2017年5月29日月曜日

白髪をそめる

 今は便利なもので、画像を検索すれば、新しいのから古いのまで、いろいろ出てくる。有名人であれば、若いときの写真から、現在の写真まで出てきますから、うかうか整形もできません。

 秋篠宮は、若いときから白髪まじりで、中年になって真っ白だったけれど、とても颯爽としていました。白髪なのに若々しい。と思っていたら、数年前に染めて真っ黒になりました。そしたら、なんだか老け込んだ雰囲気で、勢いがない。老け込んだので、染めたのか。染めたから、老け込んだのか。

 皇室だからというわけではないけど、日本の象徴として、自然のままでいてほしい。作為のないすがたをみせてほしい(良い天気なので、さわやかに思ってみました)。天上の人は天のごとくに。

 
 

2017年5月27日土曜日

道具の美


 韓国製の茶筅が売っていたので、買ってみました。左が日本製。右が韓国製。日本製は、何度もつかっているモノですが、穂先がそろっていてきれいです。韓国製は、1度つかったら、穂先がみだれ、しっちゃかめっちゃかです。素人が使うには、どちらでも差がないし、ネットでしらべてみると、どちらでたてても、お茶の味は同じだそうですから、「なにか問題ありますか?」と言われそう。
 
お抹茶文化は、約千年ほど前に中国から伝えられ、工夫に工夫を重ねて、現在にいたっています。お抹茶文化がすたれずに、現在進行形であるというのが、きちんとした茶筅が残っている理由だと思います。韓国製は、日本の需要に応ずるように、にわかに作りはじめたのかも知れません。

 用が足りていればそれでいいのか。さらに使い勝手、美しさまで追求するのか。この当たりが、韓国製と日本製の違いなのではないでしょうか。

 鍼具も同じかな。現在は、工場生産の鍼が表舞台に立ち、手製の鍼はまるっきり陽の目をみていない。どちらでも治療効果は同じだとしても、おそらく茶筅のような差があるに違いない。そんなこんなで、また、手製の鍼を使ってみようかな、と思ったしだい。

 


 

2017年5月20日土曜日

養生の実践

 毎年この時期は、東京衛生学園臨床専攻科2年生に対し、午前の2コマ、『内経』をテーマにした講義をしていて、本日で終わりました。
 
 生徒は、おおむね、体調不良です。眠い、疲れている、肩が凝っている、腰が痛い。体調不良のまま、学習しようとしているので、成果はあがらないと思います。体調不良で試合に臨むのですから、負けるのは見えています。授業に出ることに、真剣さが足りないのでしょう。(学生時代をふり返ってみても、自分もそうだったから、人のことはいえないのですが。)

『素問』上古天真論篇は、治療家に向けて発信した養生篇で、「治療家は天寿を全うする聖人たれ」と述べています。こころとからだが健康であって、はじめて十全の治療ができるのだ、と。

 健康をテーマにしている学校の生徒が、不健康なのです。よく考えたら、これは問題です(よく考えなくても)。養成段階できちんと教育指導しなければならない、最も重要な事項だろうと確信した次第です。伝統鍼灸大学では、「養生の実戦」という教科を置き、必須科目で、毎日1コマ必要だと思いました。「どのようなことを実戦するのか」。考えるだけでも、わくわくします。


2017年5月8日月曜日

 正直・誠実

 かつては、かつ丼、おやこ丼、開化丼は、おそば屋さんで食べていました。
 かつては、そのおそば屋さんは、出前をしてくれました。
 しかし、カツ丼があって、出前をしてくれるおそば屋さんは、ほぼ亡くなりました。今残っているおそば屋さんは、味にこだわった本格的なおそば屋さんです。

 高校生のとき、父親に、学校の帰り道に、塩竃市の丹六園で、お茶を買ってこいとよく頼まれました。丹六園は老舗然として、大人の世界に満ちていました。今のその店舗はありますが、お茶は販売していなくて、「しほがま」という和菓子と、茶器を売っています。塩竃にはもう一軒老舗がありましたが、かなり前に閉店しています。かつては、盛業を誇ったお茶屋さんは、いまは風前のともしび。このブログでも紹介しましたが、急須で淹れるお茶っぱを生産する農家は、じり貧状態のようです。

「鍼灸はじり貧だ」というのが、5月4日の成城セミナーのテーマでした。本当にじり貧なのかどうか。困るような状況にならないと気がつかないかも知れません。そもそも、未病という智慧があるのに、鍼灸界が未病にきづかないでいるのですから、お先がみえてますよね。
 
 『論語』雍也篇「人の生くるは、直なればなり。これを罔(な)くして生くるは、幸いにして免れしなり」。人生は、正直第一とする。正直が無くて生きているのは、運良く免れているだけだ。医者は正直・誠実たれ、と言ったのは後藤艮山、香川修庵、藤井秀孟ら。彼らの言を今一度、読み返すときなのかも知れない。


2017年5月5日金曜日

ゆずのばかやろ18年


 自宅の2階のまどから、歩道を撮ってみました。下の花は、壁に沿わせている、木香ばらです。この時期、満開です。歩道は、自転車と人の道に分かれています。いま、自転車は中途半端で、車道を走るか、歩道を走るかで、迷っている。この幹線は、40年以上も前に出来たものだが、その先見性に感心しています。

 真ん中のベルト地帯は、ドウダンツツジで、秋に紅葉します。ツツジの右はケヤキで、埼玉県の県木です。20年程前は、枝が広がりたくさんの葉がしげり、秋になると枯れ葉がまい散ってました。隣の駐車場で、焼き芋大会ができました。その後は、その枯れ葉が憎い人がいるんでしょうか、枯葉になる前に、市の委託業者が来て、枝毎ばっさり切ってしまって、けやきは、悲惨な樹形になってしまっています。

 左は、夏みかんです。子どもが小さいとき、夏みかんの種を蒔いたら、幸いに芽がでて、植木屋さんの温かいこころざしで(引っこ抜かれずに)、生き延びて30年近くになると思います。しかしまだ、実が成りません。

 ももくり3年、かき8年、ゆずのばかやろ18年、とはいいますが、おなじみかんの仲間なのに、この子は、だいぶ遅いようです。早く成果が出るひと、中々成果がでないひと、結局結果がでなかったひと。いろいろいて、競争するものではないなあと、夏みかんをみて学習しました。

 ももくりタイプは、どんどん先に行っていただき、ゆずタイプの人は、コツコツ行きましょう。せいくらべはやめましょう。

 いちばん上は、車道との境で、さつきが咲いています。