我が家にある、盛岡の鋳物やさんの「岩鋳」のすき焼き鍋です。
細君の家にあったものを引き継いでいますので、50年くらい経っているかと思います。「岩鋳」で調べてみると、こういう花びら形の縁は無いので、貴重なものではないかと思います。また、耳にリングがはめ込んであるのも、無いようです。
いまは、餃子を焼くときにつかっています。
台所には、鉄製のものとして、フライパン、鉄瓶、クレープパン、お釜、とあります。いまや、重くて、鉄瓶、フライパンを使うくらいです。
我が家にある、盛岡の鋳物やさんの「岩鋳」のすき焼き鍋です。
細君の家にあったものを引き継いでいますので、50年くらい経っているかと思います。「岩鋳」で調べてみると、こういう花びら形の縁は無いので、貴重なものではないかと思います。また、耳にリングがはめ込んであるのも、無いようです。
いまは、餃子を焼くときにつかっています。
台所には、鉄製のものとして、フライパン、鉄瓶、クレープパン、お釜、とあります。いまや、重くて、鉄瓶、フライパンを使うくらいです。
本日は、東京衛生学園の同窓会である掌友会の講演。
東京衛生学園は、日本内経医学会刊行の『素問』と『霊枢』を教科書として採用してくれているので、発行元の会長だったので、お礼の意味をこめて、『素問』『霊枢』の講義をさせてほしい、とお願いしていたところ、実現の運びになりました。
オンラインで、60数名の参加があるとのこと。全3回シリーズの第一回目です。
上は、二代目ミツマタです。来春に咲きます。
家の近くで、2006年に、4人死亡、17人受傷の、大きな自動車事故が起きた。今日、散歩の途中で、その場所を通過しようとしたら、20メートル手前で、頭痛が発生。少し戻って、迂回したら、頭痛も回避できた。
①霊を怖がっているから。
②霊のせい。
③気のせい。
こういう体験の初めは、嫁方のおじさんが、柿の木から落ちて急死。その葬儀のあとから、なぞの蕁麻疹が消えず。そのころ、帯津病院に入院していた、故伊藤真愚先生のお見舞いかたがた相談したら、そのおじさんが憑いている。急死なので、死んだ理由がわからないから、教えてくれそうな人に憑いたのだと。仏壇の前で、急死にいたる経緯を説明すれば、きえる、と指導されました。確かに、消えました。
二番目は、先輩の死に立ち会った時から、1週間くらい、ものすごいくび筋のいたみ、腰痛に悩まされる。1週間後には仕事に復帰したが、腰痛がだいぶ癒えたのが1か月くらい。これはひどかった。くびの痛みの理由、腰痛の理由は、自分ではわからず。先輩の霊がついたとしか考えられない。こちらは、相談者がいないので、自然治癒をまつばかりでした。
そんなわけで、②だと思って、怪しいところには近づかないようにしているのですが。
①かもしれないし、③かもしれないし。
今年の神農祭も中止(11月23日予定)。という案内が来たので、思い出したこと。
島田隆司在世の時から、日本内経医学会が神農奉賛会に加わり、積極的に参加することになりました。神農祭は昭和28年に始まる。
記憶に残っているのは、『史記』の研究家の水沢利忠先生が祭祀の司会をしたこと、講演会は会場がいっぱいになったこと、記念祝宴が講堂で行われたこと(龍水楼の出張料理・のちにお茶の水の銀座アスターに変わる)など。
記念祝宴は、矢数圭堂先生の「憧れのハワイ航路」、原桃介先生の「最上川ふなうた」、東京薬大卒業生の「たにし音頭」が出し物で、とても賑やかでした。日本内経医学会からは、島田先生が「さくら」、島田先生亡きあとは僕が「大根踊り」を出しました。
バカ騒ぎみたいな祝宴でしたが、もはやむかし物語ですね。矢数道明先生も参加なさってましたが、よく許してくれたと思います。
その中に白州正子の作品が3冊。その中の「かくれ里」がなかなか興味深い。24カ所の隠れ里を紹介している。ここ何度か滋賀県を訪れているので、「湖北 菅浦」が気になり、読んでみると、下のような写真。白い壁にわらぶきの屋根に、心を奪われました。須賀神社附属の建物らしい。
今、検索してみると、カラーで正面の写真を見つけた。なんという美しさ。2棟ならべる辺りのセンスが、すばらしい。この神社が、いかに愛されているか、想像にかたくない。
現在は、わらぶきの屋根はトタン屋根に替わっているらしい。