻かわからないけど、3巻分だけあるのです。

2022年12月12日月曜日

燃費良好

 昨日、久しぶりに、多摩の日本内経医学会講座に、クルマで向かいました。クルマなら、混んでいなければ、70分で行きます。電車は、90分です。電車がいいのは、多摩モノレールにのると、富士山が見えることです。

 昨日は、中央道に入ったら、パトカーが前にいたので、大人しくついて行くことにしました。ずっと70キロでした。制限速度が60キロなのですが、パトカーでも10キロオーバーなのでした。

 そしたら、燃費が過去最高。2000㏄なのに、1リッターで、18・8キロでした。飛ばすのもおもしろいけど、いまや燃費の記録が出るのがおもしろいのです。

 

2022年12月8日木曜日

志垣太郎さん亡くなる

 俳優の志垣太郎さんが今年の3月に亡くなっていたと昨日のニュースは伝えていました。急死だったとか。70歳。まあ、そろそろの年齢なのでしょう。

 6日、息子さんがツイッターで報告したといっていますが、今日の新聞の広告欄の『女性セブン』が記事を書いているところを見れば、数日前には情報はわたっていたようです。急死とか、降板の謎とかありますしたので、仕事とはいえ、よく調べるなあと感心します。

 最近みないなあ、という人は、意外に亡くなっているのかもしれません。昔とちがって、親族だけで葬儀をすますことが多くなったので、遺族が一般人であれば、騒がれたくないと思いあえて情報を出さないのでしょう。

 コロナ以降、なんだか世の中変ってきました。よくも悪くも。

腰が曲がる

  一昨日、Bさんから、Aさんが腰が曲がっている、と教えられました。Aさんは、半年ほど前に腰痛で来院し、よくなったので治療終了としましたから、気持ちは複雑です。実は、かつての腰痛持ちさんが、腰を曲げて歩いているのを見かけていたので、気持ちは少し複雑だったのですが、半年前のことなので、より複雑なのです。

 よって、今後は、②と③を取り入れたいと思いました。

 ①仕方ない(今までどおり)

 ②もっとよくなるまで治療する

 ③予防的にずっと治療する

2022年11月29日火曜日

豊山引退

  新潟出身+農大出身=豊山の法則にしたがい、小柳くんは、豊山を襲名しましたが、身体の故障がつづき29歳で引退です。九州場所は5勝10敗でした。元大関の朝の山と同期だそうです。

 同じ時津風部屋の正代は、大関陥落。ちょうどよい稽古相手がい無くなれば、力はどんどん落ちるでしょうねえ。

 しみじみ、盛者必衰。

2022年11月25日金曜日

日光 男体山

 今日は、快晴。武蔵浦和のホームからは、北に日光の男体山、西に駿河の富士山がみえました。男体山が見えるのは珍しいので、写真をとりました(写真中央)。

 普通の人が、普通にさがしても、男体山は見つからないですが、見どころさえ押さえて、いったん見つけることができれば、あとは何度でもみることができます。

 鍼灸治療もそういうことが多いのですが、見どころを教えてくれる人がいないので、見えなくてうろうろしている人は多いのです。そういう人は、たいていおしゃべりです。「言うものは知らず、知るものは言わず」という通りなのです。
 

墨のかおり

 父親は、毛筆が達者で、年賀状はもちろんのこと、少しばかり賞状書きもしていました。家に墨のかおりがあった中で育ったせいなのか、墨のかおりを嗅ぐとホッとする。じゃ香のかおりだとおもいますが。

 本日、大久保の書道用品店に用事があって、その合間に墨のかおりを嗅いでいたら、写真の品が好みだったので、お買い上げ。摺って使うわけでは無いので、無くさない限りは、永遠の友になりそう。

 

2022年11月23日水曜日

村上城


 全国の小さな城を訪ねたエッセー集。トップバッターは、新潟県の村上城。何年か前に、新潟で講演をしたときに、連れて行ってもらっているので、懐かしく読みました。安西氏は、お気に入りらしく、何度も通っているとのこと。

 村上名産には、鮭と米があるという。その黄金のコンビでご飯をかき込みたいですねえ。それだけでいい。ここから片道4時間というから、来年辺りに、行ってきましょう。

2022年11月9日水曜日

けやきの落ち葉


  家の前のけやき並木は、毎年、この時期になると、落ち葉にならないうちに、枝をはらっているのだが、まだこない。今、来ないとすれば、今年は来ないのだろう。

 こういうところに、財政削減の影響が出ているのかも知れない。武蔵野線ののり面の雑草刈りも、数年来、やっていないし。床屋の刈り上げみたいにすっきりしていたのですが、いまは、ぼうぼう。

 どちらも、やる必要がなかったことなのですから、本来のすがたに戻っただけなのです。落ち葉は掃けばいいし、ぼうぼうの雑草はCO2削減に役立っているのだし。

2022年11月3日木曜日

伊藤の五蔵

  江戸時代初期の儒学者の伊藤仁斎(1627~1705)には、先妻に3人、後妻に5人の子供がいる。男子は5人で、「〇蔵」と名付けしたので、伊藤の五蔵と呼ばれている。みな優秀な儒学者になっている。

 5番目の男子(末っ子)が生まれたのが、仁斎68歳という。4男は66歳。3男は61歳。2男は57歳。いずれも再婚後の子供である。

 今日は文化の日で、6時間ばかり娘+2孫がいて、それなりに疲れました。初孫は64歳の時、2孫が66歳の時に生まれました。たった6時間で、根を挙げているのです。仁斎先生が、66歳、68歳で実子というのは、身をもって、すごいと思いました。

2022年11月1日火曜日

ツワブキ咲く

 

 我が家のツワブキが咲きました。濃い緑と対照的です。

 毎年、忘れずに、咲いています。

 ピラカンサも実を結び、もうすぐ小鳥がついばみに来るでしょう。どちらも、わすれずに。

 少し前は、モッコウバラの中に、キジ鳩が巣をつくっていました。もんくいいながら糞を掃除していたのですが、いつの間にか糞が落ちてないので、巣だったみたいです。こうなると糞がないのが、もの寂しくて。

 

おふろの蓋

  家内が、お風呂のドアをあけて「わ~」と叫びました。お風呂に蓋してなかったので、浴室内が湯気で充満していたようです。直前に入ったのは、ムコさんで、蓋をするのを忘れたようです。

 実は、娘夫婦が住んでいる賃貸のマンションには、お風呂の蓋がないのだそうです。一度入ったお湯はその日に流してしまうからだそうです。

 ということは、ムコさんは、蓋をするのを忘れたのではなく、蓋をする習慣が無かったのです。

 むかしは、一度で流すことはなく、焚きなおしといって、何度も入ってましたが。ひどいときは、垢を掬って捨ててからでないと、入れませんでした。

 時代は、すこしずつ変わっているようです。

2022年10月21日金曜日

グロリア(日産)

  根津美術館の前を、日産のグロリアが通過。あわてて写真をとりました。しらべてみたら、1990年ころの型のようです。つまり、30年前の車で、それもタクシーですから、40万キロ~50万キロは走っているのではないでしょうか。おそるべし。

 この当時の高級車の、マツダのルーチェ、三菱のデボネアなどが、中古車市場にあるみたい。

サンマ消える

 

