2016年4月27日水曜日

木香薔薇

 家の前は、県道で、歩道と自転車道があって、近代的な道路でもある。ある程度人通りがあるので、みなさんに楽しんでもらおうと、家の前を花壇をもうけています。

 いま、ひとしきり咲いているのは、木香薔薇。庇の様に、幅4メートルくらい、咲いています。26日(火)に来院した患者さんに、「いい香りがしてますね」といわれて、ハッとしました。「そうですね」と相づちを打ったものの、まったく気がつきませんでした。

 自然に香っているのに、雑念で埋まっている僕はわからない。純粋不雑な人は、なんの苦労もなく、よい香りを受け入れられるのに、妄念が埋まっている僕は、いかに努力しても、香りがわからない。

 このようなことを、無欲無心とは、言うのだろう、と少し目覚めた次第。

2016年4月17日日曜日

外台秘要方

 唐代の王燾の『外台秘要方』の校正のために、文字データの体裁を整え中です。元データは、小林健二さんが用意してくれたもので、おそら中国人が入力したものでしょう。不自然な改行や、句読があったり無かったり、それを校正しやすいように体裁を整える作業を、現在、鋭意進行中です。なにしろ、A4版で、360ページもあるので、なかなか進みません。空いている時間に、こつこつと作業しています。作業しているのは、ときに辛くおもいますが、無心なる時間でもあるので、無心の修行のつもりでもいます。そう考えると、こういう作業は悪くないのです。イヤだなあと思うと、とてもイヤなのですが、無心の修行と思うと、とてもありがたい機会と感謝しています。

 作業をしながら、文面を少しばかり読んでいるので、意外に勉強をしています。それにしても、王燾でも孫思邈でも、資料集めのしつこさは、驚異的です。その資料が在ったその当時の医学も、かなり広く深いことに思い知らされます。日本人は、その中の一部分を、さらに簡素にして、中国医学を利用していますが、元の姿をよく知っておくべきと思います。その資料として、『千金方』や『外台秘要方』などは、とてもよい史料でしょう。

 校正作業では、『千金方』と『千金翼方』は、データを頒布中です。隋の巣元方の『諸病源候論』も、校正作業は終わっていますが、修正入力をして、それから句読を付けて、体裁を整える作業が残っているので、これまた時間がかかる作業が残っています。しかし、作業しながら読んでいると、こういう大切な古典が一顧だにされないのは、不遜の極みだと思いました。漢文だけなので、読みたくないのは山々なのですが、古典を受容することに感情を入れてはならないと反省しました。

 元データは、中国の人が入力してくれたもので、精度は高いといえませんが、データ入力をしてみると、入力作業は相当たいへんな作業です。時間も体力も必要な作業を中国の人がしてくれ、それが日本で精度を高めていくと考えれば、日中共同の作業といえます。あるていどまとまったら、中国の人にお礼として進呈したいところです。

2016年4月11日月曜日

中国の料理

 南京では、何回かの食事がありましたが、同じ料理は有りませんでした(有ったかも知れませんが、無いにちかい印象でした)。手が混んだ、食材を替えた、たいへんよく工夫された料理が、次から次へと出てきました。南京中医大学では、薬膳料理を提供してもらいました。北京でも、いろいろな料理がありました。羊の肉の料理や、西方のスパイスを使った料理が出て来て、広い国土を感じました。

 空気が悪い、人柄がどうだ、というのは中国の一面ですが、文化の深さも大事な一面ではないでしょうか。ただ一面で判断して、大切な一面を見逃すのは、同時代を生きている者として、もったいないと思います。また、一面で決めつけて、申し訳ないと思います。私たちは、もう少し度量を大きく持ちたいところです。

 度量といえば、南京博物院も、北京の国家博物院も、国民も外国人も、入場料無料でした。とても立派な施設で、見る物がたくさんあって、心が満たされる空間が、無料なのです。建物を開放しているのではなく、自国の文化の広さと深さと豊かさを、無料開放することによって、広く内外に示しているのに違いありません。間口を広く開けておく、その度量に感じいりました。

 中国医学の母国である中国を訪れることは、観光でも、交流でもなくて、個人的には「敬い」だと思っています。中国から学ぶという姿勢は、いつまでも継続しておきたいと思っています。今回の中国行きでは、やっぱり「隔て」は作らないほうが良いと思いました。国と国の隔てだけでなく、個人の偏見による隔ても。

 入場料も隔てなのかも知れません。そういう意味では、(仮)日本伝統鍼灸大学は、入学金無料、学費無料というのも、考えておきましょう。

2016年4月8日金曜日

張士傑(その2)

 張先生の治療費は高いほうです。治療時間も数分ですから、鍼数とか、時間を考えたら、非常に高価な治療費です。中国では、治ることが第一ですから、鍼数とか治療時間はさほど重視しないと思われます。
 
 日本の場合は、リラクゼーション的な意味も含めているので、治療時間も長く、場合によっては鍼数が多いかも知れません。このあたり、両国の立ち位置が違うので、良い悪いと簡単に決められません。

 ただ、治療現場としての中国の鍼事情は、なかなか興味深いものがあります。(仮)日本伝統鍼灸大学では、中国の治療現場の見学・中国の鍼の体験をカリキュラムに入れましょう。日中両方を見て、はじめて日本の良さが見えてくるはずですし、中国の良さも見えてくるはずです。中国にも行かずに批判して、日本の鍼は良いとかいっているのは、大人の態度ではありません。

 中国では、午前中の診療で100人程度は当たり前のようです。四診を精細にしている時間もなく、弁証論治している間もなく、流れ作業のように治療して、ようやっとこなせる人数でしょう。こういう状況なので、治療が定型的であったり、あまり丁寧でなかったりします。反対に、刺鍼のなめらかな一連の技術はすばらしい。迷い無い選穴や運鍼は、ほれぼれするほどです。迷っている時間もないし、もたもたしている無駄もない。まさに、「止まらないこころ」と「止まらない手先」。

