2019年2月26日火曜日

曲直瀬正琳

 冬は空気がきれいだったので、遠望がかなってましたが、だんだん、男体山、富士山が見えなくなってきました。電車に乗る時の楽しみが減りました。唯一、品川を過ぎて間もなく見えてくる沢庵のお墓だけ、遥拝しています。

 沢庵で思い出したのですが、京都の大徳寺の塔頭に玉林寺があり、曲直瀬正琳という人が創建したものです。元の名称は、ずばり玉琳庵といいます。建てるのに、私財をつくしたというのですから、おそれいります。それが、なんと38歳というのですから、重ねておそれいります。

 その大物ぶりには、おどろきます。小さな庵といっても、数億~数十億はかかるでしょう。それが38歳の手元にあったわけですし、それを一気に使ってしまったのです。まったく壁のない人のようです。曲直瀬玄朔が、自分の娘の婿に選んだ理由が何となくわかりそうです。46歳で亡くなりましたけど。

 ときどき、室町時代~江戸時代の人物を調べますが、それなりの人は壁が無い、というのが印象です。どこまでも壁がない人もいますねえ。どこまでも行けるわけだ。

2019年2月23日土曜日

頭のすみに

東京新聞の2月22日の声欄に、12歳の松川はなさんんの意見が載っていました。

 日本人とは、「日本のことを頭のすみに置いている人」と結論していますが、この前のブログの、どこまでが富士山なのかの自答と同じだったので、うれしいかぎり。

 念仏ということばも、仏を念(おも)うという意味でおなじですね。ただ思うのは「観想念仏」といい、お名前をよぶのが「称名念仏」といいます。今残っているのが、なんまいだぶ、なんみょうほうれんげきょうの称名念仏ですが。観想念仏は、遠距離恋愛のようなもので、あの娘のことを四六時中思っているのですから、とても幸せなのです。

 最後に「壁をつくらないで」と結んでいるところにも感動しています。幼稚だった自分の12歳は、ぼーっと生きてましたね。

2019年2月22日金曜日

コーヒー屋

 本棚から、2016年発行の、「ベストオブコーヒー」という雑誌が出てきました。た。

 2013年に閉めた「大坊コーヒー店」が出てました。黒基調の店内と白いワイシャツの店長さんとの対比が美しい。1回しか行ったことがないので、もっと行っておけばよかったなあ、と後悔。1回しか行かなかったのは、コーヒーが濃かったから。豆20グラムで仕上がり100ccとのこと。濃いわけだ。ふつうは、8グラム前後です。

 銀座の「カフェドランブル」も載っていました。1滴1滴ドリップする方法で、こちらも濃いです。30年ほど前は何回か行っていました。数年前に久しぶりに言ったら、1滴1滴ドリップはやってなくて、お湯を細くして淹れていたし、味も薄くなっていたので、それきり行ってません。雑誌には、当時のおじさんの写真が載っていました。銀座、名店、おじさん、3拍子そろって、かってに緊張してました。

 この雑誌、また本棚にもどして、何年後かにひらくことにします。

 

2019年2月18日月曜日

出土資料

 6月の日本東洋医学会で、出土資料のシンポジストを頼まれたので、すこしずつ資料を読んでいる最中。日本では、この手の研究は京都の猪飼先生孤軍奮闘中。

 中国古典の世界では、出土資料は優先的に研究するという流れだそうだが、日本の中国医学古典では停滞中。まずいのです。

 いままでは『内経』が本丸だったのですが、いまは出土資料が本丸なのです。馬王堆、張家山、老官山。追いつかない状況です。なんとかせねば。

 やるべきことが多く、それに質量ともに足りていないのです。

2019年2月1日金曜日

万年筆

昔の小説家は万年筆で文章を書いていたけど、今は、そういう人は少ないでしょう。
 ご愛用の万年筆が決まっていて、何十本も持っているけど、使っているのは1~2本だ、という記事を読んだことがあります。人によっては、ペン先をヤスリでけずったりもしたらしいです。

 年賀状は、基本的に自筆としています。万年筆で書くのですが、愛用のは、30年ほど前に買ったシェーファーの極太です。ペン先の滑りがよいので、自分らしい字が書けるのですが、インクの出に難があるのです。難があっても、使い続けています。滑りがわるいと、だんだん腕が疲れてきます。まあ、年に一度のことなのですが。

 使わない万年筆は、どこかに行ってしまって、無くなった? かもしれません。今は、黄色のラミー1本だけです。ラミーだけで3本あったのですが・・