月刊誌『医道の日本』に、鍼灸師の仕事を見直すと題し、治療家の心持ちに関する古典の解説を、28回連載しました。約3年、毎月、少ない頭脳を、練り歯磨き残りわずか状態で、しぼって、しぼってました。
連載を終わってみて、整理している最中ですが、ちょうど冬休みに入ったので、佳境にはいってきました。書いては消し、書いては消し、を繰り返しています。すっきりしないので。
そんなこんなを繰り返していると、焦点が合ってきて、なんとなく全体像が見えてきました。まとまったら出版の予定。新年の大仕事になりそう。
月刊誌『医道の日本』に、鍼灸師の仕事を見直すと題し、治療家の心持ちに関する古典の解説を、28回連載しました。約3年、毎月、少ない頭脳を、練り歯磨き残りわずか状態で、しぼって、しぼってました。
連載を終わってみて、整理している最中ですが、ちょうど冬休みに入ったので、佳境にはいってきました。書いては消し、書いては消し、を繰り返しています。すっきりしないので。
そんなこんなを繰り返していると、焦点が合ってきて、なんとなく全体像が見えてきました。まとまったら出版の予定。新年の大仕事になりそう。
1ヶ月ほど前、長年乗っていた車(クロカンタイプ)から、トヨタ・ハスラー(シティカー)に乗り換えました。というより、娘夫婦のお下がりですが。
ガソリン車ですが、100キロ巡航ならば、燃費は20キロ/リットルで、旧車の3倍の燃費で驚いています。コンピュータで、微細にコントロールされているのでしょう。
今や当たり前ですが、鍵を差し込まなくてもカギは開くし、鍵を差し込まなくてもエンジンはかかるし、浦島太郎状態です。
自動運転ではないですが、オートクルーズ機能があるらしい。怖くて、まだ試せてません。
フロントガラスの両脇の柱(Aピラー)が邪魔して、右折するとき、横断歩道の人が見えません。ちょうど、サイドミラーもあるので、(へたくそなくらい)慎重に右折しています。
運転席から車体が見えないので、車両感覚がつかめません。駐車がへたくそになりました。
ナビは標準装備だし、たくさんスイッチがあるので、慣れるまで、時間がかかりそう。
シートは、微調整できるので、とてもありがたい。
クルマは、進化してますねえ。
小学校5、6年の同級生の菅井くんの家は、松島町の南端の小石浜集落から、一山越えた先の桜岡地区にあり、2軒だけで、電気が通っていないし、もちろん水道も無く、江戸時代とかわらない生活をしていたようです。
初めて遊びに行ったときは、いろいろなものが珍しく、いまでも目に焼き付いています。
照明はランプ。テレビがないので、オリンピックは見ていないでしょう。
庭にはかすみ網。小鳥を捕獲して、飼ったり、食べたりするそうです。
釣瓶竿。滑車があって、釣瓶を落として水を汲むのはやったことがあるのですが、滑車がなく、竿の重さで釣瓶をあげるのを、なんどもやらせてもらって、お風呂に水をためました。
目の前には小川が流れていて、田んぼがひろがっていました。電信柱もない、電線も無い、街灯もない、なんにもないその風景は、今思うと、貴重品。
夕方まで遊ぶと、帰りの峠道(道とはいっても、けもの道のようなもの)は、心細くなって、走ってかえりました。直線で1.6キロくらいだから、道のりでいったら2キロはあったのでしょう。菅井くんも、お姉さんも足が速かった理由がわかります。
刃渡り25㎝の牛刀。買った庖丁立てからはみ出るので、引き出しの中に保管。三徳庖丁を代わりに使っていました。久しぶりに牛刀を取り出したら、程良い重さが、心地よい。三徳包丁の倍の重さで、庖丁の重さで食材を切っている感じ。
三徳庖丁は、持ち上げるときに軽く、切るときは押し込む感じ。牛刀は、持ち上げるときに重いが、切るときに楽ちん。わすれてました。この感じ。
