2024年1月30日火曜日

『老子』四十二章

 『老子』四十二章に「道生一、一生二、二生三、三生万物」とある。池田知久『老子』(東方書店)は云う。

 その「一」とは、まだ「一気」や「太極」のようなルーティーン化した具象的な思想概念とはなっていない。「道」が生じた漠然たる未分化な原初的な統一体とでもいうべきものである。

 「二」は「陰・陽」または「天・地」などに当て、「三」は「天・地・人」または「陰・陽・和気」または「形・気・質」などに当てる見解が多いが、漠然たる未分化な原初的な統一体が次第に分化していうプロセスを一般的に述べたものであって、そのような後代のルーティーン化した具象的な思想概念で把握するのは不適当ではないだろうか。

 どの注釈家も、「一」、「二」、「三」が、何に相当するかの解答を用意している(したがる)。が、池田は、後世の知識に当てはめるな、ただ一般的に述べたものだ、と大鉈を振り下ろしている。なんてすばらしい。


 



2024年1月27日土曜日

冥福をお祈りいたします

  死に際し、よく「冥福をお祈りいたします」という。

 「冥」は、冥土・冥途のことで、死者の世界である。死後、閻魔様の判定で、生前、善>悪であれば極楽に行き、善<悪であれば地獄に行くのである。「冥福を祈る」は、極楽に行けるように祈ることである。

 合否すれすれの人だから、極楽に行けるように祈る(祈願する・希望する)のであるから、その人は、まあまあの悪事をはたらいたことになる。

 ぼくは、死者の世界に行くのではなく、生き返ると信じている。そうであれば、やり直すことができるし、もっと良くもできるし、やり残したことをやることができる。そうであれば、死に際しては、「また、お会いしましょう」ということになる。

 お別れのことばは、死をどのように考えているかを、反映しているのです。

 

『死の講義』

  橋爪大三郎『死の講義』(ダイヤモンド社)は、世界の宗教・思想がどのように死を考えているかを説いた書で、イメージ的には小百科事典である。

 仏教でいえば、バラモン教→ヒンズー教→仏教→小乗仏教→大乗仏教→中国仏教→日本仏教という歴史があり(つまり仏教前と仏教後があり)、それぞれに死の考え方が違うことを説明している。中国・日本に至っては、さらに枝分かれていているから、こうしてマッピングしてもらうととても理解しやすい。小百科的な説明なので、専門家、宗教者からはクレームがつくかもしれないが、普及という意味では、とても良い本である。

 鍼灸も、枝分かれが激しいので、お互いに意思疎通ができないし、ひいては世間に認知されにくいのであるが、『死の講義』のようなマッピングをすればよいかと思う。

 バラモン教は輪廻の考え方があり、お釈迦さまは輪廻を否定したそうである。しかし、小乗、大乗がまたぞろ輪廻を持ち出したから、のちの仏教も混乱してしまったようです。ふむふむ。

2024年1月20日土曜日

養生(生き方をケアする)

  拙著の『養心のすすめ』において、養生を分類しました。その養生は、生命をケアする(養)という意味ですが、生き方をケアするとみなせば、拙著のものだけでは足りません。

 拙著の養生の分類は、「現世に限る」ものであり、来世を考えたら、もっと他の生き方があります。たとえば、天国に行きたいならクリスチャンであらねばならず、地獄に落ちたくないなら悪業をしてはならないし、もし生まれ変わりを信じているなら、来世の自分をイメージして、現世の自分を生きなければならない。秦の始皇帝は、来世も皇帝になるつもりだったから、地下軍団を作ったのです。

 死者の霊は、きちんとお祭りすることによって善鬼になり、子孫に益をもたらし、お祭りをさぼれば悪鬼になり、子孫に災いをもたらすのです。子孫にちゃんとお祭りしてほしければ、現世でしっかり先祖をお祭りし両親に孝を尽くねばならないのです。

 こうしてみると、現世限りなのか、来世を考えるのかによって、生き方はだいぶ異なってきて、生き方をケアすることも必要になってくるのです。第二版では、追加したいところです。

2024年1月3日水曜日

掌蹠膿疱症 その三

 知っている人で、掌蹠膿疱症にかかり、お薬をもらいに遠くのお医者に行っていると聞きました。また、掌蹠膿疱症は、漢方薬でも治るようなことが、雑誌に発表されていました。あるいは、鍼灸の名人で治すひとがいるかもしれません。これらの場合、治療費はいくらかかったのか、治るまで幾日かかったのか。

 しかし、ぬか床の汁を飲んだだけで、1か月でこれだけの成果を上げることができるのですから、合理的に考えたら、一番良い治療法だと思います。理屈もそれなりに通っているし。

 夜尿症は、水分摂取の時間を変えるだけで、1日で治ります。飲んだ水分は、おおむね12時間後に小便になるのですから、午後の時間に水分を摂取しなければ良いのです。むやみに鍼したり、根拠のない治療費をかき集めるのなら、藤平先生にしかられるでしょう。

 合理的で、はやく、安価に治る方法を、現代医学、漢方、鍼灸、それ以外ににこだわらずに、探し求めることも、医療の義務だと思います。

2024年1月2日火曜日

治療上の三原則

 個人的な思わくでは、藤平健先生は漢方の先生である。しかし、その著書の『百味箪笥』(緑書房)は次のようにいい、漢方家ではなく、医者である。

私は、私なりの信条にしたがって、治療をすすめている。その信条というのは、現代医学と漢方との、いずれを用いた方が、この患者の病気を、より早く、より根治的に、そして安価に治すことができるかという、いわば私なりの治療上の三原則なのである。この原則にかなうならば、それが現代医学であろうと、漢方であろうと、いずれを用いてもかまわない。したがって私の毎日の治療は、手術もやれば、注射もやる。漢方だけ用いることもあれば、それらを併用することもある。

 つまり、藤平先生は、治療法にこだわらない医者なのである。それを「安価に治す」というのであるから、とてもスマートである。わたしも、おなじ信条を持って、これからも励みたい。

 暴利のような治療費を設定してイキがっているようでは、鍼灸界の雲行きはあやしい。謙虚さを失うと、みんなから嫌われるのは、自明のことなのに。

2024年1月1日月曜日

掌蹠膿疱症 第二報

 正月の一日に、第二報です。上の写真が12月6日。下の写真が1月1日。

 大分治ってきました。残すところ3割というところです。治療は、ぬか床の汁を飲むだけです。大根の季節ですので、ちょうど良いのです。

 心的ストレス→腸内細菌叢の乱れ→嚢胞症

 心的ストレスは無くなっても、嚢胞症は治らず。次の作戦として、腸内細菌叢の乱れを改善するためにぬか床汁を飲んでいるわけです。