2022年5月25日水曜日

照ノ富士優勝

 5月場所は、照ノ富士の優勝でした。どんぐりのせいくらべ的で、毎場所優勝力士が変わるのもなかなか面白い。いっそ、横綱、大関を無くして、ランキングにしても良いかも。毎場所、ランキングが入れ替わるから、おもしろいかも。

 それはそうと、照ノ富士のインタビューで、弱い大関を責めないでくれ、だれしも調子悪い時があるんだから、自分もかつてそうだったし、という内容の発言をしていた。そうだなあ、正代を責めた、自分がはずかしい。

 自慢じゃないが、『老子』をそれなりに読んで、勝ち負けは無いのだ、分け隔ては無いのだ、と知っていながら、勝ち負けに執着し、依怙贔屓をしているあたりは、『老子』を知らないに等しい。頭で理解しても、体でわかっていないから、『老子』読みの『老子』知らずなのです。

 照ノ富士じゃないけど、著名な(鍼灸の)先生方も失敗例、苦い体験をたくさん持っていて、その経験が発奮材料になって、高みに至ったのだと思う。そう思うと、雲の上の人も、身近になってくる。


2022年5月22日日曜日

谷野一栢と『難経』

 


 戦国時代の、臨済僧である谷野一栢と『難経』とのかかわりを研究した報告書ができ、提出しました。武田財団の研究助成を受けた報告です。臨床的な内容はありませんから、99パーセントの鍼灸師にはかかわりがないでしょう。

 禅僧ですから、禅宗の勉強がいちばん大変でした。「臨済宗幻住派に所属し、曹洞宗宏智派と交流があった」といいますから、このあたりの理解が大変でした。

 別刷りを作りましたので、希望者は、下記に連絡してください。さしあげます。

 【miyakawakouya@gmail.com】

正代 負け越し

  大関の正代が、また負け越した。同じ大学出身なので、みてみぬふりをしていても、なんとなく気がかりなのです。こういうの、依怙贔屓というのでしょう。依怙贔屓こころの癖で、治療者は持ってはいけないのです。つくづく下工だなって思います。

 正代は、あれよあれよと大関になったけど、相応の実力はないのです。当時、横綱が不調で休みがちだったので、運よく勝ちがすすみ、運よく負けがすくなかっただけなのです。まともな場所なら、三役を上下するくらいの実力です。大関から陥落してくれれば、正代も僕も、安心できるのです。

 同じ大学出身では、豊山も幕内の下の方でウロチョロしています。こちらは、実力通りなので、気がかりが無いのです。

 昔は、宮城県出身の青葉城と青葉山を応援していました。青葉城の出身は、叔母の家の近くだったので、なお親近感がありました。


2022年5月14日土曜日

つまらぬ易者

 現在の校正作業は、万歳楼袖彦『灸治論』を対象としているが、著者は易学に通暁している人なので、灸法解説書というより、易学の立場から「定期的にお灸したほうがよい」という内容になっている。こんこんと説教している。

 つまらぬ易者にだまされているから易はあてにならないというが、易学を深く究めた専門家であれば、易学はどうもすごいらしい。

「命期(みょうご)の易」という分野があって、自分に関わる数字(生年月日など)を入力すると、死期がわかるというもので、沢庵宗彭も間違いないというし、谷野一栢も間違いないという。沢庵は、京都大徳寺の住職を務めた高僧で、そういう人がいうのだから間違いない。当時の大徳寺の住職は、天皇の許可によるものだから、よほどの人である。谷野一栢は、易学の最高学府である足利学校の、易学の正式後継者に名を連ねる人で、その人が間違いないというのだから、間違いないのである。

 いまは、命期の易というのは聞かないから、ひそかに行われているか、途絶えてしまったか。当時は、権力者やお金持ちにニーズがあったらしい。1回占えば、100万円くらいはもらったのでは? (杉山和一は、徳川綱吉の治療謝礼で、今の杉山神社の屋敷地をもらったというから)あるいは1000万円もらったかも。

 生まれ変わるとしたら、天下の秀才になって、易学を極め、命期の易を専門にしたい。

 


2022年5月5日木曜日

繊月

  5月3日は、二日月で、5月4日は、三日月。

 二日月は、繊月という別称があるように、じつにか細い。

 繊月といえば、球磨焼酎の銘柄でもある。昭和五十九年、日本経絡学会学術大会が熊本で開かれたとき、師匠がたんのうした焼酎である。

 どこかにそんな記事があったなあと、『島田隆司著作集』をめくったら、下冊の362ページに書いてありました。

 記事には「昨日、球磨焼酎の繊月を探して持ってきてくれた友人がいる」と書いてあるが、いまじゃ、近くのスーパーでも売っているから、30年の間に、世の中変ったんですねえ。

 二日月をみると、こうして球磨焼酎を連想し、師匠を回想するのでした。

2022年5月1日日曜日

茶筅


 写真は茶筅。左は日本製で使いこんでいるもの。右は韓国製で、1回だけ使ったもの。

 日本製が穂先が安定して、ほぼ歪みなし。なのに韓国製は1回だけつかって、穂先の1本1本が斜めになって歪み甚だし。

 韓国製は、伝統が一度途切れた結果なのかもしれない。一度途切れるとかくも無残になるかと思うと、鍼や灸がかろうじて命脈を保っているのは、僥倖なのかもしれない。これからさきも、意地でも残しておかねばと、茶筅をくらべて、決意したしだい。

 個人的には、よもぎ、もぐさを、残す行動をせねばと思っている。