2022年9月25日日曜日

鍼灸の大家

  5月に関東の大家、9月に九州の大家を訪問。

 共通するのは、宇宙法則と、恬淡虚無(心静か・虚心)。

 これは、まさに『老子』なのである。

 お二人にお会いして、恬淡虚無の者を、身をもって感じられたのが、なによりの収穫でした。

 宇宙法則・恬淡虚無ということを、理解できるようになったとしても、身をもって知り、さらりと話せるまでは、あと何十年はかかるでしょう。

赤緑色弱

  小学校・中学校の時、○が一杯あるアジサイの花のような絵本を見せられ、その中でみえる数字を答えよという色覚検査があり、色覚異常のある生徒は、数字が読なかったり、(他の生徒が読めない)数字が読めたりして、判定される。

 前の生徒はやすやす読めているのに、ぼくは読めない。読めないから、枠外のページ数を読んでいたのです。というわけで、赤緑色弱と判定されましたが、ちいさなコンプレックスでもあります。今は、そういう検査は差別になるからと言って、やってないらしい。

 赤緑色盲だと、赤と緑が区別できなくて、赤緑色弱だと、赤と緑の区別に苦労するのです。まぎらわしいというか。色には自信がないので、色の判定は避けてとおっている。

 男子に隔世遺伝するらしいから、二番目の孫が赤緑色弱の可能性がある。、

 

2022年9月19日月曜日

豚毛のはぶらし

 半年以上はつかっている、わが、豚毛のはぶらし(左)。新品(右)と比べて、長さが減っている。しかし、毛先は真っすぐなままなので、使い勝手はかわっていない。

 ナイロンの歯ブラシだと、毛先が広がって、使い物にならなくなるが。自然素材は、エコだね。

 浜松町の貿易センタービルをはじめて見に行ったのは、18歳のころ。半世紀少し前。新宿のビル群ができる前だったと思う。貿易センタービルは、寿命を迎えて、解体作業中で、残すところ3分の1くらいか。新宿のビル群も、おいおい寿命を迎えるのでしょう。

 東北新幹線の橋脚で未修理なのが何カ所。というニュースが流れていました。高架にしなくて地面を走れば、橋脚の修理はいらないのに。それだって寿命がくるのでしょう。そういう意味では、地面をはしる在来線は寿命がながいね。急ぐために無駄なお金をかけているのだけど、どちらがもったいないのか。

 こういうことが、鍼灸治療の息がながさの理由かもしれません。

 

2022年9月8日木曜日

手をあわせて拝む

  加地伸行『儒教とは』によれば、葬式では、仏教はご本尊に手をあわせて拝むが、儒教では死体に手を合わせて拝む、という。まれに、お坊さんを拝む人がいるが、それは間違いだそう。

 今日、前首相が、前々首相が暗殺された現場に行って、手を合わせて拝んでいた。はて、何を拝んでいたのだろう。事故現場では、花を手向けて、その花の向こうに手を合わせて拝んでいる。はて、何を拝んでいるのだろう。その現場にいるとおもわれる霊魂に向けてなのだろう。

 東日本大震災では、海に向かって手を合わせて拝んでいる人もいた。海のかなたにいるだろう霊魂に向けてなのだろう。

 手を合わせて「いただきます」という相手は、食べる機会を与えてくれた「天」なのかもしれない。

 これらが日本人の変なクセでなければ、日本には、手を合わせて拝む仏教マナーがあり、儒教のマナーがあり、日本独自の霊魂や天神などを拝むマナーが存在していることになる。

 霊魂に対しては鎮魂の精神が込められていて、天神に対しては崇敬の精神がこめられている。こしてみると、なんだか、複雑。

白洲正子『近江山河抄』

 どこかの陶工の談話で、陶器を造るには、十年間は土もみをしないと、一人前になれないといっていた。陶土をもむというのは、辛い仕事で、何百回もこねている間に、次第にきめが細かくなる。しまいには、気持ちがいいほどなめらかかになるが、それとともに心も静まってくる。自分はそういう風にして、自分の土を発見した。近頃は、どこの土でも自由に手に入るし、あらかじめ機械で練ってあるから、手間は省けるかわりに、自分の土を自分の手で発見する喜びがない・・・

 いい話が乗っていたので、引用しました。

 大した訓練を経ていない自分が、いい話だというのもおこがましいが、これに発奮して、これから訓練すれば良いのであるから、おこがましくもないのである。100歳まで30数年あるし。


おおたかしずる(没)

 9月5日に新聞のおくやみ欄に、大高静流さんの訃報が。69歳だと。1953年生まれだから、3コ年上。CDが一枚くらいあったかと思って、探してみたら、無し。テレビCMで、よく流れていたから、知っていたのかも。

 新聞でかならず見るのがおくやみ欄。かつて、信濃毎日新聞をみることがあって、1ページをつかったおくやみ欄には驚きました。同じ地方紙である仙台の河北新報でも、そのような大々的なおくやみ欄はなかったから、その地区のとくちょうなのでしょう。