2021年8月30日月曜日

棲雲寺の撞木

 山梨県の甲斐大和にある棲雲寺は前にも紹介しましたが、鐘楼と撞木の写真が残っていました。撞木はりっぱなもので、180センチもありました。これほどりっぱなものは、群馬県川場村の吉祥寺以来です。どちらも、臨済宗幻住派に属する寺で、両寺の開祖は留学僧で、中国の天目山の中峰明本に学びました。鎌倉円覚寺の鐘楼もりっぱなものです。りっぱな分、思い入れも強いのだと思います。ようするに、中国の寺院のコピー(フルバージョン)なのです。手加減しないところに、棲雲寺の開祖の業海本浄の本気がうかがわれます。




2021年8月26日木曜日

蛍光灯に蟻が

 治療室の蛍光灯の中で、蟻が歩いていました。どこから入ったのやら。治療室には他に何匹か居ましたが、集会でも有るのでしょうか。

 さっきは、階段にゴキブリ。丸形の茶色のゴキブリで、さほど素早くはないので、捕まえて、玄関外に逃がしてやりました。何年ぶりかの、ゴキブリでした。

 数日前から、家の中に蚊がブーンと言っています。ホコリのかぶった蚊取り線香を、数年ぶりに、焚きました。

 なにかあるんでしょうか。外が暑いから、家の中に逃げ入ったのでしょうか。
 

2021年8月16日月曜日

70歳を「従心」という

  孔子は、70歳の心境を「心の欲するところに従い、矩をこえず」と言った。漢文だと「七十而従心所欲、不踰矩」で、ここから70歳の雅称を「従心」という。「従心」の背景には、三つの大きな事件があった。

69歳:56歳から始めた諸国行脚(道徳による政治の実現を目的とした)に終止符を打って、魯に帰った。

70歳:弟子の顔回が死亡した(32歳)。

71歳:息子の鯉が死亡した(50歳)。

 道徳による政治の実現を「頑張った」~「頑張らなくなった」

 道徳による政治の実現したいという「執着があった」~「執着がなくなった」

 こういう状況から「心の欲するところに従う」という心境になったものと思われる。

 発言の状況がわかると、その発言の意味合いがよくわかるが、状況がわからないと、表向きはわかっても、ぜんぜんわからない。(とつくづく思う。) 



2021年8月15日日曜日

他人まかせの反省―無心

  すこし面倒なので、調べ物を知人にたのんだところ、忙しいとのこと。しかたなく、国会図書館に行ってきました。要するに、1時間の道のりが「私心」となって、行動できなかったのです。また、調べ物が少ないので、「軽くみた」ので、行動できなかったのでした。

 行ってみれば、警察官が多いので、永田町の緊張した空気も味わえるし、警察官から目をそらさない、こそこそしないという緊迫感も味わえました。

 調べ物は、未達でしたが、他の本をめくって、目的以外の新しい発見がありました。

 森立之の曽祖父の森中虚。お父さんが愚然先生で、壮年に京都から江戸に移り住み、壮年に(森家の菩提寺である)洞雲寺を中興する開基(主な支援者)となったという。つまり、資金を提供したのですが、建築物を全部とすれば、数億円ということになります。つまり、京都の不動産を売却して、それを全部注ぎ込んだと思われます。

 森家の家学は「老子」学で、その極意である「無心」を実践してみせたわけです。森立之が、生涯をかけて古典の研究に没頭したのですが、それも「無心」なのです。幕末明治初にあたって、無益となってしまった中国古典の研究を、止まずに続けたのですから、「無心」としかいいようがありません。

 先人の業績は文字だけではありません。そこから「無心」を学び取ることも大事だなあ、と学び取りました。


2021年8月7日土曜日

青い空と絵

  一泊二日で、墓参してきました。母方の実家の塩竃市浦戸野々島(離島)。

  写真は、青い空とトンビ。肉眼では、もっと紺色だった印象。

 (下)は、泊まったお宿で買った「島を描いた絵」。菜の花の黄色と、海の水色と、松の緑の対比が印象的だったので買いました。すこし安西水丸風。


2021年8月4日水曜日

もぐさん2

  2019年10月に、もぐさの「山正」にもらった「もぐさん」は、ほぼ2年経過して、最近やつれたかなと思って、写真を比べてみたら、左右のほおがややげっそりしていました。お子さんが来院したときに、もてあそんでいるからだと思われます。毛もふんわりから、しっとりにかわっています。色も、艾の煙で、変わっているかもしれません。なんだか、老化をみているようで、生き物だけでなく、無機物にもあるんだなあ、とつくづく思いました。