三徳包丁(下)おもさ126g、牛刀(上)259g。倍でした。
ついでに、鉄のフライパンも再登場。テフロン加工の軽いフライパンの登場で、出番がなくなってました。鉄のフライパンは、肉厚で、ずんと重く、じっくり火が通る感じで、なんとも味わい深い。わすれてました。
テフロン629g、鉄のフライパン990g、ついでに中華鍋1122g。ついでにクレープパン2000g超(計測できず)、クレープではなく、餃子を焼くときに使ってます。これは重い。
測ってみると、重さいろいろでした。
長らく使っていた、白磁の湯飲み茶碗(日本民芸館の売店で買ったもの)が、落ちて、割れてしまいました。コーヒーでも、お茶でも、同じもので飲んでいました。
しかたなく、グリーンのカップでコーヒーを飲んでいましたが、どうも、コーヒーの味がいまいち。コーヒーは、コーヒー色だから美味しいもよう。コーヒー色は、白地は映えるが、グリーンでは映えず。色味が味に影響するのだ、という学習になりました。
ちかくのホームセンターで、白地のを買ってきました。また、しばらく、お世話になります。
同じ理屈とすれば、脈診力を損なう「何か」も有りそうです。それを知らずに・・・
また、課題ができてしまった・・・
〔ふとひらめき、目をつぶって、脈診すれば、脈診力を損なうことがない。視覚障害者の名人がたくさんいますので、たぶん正解だとおもいます。〕
大学では、3年生になると肉利用研究室(にくけん)に所属していました。
東京農業大学、農学部、畜産科、畜産物利用額研究室、肉利用研究室
室長は、鬼原新之丞教授で、千葉県茂原市在住でした。毎日、夕方4時か5時ころには帰路につき、小田急線経堂駅→新宿駅→東京駅→茂原駅と乗り継いでいたようです。3時間はかかっていたのではないでしょうか。
研究室には、教授の部屋があり、夕方には不在となるので、教授の部屋は、学生の部屋に早変わり。夜まで、お酒のんだり、麻雀したり。土日を挟むと、泊まり込んだり。ぼくらはばれないとおもっていましたが、教授はわかっていたのでしょう。
卒論を書くために実験をしていたので、よく徹夜しました。卒論も、実験も、徹夜も、何のやくにも立っていないのですが、役に立たないことを一生懸命やれたのは、とても良い経験でした。
今思うに、役に立つことをやっても役に立たないことが多いし、もうけようと思ってももうからないですから、役に立つ立たない、儲かるもうからないと分別する必要がないのですが、分別グセはなかなか消えないものです。
新潟駅から信濃川に向かい、川を渡った先は、新潟島と呼ばれ、昔は堀が縦横にあって、堀の端には柳が植えられていたので、新潟市の別名を柳都というらしい。
ぬれせんべい「しっとりもち りゅうと」(雪国あられ)を買ったら、商品名の由来が書いてありました。
東洋鍼灸専門学校で教えていたころの課外授業で、ぬれせんべい大会(参加者各自がぬれせんべいを持ち寄って一等賞を決める)をしたとき、購入したのです。10年ほど前でしょうか。
『懐かしい風景』(日本文芸社)をめくっていたら、大正10年代の新潟市の古写真にめぐりあう。解説によれば、朝市の写真だそうで、右下に柳の木があり、根元は掘のようである。
広い通りの真ん中に堀があり、その端に柳の木が植わっているようである。現在の、西堀通り、東堀通り、新堀通りなどは、堀が埋められて、広い車道になっているが、かつてはこの写真のようになっていたのだ。いま、通りには街路樹として柳の木が植わっているが、柳都と呼べないさびしさ。
母方の実家は、宮城県松島湾の中の離島にありましたが、三陸災害で亡失。今は、その跡を残すのみ。お墓だけは残っているので、機会をみてはお線香あげに行っています。
