2018年6月20日水曜日

腹診ーお血

 寺沢先生の本で、腹診を学びなおして、2年余。本日はお血。岡田耕造『定本 お血という病気』によれば、中国南方地域と日本は、お血由来の病気が多いという。

 中国南方といえば、九鍼が生まれ出た地域。九鍼を使った流派は『霊枢』では多数派なのに、現在の教育が毫鍼だけしか教えないから、本当の鍼の能力を引き出しているとは思えない。

 病気の本源は五蔵にあるという蔵象派は、『素問』で多数派。陰陽五行説を使っていて、学校教育でもおなじみ。おなじみなのに、お血由来の病気が多いという現実とは、あまりマッチしていない。

 日本では、自然災害が多い。他の国とは圧倒的に違う。なのに他の国と同じような政策をしていたのでは、自然災害にきちんと対応できないでしょう。自然災害優先の政策をしてほしい。古いブロック塀を放置していた政策がうらめしい。

 という意味で、お血を放置しておくことは、日本鍼灸の損失だとつくづく思う。

2018年6月17日日曜日

日暮里 一力

 今や、世界級になったラーメン。その原点のようなお店が、日暮里の一力(いちりき)。日暮里の至宝にして、絶滅危惧種。5年くらい前は、ご夫婦で営業してましたが、ここ2年くらいは、奥さんのみの営業(80歳前後か)。繁忙期は息子さんが手伝うこともあるけれど(息子さんは勤め人で後を継がないとのこと)、あと何年営業するのか、心細い。(運が悪いのか)お店は閉じていることが多い。

 昨日はひさかた振りにヒット。昔は中華料理屋だったらしく、店内には色々なメニューが張り出してあるが、いまやラーメンとギョウザのみ。具は、小さいチャーシュウ、なると1枚、小松菜少し、メンマ少々、ネギ少々と、必要最低限のラインナップ。スープは、とりがら+とんこつの、透明で、見た目通りのさっぱり味。こういうスープには、なかなか当たりません。

 いつもは、塩分過多を案じて、スープを残すのだが、昨日は、これが最後の一杯になるかも知れないとおもい、魂を込めて、完飲。


2018年6月13日水曜日

ヨイトマケ

 建築で地固めのときに重い槌を数人で上げ下げする労働を「ヨイトマケ」といいます。西岸良平の『三丁目の夕日』に昭和30年代の一こまがある。


 1966年のヒット曲、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」
  おとちゃんのためならエンヤコラ。
  おかちゃんのためならエンヤコラ。
  もひとつおまけにエンヤコラ。

 1877年のモースの記録にもみえ(『日本その日その日』東洋文庫)、少なくとも江戸時代から続く労働風景なのでしょう。

 変な、単調な歌が唄われ、一節の終わりに揃って綱を引き、そこで突然縄をゆるめるので、錘(おもり)がドサンと音をさせて墜ちる。すこしも錘をあげる努力をしないで歌を唄うのは、まことに莫迦らしい時間の浪費のように思われた。時間の十分の九は唄歌に費やされるのであった。

 労働者たちが、二重荷車を引っ張ったり木梃(てこ)でこじたりしていたが、ここでも彼らが元気よく歌うことは同様で、群を離れて立つ一人が音頭をとり、一同が口をそろえて合唱すると同時に、一斉的な努力がこのぎこちない代物を六インチばかり動かす、という次第なのである。

東洋文庫は3冊本なので、もっとこういう記録はあるかもしれません。エンヤコラは、力を込める時のかけ声なのでしょう。せわしく、ドサン、ドサンと落とすのではなく、やすみ休み、間を置いているので、非効率的に見えたのでしょう。また、何かの歌をうたって、15センチ動き、また歌をうたって15センチ動く。これまた、非効率に見えたでしょう。民謡のソーラン節、木遣り歌などの労働歌が、その名残りなのでしょう。「せっせせーのよいよいよい」というかけ声もありました。「じゃんけん(ぽん)」もそうか。

