2015年4月29日水曜日

有楽井戸

 有楽井戸とは、織田有楽斎が所持していた井戸茶碗のことで、東京国立博物館に所蔵されています。10年くらい前に、一度見たきりで、その後、何度か同館に行ってますが、見ることができませんでした。


 4月25日、26日は、大阪で日本医史学会があり、参加してきました。もらったパンフレットに大阪市立東洋陶磁美術館があったので、行ってきました。そしたら、有楽井戸が展示されていたのです。なんと。うれしかったですね。ご自宅に行ってもなかなか会えないのに、お友達の家に行ったら偶然お会いしたようなもので、「おお、ここに居たんですか」と思わず、声を出してしまいました。


 同館で有名なのは、国宝の油滴天目、重文の木の葉天目で、「はっ」と目を奪われました。ついでに、心も奪われました。究極の美術ではないでしょうか。制作者の美を備えた目、というか技量には、敬服するほかありません。よくぞ、作ったものだ。これを、大切に保存してきた、日本人にも敬服します。なくさず、壊さず、きれいなままで、何百年も伝えてきたのです。作るひとと、伝えるひとがいなければ、あの場に無かったわけで、そう思うと感動が深まりました。


 写真集も買ってきましたが、実物とはまったく異なるものでした。真(本当)を写すというけど、写していません。裸の女性の写真と、裸の女性が目の前にいるのとの違いでしょうか。今回は、ガラス越しに見ただけなので、目の前にあり、そして手で触れてみたい。以前のブログの、柳宗悦が喜左右衛門井戸とご対面した文章を思い出しました。


 医史学会は、発表は誌上発表になり、仕事は座長だけした。座長だけで大阪までいくなんて、時間とお金の無駄みたいだが、ぼくはそうは思わない。役に立つことばかり選んでも、役に立たないこともあるし、有利だとおもったけど、不利になることもあり、そう簡単にはいかないのが世の中ではないでしょうか。


 誰しもが金持ちになるべく、行く道を選択しているのでしょうけど、ほとんどの人は金持ちになれていない。そうすると、金持ちの道を選ぶよりも、好きな道を選んだ方が良いのではないでしょうか。(こう言ったのは、孔子なのです)。


 学会に行って役立つのか、損なのか得なのか、そういう受け身の選択は、あまり面白くない。美味、美食を追い求めなくとも、美味、美食はむこうからやってくる。そのことを、つくづく知ったのが、今回の医史学会でした。医史学会は、すばらしい。

2015年4月13日月曜日

羽柴秀吉氏没す

 今日の東京新聞夕刊に、青森県五所川原市在住の三上誠三さんが、肝硬変で、65歳で亡くなったと報じられていました。

 三上誠三さんでは知らないでしょうが、羽柴秀吉の名前で、全国、あちこちで立候補した人と言えば、思い出すでしょう。東京都知事選にもでましたし、大阪府知事選にも出たそうです。夕張市長選では、接戦を演じたそうです。一回も当選しなかったようです。

 選挙に立候補することが目的で、当選も落選も眼中にはなかったのでしょう。それにしても、負け続けの人生は、立派なものです。三上さんの人生で、実業の面では勝っていたのでしょうから、負けと勝ちとが、彬彬だったのだと思います。ほどほどに勝つのでもなく、ほどほどに負けるのでもなく、勝って、負けて、両方を抱えていた、そのところに三上さんに大人の風があったのではないだろうか思うのであります。

 一昨日、『論語』を読んでいて、文質彬彬に触れ、偶然にも三上誠三さんの訃報に接し、以上のような所感を得たのであります。文質彬彬こそが中庸なり。


 

2015年4月6日月曜日

尺中弱し

 少林武術学校の生徒さんの尺中(強し)が標準だとすれば、たいがいの人は尺中弱しということになる。尺中が両腎に相当するとみなせば、補腎の治療で、大谿や復溜を使う機会がぐんと増えてくる。中国の張志傑先生は大谿をよく使い、福岡の馬場白光先生は復溜をよく使っていました(著書に書いてありました)。

