2015年1月28日水曜日

岩国(その1)

 1月25日(日)は、岩国泊。元祖岩国寿司本店の三原屋さんに泊まりました。素泊まりで、四畳半5000円弱。90年前に建ったという。90年前の高級和風旅館です。四畳半とはいえ、柱と言い、小窓といい、よい作りでした。四畳半というのも、今や無いセッテイングです。

 ちなみに、京都のホワイトホテルも穴場です。京都駅に近くて、5000円くらいで泊まれます。学生だと2000円台のプランもあるようです。そのかわり、布団は自分で敷くのですが。
 

 お風呂は、なんと鉄製でした。深さ70センチ、幅80センチ、奥行き60センチくらいの、立派なお風呂でした。こちらは90年経っても、ゆるぎない存在感がありました。鉄製のお風呂は、50年前に、父方の実家の五右衛門風呂以来です。世の中、どんな経験が待っているか、楽しみでもあります。

 岩国寿司というのは押し寿司です。長崎にも大村寿司というのがあります。ちらし寿司を押したようなものです。三原屋さんがその元祖らしい。6代目の戸崎政男さんが勲章をもらったようで、立派な賞状がかかっていました。りりしいお姿の写真も。おそらく「とざきまさお」さんでしょうけど、どこかで聞いたような名前でした。

 日本三景松島の出身なので、観光産業がちと気になります。どこでも昔ながらのおみやげやさんは斜陽のようです。新しい工夫が必要なのかも知れません。若い人とバトンタッチして、新しい風をいれないと、昔ながらのおみやげ屋さんは無くなっていくのかも知れません。鍼灸は、山口県でも、若い人ががんばっているようで、たのもしい限りです。右から、左から、上から、下から、風が吹いて、風通しがよくなるのが、望ましい方向かも知れません。

 

 

2015年1月19日月曜日

錦帯橋

 あこがれの錦帯橋。小学校か、中学校の、社会科の教科書でみて以来ですから、40年か、それ以上の念願が、ようやく叶いそうです。実は、こどものころは建築家になりたかったのですが、赤緑色弱ゆえに、理工系に進学するのは不適応らしくて、断念しました。本当はどうなのか知りませんが。なので、建造物をみると、無性に、眺めたくなり、覗きたくなり、触りたくなります。特に、木や石は、触りまくります。錦帯橋、たのしみです。

 そのまえに、「講演会」というハードルがあります。山口県鍼灸師会の要請で、1月25日に岩国市中央公民館で、『温灸読本』を題材にして「シンプルな鍼灸法」という講演をします。

 後藤艮山先生がめざした「古方の鍼灸法」を考えてみたいと思います。古方とは、あとで加えられた陰陽五行説とか運気説とかを取り除いた初期の鍼灸法を指します。主な題材は、出土医書で、張家山の『引書』と『脈書』です。古方を唱えたのは、江戸時代の名古屋玄医、後藤艮山らです。この古方派は、灸法を重視し、刺絡を大いに活用しています。島田先生から教わった治療の枠組みは、実は古方だということに、最近きづきました。そういう意味でも、古方ということを明らかにしたいと思っています。

 

2015年1月5日月曜日

京都(その5)

 京都仏眼の最初の話は「文質彬彬」でした(記憶では)。文は、彩で、飾り気、いろどり。質は、質素、素朴で、飾り気の無さ。彬彬は、半々。君子(目指す人物)は、飾りの部分、飾らない部分、相反する要素を両方持ち合わせるべきだ(孔子の言)。いいかえれば、清濁併せのむ、繊細にして豪快。

 京都は、文の町で、粗野なところが無いような気がします。田舎の大名は、京都に来て、びっくりしたんでしょうね。その勢いで、京都を地元に再現しようと、桃山式の神社仏閣を造ったのでしょう。
銀座にあこがれた「~~銀座」があちこちにあるのと同じ理屈です。そういえば、銀座も文ですね。

 鍼灸の話題にうつせば、文は理論で、質は技術でしょうか。理論が多ければ、いろどりに富み、華々しい。質が多ければ、地味で、目立たない。いままでの鍼灸は、地味だったけど、今後は華々しさがほしいところ。そういう理由で、中医学に期待するところが大きい。また、古典の役割も大きい。ただ、やはり半々なので、文が過剰にならないように。
 

 こうしてみると、日本伝統鍼灸学会という団体は、本拠地を京都において、学術大会は京都で開催して、文を補強すべきと思う。たんに学問を積み上げるのではなく、文とはどういうものなのか、目で見て、口で味わい、皮膚で感じ、その上で、鍼灸の理論を補強すべきだ、と強く思った次第。

 かくして、今回の京都の講演は、機会を与えていただいた小林先生に、深く感謝するしだいであります。