 今朝の東京新聞の水産物の価格動向の記事です。この時期ならぜったいサンマが登場するはずですが、御覧の通りサンマの名前が有りません。数年来の不良で、今年も同じなのかと思います。いよいよサンマは戻ってこないかもしれません。

 中国の古典で、土手の蟻の穴から川の氾濫を予測するというような話がありましたが、ほんとうにどうなるんでしょうね。

 人為が自然界を乱すことができても、人為が自然界を元に戻すことはできない。まあ、自然界にしても、戻るつもりはないでしょうから、人間が生きにくくなるだけかも知れません。

 

2022年10月17日月曜日

京都墓参ツアー

  10月16日に京都でお灸の講演。翌日午前、12人で、墓参ツアーをしてきました。

 二尊院の伊藤仁斎、弟子の香川修庵。遣迎院の御園家。上品蓮台寺の後藤艮山。御園家の墓参は初めてなので、感動してきました。天気は晴朗でした。

2022年10月9日日曜日

髪がふだ

 たくさんあること・豊富にあることを、宮城方言で「ふだ」という。「髪がふだ」「おかずがふだ」というように使う。漢字では「不断」とあらわすようだ。

 同じく、恥ずかしいことを「おしょすい」という。漢字では「お笑止い」とあらわすようだ。

 どのようだ、と聞くとき、「なんじょだ」といいますが、漢字では「何様(なによう)だ」であります。

 子供のとき、お店に入る時は「もうし~」と言ってました。「たのもう」と同じことかもしれません。今の子供は、「もうし~」とは言わないでしょうね。

 ある説では、宮城県に派遣された都人(中央官僚)の置き土産だという。いつごろのことかはわからないけど。方言は、懐かしいです。

2022年10月5日水曜日

岸田首相

  岸田首相の、口が斜めになり始めている。(気のせいかもしれないが。)

 やすみなしだから。へばる。課題も大きいものが多いし。人物評価はわからないけど、こんなところは同情したい。

 個人的には、若い人が前面に立って、年配者がフォローする体制が良いとおもう。あくまでフォローであって、コントロールではなくて。

沢庵の墓

 京浜東北線を南下し、品川駅を過ぎると、小さな森がちょっと見える。東海寺大山墓地である。写真の森がそれで、その南側には大きな穴が掘られている(線路から見えないが)。今日の朝刊の写真である。リニア新幹線の調査掘進の穴とのこと。

 その森の中央に沢庵宗彭の墓がある。島倉千代子の墓もある。上は東海道新幹線。右下が京浜東北線・東海道線。上からみると、すこし感動しますね。

 沢庵は墓は要らないという言ったが、この大山墓地と、但馬の宗鏡寺に、存在する。この写真の西端に、沢庵が住んだ春雨寺がある。紫衣事件で、山形に流されたときに住んでいた春雨庵の名前をとったもの。

 

2022年10月3日月曜日

古典研究と農家

  古典研究は、農家と同じだとおもう。

 古典という畑を、せっせと耕して、収穫をえる。収穫がないこともある。それでもせっせと耕す。収穫物は、調理する人、料理を食べる人と継がれていく。

 問題は、せっせと耕す人を増やさないと、収穫物が増えてこないということ。調理する人は多いのですが。

 調理する人が、耕す人も兼ねることもある。自分で作ったものを調理したい、提供したいと。食べる人が、耕す人になることもある。

 三者で共通するのは「収穫物」ということになる。「おいしい収穫物」がなるように、せっせと耕しましょう。

2022年9月25日日曜日

鍼灸の大家

  5月に関東の大家、9月に九州の大家を訪問。

 共通するのは、宇宙法則と、恬淡虚無(心静か・虚心)。

 これは、まさに『老子』なのである。

 お二人にお会いして、恬淡虚無の者を、身をもって感じられたのが、なによりの収穫でした。

 宇宙法則・恬淡虚無ということを、理解できるようになったとしても、身をもって知り、さらりと話せるまでは、あと何十年はかかるでしょう。

赤緑色弱

  小学校・中学校の時、○が一杯あるアジサイの花のような絵本を見せられ、その中でみえる数字を答えよという色覚検査があり、色覚異常のある生徒は、数字が読なかったり、(他の生徒が読めない)数字が読めたりして、判定される。

 前の生徒はやすやす読めているのに、ぼくは読めない。読めないから、枠外のページ数を読んでいたのです。というわけで、赤緑色弱と判定されましたが、ちいさなコンプレックスでもあります。今は、そういう検査は差別になるからと言って、やってないらしい。

 赤緑色盲だと、赤と緑が区別できなくて、赤緑色弱だと、赤と緑の区別に苦労するのです。まぎらわしいというか。色には自信がないので、色の判定は避けてとおっている。

 男子に隔世遺伝するらしいから、二番目の孫が赤緑色弱の可能性がある。、

 

2022年9月19日月曜日

豚毛のはぶらし

 半年以上はつかっている、わが、豚毛のはぶらし(左)。新品(右)と比べて、長さが減っている。しかし、毛先は真っすぐなままなので、使い勝手はかわっていない。

 ナイロンの歯ブラシだと、毛先が広がって、使い物にならなくなるが。自然素材は、エコだね。

 浜松町の貿易センタービルをはじめて見に行ったのは、18歳のころ。半世紀少し前。新宿のビル群ができる前だったと思う。貿易センタービルは、寿命を迎えて、解体作業中で、残すところ3分の1くらいか。新宿のビル群も、おいおい寿命を迎えるのでしょう。

 東北新幹線の橋脚で未修理なのが何カ所。というニュースが流れていました。高架にしなくて地面を走れば、橋脚の修理はいらないのに。それだって寿命がくるのでしょう。そういう意味では、地面をはしる在来線は寿命がながいね。急ぐために無駄なお金をかけているのだけど、どちらがもったいないのか。

 こういうことが、鍼灸治療の息がながさの理由かもしれません。

 

2022年9月8日木曜日

手をあわせて拝む

  加地伸行『儒教とは』によれば、葬式では、仏教はご本尊に手をあわせて拝むが、儒教では死体に手を合わせて拝む、という。まれに、お坊さんを拝む人がいるが、それは間違いだそう。

 今日、前首相が、前々首相が暗殺された現場に行って、手を合わせて拝んでいた。はて、何を拝んでいたのだろう。事故現場では、花を手向けて、その花の向こうに手を合わせて拝んでいる。はて、何を拝んでいるのだろう。その現場にいるとおもわれる霊魂に向けてなのだろう。

 東日本大震災では、海に向かって手を合わせて拝んでいる人もいた。海のかなたにいるだろう霊魂に向けてなのだろう。

 手を合わせて「いただきます」という相手は、食べる機会を与えてくれた「天」なのかもしれない。

 これらが日本人の変なクセでなければ、日本には、手を合わせて拝む仏教マナーがあり、儒教のマナーがあり、日本独自の霊魂や天神などを拝むマナーが存在していることになる。