11月15日に今年2回目の墓参に行きました。島には、尾根道の旧道と、平地の新道がありますが、行きは旧道、帰りは新道ということにしています。
旧道で奇妙な体験。歩いていると、首の付け根から(ツボでいうと風門穴あたり)、体内の汚れた気が引き抜かれて、爽快になり、気分がせいせいしました。(前回も体験していたかもしれません。)
帰り道では感じず。平地だからかなとおもってましたが、パワースポットと言われている塩竃神社では感じませんでした(202段の階段あり)。てっきり、気のせいかと思っていたら、仙石線松島海岸駅のホームで、また体験しました。
ちなみに、近所の桜は寒くなってからニオイを発していないですが、実家の島のサクラはなおムンムンと発しています。寒さは関係ないみたい。
真相を明らかにするために、また行かねば。
新聞に載った、色分けの州地図ですが、赤緑色弱にとって、トランプ氏と未確定は、まぎらわしく、よく見ないと区別がつかない。
翌日の新聞は、未確定は白になおしているので、クレームがついたのだと思う。
新聞のカラーは、色調が曖昧なので、とくに見分けがつきにくい。
見分けがつきにくいのを、見分けようとするのは、わずらわしいので、放擲することになる。善と悪の区別も、まぎわらしいので、区別するのを放擲すると、気が楽。
山脇東門の『東門随筆』を読むと「骨を折る」ということばが3箇所でてくる。
「後世家と称する医は、骨を折て穿鑿せざる故、其の技精細ならず」
「(福井の奥村良筑は)一体骨を折りたる者故、長じたる所には益有ること多し」
「近世にも名医と称せられたる人余多あり。…一体骨を折りたる者ゆえ、格別の事どもあり」
苦労する、突き詰める、力をつくすという意味。骨を折ることは、スポーツでいえば毎日の練習ですから、骨を折るのは当然なのです。
著作物によれば、鍼灸の名医たちも、みなさんだいぶ骨を折ったようです。その情景がみえないので、やすやすとやっているように見えます。鍼を刺す、お灸を据える、やっていることが2つしかないですから。
やすやすやっていそうなので、(学生は)やすやすできそうだと勘違いしているようです。やはり教育が大事なのだけど、教育する中身が無ければ、いかんともしがたい。中身は、現場の先生方が造りあげるしかない。かの中医学、その初めは現場の先生方が知恵を出し合って作ったとか。
前に、『論語』の楽は、天の神を意識して(祈って)歩むことらしい、と書きましたが、『仏教思想のゼロポイント』を再び読んでみると、苦を滅尽したことが楽である、と書いてありました。苦が無いことが楽であるとは、汚れている部屋を片付ければきれいになることに等しく、汚れている部屋のとなりにきれいな部屋があることではない、のです。苦楽を2つの部屋(両極)だと思い込み、勘違いしてました~
たとえば、無と有も、2つの部屋とばっかり思ってましたが、『老子』は、無から有が生まれると言ってますから、1つの部屋の中の無と有を言っていたのです。
もういっかい、頭の中、整理しなおしだ~
*『仏教思想のゼロポイント』1回目にマーカーしたところ(合点ポイント)と、今回(2回目)の合点ポイントが、少しずれてました。頭わるいというか、なんというか。
トン毛の歯ブラシをつかうと、汚れがよく落ちる。ナイロンの歯ブラシとだいぶ違う。ヤシの繊維のたわしと、ナイロンのたわしの違いのよう。
米はとぐといい洗うといわないのは、洗うだけでは米粒のすき間に入っているぬかを落としきれないからで、とがなければならないのです。
汗をぬぐうのと汗をふくのは別物で、表面をさっとふいただけでは風邪を引きやすく、汗孔にたまっているのまでぬぐい取らないとならないのです。
トン毛の歯ブラシは、歯をみがいて、歯の汚れをぬぐい取っているようで、ナイロンの歯ブラシは、こすっていただけかも。
