2013年2月17日日曜日

古式鍼灸

 島田隆司先生が、勉強会の始まりに飲むお茶を、ペットボトルで供されて、落胆しておった。もしかしたら、今もそうなのか、もう少しでそうなるのか、急須で淹れるお茶は衰退するかも知れない。そうすると、近い将来、急須で淹れるお茶は伝統的な喫茶法になるのだろうか。

 僕が子供の頃、お風呂沸かしが当番でした。まず新聞紙に火をつけ、木の小枝に移し、火が盛んになってから豆炭を投入して、お風呂を沸かしていました。木の小枝は、裏の山に入って、杉の小枝を集めておいたものです。今から思えば、伝統的お風呂沸かし法です。懐古趣味で、昔のお風呂は良かったというつもりは毛頭無いが、もし今風のお風呂が全く使えないとなったら、伝統的お風呂沸かし法が役立つのは言うまでもない。
 
 四谷に、昔ながらの中国料理法を伝える料理人がいて、「ラード、砂糖、化学調味料を使い、油通しをする」のは現代的な中国料理だと嘆いている。中国料理の昔の姿を伝える人も希になっているそうである。そういわれると、ぼくは昔ながらの中国料理に興味津々となります。食べてみたいし。
 

 鍼灸もまたしかりで、現在の鍼灸はやはり今風になっているに違いない。どのてんが今風になったのかは、昔の鍼灸のすがたを明らかにせねばならないでしょう。そのためには、昔ながらの鍼灸を伝える人に学び、昔の鍼灸を記録している古典に読むしかないでしょう。古典を読む意味のひとつは、ここにあるかと思います。

 学校でまなぶ経絡学が、きちんと昔の説のままを踏んでいるのかどうかを知りたいならば、古典を読もう。今風の経絡学で良い人は、そこまでやる必要はない。

 自分の知らない古い鍼灸(古式鍼灸)を見つけるつもりで読むと古典はおもしろいが、ただ知識を得ようと読むと古典はあまりおもしろくない書物だな、とこの頃思っています。

 ちなみに、おでんといえば、大根。皮を厚くむき、ぬかをいれて下ゆでする、というのが普通の流儀。しかし、辻留の現当主の辻義一さんが書いたのをよむと、大根の皮はむかない、下ゆでしない、という。どちらが正しいのか。大根くささを退けるのなら前者、大根くささも味の内とするなら後者、というところか。皮をむかなくて良い、これは僕にとって目からうろこでした。道が大いに開けました。多面的な見方は実に楽しい、と。


 

2013年2月4日月曜日

常磐津古典曲演奏会

 昨日は、常磐津英寿さんの、常磐津古典曲演奏会に行きました。というと、文雅なゼントルマンのように思われますが、誘われて行ったもので、何も素養もありません。素養がないので、まるで異国の音楽を聴いているようなのですが、ジャズのセッションと思うとなかなかに魅力的な古典音楽で、楽しめました。

 古典とつけば、私たちの古典鍼灸と、なにか共通点があるのかと、その赤い糸を見つけようとしましたが、無いように感じました。一生の仕事として、血のにじむような努力をしているかといえば、私たちの古典への思いは、軽く、薄く、チープだなあと思いました。

 邦楽全体のことはわかりませんが、常磐津は斜陽のようです。歴史があって、すばらしい芸術としても、世の中に受け入れなければ、尻すぼみになる、ということかも知れません。私たちも、同じような道を歩みそうな気配です。いま必要なのは、受け継ぐことはもちろんのこと、外へアピールすることでしょう。そこから逆算していくと、アピールするためには、私たちの村言葉を現代日本語に直すことが急務ではないしょうか。たのしみになってきました。

 ところで、英寿さんは御年86歳、20年ほど前に人間国宝に指定されて、なお矍鑠として第一線で演奏活動している、あの凛としたお姿は憧憬ものでした。ステキな先輩を目に焼き付けてきまし
た。故岡部素道先生が、なんでも一流を見なきゃだめだ、とおっしゃっていた理由が、だんだんわかるようになってきました。齢を重ねることはよきものぞ。