 霊魂に対しては鎮魂の精神が込められていて、天神に対しては崇敬の精神がこめられている。こしてみると、なんだか、複雑。

白洲正子『近江山河抄』

 どこかの陶工の談話で、陶器を造るには、十年間は土もみをしないと、一人前になれないといっていた。陶土をもむというのは、辛い仕事で、何百回もこねている間に、次第にきめが細かくなる。しまいには、気持ちがいいほどなめらかかになるが、それとともに心も静まってくる。自分はそういう風にして、自分の土を発見した。近頃は、どこの土でも自由に手に入るし、あらかじめ機械で練ってあるから、手間は省けるかわりに、自分の土を自分の手で発見する喜びがない・・・

 いい話が乗っていたので、引用しました。

 大した訓練を経ていない自分が、いい話だというのもおこがましいが、これに発奮して、これから訓練すれば良いのであるから、おこがましくもないのである。100歳まで30数年あるし。


おおたかしずる(没)

 9月5日に新聞のおくやみ欄に、大高静流さんの訃報が。69歳だと。1953年生まれだから、3コ年上。CDが一枚くらいあったかと思って、探してみたら、無し。テレビCMで、よく流れていたから、知っていたのかも。

 新聞でかならず見るのがおくやみ欄。かつて、信濃毎日新聞をみることがあって、1ページをつかったおくやみ欄には驚きました。同じ地方紙である仙台の河北新報でも、そのような大々的なおくやみ欄はなかったから、その地区のとくちょうなのでしょう。


 

2022年8月23日火曜日

仙台育英

  出身校の仙台育英が、甲子園で優勝。在学が半世紀前なので、思いはさほど重くはないけど。在学中も甲子園出場で、1500円くらい集められたと記憶している。

 当時、普通部と商業部があり、それぞれ15クラスづつ、合計30クラス。3学年だと90クラスになる。40人が在籍していたとすれば、1学年1200人、3学年3600人。マンモス校でした。

 公立高校入試で落ちた学生が、仙台市内の私立高校に掬い上げられて、その1校でそんな学生数でした。いま振り返れば、受験した学校が仙台のはずれで、拾われた学校が宮城野原駅前でしたから、落ちて良かったかもしれません。

 一応入試があり、成績順で、1組・2組・3組・4組にわけられ、それ以外は組に差が無かったとおもう。どういう分けか、1組にはいって、高校生活が始まったのですが、おどろいたことに、すでに2浪者が数人、1浪者も10人くらいはいました。大学はいるのに浪人とは聞いていたけど、高校浪人もいたのです。

 2浪の一人のⅯ君は、秋田市の出身で、矢本町(現東松島市)の親戚の家から通っていて、親戚の家にも、実家にも遊びにいきました。もうひとりのS君は、仙台に住んでいて、あそびに行くと、よくビールを飲んでいました。S君の親父が経営している土木工事の手伝いで、福島の山の中の送電線の工事現場にアルバイトに行ったこともあります。そういえば、S君が運転する車で、川崎に行ったことがある。

 いろいろ思い出したら、すごい学校だったんだなあ。

 

2022年8月12日金曜日

目が見え・耳が聞こえる

  不思議なことに、ここ数年、目がよく見えるのです。いままでテニスの練習では眼鏡をかけていましたが、いまはかけていません。車の運転は、免許証には「眼鏡使用」とありますが、夜間以外はかけていません。この入力は眼鏡なしです。ただ、小さな『全訳漢辞海』が読めなくなってきているので、遠視になっているのかもしれません。

 耳も、こまったことに、いろいろな音を拾うようになりました。なので、わいわいするところに行くと、辛くなります。とくに飲み会ですね。近所で赤ん坊が泣いているのも、よく聞こえます。聞こえない方がいいのですが。どうも、あまり聞こえるのは、からだに良くないようです。年とともに、聞こえなくなるのがよいと思われます。

 来年あたり、どうなっているやら。

「医学史事典」

  東西を問わない医学史の事典がこのたび刊行された。日本医史学会の編。出版は丸善。値段は税込みで28600円。769ページ。左右見開きで1項目が解説される。今後、この事典が医学史の基点になるものとおもわれる。

 東洋系は、おもに小曽戸先生と真柳先生が担当し、小生も1項目だけ担当しました。さすがに1項目だけで献本というわけにはいかないので、自前で買いました。

 しかし、小曽戸先生・真柳先生の、旺盛な学究ぶりには敬服いたします。ずっとトップランナーでいて、いまも継続中なのですから。あれだけ飲酒してて、脳が破壊されていないのも、驚きです。



2022年8月9日火曜日

寝相

万歳楼袖彦『灸治論』(九州大学図書館蔵)に 「人仰ぎ寝るは無病なり。是船の順なり。亦うつぶき寝る人は、かならず病身なり。是船のくつがへらんとするが如し」とある。寝相をみてみるに、仰臥しているのは健康で、伏臥しているのは病気だという。

『論語』郷党篇には 寢不尸」(寝るに尸(し)せず)、寝るときは、死体のような(仰向けで手足を伸ばした)寝方はしない、とある。

うつ伏せは病者の寝姿、あおむけは死者の寝姿、であるから良くないとは、両者とも「寝相」を言う。「寝相」とは、手相、家相などと同じように、寝姿で運命を判断することである。単なる寝姿という意味では無いようである。

それなりの身分の人は、寝るのにも制約があり、好きなように寝られなかったものと思われる。

健康的な寝方として、寝返りした方がよいと言われ、また抱き枕で横向きに寝る日野原重明先生推奨)のもあり、好きなように寝るのが良いと思われる。



2022年8月5日金曜日

1時間50ミリ

  昨日、我が家付近は、1時間50ミリという激しい雨がふりました。時間は1時間くらいだけでしたが、近くのガード下は軽く冠水しました。1時間100ミリだったら、我が家は浸水したかもしれません。

 新潟県関川村では、1時間150ミリという雨が降ったようです。50ミリでも激しいのに、100ミリでバケツをひっくりかえしたようだというのに、150ミリは、もはや表現できないでしょう。

 いまや、川のそば、海岸の近くは、水害があると納得して住まなければならないです。山の近くはがけ崩れ、土砂崩れの用心はかかせないでしょう。いやはや、すごい時代になりました。

2022年8月4日木曜日

電車の椅子

  この時期、電車の椅子には座らないですね。

 汗かきのおじさんが座った後には座りたくないですね。

 前の人のぬくもりが残っていたら座りたくないですね。

 (去年?)大阪のホテルに泊まったら、ベットが人型にくぼんでいました。寝にくいと言うか、気味わるいと言うか。古い、安いホテルは、仕方ないですが。

 個人的には、鈍感と思っていますが、からだは嫌がっていますね。

 頭の自分と、からだの自分の、齟齬、乖離は、年齢とともに強まっているようです。


2022年7月23日土曜日

機根

  お釈迦様は悟りを開いたあと、機根のあるお弟子さんたちに説法した。ただやみくもに一般大衆には説法しなかった。機根とは、教えを理解し、修行しえる能力の事。のちに一般大衆にも説法するようになったが、それは一般大衆の中に機根がある者がいるかもしれないからと説得されたからである。

 僕は、今年66歳になったが、白髪がなくて、真っ黒なのである。廻りの人から感心されるが、努力したわけではないので、こそばゆいのである。唯一の努力といえば、30年以上も前に、ラジオで「石鹼シャンプーを使うと、白髪にならない、抜けない」という話をちらっと聞いてから、それを実行し続けたことかもしれない。

