2019年6月24日月曜日

20年ぶりの笑点

 6月23日は、午前の勉強会のあと、家に帰って、勉強。

 気晴らしに笑点をみました。20年ぶり。日曜の午後に家にいるのが珍しいからでしょう。30分みてしまって、こんなどうしようもない番組が続いているのは、いいことなのか、ダメなことなのか。香港では人口の4分の1が真剣にデモをしているのに、このふぬけな日本は、いいことなのか、ダメなことなのか。こんなこと考えるのは、テレビを見るからで、見なければ良いのである。テレビを見ないで勉強していれば良かった。

 鍼灸の場合、手先が器用で、センスが良ければ、巧者になるでしょうから、書物を読まないかも知れません。それを勘違いしてか、手先が不器用で、センスも悪いのに、書物をよまない、という習いが定着しています。鍼灸はいかにも学問が要らなそうですが、不器用で、センスが悪いのなら、書物を読み、学ぶべきです。
 
 ここで『論語』。「吾、嘗て、終日食らわず、終夜寝ず、以て思えるも、益無かりき。学ぶに如かず。」(飯も食わず、徹夜して、一昼夜考えてみたが、何の収穫も無かった。学ぶに越したことはない。)

 この歳にして学問の足りなさに目覚める。九牛の一毛とはよく言ったものです。

2019年6月21日金曜日

池田知久『老子』第三弾

 池田知久先生の『老子』ーその思想を読み尽くす(講談社文庫)を買って、第四章の養生思想を読んだら、単独の『老子』を読みたくなり、それを2回ほど読んだら、もっと知りたくて、池田の馬王堆『老子』(東方書店)を買いました。これを読み終わったら、ひと段落です。研究書なので、注釈を大切に読んでみたいのです。

 一連の池田知久本をみると、これだけの仕事をして、「真のすがた」がようやく見えてくるのだなあ、とつくづく思います。そこからすると、わかった振りしている自分が、とても恥ずかしいのです。
 
 鍼灸に関係あっても、無くても、謎めいている『老子』はおもしろいものです。謎解きをしているようです。役に立っても、立たなくても、良いのです。

 かつて、臨床指南は『論語』で十分と言ったのが香川修庵(1683--1755)。この視点からすると、『老子』医学という枠組みがあったら、おもしろい。


 

2019年6月14日金曜日

毅然と泰然と悠然と

安倍首相とハメネイ師の対談の写真をみる。

①師の毅然と泰然と悠然が印象的。首相はそうは見えない。

②首相の座り方はトランプの真似ですね。本人がよいと思っている姿勢は、意外によいものでは無いかもしれない。姿勢だいじですね。

③師の椅子と、首相の椅子は、格段の差がある。となりにはロハニ師もすわっているし。普通は、おなじ格の物をそろえるのではないか? 

④国旗はイランのものしかない。両国の国旗を用意するのでは? なぜ用意しない? クレームつけなかった?

⑤首相は、やたらに表情をつくるけど、師はほとんど表情をかえない。腹がすわっている。

 こんなことを考えたら、イランの扱いがすけて見えるようでした。仲介役なので文句いえないのですが。首相もがまんしたのでしょう。

 姿勢と表情のことは、とても勉強になりました。みなさんも気をつけましょう。

2019年6月10日月曜日

『老子』の養生

 現時点では、養生に6種類あるとして、整理している。その1つに『老子』の養生を割り当てているのだが、池田知久先生の『老子』(講談社学術文庫)の第4章の養生思想を読むと、『老子』に版3種類の養生があるとのこと。そんなわけで、軌道修正に迫られています。

 『老子』の養生とは、
 ①養生を否定する養生
 ②道と一体になる養生
 ③(道はさておき)無私無欲の養生
 ということだそうである。

 この3種を認知しながら『老子』を読まないといけないので『老子』読み直し。かくして、切りがない。

 切りがないのだが、そのぶん霧がはれてくるのです。おもしろいですね。

 9月1日に、北九州で、『内経』からみる心と病、と題して講演するのだけど、心の問題をテーマにするなら、『老子』は乗り越えたいところです。

2019年6月5日水曜日

藤木先生の著書

 古書店の目録に、藤木先生の著書が2916円とあったので注文したら、正編・続編の2冊きた。定価で買っても5000円近くなので、ありがたし。きれいな本でした。

 あとがきを書いた柿島さんが、わが治療院にきて、脊柱管狭窄症を治療してほしいと。『医道の日本』に原稿も書いているし、島田さんの弟子だし、どれくらいのウデなのかためしたいと。

 結局、半年ばかり通っていただいて、直ったのですが、臨床歴では10年ほど先輩だし、直球勝負の力が入った症例でした。遠くから同業の方が体験治療に見えますから、同業の方は慣れてはいるのですが、近場で通ってくるとなると別なのです。

 藤木先生の本を開くたびに思い出す症例でした。

自動運転電車逆走

 自動運転の電車が逆走したとのこと。あの電車は、知人が横浜市立大学病院に入院していたので、お見舞いのために何度か乗りました。あの駅も憶えています。知人がいたおかげで、金沢文庫や横須賀港などをめぐることができました。いなければ、埼玉からはるばる行くことはなかったでしょう。

 逆走していた電車、むしゃくしゃしていたんでしょうか。ヒト様はあそんで、オレ様ばかりに仕事をさせてさ。

 しかし、このところ、暴走自動車、暴走ヒトさま、暴走電車と、立て続けに事故がおきています。なにか、そういうマイナスのリズムがあるような気がします。

 そういうマイナスのリズムは、中国伝統医学では、天忌といいます。病気になりやすい一定の期間のことです。一生でいえば、厄年。一年でいえば、元旦にイヤらしい風がふいたその一年。ひと月でいえば、新月のとき。一日でいえば、夜間。その他、季節の養生ができなかったとき。

 こういう迷信めいたものは、今の伝統医学にはうけつがれませんでしたが、古代ではまじめに考えていたようです。本当に迷信なのかどうか、研究すべきだとおもいます。そもそも、こういう話題を出せなかった古典研究界の力不足もあるでしょう。