心の垢は、さっとなでたごときではとり除けません。こすりとって、ぬぐいとって、すっきりしましょう。
父は、お茶が好きな人で、高校の学校の帰りに、塩竃の丹六園の芽茶を買ってくるようにたのまれました。お茶の淹れ方は、急須から湯飲みに、湯飲みから急須にと、何遍か往復するので、濃いのが好きだったと思っていましたが、実はぼくも同じような淹れ方をしているのでわかるのですが(真似しているわけではなく)、濃くするのでもなく、ちょうど良い濃さを探しているのです。
その丹六園は、お茶は売っていないのですが、茶器と銘菓「しほがま」を売っています。三陸津波のときは、店の中まで浸かったそうです。他のメーカーの「しほがま」もあるのですが、本家の足元にも及びません。
銘菓は松島に「こうれん」があります。見た目は妖怪「いったんもめん」のようで、風雅のきわみのような、ほんのり甘いせんべいです。似たようなお菓子に遭遇したことがありません。
昔の仙台みやげといえば「白松が最中」か「三色最中」ですが、最中好きではないので、どうなっているやら。ビーズ玉のような「九重」も有名でした。お湯をそそぐと溶けて、ほんのり甘い飲み物になります。仙台みやげといえば「萩の月」ですが、昔はなかった新しいお菓子です。まあ、仙台牛タンも昔はなかった。
今使っている歯ブラシが古くなったので、新しいのを。薬局で探したら、とん(豚)毛の歯ブラシが売っていました。柄は無骨にストレート。ライオンの作。ニーズがあるんだねえ。
きっと祖父が使っていただろうと思い、買いました。ブラシ面積は、今の5割増し。口の中が一杯になります。剛毛で、歯茎に容赦なく当たります。
少し前まで、親父が、尺八を吹いていたことや、書が上手だったことを思い出していたので、一気に祖父ブランドの歯ブラシに手を出してしまったのでした。
「ヘレン・メリルの出世作とよべるこの一枚は、編曲と指揮にクインシー・ジョーンズ、メインソロイストにクリフォード・ブラウンを配した、稀にみるコレクターズ・アイテムといえるものである」(1971年記 由井正一)
20年以上も前に買ったCDですが、解説を読むのは、はじめて。そうだったのか、稀なるものを、聞いていたんだ。現在、治療室で、流れています。
キンモクセイは、中国では、九里香というらしい。一里が何メートルかわかりませんが、「こんなところまで香っているよ」、よほど鼻が敏感な人がつけた名前でしょう。
春のジンチョウゲは、七里香というらしい。九里には負けているが、香りの拡がりの違いがわかるのですから、なみの人ではありません。
①すぐれた嗅覚
②精神が研ぎ澄まされている
という意味で、なみの人ではありません。
女子ゴルフの渋野さん。今年は、今のところ不調。技術はあるのですから、問題は②の精神にあるのでしょう。全米女子オープンで、3日目は最下位でした。②の維持は、さらにたいへんだったでしょうね。
そういえば、昔の田舎は、田舎の臭いがしていました。①でもなく、②でもなく、強制的な臭いであります。懐かしいけど、嗅ぎたくはないであります。
「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。
これは、『論語』雍也篇の文章。最後の「楽しむ」というのが難解。この「楽しむ」が現代人の「楽しむ」と同義ならば、現代は孔子の理想どおりということになる。
始めは、好む・好まない、を乗り越えた境地が楽しむだと思っていました。しかし、『論語』の中では、孔子は、食べ物の好き嫌いをするし、毎日の生活にこだわりがおおくて、好む・好まないを乗り越えていないのです。
貧窮生活をしている顏回を、孔子は「楽しみは其の中に在り」と言って称えています。其の中って、どの中なんでしょう。