 こういうことが機根というのだろうと思いました。何が役に立つかわからないけど、発信しつづけることは大事。樸が、役に立つ、立たないと、決めてはいけないのだ。いろいろ、気が尽きました。

済南市

  ユーチューブに、中国の済南市が雨の被害にあっているというのがあった。見覚えのある風景には至りませんでした。中国の泰山には、合計4回上っているが、その第1回目に泊まったのが済南市であるので、懐かしくて見てしまった。趵突泉という池の近く。『史記』に書かれている名医の倉公が住んでいたのが、この済南市だったので、すこしはあやかろうかと思って、泊まりました。

 2回目以降は、泰山のふもとの曲阜市に泊まりました。こちらは、孔子の街で有名でしたから、都合、3回も泊まってしまいました。孔子一族の墓地である孔林には2回行きました。あるひとに、(霊が付くから)行くんじゃない、といわれてましたが、大丈夫だったようです。

 もう1回くらいは、曲阜、泰山に、行ってみたいですねえ。

2022年7月13日水曜日

心身一如

 こころとからだは一体だ。

 よく「健全なからだに、健全なこころが宿る」という意味で、健康法を行い、からだを鍛えることが「からだ」だと思っている人がいるけど、若い人の考え方であり、老人になれば、そうも言ってられない。みなさん、からだはボロボロ。それでも、健全なこころをお持ちですから、「健全なからだ」という理解は、筋違いではないかと思っている。

 老子的にいうならば、「思ったとおりに体がうごくこと」を一体というのではないか。てきぱき動くことを、いうのだと思う。あえてからだを鍛えなくてもよい。

 言行一致。言うは易し、行うは難し。

 「からだを鍛える」神仙思想では、そもそも「一」という考えはない。


2022年7月7日木曜日

入れ子のお椀

 30年ほど前、子供が小さいころは、陶器や磁気の食器を使っていたのですが、食べた後、流しに片づけてくれて、シンクにガチャンと落としてくれるので、だいぶ割られました。

 そこで考え付いたのが、漆器のおわん。3椀で1人前で、5人分ですから、15椀が食器棚に眠っています。普段は、その2~3椀だけを使っています。あんまり使わないと、ひかりがなくなりくすんできます。

 調子にのって、お坊さんがつかう応量器も5セットも買いました。こちらは、いよいよ、お蔵入りです。

 一番下がごはん用、一番上がおしんこ用。なんと6段重ねです。

 たまに、和食のお店で、ピカピカなお椀をみると、大事につかわれているなあ、とあこがれてしまいます。



正木晃「仏教入門」

 だいぶ以前に、ある勉強会で、正木先生の講演があるというので、予習のために買った本ですが、たまたま目に着いたので読み返してみました。

ブッタの場合も、「古代マガタ語」で説法していたにもかかわらず、仏典は「古代マガタ語」では書かれずに、「古代マガタ語」とは系統が異なる「パーリ語」で記述するということが行われています。

 今回は、前回と違って、こんなところが気になりました。いろいろな言語を経て、さらには漢訳されて、そうして日本に到達したのですから、仏教の本当のところはわかりにくいのだと思います。日本で発行された仏教関連の本は、都立中央図書館では、幅5メートルの書棚の5面か6面にいっぱい詰まっています。わかりにくい分、研究が進んでいるのでしょう。
 中国医学古典は、ずっとおなじ漢語で書かれていますから、古代人との意思疎通がはかりやすいと思います。はかりやすいなら、もっと研究が進んでよいと思うのですが、研究はほとんど進んでいません。ざんねん。
 

 

2022年6月24日金曜日

昭和の時代

 戦後間もない昭和の、白黒の、写真集です。久しぶりにとりだしました。

 表紙の、ほっぺたふっくら、目は細目の女の子は、今はいないですね。どこへいったやら。

 下の写真は、大鵬が、新横綱の玉の島に土俵入りを教えているところ。緊迫感が伝わってきます。大砲の左手の後方に、仙台市出身の青葉城がいます。みんな筋肉質ですね。

 時代も変わったけど、日本人のカラダも変わってますねえ。


 

2022年6月20日月曜日

天草と寒天

 

 伊豆半島天草100%使用

 一瞬?

 天草は、あまくさでなくて、てんぐさ。

 寒天を作る時の材料(海藻)。

 海なのになぜか天。

 ところてんは、心天(または心太)といい、故郷の方言では、てんよ(漢字不明)という。

 海(あま)と天(あま)つながりなのか。

 

2022年6月17日金曜日

下地

 

 10年ほど前に買った本だが、読む力が無くて、積ん読。小説家が書いたので、小難しい文章ではない。一般向けに書いたので、難しいわけではない。なのに読めなかった。

 下地が無かったのです。道家思想の基本知識が無かったのです。素養というのでしょうか。ようやっと、読めそうになったので、とりだして読んでいます。

 下地でいえば、天人感応とはいうけど、下地がなくて感応する、あるいは下地があって感応する、に分けられるかと考えました。ただ、押し付けるように「天人感応だ」というのは、時代おくれではないかなあ。


 

2022年6月10日金曜日

鉄瓶

  鉄製の瓶(腹部がふくらみ、口が小さい容器)。お湯を沸かす道具。たぶん他の用途には使わないだろう。瓶は、漢音はヘイ、ビンと呼ぶのは唐音。唐音は、唐末から宋代以降の発音で、おもに僧侶によって日本にもたらされた。というから、お抹茶文化と一緒に来たものと思われる。

 訓(くん)がないから、輸入当時、日本に類似品がなかったのでしょう。瓶は、ほかに、土瓶、花瓶、尿瓶(しびん)などがある。

 写真は、我が家の鉄瓶。20年以上の古株。浅草の釜浅商店で買いしもの。写真でみると、だいぶくたびれている。日本茶を飲むときだけ使う。重いので、何歳まで使えるか。




2022年6月8日水曜日

ホテル中華

  


 写真は、1985年の第一回日中学術交流会で中国・天津市に行った時、招待された「川魯飯店」の記念の食器。38年も経過しているから、味わい深くなっている。四川(川)料理と山東(魯)料理を出すと聞きました。何を食べたのか全く覚えていません。

 中華といえば、田舎ではラーメンと餃子であり、結婚するまでは、それは変わりませんでしたが、結婚したら、義父(故人)が中華好きだったので、わが家族もよく一緒に行きました。基本は近場の〇〇飯店という中華屋で、あとは大宮・浦和・川口の銀座アスター、東京に遠征して、ホテル中華もめぐりました。ホテルエドモント飯田橋の「広州」が一番かな。無くなったのは残念。

 中国の泰山には4回のぼり、2回は頂上の泰安神憩賓館に泊まりました。山の上なのに、きちんと料理がでて、美味しかったので、印象に残っています。中国の南のほうは、乾燥した豆腐、野菜を使った料理が多いので、とても美味しいのです。ようするに油いためなのです。泰山のふもとの泰安市の町中のなんでもない食堂も油いためでした。

 中国本土で中華料理を食べてからは、日本の中華料理はほとんど同じで、面白くないので食指が動きません。あのトロミも重いし。結局、原点にもどって、町中華の野菜炒めが無難。

