2019年12月30日月曜日

芭蕉丸

 12月28日は、塩竃から、松尾芭蕉とおなじく、芭蕉丸という船で松島に向かいました。定番の観光ルートで、きっと芭蕉も、この島、あの島もみて、感動したんだろうねえ。いつかは、芭蕉のルートを、と思っていたので、念願かないました。

 左下の塩竃から、左中の松島まで、40分の遊覧船でした。珍しいかたちの島がたくさんあって、芭蕉気分を、堪能しました。

2019年12月29日日曜日

塩竃神社七曲坂

 母の墓参の帰りに、奥州一宮の塩竃神社にお参りしてきました。参詣には3つのルートがあるのですが、今回は、上りは裏坂、下りは七曲坂にしました。写真は、七曲坂です。創建当時の古坂とのこと。山城の登城道のようです。足元が怪しいこの道を、お神輿を担いで登ったのですから、担ぎ手の必死の形相が目に浮かびます。




 現在は、お神輿は表坂の202段を上り下りします。これまた必死。帆手祭(ほてまつり)とて、3月10日に見る事ができます。西日本のお祭りを陽とすれば、こちらは耐えに耐え、忍びに忍び、まるっきりの陰(YouTubeで、動画を見る事ができます)。

 裏坂というのは女坂ともいわれ、歴史的には七曲坂の次の坂でしょうが、稲井石が敷き詰められた立派なものです。最初は、202段の表坂ばかり上ってましたが、今回は裏坂にほれてしまいました。個人的には、朱印を集めるよりは、参道を踏破するのがたのしみです。

 神社は初詣の準備でなんとなくせわしない空気でした。


2019年12月24日火曜日

江戸文献データ販売

 鶯谷書院活動の一環として、校正作業を続けてまいりましたが、この度、江戸時代の文献のデータがまとまりましたので、販売することができるようになりました。ホームページの「CDの申し込み」欄から申し込んでください。

 入力、校正と、何度も目を通してみましたが、江戸時代の文献はなんとも面白い。各人各様、個性豊かです。それが、データで簡単に読めるのですから、30年前、いや10年前と比べても、隔世の感があります。

 江戸時代の鍼灸の研究が必要だとさけばれて久しいのですが、ほんの数人が奮闘しているきりで、遅々として進まないのが現状です。いつになったら、日本人が目を覚ますのかなあ。

 そんなことを考えて、一石を投じている次第であります。

2019年12月20日金曜日

町中華

 中華料理店を分類してみると、

 ①野菜炒めや、ラーメン、餃子などを出す町中華
 ②ちょっと高級な酢豚とか八宝菜とか、高めの餃子を出すのが、中華料理店
 ③大手のホテルに出展し、フカヒレだとか、北京ダックだとかを出す本格中華
 ④さらに、中国人が経営する、安価でメニューが豊富な家庭中華

 どれも個性があって、よろしい。けど、①の町中華はだいぶ減りつつあるようです。
 だが、上中里駅近くの百亀楼は、近くの工場ではたらく人が来るせいか、安くて、盛りがよく、ときどき訪れます。いつも、タンメンを頼みます。山盛りの野菜が載り、餃子2個もおまけについて、食べきれますようにと祈りながらたべています。食べられなかったときに、老いを覚悟する予定。若い女性もときどき来て、けなげに完食していきます。たのもしい。鶯谷の岳陽は、上野郵便局の職員ご用達。また、出前もやってくれるので、いまや貴重な存在。

 どちらも昭和の香り。あちこちに町中華がまだ残っているのでしょうね。蔭ながら応援しています。

 
 
 


2019年12月18日水曜日

九鍼十二原篇

『霊枢』の九鍼十二原篇は、兵家思想の影響が強いので、読み手に兵家思想の下地がなければ、真意はわからないでしょう。

 東洋学術出版社の訳などは、気持ち悪いほど的をはずしています。古典がいかようにでも解釈できる、その悪い面が出ています。

 善が書いてある『論語』は、善なる人が読まなければ、真意がわからないのと同じです。

 漢文が読めれば『霊枢』が読めるわけではなく、鍼灸の臨床をしていれば、『霊枢』が読めるわけではなく、それぞれの篇の思想を踏まえない限りは、奥には入り込めないでしょう。

 ピアニストの千住真理子さんが、ストラディバリのデュランティという名器を入手したときのコメント。

「とても手ごわい相手で、小手先のテクニックなど通用せず、これは自分を根本から変えないと弾きこなすことができないと思いました」

「生活のすべてを変えたため、どんどんストイックになり、趣味や遊びや余計なことは全部すてました。すべてはいい音楽を奏でるため、自分が納得のいく演奏をするためです」

 同じように、古典の奥域に入るためには、土台からのしきり直しが必要なのだとつくづく思いました。

2019年12月13日金曜日

伊藤仁斎「童子問」

 原書で読んだわけではないのですが(伊藤道治さんの現代語訳)、伊藤仁斎の『童子問』、なかなかです。

 おだやかで情に厚く、悠揚迫らず、正しい心のものでなければ、『論語』のはかりしれないすぐれた点を理解しつくすことはできない。性格がかたよって発達し、めずらしいことを好み、高級らしいことに熱心になる者では理解できるものではない。

 善者は善を見、悪者は悪を見るというように、善なる『論語』は、善なる心が備わらなければ理解できないことをいう。

 こう言い切る仁斎に、ほれぼれします。しばらく、個人的には、『童子問』ブームとなるでしょう。

フィンランドの新首相

 フィンランドの次期首相に34歳のサンナ・マリンさんに決定。『論語』雍也篇を想起しました。

 魯の家老の季康子が、孔子に、弟子の政治的資質について質問した下りです。

 仲弓は果敢です。他に何も必要だろうか
 子路は敏達です。他に何か必要だろうか
 冉求は多芸です。他に何か必要だろうか
 
 孔子は、上のように答えたのですが、マリンさんに通じるところがあると思います。首相になるためにはいろいな能力が必要なのでしょうけど、一定の経験があって、やる気があれば、それで十分、としたフィンランド国民の気質が、孔子によく似ている。

 日本はといえば、あれこれ欲張る傾向にあるので、判断がぐずついて、後手に回ることが多く、迷いがおおく、敏速さが足りません。

 とりあえず、一定の能力があれば、やってみる。行動力、これが孔子の核心かもしれません。『論語』読み直し確定!

2019年12月9日月曜日

学生服

 今から50年前、中学生の時の学生服といえば「カンコウ学生服」(今でもこのメーカーあるようです)。一昨日の折り込みに、学生服の広告が入っていて、1着3万円前後。高価なのには驚きました。1着で3年間着ると思えば、安いのでしょうが。高校は私立だったので制服でしたがが、一部の公立では自由だったようです。

 個人的な感想をいえば、 ①制服の期間は決められていて、切り替え時の前後は、暑くても着なくてはならない、寒くなっても着ることができない、不自由さがありました。 ②(今はどうかわかりませんが)あまり洗濯しないので、わりと不潔。 ③今は、安価な衣服が、入手しやすいので、不自由な制服にこだわらなくても良いと思う。

  お仕着せ(上から一方的にあてがわれたもの)に不満を言わないのは、日本人だけなのでしょうか。そういう人種もいるとしても、そうでない人種がいても良いと思うのですが、近頃はいなくなったようで、波風たたず。個人的には、波風たたず派なので、なんともいえないのですが。そんな意味でも、江戸時代に、朱子学を批判して、古学を提唱した伊藤仁斎先生に強くあこがれるのであります。

2019年12月6日金曜日

すき焼き鍋


 嫁の両親はすき焼きが好きで、写真のすき焼き鍋は、その愛用品。鍋はあるけど、我が家ですき焼きをすることはないので、宝のもちぐされになってました。

 この度、閃いて、栗を焼いてみました。ごく弱火で、じっくり加熱してみました。厚手の鍋なので、ちょうど良かったようで、おいしく、ほっくりと焼き上がりました。

2019年11月23日土曜日

昆布不漁

 築地のかつお節屋さんからのメール

「道南、尾札部浜の天然真昆布。ここ3年ほど漁が皆無に近い。」

 日高も、利尻も、羅臼も、大減産なんだそうです。昆布業界、大混乱だそうです。和食業界はどうなるのでしょうか。


 合成のだしでいいお店は残るけど、きちんと作りたいお店は辞めざるを得ません。
 こうして、着々と温暖化が進んで、着々と首が締められているのです。新たな道を見いだす努力がなされることでしょう。 いずれにしても、今までの生活が、今までのように安直に続っことはないと思われます。こういう時に、東洋医学は、どうしたらいいのでしょう・・・





2019年11月22日金曜日

『入門 朱子学と陽明学』

ちくま新書を、読んでいます。
【45ページ】
 儒教とは、人間の、あるいは共同体の持つ道徳的エネルギーを最高度に充溢させるときに生じる、一種異常な精神的高揚感を原点として構築された全宇宙の壮大な大系である。この恍惚とするような宇宙的道徳性を儒教思想家たちは、「仁」だとか「義」だとか「中庸」「良知」などさまざまな概念で説明するが、そのいずれもが道徳エネルギーの絶対的かつ動的な均衡点を指している、という点においては同断なのだ。
 ここのところを理解しないと、儒教は全くわからない。
【46ページ】
 君子や士大夫は、自らの心を、この天のエネルギー活性化と完全にシンクロナイズさせられなくてはならない。それができた瞬間が、宇宙快感の成就のときである。


「道徳エネルギー」という見方がないので、私たちは、古典を読んも、知恵が付くだけで、影響力にならないのでした。

 儒教の経典をよむことが、天(の理)と一体になり、その一体から、宇宙大のエネルギーが生まれるというのです。

『素問』上古天真論における「道と一体になる」、四気調神大論の「天と一体になる」というのは、一体になるのがゴールでは無くて、そこからエネルギーが生まれ、それが治療に大いに役立つというのではないか?(ここは読めてなかった。もう一回読み直し。)



 

2019年11月19日火曜日

名寄岩




 今場所の何日か目の白鵬の土俵入りは、
  太刀持ち:炎鵬
  露払い:石浦
 小兵力士を従えての入場。白鵬の大きさが強調されました。大きさというより偉大さでしょうか。

 白鵬が私淑しているのが、双葉山。立ち姿、立派で、きれいです。いまは、こういう写真が探せばでてくるのですから、便利な時代になりました。太刀持ちの名寄岩は、柳谷素霊の学校に入学しましたが、スカウトされて角界に入った人物です。大関までのぼりました。

 ところで、今場所は、上位陣が怪我で休場。ぼろぼろな状況です。昔みたいに、2横綱が安定し、大関が何人かそろっている、というのは望めないようです。数年後には、今の2横綱は引退するでしょうし、来場所は、高安は陥落、豪栄道はかど番。

 戦国時代ですね。

 11月24日に、日本伝統鍼灸学会で、「谷野一栢と『難経』」という講演をするのですが、まさに戦国時代を生き抜いた先生なので、相撲と思い合わせながら、準備しています。

2019年11月16日土曜日

香港中文大学

 香港中文大学の日本人留学生が、今回の事件で、みなが帰国しているというニュースに接して、思い出した。何年か前に、招待されて、香港中文大学で研究発表したことがあります。どんなことを発表したのか、まるっきり忘れてますが。

