2024年3月21日木曜日

夢(空想)

  短い夢だと、今度、来年、10年後。中ぐらいの夢だと、老いるまで。その次は、死ぬまで。その次は、来世にも続く。

 中ぐらいの夢で、家庭を持ち、家を建て、自動車を買えば、老後の夢がなくなってしまう。燃え尽きてしまう。しかたないから次の夢を、孫に託したり、ペットに託したり。

 そういう意味で、不老不死という夢は死ぬまで続き、天寿を全うしたいという夢も死ぬまで続くから、なかなか良い夢である。

 来世に続くという夢とは、永遠と生き続ける転生、極楽浄土、子孫を見まもる霊となりたいなどは、さらに良い夢である。

 たとえば「来週は遠足だ」「再来週はデートだ」というのも、実現するとは限らないから、夢である。夢は、達成するその日までは幸福感一杯なのである。多少、いやなことがあっても、幸福感一杯である。

 それが死ぬまで続き、さらにその先まで続くとしたら、転生する、極楽浄土に行く、子孫を見まもるという夢は、幸福感に満たされた人生となるのである。すばらしい。

 来世につながる夢をもった人は、目がキラキラしているんでしょうね。

 

2024年3月18日月曜日

『老子』第20章

 『老子』第20章は「わたしは愚かものの心の持ち主、のろのろと間がぬけている。道を知ろうとしない世間の人々は、はきはきと知恵がよくまわるのに引き替え、わたしだけはどんより暗くよどんでいるかのようだ。世間の人々はてきぱきと敏腕を振るうのに対して、わたしだけはもたもたしている」とある。いじけた人物の、いじけたさまの羅列で、なぜ『老子』にあるのか解らないでいたが、冒頭の「学を絶つ」がキーワードで、学を絶つとは人為を絶つことで、つまり無為のことを言っている。いじけた人物は、無為であり、自然であり、実は楽しんで、愉快なのである。ああ、いじけた人物、いじけたさまと見た自分がうらめしい。

 

2024年3月17日日曜日

澤木興道全集第二巻

 澤木興道(1880~1965)は、曹洞宗の僧侶。定住の寺を持たなかったので「宿なし興道」と呼ばれたらしい。まさに行雲流水を実践したひと。

『全集』は全18巻で、別巻1冊。その第2巻が「禅談」で、講話を文字に起こしたもの(なぜか第2巻だけが家にある)。宗教的談話を、文字に起こす人はよほどの教養の持ち主である。澤木の話は、仏教くさくなく、たとえ話しが豊富で、とても面白い。

 この中に「少欲と知足」という章がある。お釈迦さまの最後の説法をおさめる『遺教経』が出処という。『老子』にも、十九章に「寡欲」、三十三章・四十四章に「知足」とあり、仏教と道家は、この辺りで通じていると思われる。ちなみに、得る前の欲を戒めたのが「少欲」で、得た後の欲を戒めたのが「知足」という。


2024年3月5日火曜日

嚢胞症その4

 上は2月初めの写真、下は3月2日の写真。ほぼ治りました。12月から、ぬか床汁をのみはじめて、3か月でこのような状況です。

 のむ回数を増やせば、もっと早く治ったかと思います。ぬか床汁が貯まったら飲んでましたが、どんどん生産して飲めばよかったかも知れません。どんどん生産すると、ぬか漬けをたくさん食べなければなりませんから、そのあたりが壁になります。治すために、ぬか漬けを捨てればよいのですが・・・


 

2024年3月3日日曜日

養心の証明

  昨年秋に出した『養心のすすめ』では、心を空っぽにすれば、健康を維持し、長寿を達成することができる、と説きました。今年からは、その証明の生活に入ります。そうでなければ、おおほらふき、と言われるでしょう。

 若い時から心を空っぽにすれば、100歳まで到達することができますが、今頃になっては、すでに遅し。それでもこれから努力すれば、80歳、90歳ぐらいは到達することができるはずです。

 というわけで、仕事量を減らす、我慢をしない、気を使わない、ということをコツコツ続けていこうかと思っています。丹塾古典部を閉じたのは、その一環です。昨年は、ほぼ毎週、講座か、講演をしていました(オンライン・対面)。その結果、掌蹠膿疱症になったのですから、そんな無茶はやめて、「養心」につとめることにしました。

 『老子』63章に「軽々しく諾するは、必ず信寡なし」(軽々しく安請け合いする者は、必ず信実に乏しいものである)とある。かつては「ためらいなく」請け合うのが『老子』的だと思っていたけど、いまは63章のいう通りだと思っている。養心のために、講演は安請け合いしない方針である。

 

 

丹塾古典部閉じる

  2011年9月から始めた丹塾古典部は、15年目で閉じました。いろいろな古典を読みました。最後は『難経』と『六診提要』でした。『六診提要』は2巡りしました。とてもよい診察の教科書です。丹塾古典部の仲間以外は、読んだことはないかと思います。

 『六診提要』があれば、読む。しかし、大抵の人はあっても、読まない。あることも知らない。でも、2巡りも読めたことは、つよい「縁」があったとしかいいようがない。江戸時代の先生方が残してくれた叡知は、きちんと受け継ぎたいとおもう。

 中国の先生方の叡知は、思想(陰陽五行説とか)が見え隠れして、なかなかなじめないが、江戸時代の先生方の叡知は合理的で、誠実で、とてもなじみやすい。

 以上、15年続いた丹塾古典部閉じる、という話題でした。