 


ランクルプラド2400㏄ディーゼル

 子供が小学生のころだから、30年ほど前に、ランクルプラドというクルマに替えた。5人家族が乗れるように、当時はやっていた3列シートの7人乗り。

 初めての四駆、初めてのディーゼル。ハンドルに伝わるエンジンの振動。いま振り返ると、一番感動的だったかも。シフトレバーが通常走行と、オフロード走行のためと、2本。合計、8段変速だったと記憶している。結局、1本しか使わなかったけど。

  エンジンをかける時にはチョークを引く。

  走る前には、暖機運転をする。

  高速走行の前には、エンジンをならしておく。

  キックバックがあるから、ハンドルの内側に親指をかけないこと。

  ハンドルは、すえ切りしないこと。

 その前のガソリン車には無かった注意書きが、とても新鮮でした。

 その後、ディーゼルは風当たりが強くなってきたので、手放しました。

2022年6月2日木曜日

横田先生

 5月23日 千葉県の横田観風先生宅を訪問。10年以上も前に三か月ほど治療してもらったことがあり、「医道の日本」888号でのインタビュー記事を読んだので、空気を感じることを目的にして。2時間ばかり雑談しました。お会いして『素問』が言う「恬淡虚無」がすとんとおちたようで、謙虚で、執着がなく、屈託がなく、力みがない、といおうか。

 竹山晋一郎先生は「鍼灸角奇線」で「八木下翁を訪う」と題して、千葉県の八木下勝之助先生を訪問した印象記をしたためている。その中で、

「欲の無い人間ほど恐ろしいものはない。又清く気高いものはない。」

という。横田先生にお会いして、まずこの文章を思い出した。

「小生は、こんなに楽しい夜を過ごし、こんなに心を洗われて、セイセイしたことはなかったのである。」

ともいう。同感です。が、竹山先生のような文章を書けないのが、くやしい。


2022年5月25日水曜日

照ノ富士優勝

 5月場所は、照ノ富士の優勝でした。どんぐりのせいくらべ的で、毎場所優勝力士が変わるのもなかなか面白い。いっそ、横綱、大関を無くして、ランキングにしても良いかも。毎場所、ランキングが入れ替わるから、おもしろいかも。

 それはそうと、照ノ富士のインタビューで、弱い大関を責めないでくれ、だれしも調子悪い時があるんだから、自分もかつてそうだったし、という内容の発言をしていた。そうだなあ、正代を責めた、自分がはずかしい。

 自慢じゃないが、『老子』をそれなりに読んで、勝ち負けは無いのだ、分け隔ては無いのだ、と知っていながら、勝ち負けに執着し、依怙贔屓をしているあたりは、『老子』を知らないに等しい。頭で理解しても、体でわかっていないから、『老子』読みの『老子』知らずなのです。

 照ノ富士じゃないけど、著名な(鍼灸の)先生方も失敗例、苦い体験をたくさん持っていて、その経験が発奮材料になって、高みに至ったのだと思う。そう思うと、雲の上の人も、身近になってくる。


2022年5月22日日曜日

谷野一栢と『難経』

 


 戦国時代の、臨済僧である谷野一栢と『難経』とのかかわりを研究した報告書ができ、提出しました。武田財団の研究助成を受けた報告です。臨床的な内容はありませんから、99パーセントの鍼灸師にはかかわりがないでしょう。

 禅僧ですから、禅宗の勉強がいちばん大変でした。「臨済宗幻住派に所属し、曹洞宗宏智派と交流があった」といいますから、このあたりの理解が大変でした。

 別刷りを作りましたので、希望者は、下記に連絡してください。さしあげます。

 【miyakawakouya@gmail.com】

正代 負け越し

  大関の正代が、また負け越した。同じ大学出身なので、みてみぬふりをしていても、なんとなく気がかりなのです。こういうの、依怙贔屓というのでしょう。依怙贔屓こころの癖で、治療者は持ってはいけないのです。つくづく下工だなって思います。

 正代は、あれよあれよと大関になったけど、相応の実力はないのです。当時、横綱が不調で休みがちだったので、運よく勝ちがすすみ、運よく負けがすくなかっただけなのです。まともな場所なら、三役を上下するくらいの実力です。大関から陥落してくれれば、正代も僕も、安心できるのです。

 同じ大学出身では、豊山も幕内の下の方でウロチョロしています。こちらは、実力通りなので、気がかりが無いのです。

 昔は、宮城県出身の青葉城と青葉山を応援していました。青葉城の出身は、叔母の家の近くだったので、なお親近感がありました。


2022年5月14日土曜日

つまらぬ易者

 現在の校正作業は、万歳楼袖彦『灸治論』を対象としているが、著者は易学に通暁している人なので、灸法解説書というより、易学の立場から「定期的にお灸したほうがよい」という内容になっている。こんこんと説教している。

 つまらぬ易者にだまされているから易はあてにならないというが、易学を深く究めた専門家であれば、易学はどうもすごいらしい。

「命期(みょうご)の易」という分野があって、自分に関わる数字(生年月日など)を入力すると、死期がわかるというもので、沢庵宗彭も間違いないというし、谷野一栢も間違いないという。沢庵は、京都大徳寺の住職を務めた高僧で、そういう人がいうのだから間違いない。当時の大徳寺の住職は、天皇の許可によるものだから、よほどの人である。谷野一栢は、易学の最高学府である足利学校の、易学の正式後継者に名を連ねる人で、その人が間違いないというのだから、間違いないのである。

 いまは、命期の易というのは聞かないから、ひそかに行われているか、途絶えてしまったか。当時は、権力者やお金持ちにニーズがあったらしい。1回占えば、100万円くらいはもらったのでは? (杉山和一は、徳川綱吉の治療謝礼で、今の杉山神社の屋敷地をもらったというから)あるいは1000万円もらったかも。

 生まれ変わるとしたら、天下の秀才になって、易学を極め、命期の易を専門にしたい。

 


2022年5月5日木曜日

繊月

  5月3日は、二日月で、5月4日は、三日月。

 二日月は、繊月という別称があるように、じつにか細い。

 繊月といえば、球磨焼酎の銘柄でもある。昭和五十九年、日本経絡学会学術大会が熊本で開かれたとき、師匠がたんのうした焼酎である。

 どこかにそんな記事があったなあと、『島田隆司著作集』をめくったら、下冊の362ページに書いてありました。

 記事には「昨日、球磨焼酎の繊月を探して持ってきてくれた友人がいる」と書いてあるが、いまじゃ、近くのスーパーでも売っているから、30年の間に、世の中変ったんですねえ。

 二日月をみると、こうして球磨焼酎を連想し、師匠を回想するのでした。

2022年5月1日日曜日

茶筅


 写真は茶筅。左は日本製で使いこんでいるもの。右は韓国製で、1回だけ使ったもの。

 日本製が穂先が安定して、ほぼ歪みなし。なのに韓国製は1回だけつかって、穂先の1本1本が斜めになって歪み甚だし。

 韓国製は、伝統が一度途切れた結果なのかもしれない。一度途切れるとかくも無残になるかと思うと、鍼や灸がかろうじて命脈を保っているのは、僥倖なのかもしれない。これからさきも、意地でも残しておかねばと、茶筅をくらべて、決意したしだい。

