2012年3月5日月曜日

丹塾古典部門(5)

丹塾古典部門では、張家山出土の『引書』につづき、『脈書』を読んでいるが、この医書は『内経』の下地になっているもので、原初的な医学観、身体観が記録されているので、きわめて重視すべき医書なのであります。
 故島田先生には、『難經』からさかのぼって『内経』を読むな、と言われてました。それは、『難經』医学と『内経』医学は異なるものだから、『難經』医学観で『内経』を読んではならないという意味です。この観点からすれば、『内経』から『脈書』へさかのぼるのは、おそらく危険なことだろうと思う。まず、『脈書』を消化しなければならない。その上で、、『脈書』のエキスが『内経』にどのように染みこんでいったのか、その軌跡を追うことが必要なのではないでしょうか。
 『霊枢』に九鍼という思想があります。これは、病気に合わせて鍼があるということで、その鍼を運用するに技術が要る、という思想です。何でも毫鍼で治療するのは、その逆で、毫鍼の技術が先にあるわけで、すべて毫鍼向けに病気を観察するということになります。『霊枢』からすれば本末転倒なのです。
 しつこいようですが、九鍼の医学思想は、【病気をよく観察する→それに適応する鍼を選択する→その鍼を運用する技術を駆使する。】ですよ。