2023年10月26日木曜日

日雇い

 突然、思い出したのだが、大学生のときの日雇いのことを。 

 お金がつきて底なしになったときに、その日のうちに日当をもらえると聞いて行ったのです。五反田の集合場所に行くと、ヘルメットと電車賃をもらって、指示された工事現場にいき、現場仕事をして五反田に帰ると、日当がもらえたのです。4000円か、5000円でした。何度かお世話になりました。今だったら、危ないバイトに手を出していたかも。

 あいまいな記憶によれば、船橋あたりの10数階のマンションでした。上から下へと、足場をたどってモノを降ろす作業でした。あのころは高所も恐くなかったのです。今は電車のホームのへりでも恐いのですが。

 『論語』子罕篇に「先生は聖人ではないか? なんと多能なんだろう」「わたしは、若い頃は貧乏だったので、いろんなことをした。なので多能なのである」という問答を思い出しました。そう思ってみると、貧乏も悪くないか。つぶしが効くし。

2023年10月15日日曜日

井上雅文先生

 10月14日は、井上雅文先生の命日。2007年に亡くなって。

『脈状診の研究』という難しい著書があるので、会で何度もお会いしているのに、なんとなく距離をおいてしまいました。大先生と思えば、気軽に声をかけられないし、気軽に質問もできないし、気軽に教えを請うこともできない。大先生と思わなければよかったな、とつくづく思っています。

 先日、その門下の先生の知熱灸・灸頭鍼の実技をみる機会がありました。ぼくとほぼ同じでした。振り返ってみると、井上先生の知熱灸・灸頭鍼を見る機会はありませんでしたから、ぼくのやり方は純粋に島田先生のやり方なのです。つまり、井上先生の先達と、島田先生の先達が、同一人物なのか、同系統の2名ということになります。今となっては、たどるのは難しいかも知れません。

 こういうこと、井上雅文先生に聞いておけば、なぞは判明したかも知れません。大先生と思ってしまわなければ、いろいろ聞くことができたのです。

 垣根を高くする、堀を深くする、距離をおく、みんな自分が作っているのです。こうしたやれやれなことを、できるだけなくしたいところです。

 


2023年10月11日水曜日

天回医簡 楽しみ

  中国の文物出版社から、『天回医簡』上下が出版され、55400円で購入。別のルートから、このpdfデータが回ってきましたが、現物と比べれば、味気ない。現物の重さ、質感、紙をめくるたのしみは、何物にも代えがたい。

 重さは3.3キロ、大きさはA3版(幅が少し狭い)、紙は厚手(こんなに厚くなくてもいいのに)。以前に刊行された『馬王堆医書』『張家山医書』も同じような体裁でした。

 他の人は高くて買えないというけど、こんな面白いものを、買い逃すほうが勿体ない。ひと月、飲み屋に行かない、余計なものを買わないというような工夫をすれば、買えるのに。

 それから、自分で買ったものは、愛着がうまれますから、より一層勉強しようという気になります。ぼくは、もらったPDFでは、そんな気はおきないのです。

 所属する会の蔵書から『大漢和辞典』が廃棄扱いになりました。時代は変わったんですねえ。

古典の道

  ただ就いた先生が古典の先生というだけで、古典の道を歩むことになりました。古典を読んで何がプラスになるのかはわからず、古典を読むことが面白くて、今にいたります。

 その前半は、古典を読むための学問が面白かったです。読み下しの世界から、訓詁学、音韻学というような未知の世界をのぞき込んでいたのです。

 50代に、ある学校の教務を任せられました。それ自体は楽しいのですが、古典の道からはみ出そうで、不安でした。なので、さそってくれた校長の辞任をきっかけに、止めました。そのご、他校の校長の就任要請がありましたが、ことわりました。きっと、すり減って、寿命を縮めていたと思います。

 いま振り返れば、古典の道を歩んでいるときが、いちばん楽しいようです。孔子は、修徳の道。老子は、虚無の道。色々な道があって、なかなか楽しそうです。

2023年10月2日月曜日

朝顔さく

  9月27日に、朝顔が咲きました。線路のきわには、雑草の昼顔が咲いていました。栽培でも、雑草でも、同じ時期に咲くのが、ほほえましい。まるで、自費出版のお祝いのようです。

 今日、成城に行ってきました。街の静けさは、田舎とおなじ。というか、この家の周りがそうぞうしいだけなのです。クルマ、電車、救急車、人の声。しかし、長年住んでいると、多少そうぞうしいほうが落ち着く。こういうのを、騒中の静というのでしょうか。