2015年9月30日水曜日

白水ダム

 白水ダムといっても、ため池の堤防です。ため池の余ったみずが、堤防を流れくだるさまが、白のカーテンのようで、なんともきれいなものでした。連れて行ってくれた方は、進入禁止の前からしか見たことがないと言ってましたけど、行ったときには、何人も乗り越えて、ダムの真下まで行っていたので、私たちも行くことにしました。

 遠くから眺めるのと、真下で見るのとは大違いで、なんとも迫力のある水のカーテンでした。水のにおい、空気の流れ、音、恐怖感。連れて行ってくれた人も、興奮気味で、右に登り、左にかけ上がり、あらゆる角度から堪能していました。土木屋の小宮山さんがみたら喜ぶだろうな、と思いながら、ぼくも堪能しました。

 名水のわき出るところで、お水をいただきました。町に戻ると、名水の里ですといって、お水を出してくれるのですが、それは水道水のようでした。カルキの臭いがしましたから。名水をのまなければ、水道水でもおいしいのでしょうけど。町の人は、無料の名水を汲みに来ていました。ごく当たり前に飲む水が、名水であるのは、なんと幸せなことでしょうか。東京に旅行にきたら、まずい水で、辟易するでしょうね。

 やはり、文化は、気候風土から生まれると思います。してみると、鍼灸医学は、どういう気候風土から生まれたのか。とても、気になります。何となくわかっているのは、九鍼は南方起源であること、経脈説は南方由来であること。さて、その、南方とは、どの当たりのことなのか。どんな、気候風土なのか。来春に学術交流に行くところの南京市は、南方に属するだろうから、この意味でも楽しみなのであります。

2015年9月28日月曜日

岡城

 弦躋塾セミナーの後は、大分県竹田市に足を伸ばしました。別府から大分、大分から豊肥線にのり、約2時間で、豊後竹田駅。一両だけの黄色い車両で、ディーゼル車。マッチ箱みたいで、キュートでした。

 車窓からみえる田んぼは、休耕田はきわめて少なく、一枚一枚が大切に管理されていて、きれいな風景でした。農家のかたの清らかな心持ちがうかがわれて、さわやかな気持ちになりました。山間の田んぼなので、直線で区切られていず、緩やかな曲線で囲われた、大小さまざまの田んぼ、それらを丁寧に管理しているようでした。豊後の文化なのかも知れません。

 宿泊は、豊後竹田駅の近くにとったので、徒歩1分で到着。この宿のご主人は、翌日、仲良しになったお茶屋さんの三男の方と同級生で、50歳くらいで亡くなって、それ以降は、味が落ちたそうです。おいしくいただきましたけど。

 目的は、岡城(正式には岡城址)観光で、地図をみたら町外れにあり、徒歩で1時間以上とおもいきや、20分くらいでした。延々の上り坂を、てくてくと行くと無事到着(写真は検索してください)。途中、町のみなさんが、こんにちはと挨拶してくれるので、田んぼのこととを思い合わせて、この地方の文化の高さを感じました。故郷の松島町では、このように挨拶することは無いと思います。

 岡城の城下町は竹田市で、市街は狭く、江戸時代の建物が残っていたり、戦前の建物が残っていました。市民には、旧の商業地であり、観光客がいないときは、閑散としているとのことでした。マーケットは郊外に建てられて、にぎにぎしていました。

 名水の里らしくて、お茶屋さんの店頭で、無料で提供していたので、ご馳走になりました。ご馳走になったので、お茶を買ったら、店頭のおじさんが、白水ダムに連れて行ってあげると言うので、甘えさせてもらいました。車で20分くらいの山奥にありました(写真は検索してください)。その帰りに、湧水群も案内してくれました。なんだかんだと1時間くらい、お世話になりました。この人は、お茶屋さんの三男で、福岡でおつとめで、帰省中だったとのこと。年齢が近かったので、いろいろな話をしました。

 良い町でした。竹田市。藩主の中川氏の治政がいまでも影響があるのか、この地の風土なのかわかりませんが、山間の地で、人口1万7千人ながら、文化レベルの高さを感じました。

 

