届いたばかりの『日本鍼灸師会報』に、昨年の8月から11月に亡くなった9名の氏名と逝去の年齢が記録されていた。
自分を境にすれば、上の人は、91歳、85歳、77歳、74歳。下の人は、64歳、61歳、61歳、59歳、54歳。
どうなんだろうね。健康を売りにしている鍼灸業として、この状況は。具体的な数字をみると、ややショック。
鍼灸師の先生方は長寿! という風にもって行きたいものですね。
届いたばかりの『日本鍼灸師会報』に、昨年の8月から11月に亡くなった9名の氏名と逝去の年齢が記録されていた。
自分を境にすれば、上の人は、91歳、85歳、77歳、74歳。下の人は、64歳、61歳、61歳、59歳、54歳。
どうなんだろうね。健康を売りにしている鍼灸業として、この状況は。具体的な数字をみると、ややショック。
鍼灸師の先生方は長寿! という風にもって行きたいものですね。
「24節気」は、本来は「二十四節気」である。表現としては間違いないのだろうが、本のタイトルとしてみると、違和感をぬぐえない。
『難経』をよく読まれていた故八木素萌先生が、1難、2難と書くな、篇名なのだから一難、二難と書くべきだ、と主張していたのを思い出しました。
「陰陽十一脈灸経」を「陰陽11脈灸経」、「十四経発揮」を「14経発揮」としたら、違和感たっぷり。
「11脈灸経」で検索したら、
『陰陽11脈灸経』と『素問』―『素問』の成立についての一考察
という研究発表が出てきました。さすがに、14経発揮、奇経8脈というのはヒットしませんでした。
自分もそうだけど、今時、大きい耳の若者をみないから、絶滅するのかもしれません。
耳が大きいと金持ちになる、とか言ってた時代もおわりのようです。
品種は、根は浅く、寿命も短い。なので、化学肥料や農薬が必要で、在来種は、根が深く、寿命も長く、化学肥料や農薬がいらない。
品種はアミノ酸がおおくて、うまみがあるのを特徴とする。在来種は、さっぱりしたのが特徴である。
写真は、兵庫県三田市の母子茶というもので、さっぱりしているので、在来種である。永沢寺(ようたくじ)の門前の塚本製茶で購入せしもの。
在来種は、探せばあるもので、前に紹介した政所茶もそうである。数百年の樹齢のものもあるという。
ようするに、根っこであり、あまりうま味など出そうとしないのが良いのである。
小児科、産科の医師が減っている(3割減)ことは、なんとなく耳にしているが、黒木登志夫『健康・老化・寿命』(中公新書)によれば、脳外科医は、なんと6割も減っているんだそうである。近い将来、脳卒中で倒れると、今まで通りには「救えない」のだそうである。もはや、医者に救ってもらう、という子供じみた生き方をやめさせて、からだをメンテナンスするように指導しなければならない。それには、東洋の「養生」の蓄積と、西洋の予防医学と組み合わせて、新しい生き方を提案しなければならないでしょう。ぼんやりしている場合ではないなあ。
6割減には、あおざめました。
禅語の、且緩緩(しばらくかんかん)は、まあゆっくり、あせらずゆっくり行こうや、という意味。早く悟りたいのは山々だが、そう簡単にはいかない。
「中国の禅者にとって、一つのことをするのに三十年、四十年行うことは当たり前であった。」鎌田茂雄『中国の禅』
とあったので、それぐらいなのかなと思っていたら、永平寺の現住職は104歳だという。その歳になっても修行中だとか。
禅語の「しばらく」って、生半可ではないのでした。
今年は、「しばらくかんかん」して、着実に歩もうと思ったのであります。
宇治橋のたもとの通円さんから、朝霧の道をしばらく歩くと、道元が最初に開いた興聖寺があります。中国の本式の修行ができるとたくさんの修行僧が集まったそうです。中国からやってきた文化は、日本にくると日本化されて、本来の姿が薄れていくのでしょう。鍼灸も同じでしょう。
興味深かったのは、興聖寺の山門までの琴坂。下の龍門から、上の山門までの、一直線の上り道。他の寺になくて、はっとさせられます。観光パンフレットには紹介されていないので、現地に行かねば体験できません。いろいろなお寺にいきますが、どうも、建物より、仏像より、伽藍配置にくいつくようで、まずこの地を選んだ理由、まっすぐな上り坂にした理由を、1619年に再興したひとに聞いてみたいですね。
織田信長の安土城の大手道も、同じように一直線の上り道ですから、興聖寺からヒントをもらったのではないかと推察します。
途中で関電宇治発電所がドドーっと排水しています。この水は琵琶湖の水で、大津市南郷で取水し、トンネルをくぐってここまでやってきているそうです。アイデアと実行力がすごいねえ。
京都あたりをうろうろすると、かつての最先端の文化・文明が残っていて、東京は田舎だったんだなとつくづく思います。