2018年10月25日木曜日

ふたたび「達」

 「達」は、素朴で正義を好み、人の発言を察し、顏色をよく観て、よく考えてへりくだることで、そうすれば、国でも家でも、その名が通達すること。

 この孔子の「達」の定義をよむと、忖度する官僚を想起する。忖度する官僚になれ、と孔子はいったのだろうか。そこで伊藤仁斎の説明を参考にするのだが、なるほど深耕している。
 
 「質朴・正直で道義を好むときは、虚飾を事としない。
 相手のことばつきや顏色ばかり気にするときは、心中満足して尊大に構えるわけにはいかない。
 思いをめぐらせ人に下るときは、たかぶるわけにはいかない。
 孔子の言われた三つの項目は、身を修めながらも謙遜しており、人が自分を認めてくれることを求めないということなのだ。」

 相手に対してへりくだるのではなく、相手がいなくても謙遜の生活を実践すべきだ、という意味らしい。虚飾しない、尊大にならない、高ぶらない。

2018年10月24日水曜日

達と聞

 日曜の講座で読んだところの、『論語』顏淵篇の一節。

 二十代の子張が、晩年の孔子に、「達」の意味を質問した。 まず孔子は子張の考えを聞く。子張は、国でも、家でも、有名になることが「達」だと答えた。孔子はそれを聞いて、それは「聞」ということで、「達」ではない、と答え、区別して諭した。
 「達」は、素朴で正義を好み、人の発言を察し、顏色をよく観て、よく考えてへりくだることで、そうすれば、国でも家でも、その名が通達すること。
 「聞」というのは、うわべは「仁」をとり繕い行動は「仁」に違い、そうすることに疑いを持たない人が、国でも家でも有名になってしまうこと。

  達:中身が充実して、名が知れ渡る。
  聞:中身が無いけど、有名になる。
 
 こんなことが書いてありました。問題は、子張がなぜ「達」を持ち出したのか、である。顏淵篇では子張は「政」について質問していたのに、なぜ「達」なのか。

 孔子塾の徳目(人徳を形成する科目)の基本は「仁」で、そこから忠恕、孝悌、義、中庸などが細目となるが、そこには「達」は無い。また、「剛毅木訥は仁に近し」といっても、ここにも「達」は無い。なので、なのに「達」を持ち出したのか。

 きっと、雍也篇での子貢と孔子の問答を聞いていたにちがいない。孔子が言うには「夫れ仁者は、己 立たんと欲して人を立たしめ、己 達せんと欲して人を達せしむ」と。その話を聞いていた子張は、「達」を名声を得ることとと解釈して、孔子に質問したのでしょう。

 それを、孔子はたしなめるように、中身を充実させることなのだ、と若い子張に釘をさした。こうして読むと、「達」を持ち出した意味が、自分なりにわかって、すこしすっきり。


  
 

2018年10月23日火曜日

第二回 南京学術交流

 今年、第二回 南京学術交流を行う予定です。
 期日は、①9月23日,②11月3日、③9月16日のいずれかです。南京中医薬大学の返事待ちです。
 第一回は、参加者に大変好評でした。二匹目のどじょうをねらって、第二回を企画してみました。
 行きたい人は、こころづもりしておいてください。
 もし、発表したい人がいたら、お申し出下さい。
 

杉山神社で講演

 杉山神社で、灸頭鍼の講演(古典と実技)をします。
 参加希望の方は、下記アドレスにメールしてください。
 (メール受信の返信は無いようです。あしからずご了承ください。)
杉山検校遺徳顕彰会 平成30年度・第4回学術講習会
 日時:平成30年11月18日(日) 13:00~16:00
 会場:杉山和一記念館 1F多目的室
  東京都墨田区千歳1-8-2 江島杉山神社境内  03-3634-1055
 演題:「灸頭鍼―歴史・考え方・実技―」
 受講費:一般4,000円、学生:2000円、顕彰会会員:3000
 申し込み:松本 俊吾  はり灸 峰鍼堂
     E-mail    syungo.16hari@orion.ocn.ne.jp

2018年10月19日金曜日

ひさびさに医学史

 長野仁さんから指名され、テーマ内容も指定された研究発表

 京都大学人文科学研究所科学史班/国文学研究資料館医学書班 共催
  第4回「日本鍼灸医術の形成」研究会

 日時:11月23日(金・祝)13時~17時(担当は 14:45 ~16:15)
 場所:茨木神社参集殿(大阪府茨木市元町4-3)
 演題:「『難経俗解』一栢注と『扁倉伝』幻雲注について」 
 参加:自由、無料

