2018年1月26日金曜日

当たり前

 先月からコーチが変わって、年寄りだからといってあまり手加減しない人になりました。今までの程よい運動から、しごかれているような感じ。最後まで持つのかなあと思いつつ、ついていくのですが、意外に持つのですね。あきらめてやるしかない、と開き直っているのがいいのかも知れません。ここで不満を言ったら、きっと持たないかも知れません。

 年齢とともに下り坂と思っているのですが、意外にもそうでも無いです。いままでが、年齢にかこつけて、大してやってなかったのかも知れません。自分で、枠を決めているので、その枠を超えられないのです。その枠さえ無ければ、どこまで行くのかは判りません。

 沢庵さんは、72歳、3月田舎の但馬に帰って、その年のうちに江戸に戻ってきます。この人にとっては、「歩くもんだ」が当たり前で、遠くても、何歳であっても、よく歩くのです。この当たり前が徹底しているところが、大事なことなのだなとつくづくおもいます。

 テニスの練習は「つらいのが当たり前」と思えば、意外に結構やれたので、「当たり前」の範囲をひろげてみようと思いました。冬は寒いのが当たり前、夏は暑いのが当たり前。


2018年1月20日土曜日

遥拝

 遥拝とは、遠く離れた所から神仏や天子を拝むこと。はるかに礼拝すること。ちかごろは、沢庵の墓を遥拝しているので、その報告。

 毎週金曜日。大森に教えに行っているが、行きの決まり事は、「沢庵の墓を遥拝すること」です。品川駅をすぎて、右側に、ほんの一瞬、沢庵の墓が見えるのです。

 他のことに気を取られて、遙拝し忘れると、すこし残念です。したがって、品川駅に着く前から、遙拝体勢になります。

 その他に、東川口駅を出たら、男体山の神さまを遥拝。川口駅を出て、荒川にさしかかったら、富士山の神さまを遥拝。ふたつの山は、冬しかみえないのが、少し残念。

 というわけで、金曜日は、遥拝で、いそがしいのです。

2018年1月15日月曜日

両面思考(対峙)

 両面思考とは、物事を一面的には見ないという基本的な態度。陰陽。虚実などが良い例。(金谷治『中国思想を考える』)

「無限は有限に対立するものではなくて、有限をそのうちに包みこむものであるから。」(森三樹三郎『老荘と仏教』)

 森の本は割と読み込んでいたのに、この文章は見逃していました。というのは、両面思考(対峙)がしみ込んでいるので、有限と無限は対立する概念だと思いこんでいたのです。対立するとみなすこともあるが、対立しないとみなすこともできるので、対立的な思考をもう一度見直す必要があるかもしれない。

 心と体。これも対峙すると思いこんでました。老子に言わせれば、心が体を包みこんでいる(よって養心が重んじられている)のだから、対峙していない。心と体がバラバラ。心が不安定だから、自動的に体と離ればなれになるのであって、心さえ安らかになれば良いのである。両面的思考で心身一如というけれど、老子的にはいつでも心が体を包みこんでいるので、後付け的に一如と言うのは、納得できないでしょう。

 男女。これも対峙の概念ですが、男社会では男性が女性を包みこんでいます。男勝り、女だてら、女女しいというような表現があるのですから、中々その意識は無くならないようです。女性活躍社会というスローガンも、男視線です。

 こういう風に考えると、陰陽、虚実、生と死、病気と健康なども、もう一度見直さねばならないでしょう。

2018年1月14日日曜日

大徳寺玉林院

 京都の紫野の大徳寺、その塔頭のひとつ玉林院は、曲直瀬正琳(1565~1611)が、1609年に、つまり45歳のときに、月岑宗印を招いて建てた塔頭である。おそらく数億円、或いは数十億円かかっただろうに。

 三玄院は、石田三成、浅野幸長、森忠政らが、春屋宗園のために建てた塔頭である。一つの塔頭を大名3人がかりで建てているのに、それを正琳が一人で建てたのである。おそるべき財力。それよりも、それを寄進する胆の大きさがけた違いである。「私」への執着が無い人でなければできない行いである。正琳といえば、第一級の医者であるが、それ位の人物は何人もいる。第一級でも、そうでなくても、かくのごとき無私の人は、そうはいない。

 一つ一つの建物(だけでなく街にも)物語があると思うと、観光も、なかなかに味わい深い。


2018年1月5日金曜日

首藤傳明先生からの

 首藤傳明先生からの年賀状の今年のコメントは「宮川先生の評価、外国人にも高い(四国セミナーで)。今年もガンバッテ」と。

 単純に嬉しい。神さまのような人からですから。四国セミナーとは、11月に行われたジャパンセミナーの一貫で、前半が東京セミナーで、後半が四国セミナー。3年前に、首藤先生が引退するので、交替として僕が講師になったのですが、今年は首藤先生が復活したのであります。すごいことです。
 
 外国人とは、おそらくステファ・ンブラウンさん(首藤先生の『経絡治療のすすめ』の翻訳者)。そのステファンさんから、『温灸読本』の翻訳出版が医道の日本社との交渉がうまく行かないので、「米国で本を出しませんか」とは言われています。が、自分の治療大系は、小賢しい小知恵を積み重ねたもので、島田先生に「紙くずになるような本は出すな」とおこられそうな代物ですから、絶対手を出しません。

 「述べて作らず」というがごとく、出すなら『内経』モノにしたい。

2018年1月2日火曜日

再びせばこれ可なり

『論語』公冶長に「季文子、三たび思うて後行なう。子これを聞いて曰わく、再びせばこれ可なり」

 魯の大夫の季文子が、事ごとにかならず三度考えたのちに行動した。孔子は、二度思案すれば良いと仰った。

 ここのところを、伊藤仁斎は、季文子の「三度」は、それをルーチンにしているので、それを批判して「二度」と言ったのであるが、二度思案すれば良いという意味ではなく、三度のルーチンを止めなさいと言ったのだ、と解釈している。よく考えられた解釈である。

 さらに、

 政治には明快果断な決断ほどよいことはなく、優柔不断より悪いことはない。一度考えるまでもなくすぐ結論が出るものもある。千度考え、万度思いめぐらしても、まだ決断できぬものもある。季文子が事ごとに三度考えてのち行ったのは、ただ考えただけで、決断することを知らなかったのである。

 と解説を加えている。ここまで読み込めば、『論語』も活き活きとしてくる。すごい。伊藤仁斎の『論語古義』。それを現代語訳した貝塚茂樹先生には頭がさがるばかり。

 

2018年1月1日月曜日

第5回 鍼灸医学史研究発表会

 北里医史研と日本内経医学会が共催する「第5回 鍼灸医学史研究発表会」が、1月7日、港区白金の北里大学白金キャンパス薬学部1号館で行われます。参加無料です。是非ご参加ください。詳しくは、日本内経医学会HPでごらんください。

 ことしは「沢庵宗彭と中国医学」と題して発表します。沢庵は、柳生宗矩に「無心の剣」を指南したように、(おそらく)御薗意斎にも「無心の鍼」を指南したのだと思います。それが、御薗意斎の弟子の森道和、仲和、愚然と受け継がれ、森共之の代になって、『意仲玄奥』となってまとまりました。『意仲玄奥』は「無心の鍼」の集大成なのであります。

『意仲玄奥』は大塚敬節先生の所蔵となり、2003年に六然社から影印出版されました。『意仲玄奥』が学校の教科書になることを思いえがきながら、発表したいと思います。