近頃、俗世間のことは、孔子の視野になくて、孔子はいつも天の神を意識して、天の神を判断基準にして生きていた、と考えるようになりました。
つまり、「天の神の下に生きている」ことが「其の中」で、「天の神の下に生きている」ことが「楽しみ」、と考えるようになりました。
俗世間から意識をそらし、天の神を意識して(祈って)歩むのが「楽しい」のである。この視点で『論語』を読むと、なるほどと合点が行くのであります。
孔子が重い病気になったとき、弟子が「祈りましょうか」「古典に天地の神々に祈ると書いてありますし」と言ったとき、「私はずっと祈っていたよ」と答えたところ(述而篇)が、その良い例。ずっと祈っていたのです。
また登場、テニスのコーチ。
ボールを打ち返す前に、どのように返すかイメージしなさいと語りました。
ただ、ぼんやり返すのではなく、相手が困るようなコース、強さ、速さ、球筋を、先にイメージしておかないと試合には勝てないよ、って。
この話は、すぐ納得した。(すぐ出来るわけではない。)
階段修練に行く時は、農家の庭先を通る。庭木から香りがでているとイメージして、香りを嗅ぐ気になっていると、たくさんの香りを嗅ぐことができる。イメージしていないと、嗅ぐ気だけでは、嗅げないこともある。考え事していたら、まるっきりわからない。
通年だと、サクラ。最近は、キンモクセイ。今日は、なぜかヒノキ。
香りにも強弱があり、強いときは、庭木が気分がいいか、体調が良いときだと思われます。
ちかごろ、香りのコツを体得してから、階段修練に行く時、周囲の空気が、庭木のかおりで充満しているのがわかるようになりました。むんむん。
ということは、鍼を刺すときに、補法するのか、写法するのか、イメージしておかなければならないのであります。(こんなはなし、又聞きだけど、積聚会の小林先生がしていたような・・・)
1月に痔の手術をして、そのリハビリとして、近くの70段の階段をのぼり始め、まるまる8ヶ月経過しました。最初は、少なめの段数。後に、1回700段。さらに裸足で700段と進化しました。
現在は、つま先で小走りで上ることにしています。なぜ、そうしたかといえば、『望星』6月号(2013)に、福岡大学の田中宏暁という先生がが提唱する、フォアフット走法のスロージョギング健康法という記事を読んだからです。設楽くんが、フォアフット走法でマラソン日本新記録を出したのが、2017年ですから、その4年前にそういう記事を書いていた先生がいたのです。
物持ちが良いというか、なんで昔の雑誌が残っていて、なんでパラパラとめくったのか。そして、どうしてその記事に目が留まったのか。不思議としかいいようがありません。
「興味深いのは、靴を履いて走るとどのグループでも踵着地が増え、裸足で走るとフォアフット着地が多くなるというものです」
「膝を痛める、足を故障したりケガをする、これはジョギング自体に原因があるのではなく、靴を履いた踵着地で走ることが影響していると考えたほうがよいでしょう」
このような文章を読んだので、裸足で、フォアフット走法で、階段を上っているのです。
いろいろ試していると、階段は、まことに楽しい。
『論語』の為政篇に「人にして信無くんば、その可を知らず」という文章があります。いままでは、人間関係で信用が確立されていない奴は人間としての可能性は無い、という意味だと思っていたのですが、孔子が、天を祀り、祖霊を祭るすがたに思いを致せば、天・祖霊に信が確立してのち、その余沢で人間関係の信がつくられる、と考え直しました。
なので、一生懸命、人間関係を取り繕うとしたってダメなのです。天・祖霊に完全に任せきる(信)ことが先なのです。礼どおりに天を祀り、礼どおりに祖霊を祭ることが、完全に任せきったという証になるわけです。
