2017年1月31日火曜日

コーヒー店でも閉店

 雑誌の記事によれば、コーヒーの名店2店が、昨年末に閉店したらしい。

 南青山の大坊コーヒー店(一度行ったことがある)が、昨年末、ビルの建て替えのために、38年の営業に終止した。

 博多の美美(びみ。行ったことが無い)が、店主の急逝で、閉店した。

 お店は、もちろん本人の意志が重要なのだけど、本人以外の理由でも、閉じざるを得ないことがあるのだなあ、やっぱり。

 

2017年1月26日木曜日

そばや閉店?

 鶯谷書院の近所のそばや「川むら」さんが、しばらくお休みとのこと。

 有名店ではないが、「すずしろ」というお蕎麦が、とても珍しい。大根を、お蕎麦と同じように切り、おそばに混ぜて食するもの。群馬県太田市でも「大根ぎり」という名称で、お目に掛かったことがある。この2店以外では、遭遇しない、めずらしいおそばです。

 具の構成は、大根飯と同じで、淡い味わいがある。

 ご病気でもなさったのでしょうか。残念です。

 大塚の江戸料理の有名店「なべ家」も、昨年6月に閉店とのこと。一度も行けなかったけど、後継者いないのが原因とのこと。他にも理由があるらしいが。

 名店がいつまでも続くわけではなく、三つ星レストランだって閉店することもあるのだから、一つの商売を続けることは、なかなか難しいようである。

 そういう意味では、何代も続いていることは、なみ大抵のこころがまえでできるものではないでしょう。続けようとしてできることではないですから。畏敬に値します。

2017年1月23日月曜日

魂の感応

 『臨床というもの2 生物学的人間』(たにぐち書店)ふたたび。

 藤本先生によれば、難病は、魂の病気であるから、魂で治療しなければ、治らない。といいます。魂の治療は、魂に目覚めた人しかできない難度の高い治療です。

 たとえば、自分の心が乱れていれば、相手の心が、乱れている、いない、どちらも見えないけど、自分の心が安んじていると、相手の心が乱れている、いない、どちらもよく見える。

 魂に目覚めた人は、いろんなものが見えるのだと思う。きっと。

 たんに、気が合うのではなく、心が通い合うのでもなく、魂の感応こそが鍼灸治療の真髄なのだと(いうようなことを)言っています。
 
 藤本先生の著書に『鍼道秘訣集』を解説したものがあります。『針道秘訣集』の核心は「三つの清浄」という心の持ちようを唱えたところです。とても難解な箇所です。先生の本を読んでも、そこはよく理解できませんでした。おそらく、先生自身も理解しきっていなかったのではないでしょうか。

 三つの清浄は、先生の宿題になり、爾来40年以上も模索していたのだと思われます。その解が、この度の新著に結実したようです。ゆえに、明解であり、饒舌であり、縦横無尽に話しかけています。

 気になった方は、買いましょう。何かのご縁です。

 

 
 




2017年1月16日月曜日

藤本蓮風氏の近著

 著者から、近著『臨床というもの2 生物学的人間』(たにぐち書店)をいただいた。

 氏のブログをまとめたもので、「たましい」「こころ」について、詳述してある。

 鍼灸治療の真髄を述べている、と言っても過言ではない。
 
 この先生に追いつく人は、とうぶん現れないだろう。
 

2017年1月14日土曜日

聖人八木下

 竹山晋一郎(一九〇〇~一九六九)の「八木下翁を訪う」(『東邦医学』九巻五号、昭和十七年)は、さすがに文章家、中々の名文である。

 八木下先生が亡くなったのは、昭和二十一年八月十二日。九十歳。天寿を全うした鍼灸師という意味では、上古天真論篇でいうところの、まさに聖人である。『素問』の理想人が、ついこの間まで、日本にいたのである。すぐ近くにいたのである。

 聖人への道が日本鍼灸の歩む道だとすれば、そのモデルは八木下先生である。それを明らかに示したという意味では、竹山先生のこの文章は、宝物である。






2017年1月6日金曜日

霊枢講義 最終コーナー

 島田先生が亡くなった翌年から、つまり2001年から、霊枢講座を始めて、かれこれ16年になります。遅々として進み、4月からは、官能篇第73に入ります。おそらく、来年度中に、霊枢全篇の講義が終わります。遅々としたぶん、微に入り細にわたって、読み進むことができました。

 結果として、「東洋医学概論は初心者むけのガイドブックで、専門家が使うには情報は全く足りません。霊枢を材料とした、より精しい解説本が、別途に必要だ」ということがわかりました。

 講座は聞き手が存在して成立します。みなさん、霊枢講座をききにきませんか?