 東鍼校の丹沢元校長から、数万円のあわびは食べてきた方がいいとアドバイスを受けてましたので、10年くらい前のことでしょう。

 その後にも、招待されて、安徽中医薬大学でも研究発表したのですが、これもまた、中身はわすれてます。

 10年前のそのとき、中国語会話の必要性を痛感したのですが、結局、会話学習の行動をとらなかったので、あいも変わらずの、無能ぶりです。


2019年11月11日月曜日

賭け事



 新潟県の名医、尾台榕堂(1799~1871)は、父親から賭け事を禁じられていました。囲碁・将棋といえども、容赦なかったようです。そんなエピソードが漫画になっています。賭け事に熱中するあまり、医事がおろそかになる、と言ってます。
 それから、物事の判断に、賭けぐせがでるのです。それが過ぎると、弁証を立てるのに主観的になって、場合によっては、一か八かになるわけですから、医療人としては失格でしょう。

 高校生の時、懸賞に応募して景品が届いたときに、父親から「そういうことはするものではない」と叱られましたが、ようやっと、その意味がわかりました。

「富みと貴きは、是れ人の欲するところなり。其の道を以て之を得るにあらざれば、処らざるなり」(『論語』里仁篇)とあるように、不当な方法で得る富みと貴きには興味がない、というようである。

 つまり、富みは働いて得るもので、懸賞を当てて得ようというのは、不当な方法であり、よこしまな心を育ててしまうのでしょう。

2019年11月8日金曜日

内閣文庫

竹橋の、公文書館内閣文庫に行ってきました。江戸城にあった紅葉山文庫や、江戸医学館の蔵書が、ただで、手にとってみることができる、古典家の東の聖地です。(西の聖地は、杏雨書屋でしょうか。)

驚いたことに、撮影自由。スマホを持って行けば、きれいな写真があっというまにとれます。昔は、複写申請をして、できあがりは1時間。結構なお金がかかりましたが、今は、天国みたいです。

写真とりほーだい。無料。心入れ替えて、通ってみようかなあ。

2019年10月31日木曜日

もぐさん




 治療院の待合室に、お友達がふえました。もぐさ屋さんの「山正」のマスコット「もぐさん」です。椅子においてみました。横30センチ、縦40センチくらいです。今は真っ白ですが、ながらく置けば、けむり色がつくでしょう。

てんかん発作

てんかん悪化の仕組み解明 冷やすと発作が収束 群馬大大学院研究グループ発表 新薬開発に期待


 ヤフーニュース上での、上毛新聞社の記事の見出しです。要するに、頭を冷やすとてんかん発作が収まることが分かったということです。

 てんかんの治療例は2例ありますが、やはり頭が熱いのです。頭を冷ます治療と、それを引き起こしている元の治療をかねて行っています。1例は、足の冷え。もう1例は便秘。新薬を開発といっても、頭を目標にするモノでしょうが、どうなんでしょうねえ。

 頭を冷ますには、頭部に刺絡。頭が熱いのは、気逆性がありますので、大衝穴か、足三里穴。こんな風な治療で、うまくいってます。

2019年10月25日金曜日

昭栄丸

 母方の実家は、漁業を営んでいて、今から50年以上も前は、まぐろはえ縄漁をやっていました。その後は、のりの養殖、牡蛎の養殖に転じたようです。

 はえなわ漁の船は、叔父の昭、祖父の栄吉からとって、昭栄丸といいました。木造船なので、船体保護のため、ペンキを塗り、船底はコールタールを塗っていました。なので、ときどき、町中でペンキのにおい、コールタールのにおいがすると、安心するというか、なつかしいというか。公園に「ペンキ塗り立て」が無くなって久しく、さびしいかぎり。

 あと、エンジンの振動も、なつかしいというか。そういえば、30年ほど前に買った、ランクルプラドという車は、ディーゼルエンジンだったので、ハンドルに振動がきて、なんとも心地よかったのを思い出します。

 50年以上も前の体験が、いまでも心地よいのは、三つ子の魂百までを裏付けるのではないでしょうか。 

2019年10月22日火曜日

『初期仏教キーワード』

 買いました。『初期仏教キーワード』(サンガ)。153ページの半分が、心の解説です。なんとも、細かに、心を分類整理してあります。これを読むと、無心ということがどういう意味なのか、よく分かります。

 仏教が北伝して中国に渡り、845年に「会昌の廃仏」で中国の仏教は徹底的に弾圧され、残ったのが民間宗教の浄土教と、南方の山で活動していた南宗禅のみ。その南宗禅が日本にやってきて、日本禅宗となったのです。なので、初期仏教の無心は、紆余曲折して日本に到達したので、相当わかりにくくなっていたのだと思いました。

 ましてや、南宗禅は頓悟(突然悟る)を標榜してました。廃れた北宗禅は漸悟(次第に悟る)を唱えてました。丁寧に説明されて悟るのですから、初期仏教に近かったのかもしれません。

 要するに、日本禅宗は、以心伝心といって、言葉たらず。これは、中国禅宗が老荘思想の影響を強く受けていたからなのでしょう。いずれにしても、無心は「初期仏教」を読むと、よくわかります。まあ、わかったところで、無心の境地にはいけないのですが。

2019年10月15日火曜日

台風19号

東日本に被害をもたらした台風19号。

 写真は、治療院のドア越しにみた道路。冠水してさざ波がたっています。目の前の道路は、右手に行くとガード下になって、冠水しやすくなっていて、今回の台風で冠水しました。治療院には4段の階段がありますが、2段目までやってきました。ここで止まったからよいものの、雨雲が東寄りだったら、アウトだったでしょう。

 被災した方々は、岡山の洪水、千葉の停電など、人ごとだと思っていて、防災については何にも考えていなかったけど、こうして被災してしてみて初めて目が覚めた、といってました。

 日本国中、本気で防災を考えなければならない、そういうステージに入ったみたいですね。いままでのように、行政任せ、人任せでなくて、自分で生き残る、そういう覚悟が必要なのだとつくづく思いました。

 なにせ、1000年に1度を想定して作ったハザードマップ通りの災害が毎年おきているのですから。

 ひしひしと。しのびよるかな。あくまのて。

2019年10月12日土曜日

なんども無心

 ふたたび、鈴木大拙の『無心ということ』を、ぺらぺらめくっているのです。『素問』上古天真論での「無心」が、なんだか、いつでも気がかりなのです。
 
 今は、なんとなく、次のように色分けしています。

 (孔子の無心)
  無邪:こころがよこしまで無いこと。仁を尽くすこと。

 (老子の無心)
  無私:私意(個人的な思惑)が無いこと。

 (禅宗の無心)(荘子の無心に近いらしい)
  無心:無私だけでなく、分別(ものごとを比較)しないこと。

 (お釈迦さまの無心)
  無我:無私、無心だけでなく、存在しないものが存在するかのような思い込みもないこと。

 仏教は、北伝の大乗仏教→中国→日本という系譜と、南伝の上座部仏教→東南アジアという系譜に分かれていること。伝わっている間に、本質が薄れたようです。仏教では、出家が必須条件ですが、日本仏教をみるかぎり、出家しない宗派がある。また、戒律を守らなければならないのですが、日本仏教をみるかぎり、きちんと守っているようにはみえない。中村元先生は「日本の仏教は、シャーマニズムの域をほとんど出ていない」という。

 ということで、日本仏教から、お釈迦さまの無心は、かすんでみえない。唯一、出家して、戒律を守っている禅宗が、お釈迦さまの無心と近いのかもしれません。とはいっても、結婚して子供がいる禅家もいるし、托鉢をしているのは見たことないし、法事に呼ばれればお酒は飲むし。ちょっと怪しいです。

 問題は、『老子』にしろ、『荘子』にしろ、無心を文字上では理解できるのですが、実際の生活、社会生活の中での、生かし方がわからないのです。そこからすると、孔子の無心が一番現実的であり、老子がそれに続くのです。結局、『素問』上古天真論の無心は、老子で読むのが現実的なようです。

 
 

2019年10月9日水曜日

ご近所ばなし

 裏のOさん宅。2年前に入居なさった建て売り住宅ですが、このたび売りに出ていました。回覧板を持ってきてくださる方で、「引っ越します」の声かけもなく、空き家になっていました。ご近所といえば、「玄関の前で立ち話」というのがおきまりのシーンですが、この当たりではほとんどしません。顔を合わせれば、お辞儀する程度です。

 その隣はジムで、バーベルの上げ下げの音が聞こえていました。ご主人は数年前に亡くなりましたが、ネットで検索して知りました。毎日、我が家の前を、愛犬と散歩していて、日に日に細くなっていたので、気になっていました。

 近くに、チェーン店のクリーニング店がたくさんあるのですが、4~5年前まで、手作業のクリーニング店を利用していました。奥さんが病気とのことで廃業しましたが、ピシッとアイロン掛けしてあるのがすきでした。チェーン店の倍の値段がするのですが。チェーン店のは、油くさいし、押しが弱いからしわがすぐ伸びるし、いやだけど、もはや贅沢はいえない。というようなことから、ワイシャツはノーアイロンにしています。

 30数年も住んでいれば、いろいろ変りますねえ。
 

2019年10月5日土曜日

死のロード

 今年の夏~秋は、研究発表、講演がつづき、死のロードでした。

 8月18日 北里教員セミナー
 8月25日 久留米
 9月1日  博多
 9月8日  日本内経医学会講座
 9月15日 埼玉鍼灸師会
 9月16日 お灸の学校2
 9月23日 南京
 9月29日 金沢

 よくこなしました。まだ続きますが・・なんとなく、一段落。
 おなじ内容は無いので、頭脳もしんどかったでした。
 来年は、ほどほどにしないと・・
 






2019年10月3日木曜日

助役さん

 いま、助役さんから関西電力へのワイロでおおさわぎですが、助役さんで思い出すのは、弟弟子の森川くんのお父さんです。雲仙普賢岳の噴火のときに島原市の助役さんでした。

 森川くんの誘いで、長崎県鍼灸師会で講演したことがありました(刺絡と養生と2回)。その森川くんは2001年に40数歳の若さで他界しました。はじめて助役さんのお宅に伺ったのは、思い出せないのですが、何かの仕事の後で、足を伸ばしたときで、佐賀の草場さんと一緒でした。そのときは、たまたま位牌ができたということで、ご家族のかたとお線香をあげました。

 翌年は1周忌、その次は3回忌と、参加してきました。2000年に島田先生、2001年に弟弟子、相次いで他界したので、気持ちの整理のために、3回も島原に行ったのです。何がしんどいといって、逝かれるのがしんどい(それからすると、誹謗、中傷、悪い噂、非難、まあどうでもいいかな)。

 そのお父さんの自宅はとても質素でした。それなりの邸宅を予想していたので、その清廉さにおどろきました。おなじ助役さんでも、こんなに違うのだと思ったしだい。

 森川くんの17回忌は終わったでしょう。来年にでも、お線香あげに行こうと、助役さんのニュースで思ったのです。

2019年9月30日月曜日

シラク元大統領国葬

フランスのシラク元大統領の国葬が行われました。

日本の総理大臣は、夫人に親書を送っただけみたいです。検索したら、つぎのような文面がでてきました(一部)。かけがえのない友人というからには、万難を排して、葬儀に参加したほうが良かったのでは、と思います。すこし残念。忙しいのでしょうけど。この「万難を排して」というのが、無心無私に相当するのだと思います。

