2017年12月28日木曜日

養生を語る

 灸法臨床研究会の主催で、来年の3月25日に、養生の講習会を持つことになりました。興味のあるかたは、ご参加下さい。灸法臨床研究会のHPから申し込んで下さい。

 場所:東京医療専門学校(中央区八丁堀1-11-11)
 日時:3月25日 12:45~16:45
 参加費:学生4000円/一般5000円

 東洋鍼灸専門学校で、東洋医学概論の2年目として「養生」を10コマ担当したのに始まり、その後、鶯谷で拡大発展させ、近年、『老子』『荘子』を読んで、ようやく腑に落ちるようになったので、養生灸と併せて、報告しようと思った次第です。あちこち回り道し、休み休み勉強したので、結局10年くらいかかりました。もっと要領よくすれば、短期間でまとまったのかも知れませんが、回り道は、視野が広がったり、思わぬ拾いものをしたりして、悪くはないものです。

 学生向けの事前予約ですでに半分埋まり、正月から一般申し込みを開始するとのこと。その前にブログを読んでくださる皆さんにご案内いたしました。


2017年12月25日月曜日

ペットのわんちゃん

 2017年のわんちゃんは892万頭だそうです。昨年から100万頭減り、10年前から400万頭くらい減っているようです。減っているのは、新規に飼うわんちゃんで、「手間がかかる」「十分に世話ができない」というのが理由だそうです。半分くらいは、7才以上の高齢犬らしいので、あと10年もして、その高齢犬の多くが死亡すると、一気に半減して450万頭、新規に飼うのも減っているのですから、10年後には300万頭くらいになるのでしょうね。20年間で4分の1以下に縮小していくようです。

 動物病院の経営。ペット関連のお店。ペットフードのメーカー。いずれも、あと10年後には、縮小せざるを得ないのが目に見えているので、それぞれに腐心しているのではないでしょうか。

「十分に世話ができない」というのは、わんちゃんの老後ではないでしょうか。いろいろ手が掛かるようですし、病院に連れて行ったりしてお金もかかるようです。そういう事情がわかったので、新規に飼う人が尻込みしているのだとおもいます。

「かわいい」という気分で飼ったけど、いろいろ大変なことがわかって、冷静になったというところでしょうか。気が先走れば危うい。と沢庵さんも言ってました(医説)。わたし達も、冷静になって、わたし達の医学をみつめなおす良い機会かなと思いました。


 

2017年12月22日金曜日

わが家の日没

 今日は冬至。東京で、日の入りが4時30分だというのに、わが家の日の入りは1時30分。3時間もはやく、日没だ。
 
 それは、西側にできた、11階建ての、壁のようなマンションのせい。写真は、わが家の後ろ姿(前の姿は、HPでごらんください)。その向こうに、そのマンションがそびえる。

 左隣に4階建ての建物があるので、日の出も遅い。準商業地域だから文句はいえないが。写真手前の駐車場が唯一の解放したところで、ここにマンションが建てば、万事休す。すり鉢の底になってしまいます。

 30年前は、右隣もなく、壁のようなマンションもなく、左隣は植木畑で、開放的だったのです。まあ、人が増えているのだから、それは「良い」としなきゃ。

 



2017年12月20日水曜日

金沢の雪男

 12月17日は、金沢で、東方会北陸支部の講演でした。なんと雪でした。11月19日の札幌も雪でした。もしかしたら、雪男かもしれません。雨男とはいうものの雪男とはいいません。足元の靴は、こちら用の靴で、まるっきり役に立ちません。よくすべります。

 金沢には、あと3回、『素問』の講義がつづきます。古典を読む時の心構えと、漢和辞典の使い方をはなしてきました。

 古典は、読み終わるまで年月がかかるのですから、最後の最後まで信用しつくし、少しの疑いももたずに読まなければ、本当のことはわからないと思います。役に立つとか立たないとか、諸説紛々で信じられないとか、そのような目で見たら、それ以上先には進めません。中途で脱落したら、面白みは半減、面白み末梢ではないでしょうか。

 伊藤仁斎の『童子問』
「近道によってただちに最高の真理に到達する方法がありはしないでしょうか」
「そうではない。学問は正しく行われることが必要であるし、仕事はじっくりなされなければならない。特殊なことを喜んではいけないし、近道しようとすることは許されぬ。水が満ちてくれば、おのずと舟はただよい、花が散ったあとにみを結ぶように、自然にできあがるのがよい」

 最後の「自然にできあがる」は、まったく同感です。どうせ、遠い道、回り道を選んだのだから、覚悟をきめて読むしかないのです。コツコツ自然に。

 島田先生とプレーすることを望んで、テニスを始めて20年近くになるが、いっこうに上達しない。上達したいと思いながらコツコツと努力し、その結果「自然に上達する」と思いこんで、がんばっているところです。島田先生とは彼岸のコートで。


2017年12月11日月曜日

『鍼治枢要』

『鍼治枢要』は、矢野白成の著。1697年刊。京都大学附属図書館富士川文庫文庫所蔵。画像は公開されています。

 その巻の上の冒頭「鍼術」のなかに、「夫れ我が鍼術は、心の全体発して用を為す。故に心業と称す」、「蓋し体より用を為すときは、体用一源にして間(へだて)無し」というような表現があります。「全体」「体」用」は朱子学由来のようですから、矢野先生は朱子学を学んだ鍼立(鍼師)だろうと思います。

 矢野先生の治療法は腹部打鍼法です。矢野流を含めると、思想哲学を下地とした打鍼法には、少なくとも3流を見出すことができます。この3流に限っていえば、打鍼法は思想哲学が下地にあって成立する鍼法であり、ただまねをすれば良いというものではないようです。
  夢分流=仏教(禅)に基づく打鍼法。
  意斉流=老子に基づく打鍼法。
  矢野流=朱子学に基づく打鍼法。

 この体用については、伊藤仁斎先生は「この体(本質)用(適用)の理論は宋代の学者からはじまったももので、聖人(孔子)の学問にはもとよりこの理論はなかった。・・・それで体用で説明すると、体の方が重く、用の方は軽く、体が根本で用が末であるから、人はみな用をすてて体の方に走らざるを得ない。」と言っています(『論語古義』貝塚茂樹訳)。

 個人的には、本治法と標治法を、根本的な治療だから重視し、末梢的な治療だから軽視しているかもしれない。もともとそういう区別はないのだという視点でもういちど考え直してみたいと思います。本治法と標治法、できあがった方法を受け継ぐことも大事だけど、きちんと批判することも大切だな、と『論語古義』を読んで学びました。

 江戸時代の鍼灸に学べとはいうが、本当に理解するためには道はなかなか遠く深いようです。


2017年12月4日月曜日

フォアフット走法

 昨日の福岡国際マラソンで、大迫選手が好タイムで3着に入った。米国で、新しい走法を学んだという。それがフォアフット走法で、踵を着地しないで、つま先だけで走る走法らしい。フォアフット走法はアフリカの選手の走り方で、日本人には向いていないと言われていたが、その走法をマスターしたようである。大迫選手がいろんな壁を乗り越えたことから端を発して、こうして結実したのだと思っています。

 日本人になじんだやり方。これを否定するものでは無いが、頭打ちになってしまったら、その殻を破るしかない。そんなとき、世界中を見渡してみると、打開策が生まれそうである。日本式の鍼灸は、日本人になじんでいるけど、もっと画期的で、合理的なやり方が、世界中のどこかにありそう。中国でも、地方には、いるのではないか。

 日本には、江戸時代にはいたようです。古典を読むのは、視野が広がるという意味では、とても楽しい。辛気くさく古典に向き合うのは、ちょっと辛いが。江戸時代の彼らは、今のわたし達の鍼灸とは、だいぶ違ったことをやっている。そんな印象を持っています。

 

2017年12月1日金曜日

乱に及ばす

 孔子は、お酒が好きだったらしく、「ただ酒は量無し。乱に及ばず」(郷党篇)とあります。日常生活は厳格だったらしいけど、お酒には緩やかだったようです。「酒は量無し」は若い時のことか、晩年のことかは判りませんが、「七十にして心の欲する所に従うも、矩をこえず」(為政篇)とありますから、おそらく晩年のことだろうと思います。

 若い時は、飲酒して理性を失い、血気のままに行動して、失敗することもあるでしょう。若い時の孔子は、節制していたのだろうと思います。たとえば、何かしでかして、人に悪まれたりすれば、「年四十にしてにくまるるは、それ終わりなるのみ」(陽貨篇)というような発言はできないと思います。40才にもなって、人に悪まれたり、嫌がられるようでは、将来の見込みが無い。なんと強い発言でしょうか。

 日馬富士は、結局、引退しました。理性を失うほど飲酒しなければ、このような事件は無かっただろうと思います。かつて教わったことのあるテニスのコーチは、飲酒して階段からおち、足を骨折して、大きな大会に出られなくなったそうです。スクールも任せられているようですから、任せた方は怒り心頭に達しているでしょう。心を入れ替えて、出直すしかありません。それにしても彼のテニスの能力がもったいない。

 『素問』上古天真論にも、水のように酒を飲むことを命を縮める原因としています。飲酒を禁じているのではありません。適量を守るべきだと言っているのです。この適量を守ることは、養生の大原則なのです。

 このたびは、理性を失うほどの飲酒の事故2例で、養生教育の必要性を痛感しました。

2017年11月26日日曜日

丹塾古典部

 11月26日(第4日曜)は、丹塾古典部の日でした。次回から、第1日曜日に引越しますので、ご注意ください。日曜日で参加できる人はぜひご参加ください。

 今日は大掃除をして早めの忘年会をしました。

 次回の丹塾古典部は、12月3日日になります。
 午前10時~12時は、古典データベース作業をしています。現在取りかかっているのが、岡本一抱の『鍼灸阿是要穴』と矢野白成の『鍼治枢要』です。
 午後1時~4時の間に、江戸文献と『黄帝内経』をよんでいきます。参加費は1000円です。

 丹塾本部は、第1日曜日に講習会をやっていますので、興味ある方は、ひきつづきご参加ください。講習内容は、「丹塾」で検索してください。

 その次の丹塾古典部は、2月4日です。必ずしも毎月ではありませんので、ご注意ください。

 

2017年11月24日金曜日

腰ぎしぎし

 11月19日は、札幌で、視覚障害者を対象に講演してきました。千歳空港についたときは、晴れていて、気温も8度とかで、防寒対策をして行ったのですが、肩すかしでした。

 しかし、夕方から雪が降り出し、一晩にして20センチも積もりました。写真は、ホテルから、中島公園をとったものです。

 札幌は、建物の中は、暖房がほどよく行き届いていて、快適でした。しかし、快適な室内にいても、外気温(ゼロ度)に感応してか、腰がぎしぎし痛みました。いま、自宅にいますが、その腰はぎしぎししてません。何時も通りの腰重です。筋疲労でぎしぎし痛んだのではなく、外気温と感応したとしか考えられません。

 布団に入っていても、外気温が下がる朝方になると、神経痛が痛くなったり、咳が出始めたりするのは、外気温との感応だとおもいます。このことは、古典では「通天」というようです。春は春の体、夏は夏の体、秋は秋の体、冬は冬の体。昼は昼の体、夜は夜の体。体外の気に応じて、体内の気が感通するという意味で、「通天」というようです。

 こういう事を思い、古典に書き残した、彼らの感度におどろくばかりです。おどろくばかりでなく、こういう事を世に発信していかねばならないのだとつくづく思います。


お灸用のお線香

 昨日、誘われて、茨城県石岡市に在る、駒村清明堂というお線香製造元を見学してきました。

 材料はすべて杉。それを水車で衝いて粉にし、固めてお線香に造っただけのものです。余計な香りがしないこと、刺激的なけむりではないこと、火持ちがよいこと。とてもおすすめです。