2015年9月23日水曜日

弦躋塾終わる

 9月20日・21日と、第31回の弦躋塾に参加してきました。去年あたりから、31回で弦躋塾は閉じると、首藤先生が仰っていたので、「長い間、ご苦労さま」という気持ちを込めて、参加してきました。おん歳83だそうです。

 弦躋とは、首藤先生の字(あざな)で、文字通り首藤先生の塾なのですが、もし「其の人」がいたならば、まだまだ続けられたのではないかと思いました。後継者がいないのでは、「伝統医学」にはなりえないのではないかと、少しばかりの危惧をいだいてきました。

 弦躋塾は、首藤先生の講義・実演がメインで、外来講師の講義・実技をサブとし、ほぼレクチャーで終わります。レクチャーは、教育効果があがらないとされていますが、100名を超える参加者に、手取り足取りの実技指導は、なかなか難しいところです。首藤先生の実演が、スクリーンに映し出されますので、「見て学ぶ」きわめて貴重な機会なのです。

 「見て学ぶ」側が、単なる観客でおわるか、技術をぬすみとる者になるかは、大きな分かれ目です。話を聞いたことが、単なるお話でおわるか、自らの訓えに昇華させるかは、大きな分かれ目です。講座講演の機会が多いほど、見ることに慣れ、聞くことに馴れてしまい、収穫は少なくなるような気がします。有り難みがすくなくなるというか。

 そういう意味では、いつでも餌が用意されているのではなく、餌を探し求めるハングリーさが、必要ではないか。『荘子』養生主篇の「野性のキジは、鳥かごに飼われるのを求めていない。餌が十分で精神は安定しているが、こころ楽しくないからだ。」という一節が降りてきた。餌を食べることも学ぶことだが、自由に餌を探し求めることも学びである。前者はレクチャーだとして、後者は体験型の教育になろうか。
 
 やはり、国試一本やりの教育は、まずいなあ。
 


 

2015年9月17日木曜日

迅雷、風烈には、必ず変ず

『老子』13章に「わたしに大きな災禍が降りかかるのは、わが身に執着しているためだ。わたしがわが身に執着しないならば、なんの災禍が降りかかろうか」(蜂屋邦夫訳)とありました。


 これを読んで、天災を悪者にしていた自分に気がつきました。天は、ただ無心に、雨を降らして、風を起こしただけなのに。そよ風は善で、強風は悪、小雨は善で、大雨は悪、と決めてしまっていました。自分に被害があれば、天災とうらんでいました。天にたいして、なんと傲慢だったのでしょう。


孔子は、迅雷(突然の雷)、風烈(暴風)のときは、居ずまいを整えた(『論語』郷党篇)、そうです。自然現象に対する、いいかえれば天に対する敬虔さをよくあらわした一言かと思います。


 老子、孔子ともに、よく出来た人で、たんに人間社会の生き方を指導するだけでなく、自然に対する心構えも教えてくれる。人体が自然の一部と考えれば、老子、孔子に、学ぶことが多いのではないでしょうか。『内経』が中国医学の原典であるけれど、『老子』は天地の中の人体のとらえ方、『論語』は天の下の人体のとらえ方を学ぶ古典として、役割は大きい。かくして、伝統鍼灸大学の基礎科目に、『老子』講読、『論語』講読の2科目が確定しました。


 『老子』の「なんの災禍が降りかかろうか」というのは、実際に災害に遭っているのだけど、それを災害と思わなければ、実際の災害は災害ではないという意味で、「仕方ないねえ、自然にはかなわないね」と、すっきりした顔でテレビのインタビューに答えていましたが、そういうことではないでしょうか。


 阿蘇山は何度も噴火しているけど、その麓に住んでいる人、鹿児島市の人たちは、きっと阿蘇山の噴火を災害と思っていないのでしょう。自然とともに生きるというのは、自然から与えられる益だけでなく、自然から与えられる損というのも、どちらも受け入れること、つまり損益の区別をしないことなのだと、理解できました。
 
 損益、善悪にわけないこと。
 天災と言うのは、慢心であること。
 自然に対する敬虔さが欠如していた。

2015年9月14日月曜日

きゅうくつと天災

 先週の日曜日に、勉強会に行くために、新宿駅で乗り換えたら、人の多さに気押されて、息苦しくなりました。強迫されるような感じで、生きた心地がしませんでした。2~3分のことでしたが。

