2013年11月29日金曜日

白隠禅師「坐禅和讃」

 臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴(1685~1768)と長野県飯山の正受老人の問答。
  正「おまえの悟りを見せてみよ」
  白「そんなものは見せられません」
  正「この穴蔵死人坊主め」

 自分は悟ったと思っていた白隠に対して、自分ひとりの世界に留まっているのは自己満足にすぎず、衆生の救済という仏教の命題にまったく役に立っていないと、正受老人は戒めた。かくして禅の教えを大衆に広めることをみずからの使命とし、そして生まれた「座禅和讃」。

  衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、
  水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし、  
  衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ、
   たとえば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり、
  長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず、
  六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり、
  闇路に闇路を踏そえて、いつか生死を離るべき、
 11月24日、母の一周忌。臨済宗の松島瑞巌寺の僧侶によって詠まれた「坐禅和讃」は、荘子ともかぶり、後藤艮山ともかぶり、なんとも味わい深く聞きました。
 真実は難しく高尚なことばにあるのではなく、身近でわかりやすいことばにあるのだということを、禅の悟といい、儒の仁といい、どちらも目の前の届くところにあるということを、聞きました。
 

2013年11月3日日曜日

養生学

 東洋鍼灸の非常勤講師だったころに、一年に10コマで、養生学を講義することになった。1年が40コマなので、半期で20コマ。その20コマを、漢方と分け合って、養生学をすることになった。東洋医学の3本柱のうちの2本柱が、ご挨拶程度でいかがなものかと思うけれども、全く無いというところからみれば、おおきなステップアップである。

 おそらく、それから10年くらい経っているだろうと思う。このたび、丹塾(第39回 11月10日)で、時間をもらって「養生を考える」と題して、3時間、発表します。

 現在、そのために読んでいるのが、貝原益軒の『養生訓』。いろいろ知った上でよむと、なるほど名著であります。押さえるところはおさえて、はずすところははずして、養生の歴史・要諦をよく知った先生だとわかりました。

 また、読んでいるのが、伊藤仁齋の『童子問』。貝原先生も儒者ですが、伊藤仁齋も儒者。養生が、荘子によって、概念が変わったのですが、その概念でとらえると『論語』も養生書ということになる。荘子によって、養生がどう変わったかというと、生き方も養生なのだ、ということ。これは見逃してはならないのだが、見逃していました。これを見逃していないのが、整体師の野口晴哉先生です。

 養生は養生術によって普及し、道教に吸収されて、いよいよ発展しました。現在の、私たちの養生観は、この延長線上にあります。養生は、養生術だけでないと言ったのが荘子で、生き方こそ養生なのだと提唱しました。が、これが主流になることはありませんでした。『素問』上古天真論篇が、荘子的養生の継承者といえるでしょう。

 養生とはなにか。それを丹塾の講座の中で冷静に見つめ直すことができればと考えています。
興味があったら、丹塾に来てみませんか。