 ぼくは、学校で使っている太い線香は、においがイヤだし、煙もイヤです。施灸の授業になれば、ぼくには地獄です。このお線香なら、大歓迎です。早速、衛生学園の実習の先生に、推薦するつもりです。使ってみなければわかりませんから。

 ひと箱、現地で買えば1000円。通販だと1200円だとか。ひと箱で、1日1本で1年くらいもつと言ってましたから、300本くらい入っていると思います。

 お線香も、お灸も、仲良く手を取り合って、生き延びていこうではありませんか。

 なお、茨城県伝統工芸品に指定されているようです。

2017年11月20日月曜日

心下痞硬を考える

 11月3日に外国の人を対象に、11月19日は視覚障害者を対象に、講演をしました。講演の通例として、心下痞硬の確認として、心窩部を各自で打診してもらうのですが、外国の人も、視覚障害者も、心下痞硬率は高くなく、特に視覚障害者は、ほどんど居ないと言っていい、そんな印象を持った。

 心下痞硬は、ストレスと、過飲食と、胃の不振とが、原因のように思っている。

 外国の人は、フランクな人(率直。飾らない。遠慮が無い)がおおくて、心理的なストレスが少ないと思うし(本当のところはわかりませんが)、胃腸が丈夫なようでもある。それゆえに、過飲食があっても、心下痞硬が少ないのだとおもう。

 視覚障害者は、胃腸が弱い日本人なのに、なぜに心下痞硬が少ないのかと、思案したのです。ストレスが少ないのか、過飲食しないのか。

 前夜、先方の視覚障害をもつ先生がた4人と食事をしましたが、用意された食事を淡々と食べていましたし、お酒を飲みますが適量を守っているようでした。自分で食べ物を探し求めることができないし、足元がふらつくぐらいのんだら危険なので、余計に食べない、余計に飲まないのだと思います。

 また、目は、他の食べ物をみたりして、食欲をあおっているのかも知れません。食欲をあおらないので、適時、適量をまもることができて、胃腸にも負担をかけず、食欲を抑制しなくてもよいので、心下痞硬が形成されないのではないでしょうか。

 適時、適量を守ることは、まさに『素問』上古天真論篇に「飲食に節有り」に合致しています。現時点では、心下痞硬を、こんな風に考えました。
 

2017年11月4日土曜日

ジャパンセミナー8

 本日は、ジャパンセミナーの8回目。首藤傳明先生の代役として、6回目から講師をしています。アメリカのバークレーの鍼灸学校AIMCが主宰する日本鍼灸を学ぶ為のセミナーです。世界各国から参加者があつまり、今年は28名の参加者がありました。

 今回は、腹診を使った治療を紹介してきました。準備資料も用意して万全なのですが、実際、受講生を前にすると、資料はそっちのけで、すべてアドリブになります。通訳の時間をのぞけば、実働3時間~4時間の講義でした。

 熱心な56個の目で見つめられると、なにしろベストを尽くさなければならない、と覚悟するのです。そのベストというのは、やしきたかじんのいう「原液」なのだとつくづく思います。素の自分を出すこと。それしかないです。格好つけている場合じゃないし、取り繕っているスキもないのです。

 前任者の首藤先生は、やはりすごい。

 素の自分を出すことができるという意味で、ジャパンセミナーは、面白いことは面白いのです。でも、しんどいのです。(終わってほっとしています。お正月みたいです。)



2017年11月2日木曜日

『諸病源候論』データ販売開始

『千金方』、『千金翼方』につづいて、『諸病源候論』のデータ販売の準備ができました。1枚800円です。ぜひともお買い求めください。申し込みは、鶯谷書院HPから。

『諸病源候論』は、隋の巣元方が編纂したもので、病気の成り立ち、分類、そして養生法(治療方法は記載されていない)が書かれています。たいへん勉強になる古典です。今までは、古典と言えば、『素問』『霊枢』『難経』ですませていましたが、現在は、隋唐の古典まで目を通さないと、なかなか深く理解できません。理想的には、影印本を、一ページずつめくってよめばいいのですが、まずはPC画面上で一通り目を通すという勉強の方法が、今風だと思います。

『素問』『霊枢』のデータができて、研究方法が大いに変わりました。同じ文字が、どのように使われているか、一瞬にして検索できるのですから、比較検討しやすくなりました。こうした検索は、江戸時代でも、昭和時代でもできなかった研究方法ですから、頭脳は劣っていても道具がカバーしてくれるので、一定の研究ができると思います。

 このブログを読んでいる人には、「古典は関係ないや」という人もいるかも知れません。関係ないものが、いつか役立つことがあります。そう思って、1枚買いませんか?


 
 

2017年10月28日土曜日

『老子』読み終わる

 第4土曜日6時~8時で、一昨年の11月から読み始めた『老子』は、今日読み終わりました。一人で読み切ることは難しいので、仲間と読み終わって大満足です。一人で読めば、表面をなぞるだけしか出来ないのですが、仲間と読めば、いろいろな意見、体験などが出てきて、より深く読むことができました。万金に値します。ありがたいことです。

 参考になったのは、蜂屋邦夫訳注(岩波文庫)、沢庵の『老子講義』、森共之の『老子国語解』。沢庵の『老子講義』は明治時代の刊行で、それでも古書市場に出ていますので手に入れることができます。森の『老子国語解』は貴重本です。鍼師の治療に必要と思われる思想書として『老子』を選び、注釈をほどこしたものです。データ入力は済んで、校正している最中です。わたし達の大先輩の森の業績を、世に問うことは、わたしたち(鍼灸師)の努めであると思っています。

 来月からは(第4土曜日6時~8時)、岡本一抱の『阿是要穴』を読む予定です。興味あるかたは、ご参加ください。どなたでも参加可能です。参加費500円です。

『老子』63章に「天下の難事は、必ず易きよりおこる」とあり(好きな文句でもありますが)、こつこつ、少しづつ、積み重ねていくのが、王道だと思います。その一歩が踏み出せないから難事になる、というのです。千里の道も一歩から。正しい道か、誤った道かはわかりませんが、まずは一歩!


 
 

2017年10月26日木曜日

曲直瀬道三『啓迪集』

 11月5日(日)18時~21時、丹塾の勉強会があります。

 前半90分、僕が当番で、便秘を題材に、曲直瀬道三『啓迪集』を読みます。かつて、『現代語訳 啓迪集』の婦人門を担当したきりで、読むことは無かったのですが、今回は、ちょっと題材にしてみました。

 よく読むと、現代医学的にみてもほぼ的を得た内容で、よく目の行き届いた医書だと思った次第です。弁証論治の先駆けでもあるのですが、行き届いたという面では、現代の教科書にしても良いくらいです。鍼灸治療については書いていないのですが、基礎医学書として、鍼灸師も読まなければならないと思いました。

 時間が空いていたら、丹塾に来てみませんか?
「丹塾」で検索してみてください。参加費500円ですよ。

2017年10月23日月曜日

精を出す

 昨日の丹塾古典部では、沢庵『医説』を引き続き読みました。

 丹精を込める、精力を尽くすのは、腎にやどっている精の力に由来する。合わせて言うなら腎精であるが、二つの意味が込められている。たましいとしての腎精と、生殖能力としての腎精である。

 『医説』で問題にしているのは、たましいとしての腎精であり、「気を使ひ、物に精をいだし、もの多くいひ、高声をいだしなどし、力を出しなどすれば、末の精からつくして、本へこたふるなり」といい、最終的には腎(本)を損なうのだという。性的行為だけでなく、老化だけでなく、力を出し精をつくすと、腎を損なうのだという。こういうことは、誰も言ってないと思う。よくよく踏み込んだ人なのである。

 腎精の能力が高いひとが、気配りするには、さほど損なわないのだろうけど、腎精が低い人が、気配りしてしまったら、損なうこと大である。気配りするしないの問題ではなく、腎精の高低なのである。腎精の高低に気づくことである。腎精は、生まれ持ったたましいであるから、無心になって自分をみつめないとなかなか、その高低はみることができない。第三者が見て上げるとしても、その人も無心にならないと、こころの奥底にあるたましいはみえない。のであるから、とても難しい。

 『医説』を読むと、沢庵は無心の人だなとつくづく思う。「なんで沢庵なの?」と問われるが、この医学を客観的にみてくれる人なので、とても啓発されるからであります。


 

2017年10月18日水曜日

論語古義~金沢大会

 伊藤仁斎著『論語古義』を読む。とはいっても、貝塚茂樹先生訳です(中央公論社、日本の名著 13)。

 学而篇の「人の己れを知らざるを患(うれ)えざれ。人を知らざることを患う」

 吉川幸次郎は「自分が人から認められない、というのは、自分の悩みではない。認められるような点がない、というこそ、悩みである」と訳す。

 仁斎は「学者は他人が自分の善を知らぬことをなやまず、自分が他人の善を知らぬのをなやむべきであることをいわれた」と訳す。

 そして「思うに善が自己の中に存在しなければ、他人の善を知ることができない。それで君子は他人の善を知らないのをなやむのである」と追記する。

 深耕の度合いが格段に違う。一通り古典が読めるといっても、これだけの差がある。この学問に一生をかけた仁斎のたましいが、この文章だけでも読み取れる。

 伝統鍼灸学会学術大会の実技供覧は、かつて興行的だという批判があるところで、学術大会なのだから、討論の時間を増やせ、研究発表の機会を増やせという意見があった。学会を客観できる立場になって、学術大会をみると、その意見の通りだとおもう。

 おそらく、わたし達に、学問軽視かどうかわからないけど、実技重視の意向があるのだと思う。両方は一緒のものであり、偏重は好ましくないと思う。さらに、「見て理解する」だけでなく、「考えて理解する」ことは、避けずにやらねばならない。

 金沢の学会に参加しての感想でした。むりやり、古義と大会を結びつけてみました。

 

2017年10月15日日曜日

(金沢)用水沿いに

 日本伝統鍼灸学会のため、金沢にきています。二日目、市内を(沢庵師のまねをして)歩いてみました。約3時間。おもに、建物見学でした。足軽屋敷、老舗、千石級の屋敷など。足軽屋敷は、丁度わたし達の家の程度。観光客さん、ぱらぱらと居ました。多くの方は、金沢城、兼六園に行っているのだと思います。

 その当たりから折り返して、鞍月(くらつき)用水のわきを、水音を聞きながらかえってきました。犀川から取水していている用水で、滑らかに流れていました。町の中に用水が流れているのは、潤いがあっていいものです。金沢には用水が多くて、55本もあるのだそうです。

 街を設計した人に聞いてみたいですね。用水をはりめぐらしたアイデアを。誰に教わったのか。何をヒントにしたのか。時々、直角に曲げているのは、なぜなのか。
 
 
 



2017年10月9日月曜日

ソウルフード

 10月8日は、33回忌で松島へ。生まれは大正6年で、丸山先生と同じで、生きていれば100歳。松島瑞巌寺での法要ののち、墓参。

 会食は、塩竃の「千松しま」。同級生の色川くんのお店です。そこそこ有名らしい。会席料理というのでしょうか、材料を吟味し、技をつくした料理がならびました。おいしいのには間違いないのですが、微妙にこころが満たされないのです。田舎に生まれた者が、都会料理を食べても、背伸びした分、満たされないのだとおもいます。

 今年は、茹でとうもろこしを、数十本たべました。子どもの時から食べている、つまりソウルフードを食べるのが、一番安心します。地に足が着いていないとかいうけど、食べ物でも言えるようです。食べ物の質・量だけで片づかない食養生というのがあるみたいです。
 
