2019年7月31日水曜日

わかば・エコー

 たばこの銘柄で、わかばとエコーが廃番になる、とニュース。大学生のころ、お金が無くなると、セブンスターの半額のわかば、エコーを吸ってました。まずいのですが。

 とうの昔に廃番になっていると思ってましたが、命脈を保っていたようです。

 調べてみると、お爺さんが吸っていたしんせい、父親が吸っていたハイライトは、ご存命のこと。熱心なファンがいるんですねえ。

 こどものころは、たばこを買いに行かされたので、ききょう、しきしまという銘柄があったのを記憶しています。キセルですっている人もいました。半世紀以上も前のことでした。

斜陽産業

 需要が減少している産業を斜陽産業といいますが、ガソリンスタンドはその代表ですね。開業したころ、自分の会社のガソリンスタンドが埼玉一の販売を誇る、と専務さん。そのスタンドは今は閉じています。この界隈で8ケンのスタンドがありましたが、残っているのは3ケン。

 反対に伸びているのは美容院。100メートル範囲でいえば、ここから駅まで2ケン、反対側に2ケン、南に向かって5ケン、北に向かって3ケン。すごいです。

 ラーメン屋さんは、駅から200メートルの間に、線路をはさんで、南側に2ケン、北側に3ケン。しのぎを削っています。家の目の前は、来来亭というのがあって、駐車場が14台分あり、このあたりでは大手。まだ食べに行っていませんが。

 こういう状況は、ここ10年の間の変化ですから、あと10年後はどうなっているかわかりませんね。

 

2019年7月22日月曜日

栗の箸

『奥の細道』に「栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土にたよりありて、行基菩薩の一生、杖にも柱にもこの木をもちいたもうとかや」とあり、奈良時代の僧の行基は、栗の木にちなんで西方浄土に思いをはせていたという。

 ずっと栗の木が気になっていたのです。このたび、会津若松に行く機会があったので、ついに栗の箸を買ってきました。用を足せればなんでもいいのでしょうが、生活にすこし味わいがますのではないか、とヨコシマな心で買いました。ヨコシマであっても、西方浄土に近づいたのは、確かでしょう。

 見学したところでは、市内の福西商店の建築群(主としてお蔵)は、現当主の解説つきで、とても印象的でした。大内宿にも行きました(都合3回目)

 


2019年7月15日月曜日

ふと、養生を考える

 わが治療院は、ご近所の方の来院が多いので、来院その後を垣間見ることがよくある。
 
 一番気になるのは、腰痛でいらして、その時は治っても、数年後には腰が曲がっている人がいること。昨日も、家の前の信号のところで、お会いしました。あのとき、腰が曲がらないように指導してあげていれば、曲がらなかったかも知れない。

 虫歯の治療と、歯磨き習慣の関係のように、歯科医院が繁盛すれば、その歯科医にとっては良いことだろうけど、それが歯科医の本道なのだろうか。ということを考えると、とても気が重い。

 やはり、東洋医学のだいご味は、養生であり、未然に病気を防げるなら、それに越したことはない。病気にならないようにする。軽症段階で、自分で処置する。こういう道筋をつけたいなあ、とつくづく。


2019年7月12日金曜日

古典を学ぶコツ

 もらった資料からの紹介ですが、
 学びのコツは、
 ①予習をしない、
 ②ただその場にいる、
 ③とにかく浴び続ける、
 ④わからないながら予測する、
 ⑤いつの間にか習得している。
 と、シンプルなのだそうです。
 わからない状況に長い時間耐える忍耐力を必要とするが、それさえ我慢すれば、いつかは習得するとのこと。

 これは古典の勉強方法と同じです。わからないながら、地道に講座に通い、地道に耳学問をすると、自然に身につくものなのです。が、大抵のひとは、わからない状況が我慢できないので脱落するのです。石の上にも3年、だまってすわって10年、というところでしょうか。

「満州里」閉店

 大森駅から、東京衛生学園に向かう途中にある、中華料理店「満州里」が、6月末日で閉じた。歴史も古く、建物も立派なのに、閉店なのです。どのような理由なのかわかりません。「以前から考えておりましたが」という但し書きがついているので、後継者がいなかったのでしょうか。ちかごろは、スタッフが集まらないというお店もでてきています。

 わが治療院みたいに、一人でやっているのが一番。大きくはならないけど、息ながくつづけられます。今年からは、娘が、金土日と、お灸セラピーをやっています。我が家は、次男と長女が鍼灸師で、三代目にあたります。長男はドイツで医師をやっています。三人とも、自発的に自分の道を選びました。四代目にむけて、頑張ってほしいとおもっています。

2019年7月4日木曜日

東豊書店閉店

 6月末日をもって、代々木の東豊書店が、閉店したとのこと。カンさんという人が店主で、30年前の昔から、つい最近まで、風貌がまったく変わっていませんでした。入り口入って右側が医学関係で、左側が文学関係。探せないとき、店主に相談すると、すぐ探して持ってきてくれました。

 西五反田に住んでいて、原宿の原塾に通っていたころは、東豊書店によく行っていました。原塾では、医古文の基礎講座に参加していて、工具書の解説があり、『説文』が必要だとか、『釈名』だとか、『広雅』だとか、いろいろ買い求めました。新しい学問だったので、興味津々。

 写真は、『説文段注』といわれるもの。鉛筆で値段が書いてあるのは、東豊書店のもの。¥5000と書いてあります。今から30年ほど前に買ったもので、何が書いてあるのかちっとも読めなかったので、よく勉強しました。本には書き込みがあり、奮闘ぶりがほうふつとします。

 

2019年7月3日水曜日

日本東洋医学会

 今年の日本東洋医学会は、北里東医研が実行委員をしたために、客員研究員である僕にも、出土文献シンポジウムのシンポジスト、医師のためのお灸講座の担当の2つの仕事が舞い降りてきました。どちらも荷が重くて、鬱々としてましたが、おわって解放されています。

 それでも、やれば、それなりの収穫はあるので、イヤがらなければ良いのですが、人前に出るのは、いつまでたってもイヤなものです。肝魂か、心神が、薄いのだとおもいます(肝魂、心神は、医道の日本の連載を読んで下さい)。

 2つの仕事でつながったのは、温灸というのは、むかしの熨法に属し、それは扁鵲も使っていたし、『霊枢』にも多くの箇所で記載があったこと。むかしは多種多彩な鍼灸治療法があったのに、現在は鍼灸といえば毫鍼と透熱灸を指し、透熱灸はだんだん行われなくなってきていますから、鍼灸といっても、毫鍼の鍼だけなのです。

 名人は毫鍼だけで万病を治せるのでしょうが、非名人はあらゆる手を尽くして対処すべきではないでしょうか。中国の文化はミックスあんどコンビネーションといわれますが(福永光司)、鍼灸も多彩であっても良いと思います。

 ちなみに、すしといえば、江戸前の握りずしを想起しますが、地方にはたくさんのお寿司があります。食べたことがあるのは、大村ずし、大阪の温かいお寿司、フナ寿司。子供のころ、すしといえばおいなりさんでした。かんぴょう巻もいいですね。