死んだとて道の世界に帰るのだから、悲しくもないし、わざとらしい葬儀なんぞいらない、と老子は言うだろうと予想されるけど、生身の老子はきっと葬儀に行ったに違いない。万難を排して。

目を閉じれば、シラク大統領の優しさと知性にあふれた笑顔がまぶたに思い起こされます。ありし日のジャックの姿を偲びつつ、偉大な政治家、そしてかけがえのない友人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
令和元年9月26日
日本国内閣総理大臣 安倍 晋三

むくどり

 外が騒がしとおもって窓を開けてみたら、電線にむくどりの大群。電車が来たので、一斉に飛び立ちました。写真は、まさにその瞬間。治療室の裏窓から撮りました。

 昔は農作物に害をおよぼす虫をたべるとて益鳥でしたが、いまや街中に住むようになり騒音・賁害のために害鳥となっている。人間の都合なのですが。

 東川口駅前のケヤキはねぐららしく、夜に帰宅すると、にぎやかなこと。どんなおしゃべりをしているのでしょうか。

2019年9月26日木曜日

伊藤仁斎『論語古義』


 全5日間の旅程の間に、伊藤仁斎の『論語古義』読破を試みましたが、3分の1くらいまでしか進みませんでした。しかし、得るものは多大でした。

 老子がいう無心無私は、抽象的な概念で、具体的にはどのようなことをすべきなのか、皆目見当がつきません。社会生活において、なにを為せばいいのか、模索してました。

「今の世間で(孔子の)道を知らない人は、きっと目さきの効果をあげるのに急で、喪をていねいにすることを馬鹿にする。末世の風俗のぞんざいさになれて遠祖を忘れる。こんな人は自分の行いぶりがすでに薄っぺらである。」

 自分の身の回りの無心無私はもちろん必要なのだろうけど、祖霊を祀ることや、先人を顕彰することなどをきちんと実行することが、きっと老子のいう無心の一端なのであると確信したしだい。

 一個人の無心無私であれば、家に閉じこもっていればいいのであり、一治療院の長であればいいのであるが、そこから出なければ本当の無心無私とは言わないのだろうとおもう。むしろ、社会の中の無心無私が第一義なのかもしれません。

 というようなことを、3分の1で考えたのです。

 

上海で感心したこと

 9月23日 南京中医薬大学と学術交流。

 行きと帰りに上海泊。写真の通達のように、上海市では、ホテルでは、歯ブラシ、ひげそり、くし、靴磨きなどは、部屋に備え付けないことに決まったそうです。必要なひとは、フロントに取りにいけ、とのこと。

 はなしに寄れば、上海市では先行的に行っているだけで、来年は、全国のホテルに徹底されるそうです。

 これが中国のエコの始まりだとすれば、おいおい、生活全般に及ぶのかもしれません。こういうこと、資源の無い日本が率先してやるべきだと思うのですが・・・

 

2019年9月18日水曜日

本末転倒

 お釈迦さまの教えが、大乗仏教と上座部仏教にわかれ、大乗仏教が中国仏教に発展し、中国仏教が日本仏教に伝えられました。移動の間に、本来性が薄れ、いろいろなおまけがついて、日本に滞在している間にも、いろいろな俗習が加味されました。

 仏壇のお作法、お葬式のルール、お焼香のやりかた、お墓の立て方、お布施の額、これらのことをいくら突き詰めたところで、お釈迦さまの教えに到達しないのですが、私たちは、これが仏教の一面だと思っています。アメリカでは、人口の1パーセントが仏教徒といわれ、仏壇も、お墓とは無関係に、仏教の教えに目覚めることを求めています。

 私たちが思っている仏教は、本末転倒しているのが明らかです。こうしたことは、鍼灸業界も同じで、鍼の意義、灸の役割をきちんと理解しないで、補法はどう、瀉法はどうと、無用な時間つぶしが昭和から平成にかけて行われてきました。長い時間をかけても、結論はでませんでした。つまり、末をいくら突き詰めても、本に到達しないのです。

 いい加減に、目覚めなければ。とつくづく思った、先週の日曜・月曜でした。

 私たちの医療の本質は、未病治療です。出てくる病気の対処法を探し求めるのは、近代医学とおなじことですから、本質とはいえないでしょう。道具が鍼と灸というのがちがうだけです。

 養生をきっちりやらないとなあ、と目覚めました。

 

2019年9月17日火曜日

来世の養生

 8月に久留米で死生観を話しして、気が付いたのですが・・・

 今までは、養生は、現世だけを考えてました。が、もし、来世があるとすれば、来世に向かった現世の養生があってもいいのです。来世のための現世だとすれば、どのように生きていくか、そのためにはどのような養生がふさわしいのか、考えなければならないかと。深慮しています。

 来世はあるのでしょうか。それはあの世でしょうか。極楽浄土でしょうか。いずれもないのでしょうか。

 儒教では、あの世は、子孫を見守る善鬼として存在するとみなしています。したがって、現世では、その祖先の霊魂を大切にまつります。結局は、親に尽くし、子供を産み育て、祖先の霊魂を篤く祀る、そのための人生なのだといえます。その上で、養生が形成されるのです。

 遺伝子レベルでいえば、あの世は、子孫の肉体として、存在します。自分も、前世の両親の遺伝子を受け継いでいますから、前世、現世、来世は、存在するといえます。

 こんな風に、現世の自分だけの養生と思っていたら、来世に向けての養生という発想も必要ではないかと思い始めました。

 養生=何かをする という図式は、もはや幼稚にすぎるかも。



ライターこだわり

 お灸をする先生のライターこだわり。
 9月15日は、大宮で、越石まつえ先生。使い捨てライターは、子供が誤用しないようにと、火をつけるのに指の力が余計に必要になったので、越石先生は、改良される前のを大量に買い付けたそう。死ぬまでの分だそうです。

 9月16日は、杉山神社で、藤井正道先生。先生は棒灸を多用するので、たーぼライターを使用しているとのこと。太い棒灸だと、ガスボンベ+バーナーを使うとのこと。

 僕は、BIC(フランス)の、使い捨てライターを使っています。
 少し高いけど、
 着火が安定している
 *品質が悪いと、突然、着火しなくなり、ちょっとイラっと。 
 ボディは着色されているのでガスが見えない
 *品質が悪いと、残り半分で、着火しなくなる。少しイラっと。
 *BICは、見えない分、イラっとしない。

 こんな理由で、BICにしています。
 お灸の先生には、またお線香のこだわりもあるでしょう。いつか、お聞きしたいものです。

2019年9月15日日曜日

『論語』と無心

 森共之の「意仲玄奥」に、無心に鍼を刺すことが極意であるようなことが書かれている。その無心を追いかけているが、仏教の無心、老子の無心とあり、どうも孔子にも無心があるよう。現時点では、以下のように分けています。

 仏教の無心は、徹底的な無心
 老子の無心は、意図的でないさま
 孔子の無心は、私心がないこと

 仏教の無心は、出家を条件として、究極的。『論語』に無心とは書いていないけど、行間を読むと書いてある。老子の無心は、両方を兼ねているような気がします。なので、老子と孔子は似ているし、老子と仏教も似ているところがあるわけです。

 孔子は、仁(思いやり)を提唱するのですが、無私の裏付けがないと、仁は実行されません。わかっているけど、行動に移せない。行動が伴わないのは、孔子が批難するところ。

 『論語』雍也篇で、孔子が冉求に対して、「なんじは、かぎれり」と言ったところは、冉求ができないと言ったことを指弾しているのですが、線引きすることが私心に相当します。ここでは、できる・できないの線引きです。線引きして、行動に移さないことを、指弾しています。

 私心、無私という下地で『論語』を読むと、真意をよくくみ取れるのです。



2019年9月14日土曜日

『霊枢』を読んで

 会で、『霊枢』を担当するようになったのは、島田先生没後の2001年4月からです。そこから読み始め、第79篇が終わりました。現在は、成立をイメージしながら読んでいます。

 池田知久先生は、『老子』は、最初からあった篇、あとで追加した篇、最終的に追加した篇の、3ステップに分けています。そうしないと、篇ごとに主張が微妙にことなるので、解釈にこまり、場合によってはこじつけするようになります。沢庵は1章から81章まで通貫しているとみなしていますが、どうもそうではないようです。

 たとえば、『霊枢』経脈篇の冒頭で『霊枢』禁服篇を引用しているので、禁服篇が古く経脈篇が新しい、と黄龍祥は言うのだけど、冒頭部分はあとからつけた序文だとみなせば、黄龍祥の説はうたがわしくなる。そういう意味では、経脈篇の中の段落上の新旧を、確定させたいところでもあります。今までの注釈は、篇の新旧のみならず、段落の新旧について言及していないので、今後の課題として需要になると思われます。19年間読んでみて、思ったことでした。
 




2019年9月7日土曜日

日本伝統鍼灸大学

 日本伝統鍼灸大学は、晩年の島田先生が力をいれて画策していましたが、道なかばにして、2000年に他界しました。

 その後、ある人が、民主党政権が国立の伝統鍼灸大学を作りたいと言っているが、成算は有るかと問われました。このとき、新しい鍼灸大学は可能だろうけど、伝統鍼灸大学は不可能だと答えました。何を教えるのか、教科書を用意できるのか、適任の教授はいるのか。総合的に考えたら、伝統鍼灸というのは、学問的には幼稚なだんかいで、大学にふさわしい内容を持っていないことに気がつきました。(いまなら、北辰会の教科書群がいちばん適任ではないかと思う。個人的には。)

 ということで、お流れになったわけですが、島田先生が存命であったら、別の展開になっていたかと思います。
 
 それでも、教える人物がいないので、伝統鍼灸大学はまだ先でしょう。教える人物を育成するところから始まるのですから、だいぶ先かもしれません。

実技供覧

 11月23日・24日に行われる日本伝統鍼灸学会学術大会での売りは実技供覧のようである。
 振り返ると、前身の日本経絡学会の時、実技供覧をするか、しないかで、実行委員会がもめていたことがありました。ただ見るだけなら、実技供覧は意味はない。その後に、その実技の意義についてシンポジウムするくらいでないと。という意見あり。実技供覧は参加者が見込める。という意見があり。20年くらい前の話です。

 其れ以来は、そういう話し合いは無くなり、人集めに実技供覧をするのが定番になってしまっています。その時はわからなかったけど、今となってはただの実技供覧は、やはり意義は少ないとおもう。20年前の意見のように、一つ一つの実技の意味合いを徹底的に話し合うのでなければ、ただ見ただけで、脳裏をさっとかすめて、消滅してしまうのではないでしょうか? 