 仙台駅では、偶然にも、先輩鍼灸師の樋口秀吉先生にお会いしました。あんな人混みの中で。
 

2017年10月2日月曜日

沢庵師健脚なり

 沢庵和尚は、紫衣事件によって、山形に流され、上山市に蟄居する。罪を許され、京都に帰り、ふるさとの但馬に帰るが、また江戸に呼び出される。この間、6年。ぼくの年齢に近いので、ちょっと調べてみました。

 57歳:奈良から江戸に呼び出される。判決が出て、7月に山形に向かう。
 58歳~59歳:上山にて蟄居。
 60歳~61歳:家光に江戸に呼び出される。江戸に逗留。
 62歳:許されて京都に帰る。その後、兵庫の但馬に帰る。
 63歳:江戸に呼び出される。

 奈良江戸(481キロ)江戸上山(357キロ)上山江戸(357キロ)江戸京都(492キロ)京都但馬(144キロ)但馬江戸(613キロ)。
 63歳にして、613キロ。1日30キロとして20日間。たいへんよく歩いてます。

 生来の病弱で、曲直瀬流医学を独学。71歳で没する。医者ではないものの、医学に真剣な態度は、わたし達の亀鑑でもある。すべての面において、かがみである。
 
 

2017年9月28日木曜日

吉祥画

 造ってもらった判子に、解説がついていました。

宮10 川3 浩11 也3 27+14=41
字画数41画は、意志が非常に堅固で、ものごとが思うように進展して、成功をおさめるという吉数。指導者な智慧と声望に恵まれ、一生経済的にも充足して、家庭も円満、子孫も繁栄、人も羨むほどの成功をおさめるという吉祥画です。

 嬉しい文面ばかりで、天にものぼる気持ちでいたのですが、よくみると・・・

 浩の画数が11とあります。どのように書いたって10画なのです。ということは、この占いは、当たっていないことになります。やれやれでした。




2017年9月27日水曜日

薪(たきぎ)の妙勝寺

 元和5年(1619)、沢庵宗彭47歳、京田辺市の薪にある妙勝寺に寄寓する。翌年、兵庫県の但馬に帰郷する。妙勝寺に在るとき、瘧病に罹患する。主な症状はさったものの、完治とはいかず、いろいろな症状に悩まされていたので、鍼立の「悦」なる者に治療してもらった。「悦」の治療は腹部打鍼法である。

 妙勝寺に行ってきました。こぶりの古刹でした。寺域のすみずみまで気持ちが届いているようで、気持ちの良いお寺でした。沢庵ゆかりのものは何も無いのですが、時は違えども、場所を共にしたというだけで、満足でした。

 この寺は一休禅師の再興したもので、師恩に報いる意味で「酬恩庵(しゅうおんなん)」ともいう。さすがに、このようなひなびたところには、外国の人が押しよせて来ない。京都市内と大違い。

 後悔ということばがある。悔というだけに、心残りなのである。心残りが心にあると、心が自由にならないので、なるべく心残りを作らないようにしている。

 こころこそ、こころまよわす、こころなれ、こころにこころ、こころゆるすな。(沢庵)

 


2017年9月21日木曜日

八木下先生の墓参

 9月18日(祝)に、八木下勝の助先生の墓参に行ってきました。写真でみるものの、やはり実際に行ってみないと何とも心が落ち着かない。

 八木下勝之助先生のことは、『漢方の臨床』誌に紹介しましたので、詳細はそちらを見てください。

 墓は、千葉市中央区弁天4-9-1にある本敬寺墓苑にあり、墓石には「湯浅家之墓」とあり、昭和37年に湯浅静香が建てたもの。
 眠っているのは、
  勝之助 昭和21年8月12日 90歳
  (妻)うめ 昭和32年1月2日 83歳
  志づか 平成6年10月1日 85歳
  勝雄 平成26年1月28日 80歳
 の4名である。勝雄さんは、ネットで検索すると、千葉市立川戸中学、真砂二中などの校長をなさった方で、年齢的におそらくその人かと思う。鍼灸を業としていないかも知れませんが、血流は途絶えていないようです。

 八木下は雅号で、本姓は湯浅である。経絡治療の元祖というだけでなく、鍼道を究めた人として私淑して、一度は墓参と思っていて、ようやく叶いました。


 


2017年9月16日土曜日

ツボのイメージ

 今月号の『医道の日本』は、ツボ特集号です。88人の先生方の、ツボのイメージを、文字にしたり、イラストにしたりして、たいへん面白い特集です。横田観風先生、南谷旺文伯先生、山下健先生のインタビューもあります。

 インタビューを断った先生もいれば、記事を書くのを拒んだ先生もいると思います。少なくとも、この2倍、3倍は、書き手候補がいるはずです。つぎの特集には登場してくれるでしょう。

 いま、出版業は下降線をたどって、雑誌も生き残りの策を模索しているのでしょうが、文春砲のようなニュースに乏しい業界なので、こういうエッセイ集も悪くない。

 是非、読んでみてください。鶯谷書院に若干のストックがあります。


2017年9月13日水曜日

10秒の壁を超える

 桐生君が、ついに10秒の壁を超えた。追い風が2メートルを超えると参考記録らしいが、1.8メートルという絶好のコンデション。

 NHKで、9秒台のカウントダウンという番組をみました。各選手いろいろに工夫をして、10秒の壁を超えようとしている。ライバルがいると闘争心が高まるだろうけど、あせりも半端じゃないでしょう。筋肉のかたまりと思ったら、相当に神経を使う競技らしい。

 2015年の世界選手権決勝で、ガトリンは、最後の数歩でボルトに抜かれて、2位。こんなことを言ってました。
「横に走るボルトが見えて、気になった瞬間、集中力がとぎれてしまい、本来の走りができなくなり、スピードが落ちてしまった」
「最後の数歩で敗北するという、今までもっとも屈辱的なレースだった」

 ボルトが少し離れたレーンだったら、視野に入らなかったでしょうが、焦りとか、勝つ、負けるという意識でなくて、視野に入っただけで本来の走りができなくなるんですから、ベストコンデションであっても、なかなか思い通りのレースができないのでしょう。そういえば、桐生君、インタビューで泣いたこともありました。歯がゆさ、くやしさ、あせり、入り交じっていたのでしょう。

 その上で、勝者になり、記録を出すのですから、並大抵のことでは無いようです。

 



2017年9月4日月曜日

たましいのラーメン屋

 2ほど前まで鶯谷にあり、今は他所に移ったラーメン屋のはなし。

 店の前を通りかかったとき、「今日はスープが納得いかないので、開店しません」と張り紙してあったので、興味しんしん。

 お店はカウンターで5人が座れるだけ。厨房もさほど広くはない。ぼくは、ラーメン通ではないので、ラーメンの評価はさて置き。

 ご主人に「厨房に何時間くらい居るんですか」と聞いたところ「17時間ですわ」とおっしゃってました。あとは、アパートに帰って寝るだけだと言う。目が点になるというか。こういう人を、たましいの人というのでしょうね。

 わたしらの業界では、数時間の勉強会がおわると、飲み会が始まってぐずぐずしてますから、この先どうなるんでしょう。それも、よくて週1回、たいていは月1回ですから、たましいのラーメン屋さんが神々しくみえます。それでいて、東洋医学とか、伝統医学とか、看板をあげているんですから、なさけないです。

 さて、気を取り直して、たましいの鍼灸師、めざしましょうか。

2017年9月2日土曜日

感性がおちている②

8月10日のブログ。

「人の芝居が下手に見えた時は、自分が下手になっている時だと思え。感性が落ちている。」山本學

 野口晴哉の『潜在意識教育』にも類似の表現がありました。
「あの人が意地悪いと言うが、貴方が意地が悪いから、あの人の意地の悪いことが判り、貴方が狡いからあの人の狡いことも判るのだ。ぼくはちっとも気がつきませんでした。」

 ようするに「蛇の道は蛇」。それ以外の人には判らない。判っているということは、同類の者ということになる。

 相手が下手に見える、意地悪くみえる、狡くみえる、というのは、自分も同類なのである。

2017年8月30日水曜日

亀甲積

 久留米の帰りに佐賀市に泊まりました。写真は、佐賀城のお堀と、櫓の石垣です。お堀は広いところでは80メートルあるらしく、それが800メートル四方で囲んでいます。かなりおおきなお城です。
 
 櫓の石垣は、亀甲積みという方式で積まれています。神社の石垣では見ることがあるのですが、お城では初めてです。加工しやすい石らしく、四角ではなく六角に削りだし、積み上げています。「亀甲城」とも呼ばれるようです。平城で、高い樹木があって、城がうずもれたようになるので、「沈み城」とも呼ばれているようです。

 お堀は埋められて、運動場になったり、学校が建ったりすることが多いのですが、ほとんど埋められていないところに余裕が感じられます(土地の余裕か、佐賀県人のこころの余裕か)。時間が無かったので、本丸資料館には立ち寄れず。昔の姿のまま再建したもののようです。またの機会には行ってみたいと思います。とりあえずは、堀をほぼ一周歩いてみました。


2017年8月27日日曜日

下村湖人生家

 8月27日は、久留米市の気血研究会夏期大学に参加しています。60分の講演をしました。テーマは「五神について」。五蔵に宿っている五種類のたましいの話です。『内経』次号に発表内容を掲載予定です。

 25日に柳川市に泊まりました。柳川城址と、柳川名物の鰻せいろ蒸しを元祖元吉屋で食べました。当日は、暑くて湿気で、町歩きも苦行でした。

 柳川城址を歩いていたら、町の人にあいさつされ、柳川高校の野球部の生徒にあいさつされました。あとで聞くと、こちらの人の普通なのだそうです。垣根が無くていい気持ちでした。せっかくだから、野球部の生徒に、県予選はどこまでいったと? と聞いたら、県予選にはでれんと。地域予選でまけたと。と言ってました。だいぶ弱いようです。

 となりでは、硬式テニス部が練習をしていました。こちらはかないウマイ。球筋が高校生らしからぬ、とおもってたら、硬式テニス界ではとても有力な高校なんだそうです。いいものを見ました。柳川城址よりも、印象的でした。

 26日は、下村湖人生家をたずねました。このブログで『論語物語』に触れたばかりなので、柳川でもらったパンフレットの片隅にみつけたときは、とても感動しました。朝10時に着いて、次のバスが13:30とのこと。3時間半滞在しました。そのあいだ誰も来館しませんでした。湖人先生によばれたのだと思います。たましいの洗濯になりました。



2017年8月21日月曜日

補虚写実

 昨日は、第12回、教員のためのセミナー(北里医史研主催)でした。小曽戸部長に相談し、始まった企画です。医史研の客員研究員がおもな発表者です。教員、教員予備軍が受講対象なので、一般の方には情報がまわっていないかもしれません。

 ぼくは、補虚写実の考え方は『内経』が出土文書から受け継いでいる、という視点で発表しました。この視点は、白杉悦雄先生の論文を参考にしたものです。論文を読んだだけではピントこなかったのですが、自分から整理してみるとよく理解できました。

 林克(元大東文化大学教授)によれば、いまや、出土文書を扱わない中国古典の研究はあり得ないそうです。『内経』の研究はもちろん必要だとして、それをさかのぼる文書が出てきたからには、きちんと研究しておかなければ、その学説は危ういのだそうです。

 補虚写実には、おおむね4タイプあります。
 ①養生から学んだ、腠理虚、邪気実。
 ②養生から学んだ、腎精満、腎精空。
 ③医学から受け継いだ、気の有余・不足。
 ④医学から受け継いだ、血の有余・不足。

 ①は、邪気を排除し精気を集める補瀉。
 ②は、満杯になったら外に出し(射精)、外に出したら貯まるのをまつ。補瀉。
 ③は、気有余の熱、気不足の寒、の補瀉。
 ④は、血有余の充血、血不足の虚血、の補瀉。これは脈状診で決める。

