2014年9月23日火曜日

相性の良い土地

 僕の生まれは宮城県で、宮城県といっても広くて、生まれたのは桃生郡豊里町というところで、現在は登米市に合併。一昨年、弟に連れていってもらって、50年ぶりに、出生の地をみてきた。そこには、4才くらいまで居たのだとおもう。あたまの奥に、その木、その道が、かすかに残っていたし、道の突き当たりには学校があるという記憶も確かだった。

 父が鍼灸師になるために仙台の学校に行っていた3年の間は、母の実家の塩竃市浦戸野々島(離島)に3年ほど住んでいました。周りは海。幼稚園などないから、ただ遊び回っていたのだと思う。1年生の1学期は浦戸小学校にまなび、2学期から松島町に借家を得て住むことになった。
 

 その借家とは、松島瑞巌寺を造営するための大工さんの住まいだったそうで、築400年のかやぶき屋根の家。今で言う古民家ですね。古民家に住んだ経験からいえば、古民家には住みたくないですね。湿気で床は腐り、虫は上の方から落ちてくる、何にしても不便です。それから10年位して、近くに土地を得て、簡易なる住宅をたてて、ようやく独立というところでした。

 標題の相性の良い土地というのは、浦戸野々島で、船を下りたとたんに身体が軽くなり、気も晴れ、それだけで幸せを味わうことができます。(以前のブログにも書きましたが、桃源郷のようなところです。)

 松島も、いい土地柄なのでしょう。伊達正宗が選んだだけあります。今は、埼玉県川口市に住んでいますが、松島か野々島から帰ってくると、駅から自宅まで歩いて3分のあいだに、身体も心も、どよ~んと重くなります。いかんとも、重い。

 しかし、家に帰り、時間が経つと、重いという感覚も忘れてしまっています。感度が鈍るというか。重いということは、身体にはなんらかの影響があるのではないかと、ちと気になっています。

2014年9月8日月曜日

丹澤章八先生随筆・講演集『鍼灸の風景』

 東洋鍼灸専門学校の元の校長の丹澤章八先生が、かつて発表した随筆や、講演文をまとめた『鍼灸の風景』が刊行された。といっても軽装版である。

 昭和52年にかいた「中国針法に想う」は、中国留学の時の記録。古い時代の中国、中国鍼法がかいま見えて、とても面白い。
 平成6年に書いた「山下先生とわたし」は、師匠の山下九二夫先生への思いの重い追悼文。理想的な追悼文で、軽い追悼文しか書けない僕には、よいテキストである。
 平成20年の「鍼灸教育雑感」は、第36回日本伝統鍼灸学会学術大会の会頭講演の記録。丹澤会頭、宮川実行委員長の、東洋鍼灸専門学校あげての学会でした。昨日のことのように思い出す。
 以上3篇を含めて、都合15篇を納める。

 鍼灸の世界で、文章が書ける先生が少ない中、丹澤先生は、本人は遅筆といいながら、吟味を重ねた文章が書ける先生である。

 1冊1500円(送料別)で頒布いたします。希望者は、miyakawakouya@gmail.com にメールください。もしくは、鶯谷書院に直接お渡しすることも可能です(ただし、毎週土曜日の午後2時~5時。第3日曜日、第4日曜日の午後2時~5時。メールで確認してください)。

 文章は、いろいろなところに発信できるツールなのだが、今の鍼灸界は文章が書ける人が少なくなって、発信力にとぼしく、しぼんでいるように見える。とくに、伝統鍼灸では、それが著しい。伝統伝統鍼灸の普及発展には、書き手の育成が緊急の課題でもある。

 


2014年9月4日木曜日

喜左衛門井戸






喜左衛門井戸4


 写真が、「喜左衛門井戸」である。喜左衛門という人が所持していた井戸茶碗である。井戸茶碗というのは、朝鮮で作られていた、ごく普通のどんぶりである。これを高麗茶碗という。


 大量生産品で、美術品ではない。「喜左衛門井戸」は、失敗作らしく本来は捨てられたはずのものが、どういう運命か日本の茶人に拾われ、いまや国宝である。つまり、ゼロ円の品物が、もし完成品だとしても100円くらいの品物が、日本に渡り、島根の松平不昧公が買ったときは550両(1両10万円として5500万円)。そして、今や国宝に。


 ご覧のように、綺麗で整った美術品ではなく、どちらかというと見にくいゆがんだどんぶりである。なので、産地の朝鮮では価値は認めてもらっていない。なぜか、日本の茶人が、渋いだとか、わびだとか言われて、美術品に昇華したのである。


 評価の対象は「無作為」。美術品を作ろう、高く買ってもらおう、世間にみとめてもらおう、そういう作為が全くみられない。柳宗悦は、「朝鮮の品々は、嘗ていやらしいもの俗なもの、つまり醜いものが、殆どないのである。」「ここで醜いという言葉を<罪深い>という言葉に置きかえると、尚はっきりしてくる」と言う。


 醜いというのは、見た目の醜さではなく、裏に見え隠れする「作為」である。高く買ってもらおう、世間に認めてもらおう、そういう作為である。それが、井戸茶碗だけでなく、なんにでも、そうだという。


 井戸茶碗に、透明な精神性があり、それを茶人が発見し、好んだのである。


 江戸時代、高麗茶碗をつくる対州窯が設置され、明治末年まで継承されていた。昭和になって、小林東五という人が再興し、一定の評価を得ていたが、70歳になって、廃窯した。理由は「調子に乗ると見苦しい」。


 『老子』第九章に「功成りて、身退くは、天の道なり」を具体化したのである。ほんらい「無作為」のものを作るのに、有名になってしまって、こんどは有名を維持するために制作するのが「見苦しい」というのである。


 天の道に外れているから「見苦しい」、不自然だから「見苦しい」。老子を再び考えよう。
 

2014年9月2日火曜日

直観

 柳宗悦の『茶と美』(講談社学術文庫)を久しぶりに読んだら、

 「直観は、その文字が示すとおり、見る眼と見られる物との間に仲介場を置かず、じかに見ること、直ちにみることである」

 という記載に出会った。この本も、何度か読んでいるのに、この文章を拾えなかったのは、味わう能力が未だ及ばざるが故なり。少しは成長したみたい。

 何か食べたいときに、美味しい店を検索したり、他の人の意見を聞くことがあるが、それでは直観にならない。自分の舌で決めるべきである。直観しないかぎり、いつまでも直観に達しない。いつでも人の意見を聞いているかぎり、独立できないし、自由になれない。直に、自分の目で、観る。直に、自分の手の平で、診る。鍼灸は、直観の医療なのである。

 直観といえば、東京国立博物館の「有楽井戸」を思い出す。ケース越しに覗いた茶碗に惹かれてしまって、しばらく茶碗に凝ったことがある。この茶碗を持ってみたい。触ってみたい。そういう衝動に駆られてしまった。結局は、同じ系統の茶碗を入手して、満足してしまったのだが、記憶に残っている直観といえば、「有楽井戸」である。

 『茶と美』に「喜左衛門井戸を見る」という一文があり、著者の柳が、国宝の「喜左衛門井戸」を直に見ることができて、そのときのことを文章にしたものである。その時の気持ちがとてもよくわかる(けど、雲泥の違い、月とすっぽんの違いがある)。

 眼の前にあるのである。持って良いのである。触って良いのである。このような機会は二度と無いのである。あこがれの「喜左衛門井戸」なのである。高揚感に溢れる一文である。

 『茶と美』のカバーは、その「喜左衛門井戸」なのだが、ほれぼれします。しぶい。