 いま輪読している『アナトミートレイン』に、骨盤が前傾というけど、どの面に対して前傾していると言わないと、ただしい情報にならないとありました。水平面に対して前傾なのか、大腿骨に対して前傾なのかと、明記しなければならないとありました。

 腎虚(曖昧概念)も、どういう条件がそろったら腎虚というのか、それを補うということはどういうことなのか。日本語で説明できるようにしたいものであります。いかげん、本気にならないと。

2019年9月6日金曜日

大分県中津市

 北九州の講演の帰り、大分県中津市の観光。青の洞門、耶馬渓、羅漢寺、中津城、福沢諭吉の生家を巡ってきました。

 直下の道を行ったために、青の洞門、耶馬渓にいきなり到達。青の洞門はどこ? 耶馬渓はどこ? すぐにはわかりませんでした。いきなり本丸に行き、本丸をキョロキョロ探すような状況でした。直下の道ではなく、川向こうの道を行けば、すぐわかったのですが。

 そこで、白隠の座禅和讃を思い出しました。
衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。たとえば水の中に居て、渇を叫ぶがごとくなり」。目的地にいるのに、目的地をまだ探している。中津でよい勉強しました。

 羅漢寺は、ロープウェイで行きましたが、次回は、階段を使ってお参りしたいと思います。

死生観

 8月25日、久留米市で、死生観のはなしをしてきたのだが、その中で、仏教をとりあげたものの、北伝の大乗仏教からの死生観だけをとりあげましたが(とはいっても粗末なものですが)、同じ仏教でも、南伝の上座部仏教(小乗仏教)については、不勉強でしたので、とりあげませんでした。

 参考書は、大乗仏教モノは、多いのですが、上座部仏教モノは少なく、唯一手元にあるのが『仏教思想のゼロポイントー悟りとは何か』(新潮社)というもので、一旦は読んだのですが、いま再び読んでみると、頭には何も残っていないかのようでした。読んだけど、読んでない。マーカーも引いてあるのに・・

 この本は、2015年4月の発行ですが、1ヶ月後に3刷しています。よほど売れているようです。こういう難しい本が売れているのです。本は売れないというけど、必要なものは売れるのですね。
   
 先月、東京都中央図書館にいったら、仏教書の書架は5メートル2本くらいありました。いかに仏教が深耕されているか、愛されているか。うらやましい限りでした。

2019年9月3日火曜日

メール返信

 メール返信が速いと誉められるのですが、
 ①すぐ返信したほうが、返信をわすれなくてよい。
 ②すぐ返信したほうが、文面が短くてもよい。
 ③すぐ返信したほうが、しきいが低い。
 ④受信したことを忘れ、モヤモヤしたり、メールを探したりしている時間が、もったいない。
 
 というわけで、速いのです。「後で」と思ったことは、後には忘れているので、思ったら吉日、メールを開いたら即時。ということでしょうか。

 沢庵和尚の言う「こころを止めるな」という教えを、メールではよく守っているのです。

2019年8月27日火曜日

福岡市美術館

 8月26日は、福岡城址に行きました。地図で、近くに福岡市美術館があるらしいので、いざ、と向かいましたが、お約束通り月曜休館でした。

 平安から鎌倉にかけて描かれた『病草紙』の中の一枚「肥満の女」(重文)を所蔵している美術館です。この一枚は、電力王といわれた松永安左エ門の旧蔵で、かなりの高額で購入したらしいことを、かつて読んだことがあるので、覚えていました。残念ながら、実見かなわず。



 それでも、福岡城址は思いのほか立派で、天守台にのぼれば360度をみわたせ、人影まばらで、雨降りでしたが、よい散策ができました。

2019年8月22日木曜日

九州行脚

 今週は、久留米市、来週は、北九州市と、行脚してきます。
 久留米市では、東洋医学の死生観を発表してきます。これは、丹沢章八先生主宰の丹塾で発表したものが下地になっています。
 北九州市では、心と病―黄帝内経から、を発表してきます。これは医道の日本に連載しているものが材料になります。

 10月最終は、大阪で、養生を発表してきます。これは4月につづいて2回目です。

 この3回で、自分では、東洋医学の本来のすがたが明瞭にできるような気がします。
 脈診し、腹診して、鍼を刺し、お灸をするのが、本来の姿だと思っていません。そんな小さなものではなく、思想にうらづけされた、雄大な医学であると訴えてきたいなあ、と思っています。



 



2019年8月17日土曜日

味覚極楽

 野田岩を話題にしたので、子母澤寛『味覚極楽』をとりだして読みました。この当時は、天然ウナギのほかに養殖ウナギが出回っていて、養殖ウナギは「くさくてくえない」しろものだったらしい。今の養殖技術は高まっているから、そんなことはないでしょうが。くさいかどうかわかりませんが、天然うなぎは、油っぽいのは皮の部分だけで、身は白身感を残していて、焼いても、身にすこしばかりの締まりがありますが、養殖うなぎは、身にもあぶらがまわって(いわゆる霜降り)、火を通すとホロホロとくずれてしまいます。白焼きは、養殖は不向きで、天然にかぎるでしょう。

「菊五郎は狩猟をやる。鉄砲自慢だから、まず話をそんなところから持って行って、「猟に行かれてお弁当などをあがったら定めしうまいでしょうなあ」とやった。ところが菊五郎は、すぐ「あなた猟をやりますか」「いやあ、私は出来ません」といったら、「それじゃ、猟の弁当の話をしたってわからねえや」といったきりで、・・・」

 この段、割と好きです。いま、テレビだって、バーチャルだとかいうものだって、にせ現場がはばをきかしていますが、やっぱり現場が何よりです。ぼくの悩みは、お灸をしていない人に、お灸の話をすることなのです。この壁をどのように乗り越えるかが、悩みなのです。




 
 

おわん4題

 来週は、久留米で研究発表。東洋医学の死生観。唐津の草場さんが、九州国立博物館のパンフレットを送ってくれて、特別展「室町将軍」があるらしい。その中に、馬蝗絆の写真が。足利義政旧蔵。割れたので中国で修理してもらったら、割れたところをかすがいのようなもので補修してあり、その姿がイナゴににているので、馬蝗絆という銘がついたらしい。写真ではなんども見ているけど、実際にみるのは初めてなので、とてもたのしみ。

 今まで印象的だったのは、東京国立博物館の大井戸茶碗、静嘉堂文庫の天目茶碗、大阪陶磁博物館の天目茶碗。思い出すだけで、どきどきします。あと1腕、大徳寺孤蓬庵の喜左衛門井戸を、見たい。

 写真だと大きさ、重さ、実際の色調がわからないので、実際にみてみないと。ガラス越しだし、もてないから、「実際」とはいえないですが。

「馬蝗絆」の画像検索結果

 

2019年8月16日金曜日

うな部

 東京衛生学園の臨牀専攻科の10期生のときに、そば部、うな部などいう、課外授業を営んでいて、都内のそば店、うなぎ店を、部員と食べ歩いたものでした。

 うなぎの最高は、麻布の野田岩で、天然ウナギが入荷していれば、一つだけ注文して、ほかは養殖ウナギをたのみ、みんなで食べくらべしました。それ以降は天然ウナギに合うことも無いので、ウナギ熱はだいぶ冷めました。

 いま、うなぎの絶対量が少ないのに、売れ残りうなぎを相当に廃棄しているというニュースを聞いて、うなぎ業界の無策にあきれて、ウナギには近づかないようにしています。

 無策といえば、鍼灸業界も無策で、開業鍼灸師と養成学校の乖離は、目を覆うばかり。業学一体になるように、鍼灸師会の新しい会長に期待するのであります。

 それはそうと、9月1日は北九州、9月15日は大宮、学生が多く参加するという講演会に出てきます。業学一体をしたごころに。

2019年8月15日木曜日

今井ハリ灸治療院

 西日暮里駅のホームからみえる「中国ハリ、今井ハリ灸治療院」が閉鎖したらしく、看板はあるけど、室内は暗く、がらんどうになっていました。

 院長は今井絹子先生で、臨床歴はおそらく50年以上。面識は無いのですが、ずっと西日暮里のホームから見えていましたので、知人だったような気がしています。高齢による引退だったのではないでしょうか。

 あと10年もしない内に、鍼灸界の人物地図は、がらっと変わるのでしょう。貴重な人材がいなくなるとおもうと、一抹のさびしさが。新しい人材が生まれでると思うと、期待にむねがふくらみます。

 

2019年8月7日水曜日

東洋医学と日本鍼灸

 この日月は、日本内経医学会の合宿がありました。1年に一日、老若男女集う日です。7人の研究発表がありました。これまた老若男女が奮闘しました。

 老若男女が、垣根をこえて交流する機会は、そう無いですね。というより、そういう機会はあるのだけど、自分が作っている垣根を越えられないので、機会を失っているのです。この垣根を超えることが、東洋医学のだいご味なのです。多種多様な診察をミックスして、多種多彩な治療をコンビネーションするのが、そもそもの東洋医学ではないかと、つくづく思います。

 そういう東洋医学を実践できる人は、垣根がない人か、垣根が低い人か、ジャンプ力がある人か。この観点からすると、日本の鍼は東洋医学的ではなくて、あっさり、簡素、単一を好むところの日本鍼灸だと思います。日本の鍼灸界は、東洋医学性がだいぶ薄れているような気がします。やはり辺境の一流派なのかも知れません。

 
 

2019年7月31日水曜日

わかば・エコー

 たばこの銘柄で、わかばとエコーが廃番になる、とニュース。大学生のころ、お金が無くなると、セブンスターの半額のわかば、エコーを吸ってました。まずいのですが。

 とうの昔に廃番になっていると思ってましたが、命脈を保っていたようです。

 調べてみると、お爺さんが吸っていたしんせい、父親が吸っていたハイライトは、ご存命のこと。熱心なファンがいるんですねえ。

 こどものころは、たばこを買いに行かされたので、ききょう、しきしまという銘柄があったのを記憶しています。キセルですっている人もいました。半世紀以上も前のことでした。

斜陽産業

 需要が減少している産業を斜陽産業といいますが、ガソリンスタンドはその代表ですね。開業したころ、自分の会社のガソリンスタンドが埼玉一の販売を誇る、と専務さん。そのスタンドは今は閉じています。この界隈で8ケンのスタンドがありましたが、残っているのは3ケン。

 反対に伸びているのは美容院。100メートル範囲でいえば、ここから駅まで2ケン、反対側に2ケン、南に向かって5ケン、北に向かって3ケン。すごいです。

 ラーメン屋さんは、駅から200メートルの間に、線路をはさんで、南側に2ケン、北側に3ケン。しのぎを削っています。家の目の前は、来来亭というのがあって、駐車場が14台分あり、このあたりでは大手。まだ食べに行っていませんが。

 こういう状況は、ここ10年の間の変化ですから、あと10年後はどうなっているかわかりませんね。

 

2019年7月22日月曜日

栗の箸

『奥の細道』に「栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土にたよりありて、行基菩薩の一生、杖にも柱にもこの木をもちいたもうとかや」とあり、奈良時代の僧の行基は、栗の木にちなんで西方浄土に思いをはせていたという。

 ずっと栗の木が気になっていたのです。このたび、会津若松に行く機会があったので、ついに栗の箸を買ってきました。用を足せればなんでもいいのでしょうが、生活にすこし味わいがますのではないか、とヨコシマな心で買いました。ヨコシマであっても、西方浄土に近づいたのは、確かでしょう。

 見学したところでは、市内の福西商店の建築群(主としてお蔵)は、現当主の解説つきで、とても印象的でした。大内宿にも行きました(都合3回目)