 ①と②の瀉は、外に出す。③と④の瀉は、外には出さない。
 ②の補は、貯まるのを待つ、ので時間がかかる。③と④の補は、凸凹が調整されればよい(地ならし法)ので、時間がかからない。
 邪気もしくは外邪という表現を使う場合は、①のみ。②③④で、実を邪気というのは、本来の使い方ではない。
 ③④は地ならしして、程よい真ん中にもっていくのが補瀉。①は邪気を排除して、精気を補うのが補瀉。程よい真ん中ではない。②は満杯と空っぽを繰り替えすのが補瀉。程よい真ん中でもなく、邪気の排除でもない。

 4つのタイプは立ち位置もゴールも違う。これを一緒くたにして補虚写実を論じていたのであるから、わかるはずがない、混乱するはずである。

 きちんと理解して、緊張感をもって行動する。こういう基本ができていなかったとつくづく思う。適当に解釈して、適当に治療する。鍼灸の神さま、怒っているんだろうな。

2017年8月18日金曜日

乱に及ばす

 ジャイアンツの山口投手が、酒に酔って、病院の警備員を怪我させ、病院の設備を壊した。そのことによって、ジャイアンツは、今シーズン出場停止、罰金、減俸などを決めたそうである。
 
 ぼくは、酒が飲めないので、人生の半分を損しているね、と言う人がいる。たしかにそうなんだろうと思うけど、お酒で失敗したニュースを見ると、飲めないことも、まあ有りだと思う。

 孔子は「ただ酒は量無し。乱におよばず」(『論語』郷党)といって、結構な酒飲みだったようである。聖人君子にして、このようであるから、中国はお酒には寛大かもしれない。酒乱は『霊枢』論勇篇では「酒悖」というし、倉公の診藉にも、病因が「酒に酔って道路に寝た」からというのもあるから、昔から、大トラはいたのである。

 お酒の過飲が、健康を損なうのは、自分で解っていると思うけど、正常な判断ができずに一生を棒に振るかも知れない事件を起こすのは、自分が解っていないだけに後悔は強いかも。

『素問』上古天真論篇は養生を述べるが、ポイントは節度である。節度ある飲食、規則的な生活。そういうことが、理想の養生なのだという。それが中々守れないから、上級の養生なのでしょう。

 


2017年8月17日木曜日

2ミリ角の文字

 30代は、文字学がマイブームで、『説文解字』に始まり、いろいろな字書を、片っ端からめくっていました。なにしろ、文字学が、字書が、医学古典講読に役立つのかどうか、そういう情報がありませんでしたので、むやみやたらにめくっていました。
 
 写真は、朱駿聲の『説文通訓定声』というもので、文字の通用例をみるのにとても役立ちます。久しぶりにみましたが、文字は2ミリ角で、読むのは大変でした。30代は苦でもなかったのです。

 この本を、何ページめくっても、何文字読んでも、すぐ医学古典講読の役立ちになるわけではありません。だから、読まなくてもいいのですが、基礎知力の育成には欠かせないと思っています。個人的には、こうした回り道をして、地道に読む方が合っていると思っています。

 幸いというか、左目は遠視で、右目は近視です。なので、遠くは見えるし、近くもみえる。時間ができたら、『説文通訓定声』をじっくり眺めたいところです。

2017年8月10日木曜日

感性が落ちている

 スマホでは、メモ機能をよく使います。思い出したこと。読んで感動したセリフ。その中に、こういうのがありました。出処は不明(たぶん新聞記事)。 
 
「人の芝居が下手に見えた時は、自分が下手になっている時だと思え。感性が落ちている。」山本學

 山本さんは俳優さんなのですが、その演技はあまりみたことがないので、山本さんがどういう人なのかよく分かりません。しかし、その言葉は印象的でした。

 最後の感性が落ちているというのは、看過できませんでした。わたし達の職業で、感性が落ちてしまったら、重篤な事態だと思います。「人が下手に見える」ことはなくとも、「下手に見える」を「人の悪い所がみえる」に置きかえれば、日常よくあります。その時に、感性が落ちているのですから、愕然としました。

 沢庵和尚によれば、悪い所が見えるのが悪いのではなく、良くも悪くも、そこに心がとまることがダメなのである。ゆえに心に自由がない。心に自由がないから、感性も落ちるのである。

 いずれにしても、感性を落としたまま、30年臨床をやってきたかも知れません。こころを入れ替えて、後半戦に挑むしかない。

2017年8月7日月曜日

うつむく者

水野南北(1760~1834)の『南北相法』

・仰向くようにしてきょろきょろと歩く者は、これを「しらむ」といって、心が上の空で大いによくない相である。
・身体が豊かで、脇目もふらずに、少し下をみるような歩きかたをする者は、これを「くろむ」といって心が丹田におさまっている大変よい相である。
・身体がみすぼらしい上に、俯くようにして歩く者は、子に縁遠く、苦労が多い。

 いま、スマホを持って、下をむいている(うつむいている)人がとても多い。必要な情報を得るのであればしかたがないが、覗いてみるとゲームをやっている者が多い。ゲームをやるものやらないのも個人の勝手だが、しぜんに下をみるクセがつくし、背中も丸くなるので、注意したほうがよいとおもう。卑屈(背をかがめて低めること)が身についてしまいますよ。

 自分の将来が、ゲームごときで、決まってしまうのかと思うと、おそろしい。
 自分の将来が、くろむを意識することで、良くなるのならば、実にたのしい。


 

2017年8月3日木曜日

『大漢和辞典』

 我が家には、『大漢和辞典』が2セットある。治療室と、自分の部屋と。

 本体12巻と、索引が2巻。語彙索引を計ってみたら2900グラムあった。日に何度も引くことがある。その時は、筋トレだと思っている。3キロの鉄アレイを上げ下げしていると。これが何歳までできるんだろう。ふと思った。

 古典を読むときの、第一の地の作業といえば漢和辞典を引くことだと思う。ひと通り地の作業を終えてから、翻訳本を読むことにしている。そうでないと、翻訳本で間に合えば、地の作業をしなくなるからである。

 人の仕事を、ちゃっかり借りて、すまし顔しているのは、性に合わない。できれば、そういうことをしないで、自分で視た聴いた調べた、その範囲内で、生きていくほうが、性に合っている。

 もちろんヒントはたくさんもらいます。もらいますけど、自分なりに理解してから、使いたいと思います。このときに、工具書が、とても有難い。『医古文の基礎』第一章が工具書の使い方であるのは、なかなか配慮に富んでいる。

 

2017年7月31日月曜日

電力自給率

 日本の電力自給率は6パーセントで、主要国でいえば34位だそうである。消費は5位だそうである。
 
 消費を減らせそうなもの。
 第一位。清涼飲料水の自動販売機。せめて距離制限すべき。
 第二位。東京圏の電車運転本数。せめて日中は減らすべき。
 第三位。スーパー・コンビニなどの冷凍庫・冷蔵庫。オープンにしないで。
 第四位。駅の日中の照明。こまめに消したらいいのに。

 こんなことで改善するわけでも無いのでしょうが、自給率6パーセントの国民としては、つつましやかに消費しなければならないのかと思います。

 バイト収入6パーセント。親からの補助94パーセントの息子(こういうヤツがいた)としたら、むやみやたらに、無計画に、お金を使うのではなく、謙虚に、つつましやかに、消費生活をしてほしいと思うのは、だれがみても当然の理窟ではないでしょうか。

 こういう時に大ナタを振るい、果敢断行する為政者がほしい所です。
 




暑い中、クーラーかけて、

2017年7月29日土曜日

忍岡中学のさくら

 鶯谷駅北口の道路むこうに忍岡中学がある。道路沿いには、桜が並んでいる。いつも、その一番端っこの桜の下を通過して、鶯谷書院に向かうのだが、なぜか、桜のにおいがしないのである。よこしまな心が、においを遮断しているのかも知れない。

 稀に桜のにおいがすることがある。たいていの桜はにおいを八方に放散しているが、この桜は細い帯状ににおいを放散しているらしく、その帯を通過する一瞬だけ桜のにおいがする。なんともナイーブな桜である。よこしまな心が無くて、さらに運がよければ、年に数回、桜のにおいにありつける。

 現在住んでいるところは、40年前に、田圃を埋め立てた新興住宅地である。そのためか、旅行をしてしばらくぶりに家に帰ると、東川口駅から家にむかう途中で田圃のにおいがする。普段のときは、田圃のにおいはしないが、しばらくぶりだと田圃のにおいがする。

 町歩きも、目ばかり酷使しないで、鼻、耳、皮膚も活用すると面白いですよ。コツは。見ようとしないで見る、聞こうとしないで聞く、嗅ごうとしないで嗅ぐこと。よこしまな心は(何かを考えたら)、邪魔になります。
 
 

2017年7月24日月曜日

『仏教思想のゼロポイント』魚川祐司著

『論語』公冶長に、孔子が弟子3人を評価して、子路は千乗の国(大藩)を治める能力はあるが、「其の仁なるを知らず」といい、子有は百乗の国(小藩)を治める能力はあるが、「其の仁なるを知らず」といい、子華は、外務大臣を務められる能力はあるが、「其の仁なるを知らず」という。政治的な能力と、仁者(仁徳者)である能力を、別々に評価しているのが気になっていたのですが・・・

 ミャンマーには瞑想センターという施設が多くあって(僧侶がトップを務める寺院であるが)、出家・在家を問わず希望者を受け入れて瞑想の指導をしてくれらしい。本書の著者が訪れたとき、そこに7年異常も滞在している日本人僧侶がいて、開口一番に「ここで瞑想しても人格はよくなりませんよ」と言ったそうである。同著によれば、日本では大乗仏教の影響で、悟りは円満な人格完成者としての仏の悟りのイメージが強いので、解脱・涅槃を得た人は、同時に人格者のように思う傾向があるらしい。

 なるほど。ぼくは、僧侶に限らず、優れた技能者にも、人格者であるのを期待していたかもしれない。人間国宝ともなれば、自動的に人格者ときめつけているかもしれないし、優れた鍼灸人も、人格者だと思いこんでいる節がある。人物の評価は、冷静に行い、思い込みやえこひいき、偏りがあってはならないとわかっていても、習性といおうか、なんとなくまるっと評価してしまっている。

 そういう意味で、孔子が「其の仁なるを知らず」といったのは(都合5回も使われる)、相当に重い意味を持っている。ということを、仏教の本を読んで分かった(気がする)。 

2017年7月20日木曜日

この試合のために

 ウインブルドン3回線で、大坂なおみが、ウイリアムズ姉妹の姉のビーナスと対戦し、敗退した。

 対戦前のコメントがふるっている。
 「彼女たちがいなければテニスをしていなかった」
 「自分の人生はこの試合のために準備してきた」

 毎日の練習、意識、日常の全てが、「ウイリアムズとの対戦」で充満していて、対戦がかなってたのしみだったでしょう。

 日常のすべてが「1本の鍼、1つまみのお灸に向かっている」というのも、なかなかに格好いい。よこしまなこころが無くて。純朴で。剛毅で。

 孔子が「剛」なる者をみたことがない、と言ったので、弟子が申棖という者がいると言ったけど、孔子は申棖には欲があるので、剛に相当しないと答えた。ー『論語』公冶長

 おそらく、私欲が入らないことを「日常のすべて」とはいい、そうでもしないと到達できない領域があるでしょう。日本語がたどたどしい大坂なおみだけれど、コメントを聞いて魂の強さを感じました。鍼灸界にも、こういう新星が現れるといいですねえ。

 その前に、この漫画の監督のような人物が出てこないといけないかも知れません。私欲っている場合じゃない。 



2017年7月10日月曜日

森共之のコメント(その2)