 どちらも、北里医史研から翻字本で出したので、それを下地に研究発表せよとのご指示だが、今から20年ほど前の仕事なので、昔のことを思い出し出し、資料を探し探しして、ひとまとまりの発表にしなければならないのですが、まあ難しいです。

 一栢といっても、鍼灸の人は知らないでしょうし、『難経』読んでいる人もしらないでしょう。ましてや扁倉伝を読むような人もいないだろうから、鍼灸界渇望のテーマでは無いのですが、中国古典畑の人が、『難経』は分からないし、扁倉伝にも踏み込めないのです。

 だから、東洋医学の人、できれば鍼灸の人が研究しなければならないテーマなのです。廻りから期待されているのに、「わしらは臨床だけやっていればいいんだ」と殻に閉じこもっていては、鍼灸の人の心の狭さが問われるだろうから、ここは奮発しなければならないと、奮起している次第。
  
      

2018年10月13日土曜日

参勤交代

 先週なにげに聞いてたラジオで、金沢の殿様が参勤交代するときは、総勢4000人だったそうです。先頭が出発して、最後尾が金沢を出るのが2日後なのだそうです。4000人の人が団体旅行するのですから、宿場町は相当潤ったのでしょう。宿場町に必ずある、味噌屋、しょう油屋、日本酒醸造元は、参勤交代で大分潤ったのでしょう。大名によっては、(毒殺をおそれて)食べ物、飲み物、食器までを持ち運ぶ人もいて、すごい人は日常使っているものまで運ぶのだそうです。公費の無駄遣いなのですが、宿場町は潤ったのでしょうから、絶対悪とはいえません。

 徳川吉宗が日光社参したときは、総勢13万人だっだそうです。公費の無駄遣いも桁はずれです。先日問題になった、議員さんの欧州視察旅行は、参勤交代の名残かも知れませんが、お酒を飲んだ、土産物を買ったというようなのは、かわいいものです。

*『論語』に出てくる「千乗の国」というのは、一乗は戦車一台(兵士が100人くらい付く)のことで、千台の戦車を用意できる国、つまり諸侯を指す。君主は万乗で、家老は百乗。家老の場合は「百乗の家」という。軍隊ではないけれど、13万人を連れた吉宗は、古代中国では諸侯ぐらいか。

*10月の日曜講座で読んだ、『論語』顔淵篇の「邦に在りても達し、家に在りても達す」というのは、諸侯の国でも名が知れ渡り、家老の知行地内でも名が知れ渡る、という意味。この家は、個人の家ではない。



 



2018年10月10日水曜日

不安除去型の医療

ノーベル医学・生理学賞に選ばれた本庶佑さんが、愛知県の藤田保健衛生大学で講演を行い、つぎのように話しました。


「20世紀になって私たちは抗生物質やワクチンなどの発見で感染症を克服してきたが、今世紀は、体が本来持っている免疫でがんをコントロールし、克服できる可能性が出てきたのではないかと思う」


「これまで私たちは、病気を治したいという願望に応えようとする『欲求充足型』の治療に努力してきたが、これからは不安を和らげる『不安除去型』の医療も、人を幸福にするという意味で同じくらい重要だ」


 これからは不安除去型の医療も重要になるとは、医者の治療一辺倒ではなく、患者さんへの十分な配慮もうかがえる点で、ちょっとドキッとしました。

 ところで、不安とはなにか。除去の前に、不安を作らない方法はないのか。こういうことに、わたし達の医学は、なにか出来ないのか。東洋医学の「こころ学」の確立させねばならないと思う。心と身は一体だ、心と身は陰陽だとか、安直に落とし込まないで、もっと深く考えなければならないときが来ているような気がします。

2018年10月8日月曜日

鈴木大拙『無心ということ』

 6月に買った『無心ということ』、まもなく読み終える。難しい本でした。前にも書いたけど、平成19年初版で、平成29年で20版(刷?)とのこと。こんなに難しい本が、猛烈に売れているのは、日本の知的レベルが高いのか?

 第四講の「無心の完成」は、ほとんど専門用語の羅列で、読みはしたが、理解はできていません。この本は、講演を起こしたものらしいですが、頭の中からこういう内容が出てくること、これを聴いている聴衆のすごさ、なんだかすごい。講演は昭和14年、大拙69歳。ここからすると、我が鍼灸界は、かなり幼稚かも。