 個人的には、よもぎ、もぐさを、残す行動をせねばと思っている。

2022年4月28日木曜日

木香バラ満開

 4月8日ごろ咲き出した木香バラ。今日あたりが、満開です。香りがムンムンしています。

歩道のサツキも満開。木香バラは、散る時も派手なので、せっせと掃除しなければなりませんが、御愛嬌です。


2022年4月24日日曜日

瀬戸内いりこ

 この間買ったいりこが小さくて、味はでるのかと??だったが、意外に味が濃くでました。

 近くのスーパーで買った大きい煮干しは、味がでるかどうかよりも、どうも臭みが強いなあ、と思っていたところ、いりこ購入先のパンフレット(きのう届く)に、脂肪分の少ないのを原料にしているから、魚くささがない、とありました。

 讃岐うどんのだしに欠かせない。これも見逃せないですね。こんぶとかつおぶしには無い、味のパンチがありますからね。

 瀬戸内いりこおそるべし。


 

2022年4月23日土曜日

水菓子

  義母が、よく「水菓子」と言っていたが、はじめは水ようかんのようなものかなと思ったら、じつは果物だった。菓子は、草冠がついているように、もとは果物であり、お菓子と区別するために、水菓子と呼ばれている。果物も菓子で、お菓子も菓子だ、という時代の名残りで、今的には使わないことばかもしれない。今は、くだもの、おかし、と分けているので。

 唐菓子(おこし・せんべいなど)の日本化したもの、南蛮菓子(カステラ・金平糖など)の日本化したものが、和菓子の祖型らしい。

 写真の清浄歓喜団は、最古のお菓子で、唐菓子がそのまま残っています。フォルムといい、油であげているといい、中のあんこといい、よくぞ保存してくれているなあ、と感心しています。

 子供の頃、お菓子といえば、三色最中か、白松が最中。団子売りも来ていました。あと、白米をいれてバーンといわせるとお菓子になったバクダン。果物は、リンゴ、ミカン、スイカくらい。今は、洋菓子もはいりますから、ちょっと前からみると、菓子はおおく、深く、広くなってます。

2022年4月13日水曜日

柔道の精神に反する

 柔道家の山下泰裕さんが、プーチンを「柔道の精神に反する」と批判した。

『論語』子路篇

私の町では、父親が羊を盗んだので、警察に知らせた子供がいます。正直でしょう。

孔子がいう。私の町では、父親が羊を盗んでも、警察にしらせない子供がいます。孝行でしょう。

罪はつぐなえるが、いったん切れた親子関係(孝行)は元にもどらない。だから、孝行という仁徳が、法律にまさるのです、と孔子いう。

法律に優先する約束事として、孔子は仁徳をいい、山下氏は柔道の精神を言う。さて、鍼灸人は、何を言うのだろう。

前の首相は、法律に従っているからいいだろうと、グレーなことをやってのけた。法律の上なる約束事があることを知らなかったのであるから、上に立つ人ではなかったといえる。

 

2022年4月8日金曜日

木香バラ

 ざいふりぼくに続いて、もっこうばらも先はじめました。下からみるとまだわからないのですが、上からみるとわかります。ミツバチか、飛んでいる虫を意識して、咲いているのかもしれません。

 わずかに甘い匂いがしますが、ほんのわずかです。バラのにおいと思うと、この匂いはわかりません。ただ純粋ににおいを嗅ぐ、のがコツです。

 花期は長いので、店頭はしばらくにぎやかになります。

 ざいふりぼく、もっこうばらをみていると、しあわせですね。テレビのニュースをみると、しあわせでないので、みないようにしています。ラジオで十分。


2022年4月4日月曜日

ざいふりぼく(采振木)

  バラ科の木で、シデザクラ(四手桜)という別名もあるそうです。

 ちょうどいま咲いています。(4月4日)

 下から見るのと、上から見るのと、印象はだいぶちがう。

 花が上向きに咲いているので、上から見ると華やかにみえます。

 また雨降りで回りが暗いと、白さがいっそう映えて、いいものです。



2022年3月30日水曜日

足半(あしなか)

 

 写真は、治療院での履物で、つま先だけの草鞋、足半(あしなか)である。草鞋と足半は指が外にはみ出て、土に着く(草履は指が外に出ません)。指を、足半のへりに食い込ませて歩きます。

 通販でいろいろ売っていますが、指がはみ出るのが正式です。写真のは、竹の皮を編んだもので、思いのほか丈夫で、長持ちします。冬は指が冷たくなって、ふ向きですが。

 指先が仕事をすると、足首も仕事をし、膝も仕事をし、股関節も仕事をし、腰も仕事をします。足全体の運動になるのです。大抵の動物は指先で歩きます。馬は中指の尖端で歩いていますし、鶏は三本指で歩いています(鶏の膝に見えるところは踵です)。

 というわけで、足半は、動物歩きするのに、とても良いのです。

真岡鉄道


 先日、茨城県の真岡鉄道久下田駅まで行ってきました。故荒木正胤先生のお宅へ。今は、娘さんと旦那さんが、治療院をしています。今回は、その旦那さんのひろしさんと研究の打ち合わせ。荒木正胤先生は、ちかくの芳全寺(曹洞宗)の後継者だったそうですが、転じて漢方の世界に入ったとのこと。

 おどろいたのは、真岡鉄道の切符が、写真のようなもので、日付・料金が手書きです。地方の私鉄の経営は大変だそうですが、ほほえましい切符でした。

 みなさんが、乗ってあげれば、経営の足しになるのではないでしょうか。

 ちなみに、宮城県塩釜市の市営渡船は、おなじような切符ですが、乗ったところ、降りたところに、穴をあける形式で、まだ現役さんです。 


2022年3月24日木曜日

日竎さん

 古い『文芸春秋』を読んでいたら、写真のような珍しい名前に遭遇。るびがなければ、まったく読めない。『大漢和辞典』によれば、立部に属し、「ふう・ふ」と発音し、「のぼる」という意味があるという。『玉篇』「竎、登也」だけが出処のようである。この漢字を選んだ初代は、よほど漢字好きか。

 ありがたいころに、日本人の名字用の漢字は、ほとんど表記できる。神様の、伊弉冉(いざなみ)、伊弉諾(いざなぎ)の弉も珍しいけど、表記できる。ネットで調べると、廾部の7画なのだが、『大漢和辞典』で見つからず。探し方が悪いのか。

 ほとんど表記できるのもありがたいが、めったに使わない漢字を用意しているのは非効率。こういうお国柄なのです。


2022年3月15日火曜日

月刊文芸春秋


  なぜか月刊「文芸春秋」2005年4月号が出てきた。

 家内の血筋のあるお宅を訪問すると、月刊「文芸春秋」があって、その人は重役さんだったので(のちに社長さんもやった人なので)大人の香りがしました。おそらく60歳くらいだったのでしょう。僕の30年の人生の中で、月刊「文芸春秋」があるお宅に遭遇したことがありませんでした。そんな憧れあって、時々買っていたのです。その1冊が、なぜか残っていました。