 ふたたび、『老子国語解』72章から。
又肉食を禁すること、神代の始めにはなきことなれども、日本は異国とちがひ、米穀も甚だ味厚美なる上、何国(いづく)も海辺遠からずして。常に生鱗の魚類を食ひ。奉養満足せるに。脂らを多き獣類までを食ふときは。其の害少からず。今も肉食を好むもの。血を吐き。或いは癰疔を生じ。或いは癩病となること多し。第一、魚鳥品多なるからは。養奉は余り有り。ことに六畜は人を(たのみ)にして生を為し。人の労をたすくるものなるを。無益の口腹の欲のため殺さんこと、不仁の基たるべければ。俚俗愚昧なる者の為めに此の道理をば。のたまはずして。神前に憚り有りとて、肉食を禁じ死穢を(きら)ふとの深戒。遠く後代を(はか)り。切に人生を(あはれ)むの神慮、濬哲寛仁ありがたきことならずや。
共之先生は肉食を制限せよという。
 ①食べ物が美味しい日本。魚介類が豊富な日本。それで十分ではないか。
 ②自分の口福のために肉食するのは、無益の殺生をするのは、深く戒めるべき。
 ③肉食者は、血を吐き、癰疔を生じやすく、癩病となることが多い。

 今、欧米でビーガン(完全菜食主義者)が増えているそうですが、むやみに家畜を殺さない、動物を殺さない、という意味では共之先生に共通するところがあります(共之先生は魚介類は認めているので、共通していないといえば共通していない)。そこまでつきつめないにしても、自分の欲望のために過剰に肉食をするのは、③の病気予防という意味でも、やめたほうが良いと思う。

 しかし、江戸時代には、結構肉食していたんですね(上の階級の人だけでしょうが)。そういえば、後藤艮山も、下手な補法よりも、肉を食った方が体力がつく、と言ってました。


2017年7月8日土曜日

森共之先生のコメント

 何度か登場する(御薗意斎⇒森道和→森仲和→森愚然→)森共之は、家伝書の『意仲玄奥』をまとめただけでなく、30年もかけた『老子国語解』という研究書もあり、実力学識をそなえた第一級の鍼師だと思います。その72章に。
六十年来、世上を見聞くところ、天命を全ふし、夭横せざる者の、予が先考愚然、予が舅(母方のおぢ)の僧洞雲寺平石。此の外十有余人には過ぎず。此の外は悉く。疾病夭横の死にして、而して一人も天賦の命数を全うする者無し。さればこそ。其の終りに臨みて、七転八倒。堪え難き苦患を見る。未熟の菓蓏を。もぎ取るが如し。彼の天命を全して滅を取る者は、なにの病患もなく、生気の消全するに随ひ、従容坦然として息絶ゆ。成熟せる菓蓏の自然に地に墜が如し。
ご本人は72歳。父の愚然は82歳。 老子の教えをよく実行し、長命を得ている。老子は、(無為自然の)道に委ねることよって天命を全うできる、と教える。老子を学び、その教えを実践し、そして結果をだす。ここに、鍼師森共之の矜持がある。柿が熟して、木から落ちたときに、悟ったのでしょうか。

2017年7月3日月曜日

なつみかん


 歩道に植えた夏みかんの樹に実がつきました。ゆずのばかやろ18年を超えて、30年ぶりの快挙です。生(な)りました。(写真では、中央に2個。)


 

2017年6月29日木曜日

『老子鬳斎口義』

 沢庵、森共之が、『老子』を読むときのテキストにしたのが『老子鬳斎口義』(けんさいくぎ)で、それが届きました。よめる訳ではないのですが、テキストを共有したというだけで、にやけているところです。
 
 宋・林希逸の著した『老子口義』、書斎名を採って『鬳斎口義』といいます。『老子』を儒教と関連づけるところに特長があり、江戸時代に最も流行した『老子』注本とのこと。沢庵も森共之も、「孔子と老子は違いがないのだ」というのは、林希逸の影響もあるようだ。そもそも、区別が無いというのが、老子の唱えるところであるから、儒教寄りと言っても、なにも問題はない。反って老子一色のほうが、老子的ではないかも知れない





 



2017年6月19日月曜日

五級

 島田先生の患者さんで、藤木松調さんという書家が、『友筆』という同人誌を刊行していて、岐阜の左合さんと僕が、短いながら文章を寄せていた。その平成12年3月号が、ふと出てきた。今から、17年前で、44歳の時のもの。

 連載は、「『説文』のはなし」というタイトルで、第84回を数えている。毎月の刊行だから、7年ほど前から書いていることになる。というと、37歳から連載をはじめたのか。

 僕の父親は、筆で書くのが好きで、年賀状を筆で書いたり、頼まれて賞状書きもしたりして、その影響かもしれないけど、いつかは書道を習ってみたいと思って、藤木松調さんに指導してもらうことにした。ふと出てきたその『友筆』には、塾生のランキングがあって、一般楷書部の五級にぼくの名前があり、なつかしくなりました。

 藤木先生は病没してしまったので、書道はこれきりになりました。平成11年に新築された白金の北里研究所病院に入院されたので、平成12年からまもなくのことだろうと思います。

 日本内経医学会の機関誌の元のタイトル文字を書いたのが藤木松調先生です。





食養生

 食養生といえば、たいてい、何を食べる、何を飲む、という議論になるが、もっと重要なことがらが、たくさんある。摂取する分量。摂取する時間。好き嫌い。合う合わない。いろいろ掘り下げたいことがある。

 体験的なことをいえば、食べ物の質より、量の加減が難しい。さらに、何が良いとか悪いとかより、合う合わないのほうを優先したい。

 合う合わないといっても難しい。食中毒を何度も起こした経験からすると、「へん?」とは思うけど、食べたものがもったいない、「へん?」と感じても廻りのさわがしさにかき消された、体調が悪いと「へん?」さえも分からない。こんな状況で食中毒になりました。おそらく、食中毒ほどでなくても、食べ物との相性は存在するのだと思う。そうすると、感度がいかに重要であるか。

①感度をたかめる(体調を良くする)
②感度を活かす(頭で考えて食べない)
③活かした感度を消さない(騒がしく食べない)

 今の時期は、野菜やくだものが採れる時期なので、それらを食べているのが、まあ間違いがないようである。それらでも、あんまり手が込んでいるのは、合わない。さっと調理したぐらいが、体に合っているようです。

 でも、それらが合わないひともいるだろうし、手の込んだのが好きなひともいるに違いないから、結局、個人の相性ということになり、食養生法の善悪を断ずることはできない。

 てなことを考えていたら、ぼくの食養生のバイブル『味覚極楽』が読みたくなりました。

2017年6月14日水曜日

司馬牛憂う

 6月11日の内経医学会の講座で、『論語』顔淵篇の「司馬牛憂いて曰く、人皆な兄弟有り。我独り亡し。・・」という条文を読んだ。回答したのは子夏で、君子は慎めば失敗がなく、恭しくして礼があれば、四海すべての人が兄弟だから、兄弟がいないことを悩む必要がないよ、という。ここには孔子の回答は無いので、文面通りよむしかないのだが、おどろいたことに、下村湖人は『論語物語』には、孔子のせりふが用意されている。

「君が、兄弟たちの悪事に関わりのないことは、君自身の心に問うて疑う余地のないことじゃ。それだのに、なぜ君はそんなにくよくよするのじゃ。なぜ乞食のように人にばかり批判を求めるのじゃ。それは、君が君自身を愛しすぎるためではないかな。‥‥われわれには、もっとほかにすることがあるはずじゃ」(兄弟はいたらしい。なぜ、いないと言ったのかというと、しょうらい戦乱に巻き込まれて戦死するかもしれないから。というのは朱子の説。)

「人の思惑が気にかかるのは、まだどこか心が暗いところがあるからじゃ」

 『論語』には無いことばを、下村湖人はすくい上げたのです。この読み込みの深さは、だれも及ばないところです。下村は、孔子は無私を強く主張している、と考えている。無私という意味では、老子とあい通ずるところがある。この読みの深さは、思想家以上ではないでしょうか。

 いつか『内経』もこれくらい深耕してみたい。





2017年6月12日月曜日

とうみぎ

 子どもの頃の、夏のおやつといえば、とうみぎ。ただしくは、トウキビ(唐黍)。とうもろこしです。ソウルフードかも知れません。この時期になり、茹でたのを、毎日一本くらいはたべたいですね。

 子どもの頃、よく食べたといえば、ワタリガニ。これもおやつでした。目の前で採って、時間を措かずにゆでたものをおやつに食べてたのですから、これ以上のかには無いでしょう。なので、かににはあまり食指がうごきません。

 先日、工事現場を通りかかったら、コールタールの匂いがしました。いい匂いでした。ソウルフードではなく、ソウルなスメルでしょうか。母方の実家は漁業をしていて、舟の腐食を防ぐために、船底にコールタールを塗ってました。その匂いが、懐かしいような、鼻のおくそこをくすぐるような、いい匂いなのです。ペンキも塗っていましたから、その匂いも、わりと好きです。それから、潮のにおい、海藻のにおいも、ソウルなスメルです。
 
 父方の実家は農家で、養豚、養鶏、梨園と幅広く営んでいましたが、マイナスなニオイばかりなので、ソウルにしみ込んではいません。

 ふりかえってみると、高級なもの、上質なものは、身近には無かったですねえ。住んでた家も、江戸時代だったし。職業も、伝統医学だし。あまり背伸びしてはいけないなあ、と思ったしだいです。



 

2017年6月5日月曜日

スズキくん

 昨日、I先生が言う。「やんなっちゃうよ。鍼灸の学生に授業すると、半分が寝ているんだ。医大生に授業すれば、活発に質問が出るのに。やんなっちゃうよ」

 必死さとか、緊迫感とか、雲泥の差なんですね。どうしたものやら。

 テニスを始めていた島田先生とテニスができたらいいなと思って、20年ほど前からテニスのスクールに通っています。スクールに行き始めてまもなく、島田先生が亡くなったので、夢は実現しませんでしたが。

 週2回通っていて、金曜日のクラスは、僕だけがおじさんで、あとは20代~30代の若者だけである。その中でも、高校生の時の3年間と、大学卒業後の5~6年間、同席しているスズキくんとは、長いつきあいです。彼は強打の持ち主で、おじさんといえども遠慮してこない。ついていくのがやっとの状態。少しは手加減してくれればいいのにと思うけど、手加減してくれないのも嬉しい。

 手加減しないのは、彼の誠実さの現れだと思う。その誠実さに応えるために、僕も誠実にならなければならない。では、どうしたら誠実さを現すことができるか。時間がかかりましたが、ベストな体調でレッスンに参加すること、上手くいかなくても一生懸命プレイすること、という結論に達しました。当たり前のことですが、体で分かるまで時間がかかりました。

 僕もI先生と同じように、学生にがっかりすることがあります。結論としては「誠実さ」の教育が必要でしょうか。そこで想起されるのが、伊藤仁斎先生、後藤艮山先生です。もし道徳の授業が設定されるならば、両先生の教えを第一にしたいと思います。

 ほんとに、基本のキからはじめなければならないのが、現在の鍼灸界の状況なのかも知れません。

 

2017年6月1日木曜日

あるインド料理人の文章

 あるインド料理人(日本人)の文章を引用します。われら鍼灸人も、これぐらいの覚悟がほしいものだ。他のジャンルの人は、このようにしてはい上がっているんだな、ととても感心しました。