『論語』から、そのお姿が見えないので、人間関係の信と思うのです。
完全に任せきることが、つまり孔子の無心なのです。完全に任せきる相手は、人間ではなくて、天・祖霊なのです。
天も人格を持っているし、祖霊も人格を持っているから、老子は完全に任せられなくて、さらに上位の存在である道を設定しました。
無心は、いろいろな意味があって、次のように整理することができる。
孔子は、主宰者「天」に対するために無心を言う。
老子は、真宰者「道」に対するために無心を言う。
治療効果に「天」あるいは「道」の力を期待するならば、それぞれの無心が求められる。
技術者は、技術を誤らないために無心を言う。
鍼師は、技術を誤らないための無心が求められる。
信(何かの力のままにしたがう。うたがいなく)も、無心ともいえる。
先人の知恵、師匠の教えを、うたがいもなく、ゆだねることができる者は、すぐれた鍼師だと思う。
釈尊は、解脱のために無心を言う。
出家しないとわからない無心です。よく分かりません。
農大出身の正代が調子よく、数場所前から、優勝争いに加わっている。なぜ調子よいかといえば、横綱、大関が不在のようなので、成績が上がって、調子に乗っているからです。
現在、平幕相手に2敗しているが、このあと、横綱に2敗、大関に2敗したとすると、9勝6敗だから、優勝争いに加われるわけがない。
腰が高くて、反っくり返ってぶつかるようなあんな相撲で何で勝てるのかわからない、と栃の和歌(なんとか親方)が言っていたけど、優勝争いに加わって調子に乗っているから、です。本当に強い相手には通用しないでしょう。
両横綱不在の混戦状態は、戦国時代のようで面白い。横綱、大関をむりやりそろえて、体裁をつくる必要はないとおもう。毎場所、優勝力士が代わるのも、あたらしい相撲時代到来と思えば、とても面白い。
平幕でも優勝できるかもしれないので、俄然、活気立つに違いない。よしおれも、って。
ツケとは、その場で支払わないで店の帳簿につけさせておき、あとでまとめて支払うこと。また、その支払い方法。「ツケで飲む」「ツケがきく」
小学生のころ、住んでいる集落には、米屋、雑貨店、食料品店、肉屋がありました。他の店は、現金払いでしたが、食料品店だけがツケがきいていました。
(よく考えたら、米屋、雑貨店、食料品店、肉屋で残っているのは米屋で、米は売らずに燃料店をやってます。)
しかし、店の帳簿ではなく、持参した通帳に記録してもらいました。買い物を頼まれれば、財布がわりに通帳を持たされたのでした。おそらく、月末に精算していたのだと思います。もっと古くには年末の精算だったかもしれません。
こういう風習がいつまで続いたのかはっきりしませんが、中学生ころには無くなっていたかもしれません。
米を買うにも、米穀手帳がありましたが、いつのまににか消滅してしまいました。手帳つながりでいえば、年金手帳も、無くなるのではないでしょうか。そういえば、銀行の通帳も有料化がはじまりましたし。
ツケは、ほどなくすると死語になりかも。病気になると「長年のツケが廻ってきたんですよ」といって分かってもらえるのも、ほどなくか。
この前、テニスのコーチが、
「ぼくらは、ボールの軌道にラケットを用意して待っているだけ。余裕があればラケットを振るよ」
「あなたがたは、ラケット振ろうと思っているから、うまく行かないのです」
こういうのも、無心というのでしょう。
真理なることばと思いました。「無射の射」の解答みたい。
そのためにどれだけ速くラケットを準備できるか、余裕があったらどのように振るかなどの課題が出てくるそう。
最も必要なことを、適確に行う。余計なことに腐心しない。
なんだか鍼灸治療に似ているなあと。
鍼灸治療に、最も必要なことって何だろう?