 


2019年7月15日月曜日

ふと、養生を考える

 わが治療院は、ご近所の方の来院が多いので、来院その後を垣間見ることがよくある。
 
 一番気になるのは、腰痛でいらして、その時は治っても、数年後には腰が曲がっている人がいること。昨日も、家の前の信号のところで、お会いしました。あのとき、腰が曲がらないように指導してあげていれば、曲がらなかったかも知れない。

 虫歯の治療と、歯磨き習慣の関係のように、歯科医院が繁盛すれば、その歯科医にとっては良いことだろうけど、それが歯科医の本道なのだろうか。ということを考えると、とても気が重い。

 やはり、東洋医学のだいご味は、養生であり、未然に病気を防げるなら、それに越したことはない。病気にならないようにする。軽症段階で、自分で処置する。こういう道筋をつけたいなあ、とつくづく。


2019年7月12日金曜日

古典を学ぶコツ

 もらった資料からの紹介ですが、
 学びのコツは、
 ①予習をしない、
 ②ただその場にいる、
 ③とにかく浴び続ける、
 ④わからないながら予測する、
 ⑤いつの間にか習得している。
 と、シンプルなのだそうです。
 わからない状況に長い時間耐える忍耐力を必要とするが、それさえ我慢すれば、いつかは習得するとのこと。

 これは古典の勉強方法と同じです。わからないながら、地道に講座に通い、地道に耳学問をすると、自然に身につくものなのです。が、大抵のひとは、わからない状況が我慢できないので脱落するのです。石の上にも3年、だまってすわって10年、というところでしょうか。

「満州里」閉店

 大森駅から、東京衛生学園に向かう途中にある、中華料理店「満州里」が、6月末日で閉じた。歴史も古く、建物も立派なのに、閉店なのです。どのような理由なのかわかりません。「以前から考えておりましたが」という但し書きがついているので、後継者がいなかったのでしょうか。ちかごろは、スタッフが集まらないというお店もでてきています。

 わが治療院みたいに、一人でやっているのが一番。大きくはならないけど、息ながくつづけられます。今年からは、娘が、金土日と、お灸セラピーをやっています。我が家は、次男と長女が鍼灸師で、三代目にあたります。長男はドイツで医師をやっています。三人とも、自発的に自分の道を選びました。四代目にむけて、頑張ってほしいとおもっています。

2019年7月4日木曜日

東豊書店閉店

 6月末日をもって、代々木の東豊書店が、閉店したとのこと。カンさんという人が店主で、30年前の昔から、つい最近まで、風貌がまったく変わっていませんでした。入り口入って右側が医学関係で、左側が文学関係。探せないとき、店主に相談すると、すぐ探して持ってきてくれました。

 西五反田に住んでいて、原宿の原塾に通っていたころは、東豊書店によく行っていました。原塾では、医古文の基礎講座に参加していて、工具書の解説があり、『説文』が必要だとか、『釈名』だとか、『広雅』だとか、いろいろ買い求めました。新しい学問だったので、興味津々。

 写真は、『説文段注』といわれるもの。鉛筆で値段が書いてあるのは、東豊書店のもの。¥5000と書いてあります。今から30年ほど前に買ったもので、何が書いてあるのかちっとも読めなかったので、よく勉強しました。本には書き込みがあり、奮闘ぶりがほうふつとします。

 

2019年7月3日水曜日

日本東洋医学会

 今年の日本東洋医学会は、北里東医研が実行委員をしたために、客員研究員である僕にも、出土文献シンポジウムのシンポジスト、医師のためのお灸講座の担当の2つの仕事が舞い降りてきました。どちらも荷が重くて、鬱々としてましたが、おわって解放されています。

 それでも、やれば、それなりの収穫はあるので、イヤがらなければ良いのですが、人前に出るのは、いつまでたってもイヤなものです。肝魂か、心神が、薄いのだとおもいます(肝魂、心神は、医道の日本の連載を読んで下さい)。

 2つの仕事でつながったのは、温灸というのは、むかしの熨法に属し、それは扁鵲も使っていたし、『霊枢』にも多くの箇所で記載があったこと。むかしは多種多彩な鍼灸治療法があったのに、現在は鍼灸といえば毫鍼と透熱灸を指し、透熱灸はだんだん行われなくなってきていますから、鍼灸といっても、毫鍼の鍼だけなのです。

 名人は毫鍼だけで万病を治せるのでしょうが、非名人はあらゆる手を尽くして対処すべきではないでしょうか。中国の文化はミックスあんどコンビネーションといわれますが(福永光司)、鍼灸も多彩であっても良いと思います。

 ちなみに、すしといえば、江戸前の握りずしを想起しますが、地方にはたくさんのお寿司があります。食べたことがあるのは、大村ずし、大阪の温かいお寿司、フナ寿司。子供のころ、すしといえばおいなりさんでした。かんぴょう巻もいいですね。

 

2019年6月24日月曜日

20年ぶりの笑点

 6月23日は、午前の勉強会のあと、家に帰って、勉強。

 気晴らしに笑点をみました。20年ぶり。日曜の午後に家にいるのが珍しいからでしょう。30分みてしまって、こんなどうしようもない番組が続いているのは、いいことなのか、ダメなことなのか。香港では人口の4分の1が真剣にデモをしているのに、このふぬけな日本は、いいことなのか、ダメなことなのか。こんなこと考えるのは、テレビを見るからで、見なければ良いのである。テレビを見ないで勉強していれば良かった。

 鍼灸の場合、手先が器用で、センスが良ければ、巧者になるでしょうから、書物を読まないかも知れません。それを勘違いしてか、手先が不器用で、センスも悪いのに、書物をよまない、という習いが定着しています。鍼灸はいかにも学問が要らなそうですが、不器用で、センスが悪いのなら、書物を読み、学ぶべきです。
 
 ここで『論語』。「吾、嘗て、終日食らわず、終夜寝ず、以て思えるも、益無かりき。学ぶに如かず。」(飯も食わず、徹夜して、一昼夜考えてみたが、何の収穫も無かった。学ぶに越したことはない。)

 この歳にして学問の足りなさに目覚める。九牛の一毛とはよく言ったものです。

2019年6月21日金曜日

池田知久『老子』第三弾

 池田知久先生の『老子』ーその思想を読み尽くす(講談社文庫)を買って、第四章の養生思想を読んだら、単独の『老子』を読みたくなり、それを2回ほど読んだら、もっと知りたくて、池田の馬王堆『老子』(東方書店)を買いました。これを読み終わったら、ひと段落です。研究書なので、注釈を大切に読んでみたいのです。

 一連の池田知久本をみると、これだけの仕事をして、「真のすがた」がようやく見えてくるのだなあ、とつくづく思います。そこからすると、わかった振りしている自分が、とても恥ずかしいのです。
 
 鍼灸に関係あっても、無くても、謎めいている『老子』はおもしろいものです。謎解きをしているようです。役に立っても、立たなくても、良いのです。

 かつて、臨床指南は『論語』で十分と言ったのが香川修庵(1683--1755)。この視点からすると、『老子』医学という枠組みがあったら、おもしろい。


 

2019年6月14日金曜日

毅然と泰然と悠然と

安倍首相とハメネイ師の対談の写真をみる。

①師の毅然と泰然と悠然が印象的。首相はそうは見えない。

②首相の座り方はトランプの真似ですね。本人がよいと思っている姿勢は、意外によいものでは無いかもしれない。姿勢だいじですね。

③師の椅子と、首相の椅子は、格段の差がある。となりにはロハニ師もすわっているし。普通は、おなじ格の物をそろえるのではないか? 

④国旗はイランのものしかない。両国の国旗を用意するのでは? なぜ用意しない? クレームつけなかった?

⑤首相は、やたらに表情をつくるけど、師はほとんど表情をかえない。腹がすわっている。

 こんなことを考えたら、イランの扱いがすけて見えるようでした。仲介役なので文句いえないのですが。首相もがまんしたのでしょう。

 姿勢と表情のことは、とても勉強になりました。みなさんも気をつけましょう。

2019年6月10日月曜日

『老子』の養生

 現時点では、養生に6種類あるとして、整理している。その1つに『老子』の養生を割り当てているのだが、池田知久先生の『老子』(講談社学術文庫)の第4章の養生思想を読むと、『老子』に版3種類の養生があるとのこと。そんなわけで、軌道修正に迫られています。

 『老子』の養生とは、
 ①養生を否定する養生
 ②道と一体になる養生
 ③(道はさておき)無私無欲の養生
 ということだそうである。

 この3種を認知しながら『老子』を読まないといけないので『老子』読み直し。かくして、切りがない。

 切りがないのだが、そのぶん霧がはれてくるのです。おもしろいですね。

 9月1日に、北九州で、『内経』からみる心と病、と題して講演するのだけど、心の問題をテーマにするなら、『老子』は乗り越えたいところです。

2019年6月5日水曜日

藤木先生の著書

 古書店の目録に、藤木先生の著書が2916円とあったので注文したら、正編・続編の2冊きた。定価で買っても5000円近くなので、ありがたし。きれいな本でした。

 あとがきを書いた柿島さんが、わが治療院にきて、脊柱管狭窄症を治療してほしいと。『医道の日本』に原稿も書いているし、島田さんの弟子だし、どれくらいのウデなのかためしたいと。

 結局、半年ばかり通っていただいて、直ったのですが、臨床歴では10年ほど先輩だし、直球勝負の力が入った症例でした。遠くから同業の方が体験治療に見えますから、同業の方は慣れてはいるのですが、近場で通ってくるとなると別なのです。

 藤木先生の本を開くたびに思い出す症例でした。

自動運転電車逆走

 自動運転の電車が逆走したとのこと。あの電車は、知人が横浜市立大学病院に入院していたので、お見舞いのために何度か乗りました。あの駅も憶えています。知人がいたおかげで、金沢文庫や横須賀港などをめぐることができました。いなければ、埼玉からはるばる行くことはなかったでしょう。

 逆走していた電車、むしゃくしゃしていたんでしょうか。ヒト様はあそんで、オレ様ばかりに仕事をさせてさ。

 しかし、このところ、暴走自動車、暴走ヒトさま、暴走電車と、立て続けに事故がおきています。なにか、そういうマイナスのリズムがあるような気がします。

 そういうマイナスのリズムは、中国伝統医学では、天忌といいます。病気になりやすい一定の期間のことです。一生でいえば、厄年。一年でいえば、元旦にイヤらしい風がふいたその一年。ひと月でいえば、新月のとき。一日でいえば、夜間。その他、季節の養生ができなかったとき。

 こういう迷信めいたものは、今の伝統医学にはうけつがれませんでしたが、古代ではまじめに考えていたようです。本当に迷信なのかどうか、研究すべきだとおもいます。そもそも、こういう話題を出せなかった古典研究界の力不足もあるでしょう。




 

2019年5月30日木曜日

艾灸通説・蕉窓雑話

 鶯谷の窪田特許ビル4階に、勉強会の場を構えたのが、平成23年11月。7年目の今年6月、多摩市に移転して活動を続けることになりました。

 開設当初には『医道の日本』に取り上げられ、着実に活動を積み重ねてきました。数多くの参加者も得て、個人的には、とても勉強した7年間でした。勉強会を開けば、予習しなければならないので、一層勉強したのでした。それでも、遅々として進まず、なかなか深化しないのであります。学成り難し。