「インド料理人を志す者にとって、現地を食べ歩くことは最善の修行法である」というのは日本のインド料理創生期を生きた大先輩の言葉。それに倣って僕も現地の味を何度も体験に行きました。旅というと楽しく聞こえますが、僕の場合は一食もムダにしないためのストイックな努力を重ねる地味な修行、戦いのようです。
 カリーがおいしくなかったとか期待はずれだとか、そんなものは序の口。何より辛いのが、腹を壊したときの敗北感です。カリーで腹を壊すと、匂いすら嫌になります。不断あんなに食べてるのが信じられないくらい。インドって、空気がカリーの匂いなんです。カリー味の食べ物しかない。カリー天国が途端にカリー地獄にみえてきます。本来、それを望んで来たのにと思いながらも外にも出られず、ベットに仰向けになり、回るファンを虚ろな目で見上げながら圧倒的な敗北感に浸ることになります。何か胃に入れて元気にならないと・・・。


2017年5月29日月曜日

白髪をそめる

 今は便利なもので、画像を検索すれば、新しいのから古いのまで、いろいろ出てくる。有名人であれば、若いときの写真から、現在の写真まで出てきますから、うかうか整形もできません。

 秋篠宮は、若いときから白髪まじりで、中年になって真っ白だったけれど、とても颯爽としていました。白髪なのに若々しい。と思っていたら、数年前に染めて真っ黒になりました。そしたら、なんだか老け込んだ雰囲気で、勢いがない。老け込んだので、染めたのか。染めたから、老け込んだのか。

 皇室だからというわけではないけど、日本の象徴として、自然のままでいてほしい。作為のないすがたをみせてほしい(良い天気なので、さわやかに思ってみました)。天上の人は天のごとくに。

 
 

2017年5月27日土曜日

道具の美


 韓国製の茶筅が売っていたので、買ってみました。左が日本製。右が韓国製。日本製は、何度もつかっているモノですが、穂先がそろっていてきれいです。韓国製は、1度つかったら、穂先がみだれ、しっちゃかめっちゃかです。素人が使うには、どちらでも差がないし、ネットでしらべてみると、どちらでたてても、お茶の味は同じだそうですから、「なにか問題ありますか?」と言われそう。
 
お抹茶文化は、約千年ほど前に中国から伝えられ、工夫に工夫を重ねて、現在にいたっています。お抹茶文化がすたれずに、現在進行形であるというのが、きちんとした茶筅が残っている理由だと思います。韓国製は、日本の需要に応ずるように、にわかに作りはじめたのかも知れません。

 用が足りていればそれでいいのか。さらに使い勝手、美しさまで追求するのか。この当たりが、韓国製と日本製の違いなのではないでしょうか。

 鍼具も同じかな。現在は、工場生産の鍼が表舞台に立ち、手製の鍼はまるっきり陽の目をみていない。どちらでも治療効果は同じだとしても、おそらく茶筅のような差があるに違いない。そんなこんなで、また、手製の鍼を使ってみようかな、と思ったしだい。

 


 

2017年5月20日土曜日

養生の実践

 毎年この時期は、東京衛生学園臨床専攻科2年生に対し、午前の2コマ、『内経』をテーマにした講義をしていて、本日で終わりました。
 
 生徒は、おおむね、体調不良です。眠い、疲れている、肩が凝っている、腰が痛い。体調不良のまま、学習しようとしているので、成果はあがらないと思います。体調不良で試合に臨むのですから、負けるのは見えています。授業に出ることに、真剣さが足りないのでしょう。(学生時代をふり返ってみても、自分もそうだったから、人のことはいえないのですが。)

『素問』上古天真論篇は、治療家に向けて発信した養生篇で、「治療家は天寿を全うする聖人たれ」と述べています。こころとからだが健康であって、はじめて十全の治療ができるのだ、と。

 健康をテーマにしている学校の生徒が、不健康なのです。よく考えたら、これは問題です(よく考えなくても)。養成段階できちんと教育指導しなければならない、最も重要な事項だろうと確信した次第です。伝統鍼灸大学では、「養生の実戦」という教科を置き、必須科目で、毎日1コマ必要だと思いました。「どのようなことを実戦するのか」。考えるだけでも、わくわくします。


2017年5月8日月曜日

 正直・誠実

 かつては、かつ丼、おやこ丼、開化丼は、おそば屋さんで食べていました。
 かつては、そのおそば屋さんは、出前をしてくれました。
 しかし、カツ丼があって、出前をしてくれるおそば屋さんは、ほぼ亡くなりました。今残っているおそば屋さんは、味にこだわった本格的なおそば屋さんです。

 高校生のとき、父親に、学校の帰り道に、塩竃市の丹六園で、お茶を買ってこいとよく頼まれました。丹六園は老舗然として、大人の世界に満ちていました。今のその店舗はありますが、お茶は販売していなくて、「しほがま」という和菓子と、茶器を売っています。塩竃にはもう一軒老舗がありましたが、かなり前に閉店しています。かつては、盛業を誇ったお茶屋さんは、いまは風前のともしび。このブログでも紹介しましたが、急須で淹れるお茶っぱを生産する農家は、じり貧状態のようです。

「鍼灸はじり貧だ」というのが、5月4日の成城セミナーのテーマでした。本当にじり貧なのかどうか。困るような状況にならないと気がつかないかも知れません。そもそも、未病という智慧があるのに、鍼灸界が未病にきづかないでいるのですから、お先がみえてますよね。
 
 『論語』雍也篇「人の生くるは、直なればなり。これを罔(な)くして生くるは、幸いにして免れしなり」。人生は、正直第一とする。正直が無くて生きているのは、運良く免れているだけだ。医者は正直・誠実たれ、と言ったのは後藤艮山、香川修庵、藤井秀孟ら。彼らの言を今一度、読み返すときなのかも知れない。


2017年5月5日金曜日

ゆずのばかやろ18年


 自宅の2階のまどから、歩道を撮ってみました。下の花は、壁に沿わせている、木香ばらです。この時期、満開です。歩道は、自転車と人の道に分かれています。いま、自転車は中途半端で、車道を走るか、歩道を走るかで、迷っている。この幹線は、40年以上も前に出来たものだが、その先見性に感心しています。

 真ん中のベルト地帯は、ドウダンツツジで、秋に紅葉します。ツツジの右はケヤキで、埼玉県の県木です。20年程前は、枝が広がりたくさんの葉がしげり、秋になると枯れ葉がまい散ってました。隣の駐車場で、焼き芋大会ができました。その後は、その枯れ葉が憎い人がいるんでしょうか、枯葉になる前に、市の委託業者が来て、枝毎ばっさり切ってしまって、けやきは、悲惨な樹形になってしまっています。

 左は、夏みかんです。子どもが小さいとき、夏みかんの種を蒔いたら、幸いに芽がでて、植木屋さんの温かいこころざしで(引っこ抜かれずに)、生き延びて30年近くになると思います。しかしまだ、実が成りません。

 ももくり3年、かき8年、ゆずのばかやろ18年、とはいいますが、おなじみかんの仲間なのに、この子は、だいぶ遅いようです。早く成果が出るひと、中々成果がでないひと、結局結果がでなかったひと。いろいろいて、競争するものではないなあと、夏みかんをみて学習しました。

 ももくりタイプは、どんどん先に行っていただき、ゆずタイプの人は、コツコツ行きましょう。せいくらべはやめましょう。

 いちばん上は、車道との境で、さつきが咲いています。



2017年4月30日日曜日

『孫子』

 今の、マイブームは『孫子』である。あちこち手を出せるようになった、ことがうれしい。老化は下り坂というけど、そんなことはない。からだの機能は落ちるけど、経験や知識が増えることによって、視野が広がり、なかなか面白いのである。

 そういう意味では、アンチエイジングというのは、片寄っている。老化には良いこともあるし、悪いこともある。両方あるんだから、目くじら立てて、抵抗するまでもないのにと思う。

 アンチエイジングに目くじら立ててもしようがないので、『孫子』を読んで(今更ながら)医療人としての心構えを再構築したい、と思っているのであります。目標としては、100歳まで生きる予定なので、あと40年。一から出直しても良いかなと。

2017年4月29日土曜日

浅野裕一『孫子』とトランプ大統領

『孫子』(講談社学術文庫)の浅野裕一解説。
「戦争の本質をわきまえるならば、最善の方策は、敵国の意図を素早く察知し、敵国が軍事行動を起こす以前に、その計画を撤回させることである。」「ただし、敵国の策謀を未然に挫いたり、敵国の同盟関係を解体したりできるのも、自国に画策の材料となる軍事力があればこそである。もし、自国が軍事的に全く無力であると見透かされたときは、敵の侵攻計画を断念させたり、同盟国に参戦の意志をひるがえさせる、いかなる取引や裏工作にも、相手は決して乗ってこない。」

 これは、米国のトランプ大統領の作戦と全く同じである。北朝鮮を説得するには、あるいは同盟国である中国を引き離す、そういう戦略ができるのは圧倒的な軍事力をもった米国しかない。トランプ大統領は、『孫子』を読んでいるのか。あるいは、同じような戦略の西洋式兵書があるのだろうか。

 両国の間にたつ日本は、右往左往するしかない。右往左往しながら、どのようにして一国のプライドを維持していくのか。首相の力量が問われるところでしょう。

 米国の大統領にしろ、日本の首相にしろ、「帝王学」というのは欠かせない。

 わたし達も同じである。小さいながらも一国一城の主。学校では、生徒の指導者。鍼灸にも、それなりの「帝王学」が必要ではないでしょう。

2017年4月24日月曜日

岡本一抱『灸法口訣指南』

 昨日、丹塾古典部で、岡本一抱の『灸法口訣指南』巻一を読み終わりました。3時間×3日間。一抱30才以前の作品ですが、単なる引用文集ではなく、冷静な批判も交じった秀作でした。知識の量、明晰な頭脳、臨床力、あの時代では、突出しているのでは無いでしょうか。

 先人の知恵を受け継ぐことは、たのしいものである。そこに、漢文、読みにくい、というハードルがあるけれど、無い頭を使うのも、たのしいものである。

 昨日のNHKのスポーツ番組で、プロボクサーの穂積さんが「試合では、練習したことしか出ない」と言っていたけど、ぼくが古典を読むのは、アスリートの練習と同じだ、とおもったら、一層たのしくなりました。道は険しいけど、険しくない。

 沢庵の、「こころこそ、こころまよわす、こころなれ、こころにこころ、こころゆるすな。」が少しわかったような。

2017年4月17日月曜日

昼寝のあいだに

 東京新聞4月15日朝刊に、神奈川県の黒岩知事の「未病の改善に全力で」という記事が載った。

 神奈川県の最重要政策として、政府にもはたらきかけたが、担当する役所が存在しないとのことで、全く相手にされなかったという。お機関や大学と覚え書きを結ぶことなり、その影響からか、今年の2月に健康・医療戦略の中に正式に「未病」が盛り込まれ、閣議決定したとのこと。

 県の未病産業研究会には430社が参加しているとのこと。閲覧してみると、鍼灸関連では、ふたつの師会だけで、まるっきり影響力なさそうである。神奈川県のHPをのぞいてみると、着実に「未病」政策を実行している。

 新聞には「未病」は『黄帝内経』発と書いてある。その『黄帝内経』の近くに居ながら、「未病」を何も発信できなかったし、関わりも出来ていない。

 居眠りして店番している間に、お店の品物が無くなって行く。導引(ストレッチ、マッサージ、呼吸法)も、食養も、瞑想も・・・

 鍼灸が単独で生きていくならば、もっと本気を出さなければ、あやうい。この惰眠はいかんせん。

 

2017年4月8日土曜日

桜の花

 この時期になると思い出すのが、沢庵の「不動智神妙録」に引かれた、慈円の歌。

 「柴の戸に、匂はん花も、さもあらばあれ、ながめにけりな、恨めしの世や」

 柴の戸の近くに咲いている花は、無心に香りをただよわせているだけなのに、自分は花に心を止めて眺めている。自分の心が花にとらわれ執着しているのが恨めしい、と詠んでいるのです。
 見るにつけ聞くにつけ、一箇所に心を止めないことを至極とするのです。