 受講希望の方は、日本内経医学会のHPで内容を確認して、申し込んでください。

 

八木下モデル

 新聞に、阪急所属のダリル・スペンサーという選手が、88才で亡くなったと報じてあった。活躍したのは、昭和40年ころで、野球と言えば巨人という時代で、野球ずきな大人でなければ、知らないと思われます。

 その記事には、「精密な頭脳があり、投手の細かな癖を見抜いて球種をあてた」。「それをノートに記録し、てナインに与え」、「阪急はやがて黄金時代へ」入ったとありました。

 さらに、「それは他球団にも流出し、一球ごとに頭を使い、策をめぐらす細かな野球に変わっていった。日本の野球を変えたという意味で、その功績は計り知れない。」と。

 昭和40年ころに、スペンサー選手によって、経験的に振っていたバットから、理性をともなったバットに変わったのである。スペンサーモデルといおうか。

 近年でいえば、イチロー選手。意識を高くもつことで、記録的な業績を積み重ねている。選手寿命もながいし。イチローモデルが定着すれば、よい選手がたくさん出てくるのでしょう。

 鍼灸でいえば、八木下勝之助モデルがあります。そこから経絡治療が発展しました。経絡治療は治療モデルとして発展していますが、八木下のたましい受け継がれているでしょうか。

 八木下は、鍼灸治療で口に糊してはならないと雑貨商を営んでいたといいます。無心の鍼灸治療を、八木下は目指したのである。無心が下地にあっての経絡治療なのである。

 営利心が生まれたときに、純真さが失われ、功利心が生まれたときに、純粋さが消えてしまうのだと思う。それでは、眞の治療にならない。この八木下の精神は、『意仲玄奥』の精神と、全く同じなのです。

 日本鍼灸のたましいがここに在るのだと、年の初めに確信しました。

 


 


2017年1月1日日曜日

ボクシング

 30日と31日と、ボクシングの世界戦が、いくつか組まれていた。

 内山をのぞいて、日本人の勝利だったが、戦いおわった戦士は、スマートなものであって、へとへとになるわけでもなく、顔もきれいであった。息もあがっていないし。田口なんかは、判定で防衛したすぐ後に、内山の応援にまわっていた。

 むかしは、戦いおわると、顔は腫れ、まぶたは切れて、ぼろぼろだったような記憶が強い。まさに戦闘。たましいのみで戦っていたのではないか。今は、そのたましいを受け継ぎながら、そのうえに技術を高めているようだ。

 一時期、日本人の世界チャンピオンが居なくなったときがあったが、そのときはハングリー精神の欠如が原因だと言われましたが、ハングリー精神というか、たましいというものは、環境によって醸成されるものではなく、生来のものでは無いかと思う。

 しかし、生来のたましいはそのままでは不発におわり、それに火をつける人がいる、啓発される事があって、はじめて活性化する。ということは、自分の力だけでは不発におわるだろうし、まわりの啓発に気がつかなくても不発におわるだろし、自分の殻にとじこもっていてに不発におわるでしょう。

 火を着けたという意味では、広島の黒田選手が好例でしょう。ボクシング界も、よい流れになっていると思う。指導がよくなっているのかもしれないし、よいライバルがいて切磋琢磨しているのも、好循環につながっているのでしょう。

 たましいの問題は、今後、鍼灸の世界のキーワードになるに違いありません。

 それはそうと、技術はだいぶ高まっているようです(素人目ですが)。やはり、続けること、工夫すること、無心であること、こういうことが技術には大切だな、と年末に思いました。