 毎月一回、新宿駅で乗り換えて、同じような人混みに混じるわけだけど、今回が初めてそうなりました。いつの間にかですが、狭いところ、狭い感じ、ひいては「何時いつまでに」という締め切り感に、窮屈さを感じ、苦しくなっているようです。田舎育ちなので、都会生活がだんだん困難になってきているのだと思います。「つま立つものは、立たず」というがごとし。

 もうひとつ押し寄せているのが、天災。わが家は、もと田んぼだった住宅地に立てたので、床上冠水を何度か経験しています。軽かったので、被害軽少でありましたが、鬼怒川の氾濫のようになれば、同じようになると覚悟しています。その、大水がいつくるのか、それも強迫的でもあります。怖いわけでもなく、悲観しているわけでもなく、覚悟はしているのですが、それでも見えない強迫として、わずかばかりあります。

 鬼怒川が氾濫したと思ったら、阿蘇山が噴火しました。首都直下の地震もありました。三陸津波を経験し(身内が経験したので間接的ですが)、大雨の被害に遭っていると、天災が人ごとではなくなり、なんとなく息苦しくなります。おおかたの人は、のど元過ぎれば忘れてしまうのでしょうが、これだけ頻繁だと、心構えしておいたほうが良いのではないでしょうか。
 
 他の国とはちがって、天災が多い国なのだから、日本人は、個々人がしっかり天災と向きあわなければならないと思います。国がなんとかしてくれる、自治体が助けてくれる、と安穏している場合ではないでしょう。自分には天災が降りかかってこない、とのんびりしている場合ではないでしょう。

 日本人が呑気になってしまって心配ですね。ボーとしている間に・・・・。万事、後手後手に回ってしまうのは、この辺りが原因なのだと思います。ひとは、自分が被害にあわないと、天災がくるのとは思わないので、しかたないのかも知れません。

 実は、鍼灸界も、呑気になってまして、天災がきそうなのを誰も心配していません。安づくりな医学なのですから、一旦事が起きれば、あっというまに消し飛んでしまうのです。先生方は、酒吞んで浮かれている場合じゃなくて、次の世代のために、足場固めの一策を講じなければならないと思います。

2015年9月7日月曜日

聖人たれ②

 道家では、聖人は目標人である。この流れを受けて、上古天真論篇でも聖人は目標人である。

 聖人は、天地自然に合体し(というより天地自然にすべてを委ね)、天寿を全うし、心静かで無欲なる人である。この人こそが、鍼灸師に最適なる人で、天寿を全うし、世の見本になり、心静かで無欲なために、病者の苦悩が、病因病機が、明鏡に映し出すように見えるのである。すべてお見通しなのである。
 
 もし、心が騒がしく、欲まみれだと、「欲に目がくらむ」というように、病者の苦悩も、病因病機もなにも見えないのである。なにも見えないので治療しているのである。だから、怪しく、疑わしい治療を、何食わぬ顔で行っているのが、今の私たちなのである。それでも、世の中から許されているのだから、鍼灸師はぬるま湯に漬かっているとしか言いようがない。

 みなさん、冷静に考えてみてください。調子にのって酒吞んでいる場合じゃないし、ちゃらちゃらしている場合じゃないのです。昔はそれで良かったのですが、今は違います。昔の建物と同じく、耐震構造が無いのです。そのことに気がついて、補強工事をしておかないと、一気に瓦解するに違い在りません。
 
 儒家では、聖人は理想人であり、目標人は君子である。古代の尭舜禹、周公などが聖人で、どのように努力しても、近づくこともできない。なので、君子を設定して、修徳にはげみ、世の中に役立つ人になることを目標とした。鍼灸師も社会の中の一員であるから、君子をめざして、修己治身することは、当然なのです。

 鍼灸師は、社会人として君子をめざし、治療人として聖人をめざさねばならないのですから、安直にできる仕事ではないのです。このことは江戸時代の鍼灸書で、しばしば警鐘が鳴らされています。そろそろ、めざめないと。