 これは、『沢庵禅師逸話選』(禅文化研究所編)から引用しました。

 つまるところ、花に心を止めることは、まるで花に関心が強いようだが、実はちっとも花を理解していない、のである。一点に集中するから、まわりが見えなくなる、のでしょう。

 治療のとき、病気に心が止まると、かえって病気が分からなくなり、鍼に心が止まると、かえって鍼がわからなくなる。

 この時期になると「柴の戸に」を思い出して、満開のさくらに浮かれないように自分を誡めるが、まいねん桜の花に浮かれている、自分が恨めしい。

 
 

 

2017年4月7日金曜日

5月4日 丹塾シンポジウム

 5月4日の、成城で行われる丹塾シンポジウムは、快挙事である。なぜなら。

 午後の正木晃先生は、昨年に続いての講演。仏教学者で、現在の仏教界にけんかを打った『お坊さんのための仏教入門』という本は、ぜひよんで欲しい。

 この本の中で、「現代の仏教界が直面する難題」として、①葬儀離れ・墓離れ・寺離れ、②僧侶の品格、~~と5項目にわたって、今後仏教が衰退していくだろうことを案じて、問題を提示している。

 軌を同じくして、午前の明治医療大学の矢野先生も、鍼灸受療率の低下傾向から、おいおい鍼灸は廃れていくので無いかと、警鐘をならしています。

 どちら業界も、まだ大丈夫、というぬるま湯に浸かっていて、波が引いているのに気づいていない。社会のニーズを呼び起こすような取り組みをしないかぎり、どちらもおいおい消滅していくのではないでしょうか。

 矢野先生のお話がどのような内容になるかは分かりませんが、教育面で言えば、教育内容が、30年前とほとんど変わっていないことかも。知識内容は増えていず、鍼灸の練習が反って低下している。これでは、社会のニーズに応えられるはずがない。レストランのシェフも、ラーメン店のご主人も、みなさんよく研究なさって努力して、いまの盛業を獲得している。さぼっていては退場させられるのは自明の理。昭和の鍼灸はそれでも良かったが、平成になったらそうはいかない。

 『論語』八いつ篇に「天はまさに夫子を以て木鐸となさんとす」とあるように、成城シンポでは警鐘が鳴るでしょう。刺激的なシンポになると思います。みなさん、迷うことなく、参加されたし。

 「丹塾」で検索すると、案内画面が出てきます。定員がありますから、速く申し込んでください。

2017年4月3日月曜日

張先生の納骨

 3月20日(月)に、張士傑先生の納骨式に参加してきました。(2週間も経過していますが、昨日のことのようです。)

 張先生には、10回ほど治療していただきました。いまでも「みやかわさん」という音声が耳にのこり、そしてタバコをすすめてくれたお姿が髣髴とします。

 北京市営の天寿陵苑という所で行われ、参列者は、ご家族、ご親族、同業の先生方、そして弟子達。総勢50名くらい。弟子達がたくさん参集してくれたので、ご家族にとっては、故人の業績が一層輝いたのではないでしょうか。

 納骨は、張先生とご両親の、合計3体でした。ゆえあって、ご両親のお骨をお墓に入れられなくて、ずっと抱えもっていたと聞きました。日本では、お墓を持つ、持たない、お墓を移すとか、お墓をしまうとか、個人の事情によるものですが、中国ではそれだけでなく、お国の事情も絡んでいるようです。そういった意味でも、日本は平和だなあ、安穏だなあ、と思いました。

天寿陵苑は、北京市中心から直線で50キロくらいの所。HPがあるので検索してみてください。

 納骨式というのはおそらく古い儀礼なのでしょうが、いまは葬儀業者が取りしきった、簡略で、形式的なものでした。むかしは、仏教の僧侶なり、道教の道士なりが、儀式の中心に居たのでしょうが、現在は葬儀業者がそれらしく執り行っていました。「たましいがこもっていない」と言えるのですが、日本の葬儀もそんなに「たましいがこもっている」わけではないので、ひとのことは言えません。

 日本の葬儀でいちばん腹立たしいのは、仏教儀式であるのに、お通夜で、酒が振る舞われ、おつまみにお寿司、唐揚げなども出てくることです。不真面目もいいところ。軽薄の極みではないでしょうか。子供じみています。そういう光景をみたくないので、焼香したらすぐ帰ってくるようにしています。

 そういえば「礼にあらざれば、見るべからず」と『論語』顔淵篇に書いてありました。

 

 

2017年3月13日月曜日

藤井秀孟著『鍼法弁惑』

 明和5年(1768)刊行された、藤井秀孟(ひでたけ)の『鍼灸弁惑』を、日本内経医学会の講座で数回読みました。『論語』がよく引用されていること、後藤艮山の医説に近いこと、五行説を否定していることなどが特徴です。
 
『論語』を信奉する医者は、たいへんまじめで、よく勉強し、知性が豊かである。そして、はったりやうそを言ったり、手抜きの治療をするのを、とても嫌う。

 藤井先生の医論は、序文の「斟酌古法、間加新意」(古法をよく汲み取り、「新意」を創出する)につきます。冒頭の建門論にも「これ古賢の要論要法を取捨して、加るに自己の発明を以てせずんば、巧を収め難し」とあります。

 ただ言われたとおりにやるのではなく、冷静に考えて、取捨選択すること。まず、これが出来ないと、成果(功)は得られない。

 つぎに、新意を加えること。新意は、工夫といっても良いでしょう。工夫を凝らす、というより、工夫を楽しむ、そういう心持ちが無いと、成果は得られない。

 要するに、古賢(古法と賢人)に学ぶこと、古賢を盲信しないこと、工夫すること。藤井先生の真髄は、この3つのようです。

 

2017年3月6日月曜日

『諸病源候論』

 『諸病源候論』は、昨年の早い時期に校正が終わっていて、最終作業として句読をほどこしているのだが、これがまあ、終わりのない作業で、苦行である。句読をつけてもつけても終わらない。ときおり、なんでこんなことしているんだろう、こういうことを選択した自分を恨めしく思う。A4版で、450ページもある。

 こんなとき、終わりのない石垣復元作業をこつこつ続けている、鳥取の上月騰さんを思い出し、気を取り直して、また作業を続けるのである。

 池田政一先生が、経穴の本を出した。分量が多い本で、執筆だけでなく、校正作業は大変だったろうと思う。来る日も来る日も、校正作業をするのは、なまじの人にはできない。時間があってもできない。無くてもできない。さいごは、魂でしょうか。




2017年2月27日月曜日

『江南遊』

 鶯谷書院の書架にあったので、借覧しました。著者は書家の青山杉雨(1912~1993)。長江下流南岸地域の旅行記録である。文人の出身地をたどり、古蹟をさがし訪れている。何度も訪れているようである。

 とりあげているのは、杭州、紹興、寧波、蘇州、無錫などの都市。どちらかといえば、古都市の、古びた部分が好きらしく、よく探し出して紹介している。

 なんと、昨年春に訪れた南京が取り上げられている。梁墓(梁代の王侯慕)、孝陵(明代の太祖の墓)を紹介し、また中華門の重厚さに驚いている。予習しておけば良かったなあ。

 著者が行ったときは、孔子廟は焼失して、ただの広場になっていたらしいが、わたし達が行ったときは、りっぱな孔子廟が建っていた。その孔子廟の前の秦淮河を、南のほうにいけば、その中華門があるらしい。行ってみたかったなあ。

 白黒ですが、写真がふんだんに使ってあるので、なかなか楽しい読み物です。その写真の半分くらいは、クリーク(小運河)に小舟が浮かんでいる写真で、櫓がついている小舟は、母方の実家の小舟とまったく同じ構造。源流は江南なのでしょうか。

 いまごろ復習したことになりますが、予習復習は大切だと思いました。






 


2017年2月20日月曜日

古民家


 わらぶき屋根の家、冬はあたたかそうですが、ごらんの写真は真冬で雪がまっていますが、雨戸を開けないと家の中は真っ暗なので、フルオープンです。唯一、最前線で寒さを防いでいるのか障子です。

 その障子すら、たてつけが悪くてすき間があるのですから、かろうじて寒さを防いでいるだけです。こんな状況、よほど強い老人でなければ、乗り越えられなかったのではないでしょうか。

 ガラス戸が普及したために、開けなくても良くなり、サッシになって機密性がよくなり、ストーブも備わって、いよいよ快適な近代生活になりましたが、つい50年くらいまでは、田舎では、江戸時代と変わらない生活していたのです。

 便所も、お風呂も、今考えれば不便なもので、普通に生きていくことが大変だった時代です。

 もし、このお宅で、冬に鍼灸治療をしようとしたら、手足だけのツボで済むように工夫するしか無いし、鍼数、灸数も少なくしなければならないでしょう。そんな心づもりも、江戸時代の鍼灸文献を読むときに必要かも。

2017年2月14日火曜日

懐かしの渡し船

『一億人の戦後70年』(毎日新聞出版社)という本に載っていた写真。写真の解説には「渡し船に乗った生徒たち 1949年7月 宮城県・松島湾」とあります。

 渡し船は、今は今は塩竃市営汽船というのですが、昭和40年ころまでは、このような船で、今は立派なものになっています。小学生のとき、母方の実家(塩竃市浦戸野々島)に行くとき、これと同じものにのりました。写真残っていたんですねえ。

 船の中は畳張りで、冬は火鉢がありました。夏なので、窓を全開にしているようです。
舳先が桟橋に着くので、おりるときは後から、先生らしき人が立っているへりを通って舳先まで行くことになります。20センチくらいの幅しかないので、子どもながら怖かった記憶があります。屋根の手摺りにつかまりながら移動しました。

 屋根に乗っている子供らは、平気のへいざで立っていますから、怖くないんですね。海の子でしょうね。先生も、堂々としたもんです。僕には、母方の海の血がまじっているといっても、怖がっていたのですから、この子達からみれば、海の血はそうとう薄いかもしれません。


2017年2月11日土曜日

懐かしの我が家2

 もう一枚。
 前の家(奥田さん)の解体の写真です。残っているのが、我が家です。このころ、我が家の周辺に、我が家も含めて5軒のわらぶきの家が残っていました。その5軒は、父親に変わって、解体作業を手伝いました。中学生のころだと思います。

 父親は、まだ50台なのに、なぜ中学生のぼくが手伝いに行かされたのか。近所づきあいが苦手だった。身体が華奢だった。手が荒れることはしたく無かった。全部かもしれません。

 すすが舞って、鼻の穴、目のまわりまで、真っ黒になりました。屋根の藁を取りのぞくと、土壁を壊し、最後は柱や梁にロープをつなげ、みなで引っ張って倒しました。大きな家でも、人力で解体できるのは、智慧なのでしょうか。これが、コンクリだったら、人力では壊せないでしょう。

 解体作業の写真もありました。藁をトラックに積んで、近くの畑で焼いてました。藁をばらす係、それを束ねてトラックに乗せる係、藁を焼く係。思い出しました。わらを束ねる係をやりました。

 老子は、小国寡民、小さなコミュニティを理想としましたが、今思えば、水主町は、老子の理想郷だったのかも知れません。地域のことは、地域の共同作業で、自力で処理する。日本全国どこにでもあったことなのでしょうが。

 集団の時代から、個の時代にかわって、失ったものもあり、得たものもあり。






2017年2月9日木曜日

懐かしの我が家

 弟経由で、懐かしの我が家の写真が送られてきた。

 この道は、江戸時代から続く街道で、おそらく松尾芭蕉も通っている。このあと、道を間違えて、石巻に行ってしまう。

 左側の二件目、電信柱の後のわらぶきの家が、我が家。松島瑞巌寺を建築したときの大工が住んでいたといわれ、瑞巌寺は1609年に完成しているから、1600年初めのころの建物である。