 実際に労働しているのが「実」だとすれば、その間が「虚」と考えると、味わいが深い。そういえば、鍼でいえば、前揉撚が虚の作業で(日曜日に『霊枢』刺節真邪篇を読んだばかり)、実際に刺すのが実の作業。日本では虚実行うが、中国では実しか行わないのは、『内経』の刺鍼法とはおもむきを異にしている。

 

2018年6月8日金曜日

とんかつ丸五

 先月のはり灸祭(湯島聖堂)の帰りは、秋葉原まで歩きました。秋葉原のとんかつといえば、丸五さん。かつては、木造2階建てでしたが、今はコンクリ造りの2階建てになっていました。おどろいたことに、10人が並んでいました。それが、みな外国の人でした。秋葉原全体でも、日本人は少なく、圧倒的に外国の人で埋まっていました。10人も並んでいたので、丸五さんに寄りませんでしたが、味が変わっていなければ良いなあと思いました。世は、行列ができると評価が高まりますが、どう考えてみても、忙しくなれば、心が荒れ、味は落ちるんではないか。

 個人的には、営業日を限定し、営業時間を限定し、お客さんの数を限定しているお店のほうが、好きなのです。作り手が、自分の体調、心の余裕などを重んじているところが、好ましい。

 いま、岡本一抱の著作の校正をしていますが、著作ばかりしているから、臨床家ではない、臨床は下手だと思われているようです。臨床数が多いのが上手で、臨床数が少ないのが下手、という単純な評価ですが、それはきっと勘違いだとおもいます。岡本一抱は、数多くバッターボックスに立つ選手ではなくて、代打できちんと結果をだす選手なのです。打数をかせいでいる凡医とは違うのです。

 たくさんの知識があり、その上、頭脳明晰であれば、考察が適切ですから、治療方針も的確なのです。最適な治療穴が決まれば、誰が治療しても、一定の効果は得られるはずです。たとえば、おきゅう。ひねって燃やすだけですから、熱さのばらつきはあっても、技術に目くじらを立てるほどではありません。むかしは、治療穴を印して、施灸は家庭ですることもあったのですから。

 矢野白成『鍼治枢要』を読んでみると、患者さんに鍼を渡して、自分で治療するように指示する場面があります。治療は技術だけできまるものではなく、むしろ的確な治療方針をきめ、最適な治療穴を選ぶのが一番むずかしいのです。
 
 いま、技術が優れ、患者さんの数や収入が多い治療家が、もてはやされますが、どうなんだろうと思っています。霊性とか、品性とか、奈辺にありや。
 






2018年6月4日月曜日

山形県置賜郡川西町の良い香り

 山形県米沢藩は、伊達政宗が治めていたが、豊臣秀吉の命で、宮城県岩出山に転封になった。その際、部下のみならず、職人衆、さらには神社・仏閣まで引きつれて、岩出山に移ったという。その部下の中に、宮川家の祖先がいた。というのが弟の推測で、その現地調査に、先月同行した。

 父が生まれた宮川家は、宮城県矢本町小松地区で、その小松という地名こそが、転封前の米沢藩の置賜地方の地区で、山形県川西町の小松城がそれである。城の後方では新山神社が控えている。矢本町にも新山神社があるので、小松という地名と合わせても、そうとう確からしいという。確からしいけど、証拠らしきもの在らず。

 それはそうと、車の窓をあけると、桜の木のにおいが入ってくるんです。それが、どこまで行っても、途切れないのです。しあわせなひとときでした。あの当たりは盆地なので、その凹みの底に、桜のにおいが溜まっているのかもしれません。サクランボの産地だからだろうと思います。いろいろ、あちこち、旅行していますが、ベリーグットな経験でした。ちなみに、成城学園は花のにおいがいつも漂っています。

 帰ってきたら、東川口は好きでない臭いが漂っていて、残念。しかし、今日は、その臭いは分かりませんでしたから、何時もに戻ってました。