 江戸時代の腹治家(腹部だけの治療をする流派。無分流など)で共通するのは、なんといっても気海穴の重視である。鍼治療としては、『難経』をルーツとするのだが、房中と関連するとなればさらにさかのぼり、馬王堆医書、張家山医書にたどり着く。

 前漢時代よりさらに前。戦国時代から現在まで、ぶれないでいるのは、腎を重視することかも知れない。医論、医説、多岐にわたり、華やかなりしも、核心になるところは、このあたりではないでしょうか。

 3月の北京研修では、北京の張志傑先生の治療を受けてきました。大谿を重んずる老中医です。治療を受けながら、大谿とはなんぞやと考えて、上記のような結論にいたりました。

 せっかくですから、腹治を専門にする人・腹治をメインにする人著書を紹介しておきます。今まで、読んだものだけですが。

  奥田意伯『鍼道秘訣集』、矢野白成『鍼治枢要』
  森共之『意中玄奥』、宮脇仲策『鍼学発もう訓』
  

 

2015年4月2日木曜日

尺中強し

 北京研修の最終日に、少林武術学校の見学に行きました。そこでは、学生の模範演技をみせていただきました。演技をしてくれた学生は、選抜された優秀な学生ということでした。

 模範演技がおわった後に、その学生たちと会話する機会を得ました。学生達はほぼ20代でした。職業柄、体に触れたくなったので、許可をもらいました。5~6人に対して、手足の触診と脈診をしました。

 筋肉が柔らかで張りがあるのは予想通りでした。

 脈診で驚きました。全員、寸口が弱く、関上が中ぐらいで、尺中が強いという状態で、まさに上虚下実でした。たんなるスポーツ選手とは違って、丹田を鍛えながら、拳法を修得したのだと思います。

 尺中が、あのように強いのは、始めての経験です。さらに、あのように強いのが、理想の状態なのだと納得しました。あのように強いとは、太くて弾力がある強さです。これ以上は形容できないので、忘れないうちに東急ハンズにいって、同じような触感のモノを探してきます。薬指の記憶が消去しないうちに。

 今回の北京研修の最大の収穫は「尺中強し」でした。

 

2015年4月1日水曜日

反って其の快きを覚ゆ

「相忘る」の森共之先生のほかに、同じようなことを仰っている先生がいる。矢野白成先生で、その著『鍼治枢要』(1697刊)で、次のように言っている。

 凡そ学者、修練、精密、心を用いること、久しきときは、心に発し、手に応じ、手に得て、心に応ず。是において、心手合一、体用不二、内外・本末の分無し。思わずして中り、無為にして成る。真理を識得し、既に妙処に至るものなりと謂いつべし。その真に契(あ)うこと此のごとくときは、其の徳、腹内に通徹して跡無し。其の手久しく腹上に措(お)いて倦(や)まず。病者も亦た厭うこと無し。反って其の快きを覚ゆ。是れ乃ち心業と称する所以なり。

 心の修行をして、覚ったことを、「心に発し」という。その状態で触診をすれば、手にも応じ、心と手と一体になる。何を覚ったかというと、体用は一源で、間(へだて)が無いということ(体は心で、用は体)。または、人心と天地の心とが共に一理であることで、これまた間(へだて)が無いこと。
 
 心と手が一体になった状態で、腹診をすれば、腹内をよく通知し、長く腹診をしても疲れず、病者も嫌がることもなく、反対に気持ちよく感じる。これを心業というのである。

 鍼術は心術であり、鍼に効能があるのは心徳だからという。

 間(へだて)が無いとは、分(わけへだて)が無いことで、「無分」とおなじ。心と体が一体になり、診者と病者が一体になり、「相忘る」ことが、この道のゴールのようである。