 他の人は、古典を読むなんて、回り道、役に立ちそうにない、徒労と思って、近寄らず、より近道、役に立つようなことを選択しているかも知れませんが、63歳の実感としては、回り道、役に立ちそうにない、徒労の方が、とても有益で、人生的には充実しているのです。スポーツの選手にしろ、会社の経営にしろ、楽なもの、近道は、無いのですから、楽とか近道を考えた段階で失格なわけです。

 鍼灸を、安直なものにしてはいけないのです。

 というわけで、多摩教室で、6月2日、7月7日、10月6日、11月3日、12月1日と、後藤流灸法を表した『艾灸通説』と、和田東郭の『蕉窓雑話』を読みます。午後1時~5時。参加希望の方は、テキストの準備もありますので、メール連絡ください。
 miyakawakouya@gmail.com


2019年5月23日木曜日

袖上げ

「袖上げ」の画像検索結果
 今から50年前。中学に上がるとき、制服とワイシャツをそろえてもらったのだけど、3年間着れるようにと、1サイズ・2サイズ大きなものをあてがわれました。

 ワイシャツは、袖上げといって、上腕部を2センチ幅で折りたたんで縫込み、足りなくなったら縫い目をほどくと元の長さになります。ネットで検索すると、今でも、生活の工夫として行われているみたいで、ほほえましい限り。

 制服のズボンは、ダブルにしておいて、足りなかったらシングルにするのが標準。折り目は目立つのですが、みんなそうしていました。今は、さすがにないだろうと思っていたら、鶯谷駅の真向かいの不忍中学の生徒で、折しわが残ったシングルさんが何人かいました。不忍中学さんに、どんな理由があって、残っていたのだろうか。

 つわものがいて、ダブルのすその中に、袖上げのように縫い込んでいたのがいました。裾に2本の折しわがあるのが、ほほえましい。全部のばすと、ダブルからシングルで3センチ、袖上げ風が2センチ、合計5センチくらいになります。中学生は、背がぐんと伸びるので、生活の知恵なのですねえ。それが、今でも活きていると思って、ほんわかしています。

 なお、制服の上着には対策がなくて、だぼだぼで始まり、つんつるてんでおわりました。

2019年5月20日月曜日

池田知久『老子』その2

 現代語訳、読み下し、原文とあるのは、まあ標準装備なのだけど、各章に解説がついているのが、なかなか良いです。
 
 解説が充実しているのは、浅野裕一『孫子』(講談社文庫)で、将来的には、『内経』にもこのような解説充実の注釈書がほしいものである。

蜂谷邦夫『老子』(岩波文庫)は、語句の校勘と解説が充実していて、それも面白い。
 
 池田と蜂谷をくらべてみるのもおもしろい。
【第77章】
 蜂谷:天之道は日月星辰の運行など、自然の摂理のこと。
 池田:天の道が自然界の法則を指し、・・・というわけではない。

 先行する蜂谷を、池田が批判している箇所が他にもあって、なかなか面白い。それができるのは、古い『老子』が出土して、解釈の選択枝がふえて、より正しい解釈ができるようになったからである。

 『老子』でいえば、根本的なところ(道の哲学)の解釈次第で、原文の理解に相当に差がでるようです。医学的古典も根本を掘り下げないと、枝葉末節を追うばかりではいけないでしょう。

2019年5月11日土曜日

池田知久『老子』

 このたび、池田知久の『老子』に関連する、「全訳注」と「その思想を読み尽くす」の2書を買いました。前者は、231ページと大人しいものですが、後者は、861ページと挑戦的なものでした。

 後者の第二章「『老子』という書」を読むと、伝世文献の研究だけでなく、出土文献の研究が欠かせないと痛感。しかし、出土文献を読むには、伝世文献研究の積み重ねが必要なのはいうまでもない。

「経脈についての合理的な説明」といえば、『霊枢』経脈篇の研究が必須なのだけど、振り返ってみると、やはり限界がありました。それを破るのが、出土文献の馬王堆医書、張家山医書などですが、わが国では研究はほとんど進んでいないのが現状です。これでは、いつまでたっても「合理的な説明」には至らないでしょう。
 
 では、いますぐ出土文献に着手すればいいのかといえば、そうでもない。『霊枢』経脈篇の研究がおろそかになっていますし、『霊枢』全体と経脈篇の関係、『素問』と経脈篇の関係など、未探の宿題は多いのであります。道はとおし。
 
 

2019年5月1日水曜日

木香バラ2

前回の写真は遠目でしたので、今回は下から見上げるように撮ってみました。下からみると圧倒されます。

 木香バラの香りは微細なので、花を摘んでしっかり確認しました。覚えましたので、次回から大丈夫でしょう。

 師匠の島田先生は、丸山先生の往診についていき、玄関で、これが癌患者の匂いだ、と教わったといい、それ以降、匂いで癌であるかどうかわかるとおっしゃってました。ぼくは、そういう体験が無いので、その教えは途絶えてしまいました。

 誰しもがわかることは誰しもがわかることですが、そうでない微妙なものごとは、リードしてもらわないとわからないかもしれませんし、無心無欲でなければわからないかもしれません。

2019年4月26日金曜日

かまちよしろう

 4月21日の鶯谷の勉強会のあと、近くの錦華楼で最後の打ち上げ。

 2015年に行われた第43回日本伝統鍼灸学会学術大会での懇親会の出し物で、1位2位をとったので、錦華楼で打ち上げをしました。4年前のはなしですね。出し物のコンテストでは、独唱あり、太極拳あり、というところで、ぼくは、大根踊りと、仙台すずめ踊りで、衛生学園の専攻科の学生たちと、披露しました。それで、1位2位を獲得し、賞金を得たので、錦華楼で打ち上げをしたというわけです。

 打ち上げの日、錦華楼には他に年配のグループがいたので、かくかくしかじかで騒がしいですがよろしく、とあいさつして、ついでながら大根踊りとすずめ踊りを披露しました。その返礼として、かまちよしろうさんが「哀愁の犬サブレ 黄色」というのを歌ってくれました。歌詞は、ぼく好みのナンセンスなもので、とても印象的でした。あとで調べると、かまちよしろうさんは漫画家で、ナンセンスマンガの谷岡ヤスジのアシスタントだったようです。なので、歌もナンセンスなのでした。
 
 その中で「日陰の道を信じて歩く」という下りは、『老子』をおもわせるほどです。それいらい、またかまちさんに会いたいという思いが募っていました。

 それが偶然というか、4月21日の打ち上げの目の前にいたのです。見たとたん、挨拶に行って、あとで歌ってほしいとリクエストしました。本人がいて、歌を聴いて、とても感動した、思い出の錦華楼でした。

 

木香バラとさつき

 いま、家の前の歩道はさつき満開。家の木香バラも満開。すばらしい。
 木香バラは、かおりが信号のところまで満ちているようです。ところが、僕はといえば、その木香バラのかおりが、相変わらず、わからず。ヨコシマなのでしょうね。


2019年4月20日土曜日

古典のよみかた

 20代後半に島田先生の門に入ってから、今頃になって、古典の読み方がわかってきたような気がします。大器晩成(大器は成らず)というか、自分でも遅いなあとおもいます。

 やっぱり『論語』は欠かせません。シンプルな言葉から、どれくらい意味を拾い上げることができるか。そのためには、孔子の年齢、その時の状況、対話者の年齢、性格などを踏まえて、頭の中でイメージするわけです。さらに、類似の発言が無いかどうか。単に文字を追うだけでなく、総合的に読まねばならないのです。そういう訓練をしておけば、ほかの古典はおもしろく読めるわけです。

 つぎは『老子』でしょうか。反孔子というスタンスで書かれているらしいので、あらかじめ『論語』は読み終わっていなければなりません。『論語』のどの文面に対して、老子がコメントしているのか。これがわからないと、とんでもない方向にいきそうです。老子の宇宙論とか、老子の養生学とか。『老子』は、わかりやすく書かれているはずなのですが、とっても難解です。なぜ、このことを言い出したのか、どのような連続性があるのか。それを解明する作業が、なんとも面白いのです。

 

2019年4月18日木曜日

N360

 林望の『ついこの間あった昔』(弘文堂)は、すきな本のひとつ。昭和を記録した写真と、それについてのコメントからなっている。

 林氏は、1949年生まれで、7歳としうえ。大学に入ったとき、ホンダのN360という車を買ってもらって、慶応大学までクルマ通学だったそう。結構なお金持ちだったのでしょう。こういう人が書く文章は、なんとなく余裕があるように感じます。

 農大の同級生にも、いすゞの117クーペを持っている奴がいたし、ホンダのシビックを乗っている奴がいたけど、どちらも東京の人。117クーペくんは、初台(渋谷区)に家があり、今思えば、相当な金持ちだったのだろう。シビックくんは、お花茶屋(葛飾区)というところに家があるとのこと。クルマを持つことはうらやましかったけど、身分不相応で、強く望んではいませんでした。むしろ、4畳半に住んでいたから、6畳が望みでした。

 その中の写真。老婆が上半身裸でお茶をいれています。僕の祖母も同じようなことをしていたので(つまり50数年前)、おどろきはしないのですが、今では考えられない風景です。おそらく60歳くらいの方でしょう。電車の中での授乳をみたことがありますから、必要があって乳房を出すことは、当たり前だったのかもしれません。

 この半世紀で、日本国、おおきく様変わりしています。様変わりの前後をみている者としては、こういう本は、とても懐かしいのです。



 

2019年4月15日月曜日

富みにして

『論語』述而篇に「富みにして求むべくんば、執鞭の士といえども、吾れ亦た之れを為さん。如し求むべからざれば、吾が好むところに従わん。」(富貴が求めて得られるのであれば、賎しい職業の執鞭でもやろう。しかし、求めて得られるものでないのであれば、自分の好きなことをしたい。)

 孔子は晩年、自分のやりかたを認めてくれる君主をさがして諸国を遍歴しました。食べ物がなかったり、襲われたり、相当な苦労しました。その原動力はどこにあるのか、長く案じていましたが、冒頭の句が解答のような気がしてきました。

「吾が好むところ」というのは、「好きなこと」という意味で問題ないのですが、吉川幸次郎は「私の生活の自由を保持して、好きなように生きたい。理想のために生きたい」と解説しています。なるほど、この中の「自由」が重要なポイントのようです。

 自由とは、心の制限が無いことであり、私利私欲がないことであります。孔子にとって好きなことは、理想の政治の実現なのです。だから、困難があるとわかっていても、突き進んだのだと思います。私利私欲があれば、困難があるなら、前進はしないでしょう。尻込みするかも知れません。

