2021年4月13日火曜日

以て爾(なんじ)の隣里の郷党に与えんか

 仲間が急逝し、奥様が遺稿をあつめて詩集を作った。奥様から、ご希望者に贈呈します、と連絡があって、希望者はわずかだった。いろいろ理由があろう。

 昔は僕も、必要ないものとして断っていた。しかし、「論語」の次の文章を読んでから、なんでもいただくようになった。

 弟子の原思が町長になった。孔子は給料を「粟900」と決めた。原思は、そんなにたくさんの給料は要りません、と断った。孔子は、ならん、君が必要ないなら、村の人に分けてあげればよいではないか。

「原思、之が宰と為る。之に粟九百を与う。辞す。子曰く、無かれ。以て爾の隣里の郷党に与えんか」

 原思は、無欲ぶっているが、自分のものにしようと思っていたから多すぎるといったので、私有の欲はあったのである。さすが、孔子先生。私有しないで、みんなにあげればいいんだよと。孔子先生のは、仏教でいう柔軟心(にゅうなんしん)と言うのでしょう。

 この文章をよんでから、飲まないお酒をもらっても、ありがたくいただくことにしているし、嫌いなものでももらうことにしている。持ち帰って、欲しい人にあげればよいので。



0 件のコメント:

コメントを投稿