 鍼が太いだとか、手技が荒いだ、そういうところばかりみないで、もっと根本的なところに着眼して、どしどし吸収したいところです。


 

2016年4月4日月曜日

張士傑先生

 国家級老中医。1931年生まれ。御年85歳。


 今年も張士傑先生の4回の治療を受けてきました。朝の8:30~11:00までが診療時間ですが、朝一番に治療を受けて、そのまま居残って、診療の一部始終を見てきました。ずうずうしくも。患者さんは、ぼくが居ようとも、居ないがごとく、先生と話し、どんどん脱ぎだし、ベットに横たわり、治療を受けていました。日本だったら、「誰! この人」「出て行って欲しい」と言われるところ。ぼくはぼくで、何事も無かったように、居座って、カルテをみ、治療を見学しました。とっても貴重な体験でした。

 治療時間は、1分~2分くらいでしょうか。3分くらいか。治療は5分という日本の先生がいましたが、それを上回ってます。今回は、左右の、大谿、臨泣、大衝、足三里、陽陵泉、合谷、腕骨、外関、風池、太陽でした。使っている鍼は、30号鍼(10番)で、鍼体は30ミリくらいか。それを手でも足でも、迷い無く、得気を目標に、つぎつぎ刺していきます。刺す位置はアバウトですが、刺針転向法を使って的確に得気を得ています。鍼先で探しているような感じです。技芸は、年をとればとるほど味がでるといわれますが、目の前で展開されていたのは、きっと至芸というものなのでしょう。50、60はな垂れ小僧、まことにしかりです。日本の鍼灸師は、味が出る前に亡くなってしまう人が多いので、そのあたりが残念なところです。

 至芸だけでは、上手な先生に過ぎません。張先生のすごいところは、こころ構えです。僕に刺したツボは、他の患者さんとほぼ同じで、どのような病気であろうとも、ほぼ共通しています。言い換えれば、基本穴だけの治療ということになります。基本穴の治療だけです。日本で言えば本治法でしょうか。経絡治療の父たる八木下勝之助を彷彿とします。

 張先生のこころ構えとは、まさに「挽かぬ弓、放たぬ矢にて射るときは、中らず、しかもはずさざりけり」(『鍼道秘訣集』に書いてあります)。この文章の意味をやっと理解できるようになったのは、沢庵の『老子』のおかげ。治ると確信していれば、治療をしなくても(もちろん治療しても)必ず治る。つまり、治療する前に、結果が出ているのです。勝負がついたというか。そのこころ構えの盤石さが、張先生のすごさだと思います。きっと、同じ配穴をまねをしても、効果は出ないでしょう。

 技術だけでは不十分。こころ構えの修行が不可欠であることがわかってきました。やっぱりはな垂れ小僧でした。どのようにして、盤石になったのかは、わかりません。人格と、場数を踏むことと、勉強なのでしょうか。失敗の繰り返しかもしれない。『内経』との格闘かも知れません。

 去年は気がつかなかったことが、今年気がついたのは、はな垂れ小僧も進歩したなと思った次第。





 


2016年4月1日金曜日

南京と北京

 3月19日から31日まで、学術交流で南京へ、オリエント研修で北京に行ってきました。こんな長旅は、最初で最後でしょう。規則正しい生活をし、節度有る食事をすれば、さほど苦になりません。中国の食べ物はアブラ物が多いので、調子づいていると、あっというまに食傷になります。最初のころは、調子にのって食べていたので、食傷になっていました。今回は、みなさんも馴れてきたためか、食傷者はいませんでした。

 南京は長江のそばで、海も近いので、湿度が高いのだと思います。真夏に行けば、はっきりすると思います。同じ温度だとしても、南京のほうが肌寒い。寒さが染みこんでくるような。北京は表面的な寒さのような感じがしました。東京あたりと南京は、空気的には近いでしょう。風が、重い。風が重いで、思い出したけど、故郷の松島の海風は、塩分を含んで、もっと重い。マラソンで、記録が出やすいコースがあるけど、地形だけでなく、風の力と、風の質が、大きく影響するのだろう。

 南京は長江の河口から約300キロ。中国では、臨海地区だそうです。日本で300キロだとすれば、本州を横断してしまいます。埼玉県は海無し県ですが、中国の人からは「海沿いや」と言われそうです。長野県だって、臨海地区です。日本の中からみる日本と、日本の外からみる日本と、ふたつの日本を見なければならないと痛感したところです。日本の鍼灸を見直すとき、もっとも重要なことです。中国にも行かずに、世界にも出ずに、日本の鍼灸を語っていたことを恥じています。僕は、何度も中国に行っていますが、そういう視点を持っていなかったので、行ったことにはならないでしょう。
 
 今回の中国行は、いくつかの気付きがありました。両面を見よ、ということです。ニュースでは日中は仲が悪そうですが、実際はみなさんとても親日。教科書の中医学は、実際の現場では運用されていないこと。なにしろ、押し寄せる患者との戦いで、四診合算・弁証論治をしている場合ではない。怒っているような人々、その内面は実や優しい。などなどです。

 そういう意味では、まだまだ固定的に見ていたのです。とても反省しています。また、体験しなければわからないのだけど、同時に何らかの視点やベクトルを持っていないと、体験したことにならないことがわかりました。よく「気づき」というけど、ぼやんとしてては得られず、なんらかの視点やベクトルが必要で、それは自分で学ぶか、教わるか。教わるとしたら、教える側はそれを先に示さないと教育効果が出ないと思う。少しばかり、教えるということがわかってきたような。