 父はここで生まれたわけではなく、ツテをたどって、ここを借家にして、ここで鍼灸を営んでいました。半宅半出張だったのではないでしょうか。

 この町は歴史が深く、「水主町(おかこまち)」といわれ、松島湾に浮かべてある伊達藩の御座船の船頭が住む町である。年中、船頭の仕事があるわけではないので、半農半漁、ときどき船頭という身分なのでしょう。

 お向かいの商店が、桜井百貨店。雑貨屋さんで、駄菓子を買いにいったところ。季節になれば、鮒釣りの竿も買いました。長靴にベルト固定するスケートも売ってました。

 お祭りのときの写真で、みえないけど先頭に御神輿がいるはずです。まるで江戸時代みたいですね。

 電柱の両脇に人がいるのだけど、弟によれば、兄と僕だそうです。こんなところで、50年以上も前の自分とご対面するとは。(前回のブログのタイトルが「ルーツ」なだけに、とても驚いています。)

2017年2月6日月曜日

わがルーツ

 沢庵の「医説」に、山の生まれの人が、海の仕事をするのは、祖先にそういう人がいて、そのたましいに誘われて、山を下りて海に行くのだそうです。

 初めて行った所でも、前に来たような感じがしたり、懐かしかったりするのは、祖先の地なのかも知れません。そんなこともあって、地方に行くのは、とても面白い。なので、無くし物を探するように、父祖の地なのか、きょろきょろするのです。

 弟によれば、父方は会津若松が出。母方の祖母は、長野出身。海近くで生まれ育っているけど、山の血もそれなりに濃い。

 日本のどこかで、ここだ! という所にめぐりあえるかもしれないので、どこに行くのでも、わくわくしています。


2017年2月4日土曜日

鳥取城

 藩の大きさに比例して、鳥取城はなかなか大きい。城は戦国時代から造られていて、古い時代の城は山の上にあり、新しい城は麓にある。石垣も表情はさまざまである。

 昭和18年の地震で、その石垣は崩れおち、石の山と化したらしい。それを、昭和35年から積み直して、旧貌を回復しつつある。現在もなお積み直し作業が続いている。

 修復した(している)のが、石工の上月騰(こうづきのぼる)さん(ネットで検索してみてください)。父親に従い、60年近くにわたって、崩れおちた石を、元の位置にもどしたというから、気の遠くなる作業だったでしょう。損得言ったり、小賢しいことをしていたら、続かない。素朴に、坦々と石を積み上げている姿勢に頭がさがるばかり。

 今回(1月31日)は雨降りで、ご挨拶程度の城址散策だったので、近い将来、フルで散策したいなと思っています。

 

2017年2月3日金曜日

鳥取藩

 鳥取藩は、32万石の大藩である。加賀100万石、島津77万石、伊達62万石からみれば、準大藩というところでしょうか。

 鳥取県の人口が60万弱。鳥取市が20万。米子市が15万。倉吉市が5万。三つの市で、3分の2を占め、残りは県内に分散している。

 準大藩だった割には、人口は少ない。お話を聞くと、教育に熱心な県なので、優秀な人材が大都市に流出するのが原因らしい。郷土にはたらき口があれば、郷土が活性化していれば、優秀な人材が流出することは無かったのに。

 鍼灸界は、優秀な人材が流入している、希有な業界である。しかし、中身が薄いので、留まらないで、流出している可能性も高い。

 北京の中医大学に留学してから、日本の専門学校に入った人が語るには、なんじゃこれ、だそうです。東洋医学部門の中身の無さ、その落差に唖然としたそうです。

 教科書、参考書さえ充実していれば、学校という箱がなくても、学校に通わなくても、強い気持ちさえあれば、独学で十分だと思います。

 教えるから教育から、学び取る教育にシフトすべきかも知れません。
 

2017年1月31日火曜日

コーヒー店でも閉店

 雑誌の記事によれば、コーヒーの名店2店が、昨年末に閉店したらしい。

 南青山の大坊コーヒー店(一度行ったことがある)が、昨年末、ビルの建て替えのために、38年の営業に終止した。

 博多の美美(びみ。行ったことが無い)が、店主の急逝で、閉店した。

 お店は、もちろん本人の意志が重要なのだけど、本人以外の理由でも、閉じざるを得ないことがあるのだなあ、やっぱり。

 

2017年1月26日木曜日

そばや閉店?

 鶯谷書院の近所のそばや「川むら」さんが、しばらくお休みとのこと。

 有名店ではないが、「すずしろ」というお蕎麦が、とても珍しい。大根を、お蕎麦と同じように切り、おそばに混ぜて食するもの。群馬県太田市でも「大根ぎり」という名称で、お目に掛かったことがある。この2店以外では、遭遇しない、めずらしいおそばです。

 具の構成は、大根飯と同じで、淡い味わいがある。

 ご病気でもなさったのでしょうか。残念です。

 大塚の江戸料理の有名店「なべ家」も、昨年6月に閉店とのこと。一度も行けなかったけど、後継者いないのが原因とのこと。他にも理由があるらしいが。

 名店がいつまでも続くわけではなく、三つ星レストランだって閉店することもあるのだから、一つの商売を続けることは、なかなか難しいようである。

 そういう意味では、何代も続いていることは、なみ大抵のこころがまえでできるものではないでしょう。続けようとしてできることではないですから。畏敬に値します。

2017年1月23日月曜日

魂の感応

 『臨床というもの2 生物学的人間』(たにぐち書店)ふたたび。

 藤本先生によれば、難病は、魂の病気であるから、魂で治療しなければ、治らない。といいます。魂の治療は、魂に目覚めた人しかできない難度の高い治療です。

 たとえば、自分の心が乱れていれば、相手の心が、乱れている、いない、どちらも見えないけど、自分の心が安んじていると、相手の心が乱れている、いない、どちらもよく見える。

 魂に目覚めた人は、いろんなものが見えるのだと思う。きっと。

 たんに、気が合うのではなく、心が通い合うのでもなく、魂の感応こそが鍼灸治療の真髄なのだと(いうようなことを)言っています。
 
 藤本先生の著書に『鍼道秘訣集』を解説したものがあります。『針道秘訣集』の核心は「三つの清浄」という心の持ちようを唱えたところです。とても難解な箇所です。先生の本を読んでも、そこはよく理解できませんでした。おそらく、先生自身も理解しきっていなかったのではないでしょうか。

 三つの清浄は、先生の宿題になり、爾来40年以上も模索していたのだと思われます。その解が、この度の新著に結実したようです。ゆえに、明解であり、饒舌であり、縦横無尽に話しかけています。

 気になった方は、買いましょう。何かのご縁です。

 

 
 




2017年1月16日月曜日

藤本蓮風氏の近著

 著者から、近著『臨床というもの2 生物学的人間』(たにぐち書店)をいただいた。

 氏のブログをまとめたもので、「たましい」「こころ」について、詳述してある。

 鍼灸治療の真髄を述べている、と言っても過言ではない。
 
 この先生に追いつく人は、とうぶん現れないだろう。
 

2017年1月14日土曜日

聖人八木下

 竹山晋一郎(一九〇〇~一九六九)の「八木下翁を訪う」(『東邦医学』九巻五号、昭和十七年)は、さすがに文章家、中々の名文である。

 八木下先生が亡くなったのは、昭和二十一年八月十二日。九十歳。天寿を全うした鍼灸師という意味では、上古天真論篇でいうところの、まさに聖人である。『素問』の理想人が、ついこの間まで、日本にいたのである。すぐ近くにいたのである。

 聖人への道が日本鍼灸の歩む道だとすれば、そのモデルは八木下先生である。それを明らかに示したという意味では、竹山先生のこの文章は、宝物である。






2017年1月6日金曜日

霊枢講義 最終コーナー

 島田先生が亡くなった翌年から、つまり2001年から、霊枢講座を始めて、かれこれ16年になります。遅々として進み、4月からは、官能篇第73に入ります。おそらく、来年度中に、霊枢全篇の講義が終わります。遅々としたぶん、微に入り細にわたって、読み進むことができました。

 結果として、「東洋医学概論は初心者むけのガイドブックで、専門家が使うには情報は全く足りません。霊枢を材料とした、より精しい解説本が、別途に必要だ」ということがわかりました。

 講座は聞き手が存在して成立します。みなさん、霊枢講座をききにきませんか?

 受講希望の方は、日本内経医学会のHPで内容を確認して、申し込んでください。

 

八木下モデル

 新聞に、阪急所属のダリル・スペンサーという選手が、88才で亡くなったと報じてあった。活躍したのは、昭和40年ころで、野球と言えば巨人という時代で、野球ずきな大人でなければ、知らないと思われます。

 その記事には、「精密な頭脳があり、投手の細かな癖を見抜いて球種をあてた」。「それをノートに記録し、てナインに与え」、「阪急はやがて黄金時代へ」入ったとありました。

 さらに、「それは他球団にも流出し、一球ごとに頭を使い、策をめぐらす細かな野球に変わっていった。日本の野球を変えたという意味で、その功績は計り知れない。」と。

 昭和40年ころに、スペンサー選手によって、経験的に振っていたバットから、理性をともなったバットに変わったのである。スペンサーモデルといおうか。

 近年でいえば、イチロー選手。意識を高くもつことで、記録的な業績を積み重ねている。選手寿命もながいし。イチローモデルが定着すれば、よい選手がたくさん出てくるのでしょう。

 鍼灸でいえば、八木下勝之助モデルがあります。そこから経絡治療が発展しました。経絡治療は治療モデルとして発展していますが、八木下のたましい受け継がれているでしょうか。

 八木下は、鍼灸治療で口に糊してはならないと雑貨商を営んでいたといいます。無心の鍼灸治療を、八木下は目指したのである。無心が下地にあっての経絡治療なのである。

 営利心が生まれたときに、純真さが失われ、功利心が生まれたときに、純粋さが消えてしまうのだと思う。それでは、眞の治療にならない。この八木下の精神は、『意仲玄奥』の精神と、全く同じなのです。

 日本鍼灸のたましいがここに在るのだと、年の初めに確信しました。

 


 


2017年1月1日日曜日

ボクシング

 30日と31日と、ボクシングの世界戦が、いくつか組まれていた。

 内山をのぞいて、日本人の勝利だったが、戦いおわった戦士は、スマートなものであって、へとへとになるわけでもなく、顔もきれいであった。息もあがっていないし。田口なんかは、判定で防衛したすぐ後に、内山の応援にまわっていた。

 むかしは、戦いおわると、顔は腫れ、まぶたは切れて、ぼろぼろだったような記憶が強い。まさに戦闘。たましいのみで戦っていたのではないか。今は、そのたましいを受け継ぎながら、そのうえに技術を高めているようだ。

 一時期、日本人の世界チャンピオンが居なくなったときがあったが、そのときはハングリー精神の欠如が原因だと言われましたが、ハングリー精神というか、たましいというものは、環境によって醸成されるものではなく、生来のものでは無いかと思う。

 しかし、生来のたましいはそのままでは不発におわり、それに火をつける人がいる、啓発される事があって、はじめて活性化する。ということは、自分の力だけでは不発におわるだろうし、まわりの啓発に気がつかなくても不発におわるだろし、自分の殻にとじこもっていてに不発におわるでしょう。

 火を着けたという意味では、広島の黒田選手が好例でしょう。ボクシング界も、よい流れになっていると思う。指導がよくなっているのかもしれないし、よいライバルがいて切磋琢磨しているのも、好循環につながっているのでしょう。

 たましいの問題は、今後、鍼灸の世界のキーワードになるに違いありません。

 それはそうと、技術はだいぶ高まっているようです(素人目ですが)。やはり、続けること、工夫すること、無心であること、こういうことが技術には大切だな、と年末に思いました。