入門の初日にたたき込まれたら、すぐ上手くなりそう。
鐘楼をみると、鐘をつきたくなる。右は、群馬県の川場村の吉祥寺の鐘楼です。撞木がやけに太いので、写真にとりました。必要以上に太いのです。
幸いに、1回100円だったので、2回ついてきました。つきたい煩悩がはれました。
ついたという記憶では、兵庫県但馬の宗鏡寺。沢庵和尚出身の寺です。3度ほど行ってます。有料でしたが、その都度ついてきました。
つき癖がついているのは、故郷の松島・瑞巌寺の除夜の鐘をついてからです。中学のころのはなしですが。うんと引いて、手をゆるめると、撞木の重さで、ゴーンとなります。
つきたい煩悩は、消えては生まれ、きりがありません。
京都の著名な臨済寺院には、あだ名があるらしく、お寺に恵まれている、余裕を感じる。
どや顔は、どうだという得意顔をいうが、寺院にもそんな雰囲気があるのかも知れません(人間の勝手ですが)
こうしてならべてみましたが、声明をきいてみたいですねえ。相国寺。
建仁寺の学問づら:五山文学に秀でた禅僧が輩出されたから
妙心寺のそろばんづら:財政的に苦しいときがあって、倹約していたから
大徳寺の茶づら:千利休が帰依し、大名由来の塔頭が茶室を持つことから
東福寺の伽藍づら:建物や庭園が立派だから
南禅寺の武家づら:武家の篤い帰依を受けているから
相国寺の声明づら:聞こえてくる声明が美しいから
器の道から、小物の道を選んだのを反省するとして。
痔の手術のリハビリとして、1月から近くの70段の階段をのぼりおりしています。
70段を1日10往復すると700段。それを10日続けると7000段になる。7000段は、泰山への段数だと気がついて、途中から10往復頑張っています。先週の土曜日に、100往復がなって、泰山を10往復したことになります。東川口にいて、泰山を10往復したことになります。泰山は孔子も登った山ですから、感慨ひとしおです。
途中から、裸足で歩いたらどうだろうかと、クツを脱いでみました。これがまた、成功。原始の歩きをすることになり、全身運動になり、いよいよますます好調になりました。はだしは、気持ちいい。これから冬にむけて、どうなるか。
①目標が、泰山。
②歩きかたが、自然にかなっている。
③分量もほどほど。
総合的に、とても良い健康法を見つけたと思います。
じつは、M先生のお墓参りは、2月11日に決まっていたのを、のちに、寒いからと、3月末に移したのでした。
S先生のお墓参りも、8月初旬と決まっていたのを、のちに、暑いからと、5月に移したのでした。
寒いと言い、暑いと言うのは、私利(自分都合)というもの。兩先生が用意してくれた折角の器の道を、私利をはたらかせて、小物の道を選んでしまったようです。まことに残念。
こころを入れ替えましょう。比べないように。「慢」しないように。
そもそも、2月で決まり、8月できまり、「選択の余地は無い」のでした。選んで小物道を選ぶのだから、小物すぎる。
『論語』里仁篇に「里仁爲美、擇不處仁、焉得知」
仁に里(お)るを美となす。択んで仁に処(お)らずんば、いずくんぞ知なるを得ん。
仁者がいる所に住むのを美という。住まうところを選べるのに、仁者がいない所に住むのは、どうして知者といえようか。
器の道を選べるのに、どうして器の道を選ばないで、小物道を選ぶのだろうね。小物だからね。
前回は、「モノ、人、事の価値判断」はしないのがのぞましい。
今回は、「自分の価値判断」=「慢」をしないのがのぞましい。話。
仏教に「慢」という煩悩があって、パーリ語のマーナ(測る)の音訳だそうです。
自分と他人を比べて測ることを「慢」といい、自分はあの人より優れている(高慢)、劣っている(卑下慢)、同じ程度だ(同等慢)の3種の煩悩にわかれるそうです。
「慢」のクセが付くと性格なり、悲観主義者、被害妄想者、傲慢、頑固者などと言われるようになり、煙たがられ、いやがられるようになるそうです。
