容貌(見た目)による差別を、ルッキズム、外見主義、外見至上主義というそうです。外に出れば、いつもルッキズムをしてます。ただ、声を出して言わないだけで。
6月12日東京新聞の、精神科医の香山リカさんの記事ではじめてしりました。大学の授業で取り上げたそうです。学生は、たしかに、マイナスの評価はしないとして、プラスの評価ならいいじゃない? とあまり納得できないようだったとのこと。
たしかにほめるならば悪いことなさそうですが、記事では、プラスであってもマイナスであっても、見た目の評価をしないようにしましょうとありました。
かつて、娘が、(ほめたつもりで)欧米人に、鼻が高いですね、といったら、嫌みか?と言われたそうです。180センチの人に、背が高いですね。といっても、背が高い人はもっといるので、ご本人は背が高いと思っていなければ、ほめ言葉にもなっていない。
美人さんは、どうしてもほめたくなるのですが、そう思っていない人には、迷惑なはなし。キムタクは、自分の鼻が電気ポットみたいな形なのでイヤなのだそうです。だから、美男子とほめても、複雑な心境になるのではないでしょうか。
ほめられるのが、うれしい人がいるでしょうけど、迷惑な人もいるのです。やはり、外見の評価をしないほうが良いでしょう。ただ、評価は無意識にしているので、評価をしないというのは、なかなか難しい。
こうした、高い・低い、美人・非美人の、区別をしないのが良いというのは、老子の考え。区別すれば、良いほうに気持ちがかたむきます。見方が偏るという意味で、偏見が生まれやすいのです。偏見差別をしていないと思っていても、身近な所で毎日たくさん偏見差別をしているのです。なので、『老子』48章は「日に損し」といって、捨て去ることを奨励しています。
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