 好きな記事は、写真の「蓋棺録」で、要するに追悼コーナーなのです。「蓋棺」とは、心で始めてその人の功業がわかる。人は死ぬまで努力して事を為すべきで、死んで見なければ、其の人の偉大さはわからない(『大漢和』)という意味だそうです。

 何名か取り上げられていたが、知っている名前といえば中尊寺ゆっこさん。漫画家で、小学生のときコンテストで優勝。審査委員長の谷岡ヤスジさんに褒められたとのこと(谷岡ヤスジも懐かしい名前)。タレントとしても活躍したようで、三波伸介の名前もでてくる。

 結腸癌で42歳で亡くなったそうである。

 本来は捨てられた雑誌であるが、いま読んでもおもしろいから、捨てるもんではないと思う。が溜まっていくから、買うもんでもないとも思う。

*谷岡ヤスジのアシスタントのかまちよしろうさんには、鶯谷の中華屋で二度ほど会い、「哀愁の犬サブレ」を聞かせてもらいました。



さくらんぼ開花


 我が家の小さい庭にサクランボが満開。気が付かないうちに。日当たり悪いけど、せっせと、毎年、けなげに、開花しています。

 隣の建物が建つときに、根を切られて、毛虫だらけになりましたが、その後は勢いが復活しました。昭和61年に苗を買ってきて植えたものです。年齢35歳です。

2022年3月12日土曜日

東京の美々卯

 東京の美々卯は、大阪の美々卯ののれん分けで、おなじ会社ではないとのこと。その東京の美々卯が、コロナの影響で全店閉店したとのこと。

 美々卯のうどんすきは有名で、一度だけ行ったことがある(京橋店)。その時、印象に残ったのが鍋。写真の右の鍋(類似品)。深い皿のようで、鍋の端までうどんを引き寄せ、そこに小鉢を添えれば、うどんを暴れさせずに移すことができるもの。

 打ち出してあるし、取っ手も無いので、洗うのが便利。30年来の道具です。

 5人家族、うどんとチャーハンをよく食べていたので、火力が強いものということで、業務用コンロを備えました。
 

2022年3月8日火曜日

みつまた、開花


 我が家の第二代のみつまたが開花しました。これから、わりと長く咲きます。若いので花数は少ないのですが、長く咲くので、印象的です。

 こうぞとともに、和紙の材料になる木です。

 北鎌倉の浄智寺のみつまたは、りっぱなもので、3月の丸山先生の墓参のときに、見ることができます。直に植えてあるのは強く、生命は長い。我が家は花壇の中なので、一等劣るようです。

 

 

2022年3月4日金曜日

仙台方言「めぐせ」

  田舎で、はずかしいことを「おしょすい」といい、みっともない、体裁がわるいことを「めぐせ・めぐさい」という。

 「おしょすい」は、「おお笑止」とのことで、人が笑う、→はずかしい。

 「めぐせ」は、「見、くさい」とのことで、人が見苦しい、見たくない→体裁がわるい。

 どちらも、世間の評価、他人の目線を気にしている表現となる。

   そんな格好しておしょすい。

   そんなふるまいしておしょすい。

   そんな恰好は、めぐせ。

   めぐせがら、かくしておけ。

 こんなふうに、子供のころに、母親に、小言されたようなきがする。世間の評価、他人の目線を気にするのは、いまも直っていないから、深刻な能力なのである。

  

2022年3月3日木曜日

大谷哲夫著『道元』


 大谷哲夫著『道元』の216頁に、次のようにある。

  道元は、大仏寺を永平寺と改める上堂において、つぎのように宣言します。

 天に道有りもって高く清し、

 地に道有りもって厚く寧らかに、

 人に道有りもって安穏なり。

 この宣言は、『老子』三十九章の「昔の一を得るものは、天は一を得て以て清なり、地は一を得て以て寧なり」と類似する。

 そもそも、仏教+道家思想=禅宗であるから、『老子』と重なるところがあってもおかしくないのだが、『老子』を参考にして宣言したのか、宗教的帰結として偶然『老子』と似たのか。

「言うは易し、行うは難し」というように、頭でわかったこと(『老子』の思想)が、できるようになるために、禅宗の修行が用意されたのだ、と『道元』を読んでなんとなく理解した。

『老子』の真意は「いかに行動するか・いかに生きるか」である。修行という行動を続けてきた禅僧が、『老子』の証なのである。『老子』を哲学する、という本もあるが、こういう面で、ものたりない。


2022年2月23日水曜日

七里香


  七里香は、沈丁花の別名。金木犀の別名が、十里香。コロナだ、オリンピックだと言っている間にも、着々と。

 咲き出していますが、まだ香りは飛んでいないもよう。

 というか、マスクしていると、香りに鈍感になります。

 今日は、成城まで往診に行きましたが、まだ町の中に香りがただよっていませんでした。花木が多い所なので、町中の香りがたのしみな所でもあります。

 成城と川口、なにが違うかというと、整然さですね。人物だけでなく、お宅も、おにわも。そういう所に、気を配って、町全体が整然としているところが違うかと。

 ふだん、そういう所に気を配らずに、ただ自分自身だけに気を配っているのが、この辺り、川口だなあ。こういうことを、品が無い、というのだろうなあ、と歩きながら考察しました。

 

2022年2月19日土曜日

『菊と刀ー日本文化の型』

  米国のルース・ベネディクトさん(女性)の著作。1946年出版。邦訳は1948年。

 この本の存在を知ったのは、大学生のころ。出版から30年後に相当する(読んではいないが)。買ったのは、講談社学術文庫の2021年第44刷(第1冊は2005年)。16年で44冊を重ねているのは、とっても驚き。1年で3回刷り増ししているのです。売れて売れてしかたない。邦訳から、70年も経過しているのに。

 読んでみたら、難しい。難しいのが売れているというのが、なんとも悔しい。積ん読の人も多くいるだろうが、読破した人も多くいるだろう。

 驚きなのは、著者は、日本に来たことがない。周りの人から得られた情報から、一冊の本を書いたのである。日本を、あらいざらい、調べ上げたのである。驚きなのは、敵国を分析せよ、交戦中の米国の要請なのだという。米国が、この当時のままだとすると、「ロシアのウクライナ侵攻」については、かなり詳しく調べて、調べ尽くしているんだろうな。米国、あなおそろし。


2022年2月12日土曜日

たばこ買いに行った

  新聞を読んでいたら、死亡をあらわす、いろいろな表現について紹介していた。

 逝去、他界、永眠がよく使われる。

 冥土に行った、往生した、成仏した、という表現もある。

 いっかんの終わり、ご臨終、鬼籍に入る、という表現もある。

 旅立つ、お山に行く、たばこを買いに行った、という表現もある。

 そういえば、たばこを買いに行った、というのは子供のころ聞いたことがある。いま思えば、実に風流な言い回しで、あっさりとしていて、すばらしい。だけど、禁煙社会になってしまって、煙草を買いに行った、というのはもはや使えない。

 しかたないから、故人が好きなものを探しに行った、というのはどうだろうか。いつか、使ってみよう。

*兄弟子の金古さんは、「鍼を造るんで、材料を買いにいった」かな。



 