金持ちが気になる人は卑下慢だし、見下すのは傲慢。みんなと同じで安心するのは同等慢。どういう「慢」でも、ない方が望ましいのだと。いずれにしても、価値判断して測ることが、執着であり、煩悩で有り、解脱の妨げになるのだそうです。
解脱の妨げとは言わないけど、価値判断しない、比べないというのは、老子の思想にも近いと思えます。
ちかごろ、お祭りやお盆などが相継いで中止になっていますが、実は、自分たちと神様や祖霊を天秤にかけた結果、自分たちの命が大事だから、中止したことになります。罪なことしたな(と一瞬)思いました。
「日々是好日」は、「良いことも、悪いことも、宵越ししなければ、新鮮な毎日になる、という意味だとおもって、何回か前のブログで書いたのですが、・・
ふたたび「慢とのつきあい方」(テーラワーダ仏教協会)をよんだら、
「人は何にでも価値をつけたがります。自分だけでなく、何にたいしても価値を付けたがるのです。価値を付け、そして対応します。」
1円玉には、1円の価値をつけ、落ちていても素通りします。1万円札には、1万円の価値を付け、落ちていようものなら、拾うか、拾わないか、廻りをキョロキョロし始めます。
黒い昆虫。カブトムシだったら好ましく思い、ゴキブリだったら大騒ぎ。こうして価値を付けているのだそうです。
この前、のろのろ走っている車に「悪」の価値をつけ(一時停止違反を警察官がみていた)、その車が居なければ、急いでいた自分は一時停止違反をしていたかも知れないので、のろのろの車は「善」に価値づけしなおしました。このように、「瞬間瞬間、測って価値を入れ、執着しているのです」。
ぼくは、瞬間に入れ替わる善悪に執着してはいけないと思ってましたが、そうではなくて、「慢とのつきあい方」によれば、価値判断することが執着だというのです。価値判断さえやめれば、善悪が生まれないわけです。なにしろ、モノ、ひと、ことを、比べると善悪が生まれ、それを引きずって、苦労するのです。
モノに対しての価値判断はまあしかたないとして(ゴキブリは恨まないでしょうから)、他人に対しての価値判断はしないほうが良いとおもう。あの人はだめだ、あのひとはどうだ、こうだ。それを聞いたら、本人はイヤな気分になるに違いない。
いずれにしても、価値判断することは、すこしづつ減らしていったほうがいいらしい。
8月12日(水)の午後の暴雨と狂雷はすごかった。雷は、花火大会ラストのように、狂ったように落ちてました。雨は、隣接する越谷市で、1時間80ミリといってましたから、ほぼ同じでしょう。ザンザンふりました。時間が短かったからいいものの、長く続いたら、豪雨災害といわれたかも。
前の道路も歩道も冠水。ナウキャストでみたら、線状降水滞ができてました。
コロナ、熱中症、そして天災。今年の夏は忙しい。
今日は、散歩しながら、大器の道と大物の道があって、ゴールは異なる、と考えてました。こう考えると、老子の大器晩成の意味が明らかになるなと。
大器の道は、小器にはじまり、時間がかかって大器にいたる(大器晩成)。器とは、儀式用の器であり、えらばれし器である。小さな器でもで、大きな器でも、選ばれし器なのである。オーラがあるというか、品格があるというか。
大物の道は、小物にはじまり、大物にいたる。ここでいう物とは、日用雑器で、いくら大きくても、いくら頑張っても、器にはなれないし、まずは品格がないのである。
小物から大器には、一万年たってもならないのである。
かんがえてみると、大器の道は、非私の道であり、大物の道は、自分本位の道である。
まずは、天皇陛下は大器。国民のために祈る事ひさし。
はんたいに、ト大統領は、大物。あ首相は、中物かな。
小器にはじまり、大器に至るわけであり、大器の道以外を歩いても、小器にもなれないし、大器にもなれない。
つまり、大物の道を歩めば、小物にはじまり、大物になるわけであり、小物がどうあがいても大器にはならない。
ということに気が付きました。