2021年8月15日日曜日

他人まかせの反省―無心

  すこし面倒なので、調べ物を知人にたのんだところ、忙しいとのこと。しかたなく、国会図書館に行ってきました。要するに、1時間の道のりが「私心」となって、行動できなかったのです。また、調べ物が少ないので、「軽くみた」ので、行動できなかったのでした。

 行ってみれば、警察官が多いので、永田町の緊張した空気も味わえるし、警察官から目をそらさない、こそこそしないという緊迫感も味わえました。

 調べ物は、未達でしたが、他の本をめくって、目的以外の新しい発見がありました。

 森立之の曽祖父の森中虚。お父さんが愚然先生で、壮年に京都から江戸に移り住み、壮年に(森家の菩提寺である)洞雲寺を中興する開基(主な支援者)となったという。つまり、資金を提供したのですが、建築物を全部とすれば、数億円ということになります。つまり、京都の不動産を売却して、それを全部注ぎ込んだと思われます。

 森家の家学は「老子」学で、その極意である「無心」を実践してみせたわけです。森立之が、生涯をかけて古典の研究に没頭したのですが、それも「無心」なのです。幕末明治初にあたって、無益となってしまった中国古典の研究を、止まずに続けたのですから、「無心」としかいいようがありません。

 先人の業績は文字だけではありません。そこから「無心」を学び取ることも大事だなあ、と学び取りました。


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