2022年2月10日木曜日

行った行った・来た来た

  中国の長沙市出身の中国女性が、日本で結婚し、仕事をしていて、近くに住んでいる。その女性が治療にきて、鍼先がひびくことを「いた、いた」といいます。てっきり「痛い、痛い」だと思って刺しなおしていると、「どうして抜く?」というので、「痛い」というからと答えると、「そじゃない」といって、いろいろ話をきくと、鍼先がひびくことを「いた、いた」(行った、行った)と言ったそうです。日本では「来た、来た」と言うというと、次からは「来た、来た」と言ってくれるようになりました。

 彼女は、「鍼」の立場になって、鍼先が到達したことを「行った」といい、

 日本では、自分の立場で、鍼先が自分に向かってやって「来た」、という。

『素問』刺腰痛篇に「足太陽の脈、人をして腰痛せしむ」と、足の太陽の経脈は腰痛を引き起こす、というが、これまた経脈の立場になっている表現である。

『霊枢』五邪篇に「邪、心に在らば、則ち心痛を病ましむ」とあるのも同じで、邪が心痛を引き起こすのである。

 おおむね、自分じゃない立場になって、記述しているのであるが、長沙の彼女と同じである。ということは、

 足の太陽の経脈が変動すれば腰痛を引き起こす。邪が心にあれば心痛を病む。

という読み方は、微妙にずれているかもしれない。



2022年2月5日土曜日

田山文隆氏逝去

  久留米市の田山文隆が1月末に逝去されたとのことです。80代後半だろうと思います。治療院は娘さんと旦那さんが受け継いでいます。三代目に当たります。温和な人で、お酒が好きで、研究熱心でした。

 気血研究会の50回大会に招待されて以来のお付き合いです。51回、52回と参加したあと、コロナ騒ぎで参加を中断していました。

 田山先生の晩年に当たりますが、お付き合いいただいたことは、貴重な体験になりました。

 三代目で思い出しましたが、埼玉県鍼灸師会の元会長の小峰先生の、そのお孫さんが春日部で鍼灸整骨院を経営しています。あちこちで、家業が続くことは、鍼灸業の信頼につながるのではないかと、期待しています。

 

 

2022年1月30日日曜日

『日本鍼灸師会報』物故者9名

  届いたばかりの『日本鍼灸師会報』に、昨年の8月から11月に亡くなった9名の氏名と逝去の年齢が記録されていた。

 自分を境にすれば、上の人は、91歳、85歳、77歳、74歳。下の人は、64歳、61歳、61歳、59歳、54歳。

 どうなんだろうね。健康を売りにしている鍼灸業として、この状況は。具体的な数字をみると、ややショック。

 鍼灸師の先生方は長寿! という風にもって行きたいものですね。

2022年1月27日木曜日

24節気

 

 「24節気」は、本来は「二十四節気」である。表現としては間違いないのだろうが、本のタイトルとしてみると、違和感をぬぐえない。

『難経』をよく読まれていた故八木素萌先生が、1難、2難と書くな、篇名なのだから一難、二難と書くべきだ、と主張していたのを思い出しました。

「陰陽十一脈灸経」を「陰陽11脈灸経」、「十四経発揮」を「14経発揮」としたら、違和感たっぷり。

「11脈灸経」で検索したら、

『陰陽11脈灸経』と『素問』―『素問』の成立についての一考察

という研究発表が出てきました。さすがに、14経発揮、奇経8脈というのはヒットしませんでした。

やっぱり「24節」でなくて「二十四節気」にしてほしい。



2022年1月24日月曜日

耳が大きい

  右は、母方の祖父の栄吉さんの写真。耳がだいぶ大きい。計ってみると、顔の長さの38パーセント。自分のを図ってみると、33パーセントで、顔の長さが同じだとすると、1センチくらいは長いよう。

 自分もそうだけど、今時、大きい耳の若者をみないから、絶滅するのかもしれません。

 耳が大きいと金持ちになる、とか言ってた時代もおわりのようです。


2022年1月22日土曜日

お茶の品種と在来種

 お茶に、挿し木でふやす品種と、種から育てる在来種がある。

 品種は、根は浅く、寿命も短い。なので、化学肥料や農薬が必要で、在来種は、根が深く、寿命も長く、化学肥料や農薬がいらない。

 品種はアミノ酸がおおくて、うまみがあるのを特徴とする。在来種は、さっぱりしたのが特徴である。

 写真は、兵庫県三田市の母子茶というもので、さっぱりしているので、在来種である。永沢寺(ようたくじ)の門前の塚本製茶で購入せしもの。

 在来種は、探せばあるもので、前に紹介した政所茶もそうである。数百年の樹齢のものもあるという。

 ようするに、根っこであり、あまりうま味など出そうとしないのが良いのである。
 

2022年1月14日金曜日

脳外科医6割減

  小児科、産科の医師が減っている(3割減)ことは、なんとなく耳にしているが、黒木登志夫『健康・老化・寿命』(中公新書)によれば、脳外科医は、なんと6割も減っているんだそうである。近い将来、脳卒中で倒れると、今まで通りには「救えない」のだそうである。もはや、医者に救ってもらう、という子供じみた生き方をやめさせて、からだをメンテナンスするように指導しなければならない。それには、東洋の「養生」の蓄積と、西洋の予防医学と組み合わせて、新しい生き方を提案しなければならないでしょう。ぼんやりしている場合ではないなあ。

 6割減には、あおざめました。


2022年1月3日月曜日

且緩緩

  禅語の、且緩緩(しばらくかんかん)は、まあゆっくり、あせらずゆっくり行こうや、という意味。早く悟りたいのは山々だが、そう簡単にはいかない。

「中国の禅者にとって、一つのことをするのに三十年、四十年行うことは当たり前であった。」鎌田茂雄『中国の禅』

 とあったので、それぐらいなのかなと思っていたら、永平寺の現住職は104歳だという。その歳になっても修行中だとか。

 禅語の「しばらく」って、生半可ではないのでした。

 今年は、「しばらくかんかん」して、着実に歩もうと思ったのであります。

2022年1月2日日曜日

宇治の興聖寺

 宇治橋のたもとの通円さんから、朝霧の道をしばらく歩くと、道元が最初に開いた興聖寺があります。中国の本式の修行ができるとたくさんの修行僧が集まったそうです。中国からやってきた文化は、日本にくると日本化されて、本来の姿が薄れていくのでしょう。鍼灸も同じでしょう。

 興味深かったのは、興聖寺の山門までの琴坂。下の龍門から、上の山門までの、一直線の上り道。他の寺になくて、はっとさせられます。観光パンフレットには紹介されていないので、現地に行かねば体験できません。いろいろなお寺にいきますが、どうも、建物より、仏像より、伽藍配置にくいつくようで、まずこの地を選んだ理由、まっすぐな上り坂にした理由を、1619年に再興したひとに聞いてみたいですね。

 織田信長の安土城の大手道も、同じように一直線の上り道ですから、興聖寺からヒントをもらったのではないかと推察します。

 途中で関電宇治発電所がドドーっと排水しています。この水は琵琶湖の水で、大津市南郷で取水し、トンネルをくぐってここまでやってきているそうです。アイデアと実行力がすごいねえ。

 京都あたりをうろうろすると、かつての最先端の文化・文明が残っていて、東京は田舎だったんだなとつくづく思います。