2012年9月18日火曜日

機心

 「荘子」天地篇のはなし。ひとりの老人が、井戸から水をくんで畑に水をまいていたところに、孔子の弟子の子貢が通りかかり、井戸から水をくみ上げる「はねつるべ」とい機械があれば、もっと楽に、効率的に、水まきがはかどると教えた。けれど、老人、「はねつるべ」という機械は知っているが、機械にたよると機心が生まれ、機心が生まれると、こころの純白さが無くなる。だから、それは使わないと言った。

 井戸のくみ上げを機械に任せれば、井戸の様子を観察しなくなる。水位はどうか、水質に変化はないか。さらに、くみ上げる方の健康状態まで関わってくる。このような純粋な観察があって、くみ上げが成り立っているわけである。それを機械まかせにしてしまえば、もっとも大切なところを無視し、こころの純白さが無くなる、というわけである。

 鍼灸治療にマニュアルがあるとすれば、まさにこのエピソードに該当する。胃が痛いのには足三里。腰痛には委中。形式通りの治療。そこには、身体を観察するという基本が抜けている。鍼灸治療は、原則的には、人にたよらない、理論にたよらないで、自らの観察から始まる。そういう意味では、とても自由な職業だと、つくづく思う。学ぶ者は、まず最初に、ここに気づくといいのだが。
 

 

2012年9月10日月曜日

13回忌

 昨日は、島田隆司先生の13回忌ということで、島田家と会食しました。奥様も元気でした(というより溢れてました。というより以前のままでした)。合計10名。
 場所は、南千住のうなぎ屋・尾花の予定でしたが、予約不可ということで、浅草のうなぎ屋・前川になりました。眺めは一流、うなぎは三流というところでしょうか。まどの外に、隅田川とスカイツリー、青い空、入道雲。うなぎ代は、景色代込みか。
 あの日。8月10日の水曜日。金古さんから電話が入り、亡くなったと。夕方、病院に駆けつけました。どうしてそうしたのか、脚に触れ、ひかがみがまだ温かいのを確認し、まだ生きているんだと、なぜか安心。帰宅してからは、電話、ファックスで、四方八方に連絡しました。
 まるで、昨日のことのように思い出しました。