 さて、自分の好む所(本当にやりたいこと)は・・・ 

2019年4月13日土曜日

忖度と切診

 近頃、忖度という熟語が、ニュースに流れ、忖という字がよく見られるようになりました。ついでに、切診についても考えてみました。

 漢代の『説文解字』に「刌、切也」とあり、清代の段玉裁は「詩、他人有心、予寸度之、俗作忖、其実作寸作刌、皆得如切物之度其長短也」と注しています。

「詩、他人有心、予寸度之」とは、『詩経』小雅・巧言に「他人有心、予寸度之」という句があることで、他人に心有らば、予め寸度(すんたく)する、という意味です。

「俗作忖」とは、寸度は俗に忖度(そんたく)と書くということ。

「其実作寸作刌、皆得如切物之度其長短也」とは、実際は、寸度と書いても、刌度(そんたく)と書いても、いずれも物を切るときに長短を測る(度)意味を持っている。

 忖は推し測るという意味で、段玉裁によれば切も推し測るという意味があるようです。脈診をするところを寸口というのですが、一般的には手首から肘にむけて1寸下がっているから寸口だというのですが、一理あるとして、個人的には「体内を推し測る入り口」という意味だと考えています。蔵府のこと、経脈のこと、気血水のこと、名人になれば、なんでも寸口で推し測ることができます。あえて、腹診したり、背診したり、切経しなくとも、なんでも分かるのです。いずれにしても、切には推し測るという意味があります。

 中国の古代思想家の陰陽家がいうには、敢えて寒空で天体観測しなくても、天体の運行予測システムさえ完成すれば、部屋の中にいても天体観測はできるのだ。まさに、寸口は部屋の中なのです。寸口こそ陰陽家の発明に違いありません。






2019年3月31日日曜日

納得のコーヒー

 今まで、コーヒーは90度のお湯でいれていましたが、納得の味にならないので、苦慮していました。

 先日、浦和のコーヒー店で教わったところ、82度で淹れるとのこと。蒸らす時間も、ローストしたばかりは短く、古い豆は長くするのだそうです。

 82度で淹れてみました。上手く淹れることができました(パチパチ)。お湯の落ちるスピードが、90度より早いのです。同じお湯なのに、こんなにも違うものか。

 つまり、90度のお湯は、コーヒーに浸かっている時間が長いのでエグ味が出てくるのでしょう。それを、淹れ方が悪いのだとばっかり思っていたから、苦慮していたのでした。

 コーヒーを淹れるマニュアルでは、80度~90度と書いてあることが多いので、90度にし、そこに留まっていたので迷いが始まったのでした。80度もためしてみればよかった。頭が固いと言うか・・・


2019年3月27日水曜日

通り一遍ではない

 勉強会で、後輩が「選ぶツボと探すツボがあるんだ」と言ったので、なかなか良いこというなと思ってたら、僕の受け売りだそうです。そういえば、言ったかも。

 思い出しました。病気に効くツボの系統(選ぶツボ)と、血流が悪いツボの系統(探すツボ)とがあります。病気に効くツボは、指定された数のお灸をします。血流が悪いツボは、血流がよくなるまでお灸をします。ツボの種類によって、治療法が微妙に変わっていくのです。

 別の機会では、(別の人ですが)「お灸は、熱を入れるのではなく、本人の熱を表面に呼び込むのだ」といったので、なるほどと思いましたが、僕が言ったのだそうです。そういえば、言ったかも。

 思い出しました。お灸をしようとするときは、体表に熱が足りないときです。お灸して本人の熱を体表に引き上げると、皮膚にツヤがでてきます。血流にのって、皮脂がめぐってきたのだと思います。乾燥していれば、しっとりしてきます。そうなれば、有効ということになります。また、ひふにツヤが出て来た、ハリがでてきた、うるおってきた、というのが有効の目安になります。お灸で熱を入れるというのであれば、赤くなってきた、温かになってきた、が有効の目安になりますから、おなじお灸でも意識の持ち様で目安が異なるわけです。

 お料理でも、火が通ったかは、クシを刺してみるだけでなく、ものによっては浮いてきたり、色が変わったり、天ぷらでは油の音が変化したり、こういうのを目安にしていると同じです。いずれにしても、通り一遍ではないのです。


2019年3月22日金曜日

ソメイヨシノに心を奪われる

 この時期、サクラがいつ開花するか、満開はいつか、という話題でもちっきりですが、こころ静かにみわたせば、いろいろな花が咲いていますねえ。もくれん、こぶし、クリスマスローズ、ほかにソメイヨシノではないサクラ。ソメイヨシノばかりに気を取られていると、周りの花々を見落としてしまいます。毎年、この時期は「花に心が奪われる」ことから、自らをかえりみています。

 鍼灸師の診察は、すべて自分の感覚で行いますから、意識が一つに集中すると、他方を見落とします。どれかに偏ると、どれかがおろそかになります。そうすると、たくさんの情報がえられませんし、得られた情報も歪んでみえているかもしれません。鍼灸師の診察が難しいのは、ここにあります。

 一月ほどまえ、便器にすわると、お尻の下がいたくて、おしっこもでなくなる、便秘にもなるという方が見えました。男性でしたので、前立腺と直腸の病気を疑い、病院で診察してもらうよう指示しました。1回目の治療は無効。なぜなら、疑いを持ったところで、そこに気を取られて、冷静に診察できていなかったのです。2回目の治療は、前立腺と直腸に病気は無いということだったので、冷静に診察をすることができました。その結果、臀部と大腿後側がとても冷えているのがわかりましたので、温まるまで灸頭鍼をしました。そうしたら、3回目からぐんぐん良くなってきました。1回目は、疑いを持ち、病気に気を取られていたので、とても冷えていたことに気が付きませんでした。感覚が鈍いのではないのです。意識が偏ると見落とすのです。

 毎年、サクラで盛り上がるこの時期、「偏見、頑固、視野が狭い、自己中心」にならないと自省するのでありました。

 


2019年3月21日木曜日

鶯谷書院 移る

 鶯谷に解説した鶯谷書院は、5月末日で、多摩市に移転します。知人の事務所に居候することになりました。新宿から京王線で30分、多摩センター駅から10分弱だそうです。鶯谷の活動よりは縮小するでしょうが、お暇な人は、遊びに来てください。

 いままでの倍の時間がかかるのですが、もともと関東近県でも良いと思っていたので、遠くなると行ってもまあ近いです。九州で講演すると、「遠くからよくおいでいただきました」といわれたら、「まあ、国内ですから、近いです」と答えることにしています。昔のように、徒歩というわけではないですから。

 遠い、近いは、主観ですから、問題にならないのです。自分の好きなことならば、どんな遠くでも近いのですが、そうでなければご近所でも遠いのです。ようは、気の持ちよう、考え方次第です。

 こんどは、どのような世界が待っているのか、楽しみでもあります。

2019年3月12日火曜日

チリ津波

 1960年のチリで起きた地震の影響で、津波が発生し、日本にも到達し、チリ津波とよばれています。父は、隣町の塩竃に家を借りていて、居間の床から1メートル50センチのところの壁に線があり、チリ津波の海水が到達したところとおそわりました。海面からすれば、3メートル弱。

 そのころ小学生高学年12歳だとして、津波後8年になります。今年が東日本津波の8年ですから、同じです。見た目には、塩竃は復旧していたようでした。というか、建物は壊れずにあって、海水が引いたあとそのまま使っていたのでしょう。なによりも、人が多くいたので、活気があったのでしょう。いまは、地方は人が少ないので、いかに復興整備しようが、町は戻っていません。まずは人口が増えなければ。

 写真がその被害状況ですが、建物は残っていて、見覚えあります。船をかたづければ、ほぼ元通りだったかもしれません。



2019年3月11日月曜日

養生啓発年間

 食事の指導を食養生といいます。食養ともいいます。調食という言い方もあります。中医学を学んだ人は、すぐ薬膳にむすびつけます。養生と言えば、自分で実行し、継続しなければ意味がありませんから、薬膳というのはハードルが高いのではないでしょうか。

 栄養学、食べる質量、食べるタイミング、相性、アレルギー、入手しやすさ。食養が課題とする内容は沢山あるのです。それらが合理的に整理され、食養を行う人が納得しなければ、食養は成立しないのであります。養生をじっくり考え、見直す時期に来ているのです。

 鍼灸の学校で養生を教えていないせいか、鍼灸師のみなさんは、養生については関心ある風でいて、ほぼ無関心です。そのことを知ってしまうと、自分の業界が恥ずかしくなります。教科書もないし、教える教師もいないので、この先、30年くらいは、東洋医学から養生を世の中に訴えることはないと思います。

 学会としては体育大学の先生がたが運営している日本養生学会があり、本もでています。先を越されています。ただし、東洋医学の古典に立脚しているわけではないので、学問としては半分だと思います。私たちは、古典に立脚した養生学を提案する義務があるのです。

 というような悩みを抱えながら、今年は個人的には養生啓発年間としよう思っています。講座は、いまのところ3回。東京で1回(3月31日。定員に達して締め切り)。大阪で2回(4月28日、10月27日)です。来年は、まとめる年にしましょう。

2019年3月5日火曜日

櫓をこぐ

『マンガ おくのほそ道』(平凡社)の櫓をこぐ場面は、手の使い方が間違っています。この本が出たころは、画像資料が無かったのでしょう。今なら、ユーチューブで確認できます。

 櫓の先端から30センチくらいのところに、縦に棒が刺さっています。これは向こう側、こちら側に倒すものです。倒す手は左手です(この漫画では右手に誤っています)。
 
 右手は櫓の先に置き、左手の補助的な役割をします。添える程度にし、使わなくても漕げるようです。

 足元でいえば、左足を前、右足を後ろにしますが、この漫画では並行です。

 上半身は、櫓とほぼ並行です。居眠りすることを、櫓をこぐといいますが、そんな感じに体を前後に動かします。この漫画では、へっぴり腰になっています。

 子供のころは、まだこういう舟がありましたし、この櫓で遊んだ記憶もあります。半世紀以上も前です。そんなわけで、この一コマ、変だなと思ったのです。


2019年3月4日月曜日

奥の細道

 奥の細道で、芭蕉は、松島の景色にこころを奪われたらしいのです。その画像として、高い山から見下ろした島々の風景が紹介されてますけど、芭蕉は、塩竃から船で松島に向かっただけで、見下ろしてはいないのです。つまり、小舟に座ってみた風景にこころを奪われたのです。一回、みてみたいものです。

 いつ買ったのか。『マンガ おくのほそ道』(平凡社)がありました。しかし、漫画家の想像力は、すごい。登場人物を絵であらわすのですから。

 下の人物は、仙台の画工「かえ門」ですが、想像もつかない顔立ちでした。わらじをプレゼントしてくれたり、塩竃までの地図を書いてくれたり、とてもやさしい人なのです。

仙台の画工「かえ門」を、

2019年2月26日火曜日

曲直瀬正琳

 冬は空気がきれいだったので、遠望がかなってましたが、だんだん、男体山、富士山が見えなくなってきました。電車に乗る時の楽しみが減りました。唯一、品川を過ぎて間もなく見えてくる沢庵のお墓だけ、遥拝しています。

 沢庵で思い出したのですが、京都の大徳寺の塔頭に玉林寺があり、曲直瀬正琳という人が創建したものです。元の名称は、ずばり玉琳庵といいます。建てるのに、私財をつくしたというのですから、おそれいります。それが、なんと38歳というのですから、重ねておそれいります。

 その大物ぶりには、おどろきます。小さな庵といっても、数億~数十億はかかるでしょう。それが38歳の手元にあったわけですし、それを一気に使ってしまったのです。まったく壁のない人のようです。曲直瀬玄朔が、自分の娘の婿に選んだ理由が何となくわかりそうです。46歳で亡くなりましたけど。

