2012年10月31日水曜日

ネコのツメ

患者さんのはなし:
 飼っているネコが、歩き方がよぼよぼで、目やにもたまって、だいぶ老け込んだなあ、と思っていた。あるとき、そのネコの足をみたら、爪が伸びて肉球に刺さっていたようなので、獣医さんに爪を切ってもらった。2週間もしたら、歩き方がしゃきっとして、目やにもなくなり、若々しくなった、とのこと。

 考えさせられるエピソードでした。
 「根本的な問題が解決すると、諸々の問題はほどけていく」
 「老化という概念に捕らわれると、何でも老化になる」
 

 
 

 

2012年10月15日月曜日

機心(その2)

 鈴木大拙の『東洋的な見方』(岩波文庫)の3度目の挑戦。1度目は、意味がわからず、撃沈。2度目は数年前に、おもしろみがわかり、ようやく読破。今回は、本箱を整理したら出てきたので、挑戦というところ。
 機心について、「機心ということ」のほかに、「創造の自由-荘子の一説」に、2回も取り上げている。前回読んだ時には、あまり印象的ではなかった機心が、今回は、キラキラして見えた。
 機心を訳して「はからいのある心」といい、利害得失に夢中にならしむる、という。なんと、的を射た解説だろう。金谷治(岩波文庫訳注)は、「からくり心」と訳したけど、ちょっとわかりにくい。
 臨床のとき、古典を読むときは、せめて機心を無くしたいところ。『論語』為政篇にいうところの「思無邪」(思いよこしま無し)、吉川幸次郎は、「感情の純粋さ」と訳した、このことばと一脈通じているような気がする。
 古典は、ちょっとした文章に味わいの深さがあって、そこに到達するところが楽しみなのかもしれない。

2012年10月9日火曜日

樸(あらき)の人


 昭和58年(1983)の4月に原塾が始まったが、その打ち合わせとして前年の暮れに、島田治療院に井上雅文先生が来られた。そのときが、『脈状診の研究』の著者、雲上の人との初見だと思う。翌年に原塾が始まって受講生になり、講義の帰りに先生と幾人かとスターリングシルバーという花屋兼飲み屋にたちより、いろいろな話をうかがった。
 記憶に残っているところでは、普段は入浴しないとおっしゃる。数日かに一回入るだけだと(定かではないが、一週間に一回)。蓬髪というのだろうか、頭髪はボウボウで、といっても悪臭、異臭がするわけでもない。
 かばんは、いつも紙袋でした。おされな鞄でなく、高級品の鞄でもなく。着るものも素っ気ない。
 頭脳に反して、無頓着で、人の目を気にしない。上下そろって様子がよく、わざとらしさがない、 ピカ一の樸(あらき)の人でした。