根津美術館の前を、日産のグロリアが通過。あわてて写真をとりました。しらべてみたら、1990年ころの型のようです。つまり、30年前の車で、それもタクシーですから、40万キロ~50万キロは走っているのではないでしょうか。おそるべし。
この当時の高級車の、マツダのルーチェ、三菱のデボネアなどが、中古車市場にあるみたい。
今朝の東京新聞の水産物の価格動向の記事です。この時期ならぜったいサンマが登場するはずですが、御覧の通りサンマの名前が有りません。数年来の不良で、今年も同じなのかと思います。いよいよサンマは戻ってこないかもしれません。
中国の古典で、土手の蟻の穴から川の氾濫を予測するというような話がありましたが、ほんとうにどうなるんでしょうね。
人為が自然界を乱すことができても、人為が自然界を元に戻すことはできない。まあ、自然界にしても、戻るつもりはないでしょうから、人間が生きにくくなるだけかも知れません。
10月16日に京都でお灸の講演。翌日午前、12人で、墓参ツアーをしてきました。
二尊院の伊藤仁斎、弟子の香川修庵。遣迎院の御園家。上品蓮台寺の後藤艮山。御園家の墓参は初めてなので、感動してきました。天気は晴朗でした。
たくさんあること・豊富にあることを、宮城方言で「ふだ」という。「髪がふだ」「おかずがふだ」というように使う。漢字では「不断」とあらわすようだ。
同じく、恥ずかしいことを「おしょすい」という。漢字では「お笑止い」とあらわすようだ。
どのようだ、と聞くとき、「なんじょだ」といいますが、漢字では「何様(なによう)だ」であります。
子供のとき、お店に入る時は「もうし~」と言ってました。「たのもう」と同じことかもしれません。今の子供は、「もうし~」とは言わないでしょうね。
ある説では、宮城県に派遣された都人(中央官僚)の置き土産だという。いつごろのことかはわからないけど。方言は、懐かしいです。
岸田首相の、口が斜めになり始めている。(気のせいかもしれないが。)
やすみなしだから。へばる。課題も大きいものが多いし。人物評価はわからないけど、こんなところは同情したい。
個人的には、若い人が前面に立って、年配者がフォローする体制が良いとおもう。あくまでフォローであって、コントロールではなくて。
その森の中央に沢庵宗彭の墓がある。島倉千代子の墓もある。上は東海道新幹線。右下が京浜東北線・東海道線。上からみると、すこし感動しますね。
沢庵は墓は要らないという言ったが、この大山墓地と、但馬の宗鏡寺に、存在する。この写真の西端に、沢庵が住んだ春雨寺がある。紫衣事件で、山形に流されたときに住んでいた春雨庵の名前をとったもの。
古典研究は、農家と同じだとおもう。
古典という畑を、せっせと耕して、収穫をえる。収穫がないこともある。それでもせっせと耕す。収穫物は、調理する人、料理を食べる人と継がれていく。
問題は、せっせと耕す人を増やさないと、収穫物が増えてこないということ。調理する人は多いのですが。
調理する人が、耕す人も兼ねることもある。自分で作ったものを調理したい、提供したいと。食べる人が、耕す人になることもある。
三者で共通するのは「収穫物」ということになる。「おいしい収穫物」がなるように、せっせと耕しましょう。