 ときどき、室町時代~江戸時代の人物を調べますが、それなりの人は壁が無い、というのが印象です。どこまでも壁がない人もいますねえ。どこまでも行けるわけだ。

2019年2月23日土曜日

頭のすみに

東京新聞の2月22日の声欄に、12歳の松川はなさんんの意見が載っていました。

 日本人とは、「日本のことを頭のすみに置いている人」と結論していますが、この前のブログの、どこまでが富士山なのかの自答と同じだったので、うれしいかぎり。

 念仏ということばも、仏を念(おも)うという意味でおなじですね。ただ思うのは「観想念仏」といい、お名前をよぶのが「称名念仏」といいます。今残っているのが、なんまいだぶ、なんみょうほうれんげきょうの称名念仏ですが。観想念仏は、遠距離恋愛のようなもので、あの娘のことを四六時中思っているのですから、とても幸せなのです。

 最後に「壁をつくらないで」と結んでいるところにも感動しています。幼稚だった自分の12歳は、ぼーっと生きてましたね。

2019年2月22日金曜日

コーヒー屋

 本棚から、2016年発行の、「ベストオブコーヒー」という雑誌が出てきました。た。

 2013年に閉めた「大坊コーヒー店」が出てました。黒基調の店内と白いワイシャツの店長さんとの対比が美しい。1回しか行ったことがないので、もっと行っておけばよかったなあ、と後悔。1回しか行かなかったのは、コーヒーが濃かったから。豆20グラムで仕上がり100ccとのこと。濃いわけだ。ふつうは、8グラム前後です。

 銀座の「カフェドランブル」も載っていました。1滴1滴ドリップする方法で、こちらも濃いです。30年ほど前は何回か行っていました。数年前に久しぶりに言ったら、1滴1滴ドリップはやってなくて、お湯を細くして淹れていたし、味も薄くなっていたので、それきり行ってません。雑誌には、当時のおじさんの写真が載っていました。銀座、名店、おじさん、3拍子そろって、かってに緊張してました。

 この雑誌、また本棚にもどして、何年後かにひらくことにします。

 

2019年2月18日月曜日

出土資料

 6月の日本東洋医学会で、出土資料のシンポジストを頼まれたので、すこしずつ資料を読んでいる最中。日本では、この手の研究は京都の猪飼先生孤軍奮闘中。

 中国古典の世界では、出土資料は優先的に研究するという流れだそうだが、日本の中国医学古典では停滞中。まずいのです。

 いままでは『内経』が本丸だったのですが、いまは出土資料が本丸なのです。馬王堆、張家山、老官山。追いつかない状況です。なんとかせねば。

 やるべきことが多く、それに質量ともに足りていないのです。

2019年2月1日金曜日

万年筆

昔の小説家は万年筆で文章を書いていたけど、今は、そういう人は少ないでしょう。
 ご愛用の万年筆が決まっていて、何十本も持っているけど、使っているのは1~2本だ、という記事を読んだことがあります。人によっては、ペン先をヤスリでけずったりもしたらしいです。

 年賀状は、基本的に自筆としています。万年筆で書くのですが、愛用のは、30年ほど前に買ったシェーファーの極太です。ペン先の滑りがよいので、自分らしい字が書けるのですが、インクの出に難があるのです。難があっても、使い続けています。滑りがわるいと、だんだん腕が疲れてきます。まあ、年に一度のことなのですが。

 使わない万年筆は、どこかに行ってしまって、無くなった? かもしれません。今は、黄色のラミー1本だけです。ラミーだけで3本あったのですが・・



2019年1月30日水曜日

逆縁


 小説家の橋本治さんが、70歳で無くなった。喪主は、お母さん。

 こういうのを逆縁と言うのですが、70歳でも十分長寿なのですから、親不孝でもないのですが、両親世代が長生きだと、こうした逆縁が生じてしまう。昔だったら、親不孝の烙印を押されたかもしれませんが、今じゃ、そうとも言えない。

『論語』は「孝弟は、其れ仁の本たるか」といって、「孝弟」が仁(他者に対する思いやり)の基本であると言う。

「孝弟」は、

 親孝行(親によく仕え、孝行を尽くす=孝養) 
 先祖供養
 忠孝(君主に対して忠義を尽くすこと)
 孝慈(目上に孝を尽くし、目下をいつくしむ)

に分けられます。「孝弟」を全うできる人は、確かに仁者と言えそうです。がしかし、現在は、先祖供養も含めて、「孝弟」を全うなんかできやしない。難しい時代になりましたねえ。


立春

 今年の立春は、2月4日。春三月の始まりです。『素問』四気調神大論の「春三月、謂之発陳」を思いおこします。

 中国伝統医学を標榜するならば、口先だけでなく、生活も中国伝統医学的にしたら、おもしろいのではないでしょうか。

 その代表は陰陽思想。季節に合わせた生活をする。1月1日は新年のお祝いであって、陰陽思想では、2月4日が新春のお祝い。新春のお祝いは、四季があってこそのお祝いですから、もっと大切にしたいところです。

 春だから青いものを着る、すっぱいものを食べるとか、なんだか面白そう。

 『素問』四気調神大論は、その養生を述べた論篇と言われていますが、本意は「季節を大切にしないような奴は、治療家に向いていないぞ」。



2019年1月24日木曜日

拾雲軒

 沢庵宗彭が、慶長十九年に立てた(大徳寺の塔頭の大仙院)の書院が「拾雲軒」。本堂の裏に中庭があり、そのむこうに拾雲軒がある。この写真では、すだれがかかっている建物。京都の観光案内書には載らないし、ネット上にも上がらないので、あまり気にしていませんでしたが、いつぞや大徳寺に詣で、大仙院を巡った際、拾雲軒に通されて、どきっとしました。『沢庵和尚年譜』を見ていて、拾雲軒という字は見ていたものの、まさかその部屋に通されるとは思っていなかったので。極楽浄土と同じように、沢庵と400年隔ててつながったのであります。

 教訓:行ってみなければ、わからない。無駄かどうか判断するまえに、まず行動。

「拾雲軒」の画像検索結果

2019年1月20日日曜日

坐禅和讃

 坐禅和讃は、江戸時代の臨済宗の禅僧、白隠慧鶴の作。11月24日の母の七回忌に、松島瑞巌寺のお坊さんの読経で、ひさびさに耳にしました。読み込んだ声からでたお経が、じ~んとしみました。

衆生本来仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。譬えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず。
 仏典は中国語訳(漢訳)で日本に普及しましたが、その中にあって和語の坐禅和讃は、出色の作なのです。漢文を音読するより、坐禅和讃を読む方がはるかに良いと思うのです。きっと漢文音読のほうがありがたいのでしょう。分かりたいより、有りがたい、というのが日本人のたちなのかもしれません。

 お葬式は不要とは思うけど、松島瑞巌寺の和尚さんの読経を聞くと、お葬式も悪くないと思う。『論語』に、形骸化している「12月の朔日を告げる儀式」の生け贄の羊のことを、子貢は無駄ではないかと孔子にいえば、孔子は「おまえは羊を吝しむが、わしは今まで続いている儀礼が惜しい」と答えたことを、思い出します。

 無駄な儀式を残すのか、伝統だから残すのか。悩ましいところです。

 
 

2019年1月15日火曜日

第六回 鍼灸医学史研究会

 1月13日に、北里医史研と日本内経医学会共催の研究発表会が終わりました。学生さんから、古典の大家、北里のお医者さんまで、さまざまな人が聞きにきていました。100人くらい来たそうです。

 会長として、発表は義務のようなので、毎年、発表していますが、そのため、お正月は無きに等しく、「良いお正月でしたか?」と問われても、pcに向かっているだけなので、お正月感はないのです。

 毎回だと、ネタさがしが大変。定例でいえば、8月の北里主催の教員セミナーもあります。年に2回やっていると、ネタの在庫は切れていて、しかたないから小さな日常から拾い上げることにしています。今回は、国試ですが、新聞でも、週刊誌でも、ネタになりそうなのを探しているわけです。

 というわけで、研究発表会がおわって、新年気分到来。




 

2019年1月5日土曜日

富士山と男体山

(12月31日)武蔵野線を府中本町の方へ向かう荒川の鉄橋の上から、左に富士山、右に男体山がみえました。なんとも至福の数秒です。この冬、日光の男体山が見えたのは昨年の暮れころからですから、二つの山を同時にみることができるのは、珍しいことなのです。通勤通学で使っている人は、茶飯事なのかもしれませんが。

 軽井沢の浅間山も、東側からみるとまるで富士山のようです。富士山にはたて筋があるけど、浅間山はそれが無くてのっぺりしているのが違いでしょうか。見たことは無いですが、関東平野の真ん中あたりで、この3座を見ることができるかもしれません。

 さて、富士山は、どこから富士山なのでしょうか。富士山の裾野から? 地続きといえば関東平野から? それをいえば本州の端から? 見えている所から? 見えない人は? 究極は気持ちをむけたら富士山だということになります。というふうに考えると、富士山はどこからでも富士山なのです。

 これを十万億土のかなたに在る浄土に置き換えると、途方もない先にありそうだけど、その数字をカウントした時点から浄土だともいえるわけです。そうすると遠いが遠くない。遙拝という拝礼法があって、「ずるいなあ」と思っていたけど、いまは「優れているなあ」と合点しました。

gさんの『r』

 昨夜は、鍼灸師仲間のgさんの『r』という演目の、前衛ダンスをみてきました。4登組が登場した新人発表会というものらしく、客席は満員で100名を超えていました。客席にいる人から、けいこ、 とうことばが聞こえてきましたので、ダンスをやっている人も多いようです。

 音楽に合わせて踊っているのはみて楽しいのですが、静寂の中で何かを表現するというのは、まったくわかりませんでした。それでも、観客は、固唾をのんで食い入るようにみているのですから、何か通じるのだと思います。

 gさんのダンスというのは、舞台を100回くらい走り廻ったもので、ただ淡々と、黙々と廻っていました。そこにどのような意図が隠されているのかわかりませんが。gさんならきっとやるだろうなと、指折り数えていました。

 とちゅう、来ていた衣服を一枚ずつ脱いでいき、最後は全裸になりました。これも予想範囲内です。昨年もそうしたという話を聞いてましたから。全裸で10周くらい廻ったのでしょうか。そこで終わりかと思ったら、舞台の上でひな壇で、全裸ショーをやっていました。

 gさんの観客は、静かに見ているとき、気を抜いているとき、驚いているとき、あきれているとき、こもごもでした。他の3組の観客は、集中してみていました。観客の拍手の多さは4組同じようですが、強さはgさんが一番と感じました。驚きのゆえか、芸術の高さのゆえか。

 ところで『g』の意味は。一つは、roundでしょう。ぐるぐる回ってましたから。もうひとつは、rousi老子でしょうか(ピンインでは、laoziですが)。舞台を走りまわる無心さ。それをやりきる無心さ。さらには全裸になる無心さ。ひな壇の全裸ショーの無心さ。

 ところで、gさんのようなことを、老子はしないと思います。やるなら荘子でしょう。などと、いろいろ考えた一夜でした。