2022年7月23日土曜日

機根

  お釈迦様は悟りを開いたあと、機根のあるお弟子さんたちに説法した。ただやみくもに一般大衆には説法しなかった。機根とは、教えを理解し、修行しえる能力の事。のちに一般大衆にも説法するようになったが、それは一般大衆の中に機根がある者がいるかもしれないからと説得されたからである。

 僕は、今年66歳になったが、白髪がなくて、真っ黒なのである。廻りの人から感心されるが、努力したわけではないので、こそばゆいのである。唯一の努力といえば、30年以上も前に、ラジオで「石鹼シャンプーを使うと、白髪にならない、抜けない」という話をちらっと聞いてから、それを実行し続けたことかもしれない。

 こういうことが機根というのだろうと思いました。何が役に立つかわからないけど、発信しつづけることは大事。樸が、役に立つ、立たないと、決めてはいけないのだ。いろいろ、気が尽きました。

済南市

  ユーチューブに、中国の済南市が雨の被害にあっているというのがあった。見覚えのある風景には至りませんでした。中国の泰山には、合計4回上っているが、その第1回目に泊まったのが済南市であるので、懐かしくて見てしまった。趵突泉という池の近く。『史記』に書かれている名医の倉公が住んでいたのが、この済南市だったので、すこしはあやかろうかと思って、泊まりました。

 2回目以降は、泰山のふもとの曲阜市に泊まりました。こちらは、孔子の街で有名でしたから、都合、3回も泊まってしまいました。孔子一族の墓地である孔林には2回行きました。あるひとに、(霊が付くから)行くんじゃない、といわれてましたが、大丈夫だったようです。

 もう1回くらいは、曲阜、泰山に、行ってみたいですねえ。

2022年7月13日水曜日

心身一如

 こころとからだは一体だ。

 よく「健全なからだに、健全なこころが宿る」という意味で、健康法を行い、からだを鍛えることが「からだ」だと思っている人がいるけど、若い人の考え方であり、老人になれば、そうも言ってられない。みなさん、からだはボロボロ。それでも、健全なこころをお持ちですから、「健全なからだ」という理解は、筋違いではないかと思っている。

 老子的にいうならば、「思ったとおりに体がうごくこと」を一体というのではないか。てきぱき動くことを、いうのだと思う。あえてからだを鍛えなくてもよい。

 言行一致。言うは易し、行うは難し。

 「からだを鍛える」神仙思想では、そもそも「一」という考えはない。


2022年7月7日木曜日

入れ子のお椀

 30年ほど前、子供が小さいころは、陶器や磁気の食器を使っていたのですが、食べた後、流しに片づけてくれて、シンクにガチャンと落としてくれるので、だいぶ割られました。

 そこで考え付いたのが、漆器のおわん。3椀で1人前で、5人分ですから、15椀が食器棚に眠っています。普段は、その2~3椀だけを使っています。あんまり使わないと、ひかりがなくなりくすんできます。

 調子にのって、お坊さんがつかう応量器も5セットも買いました。こちらは、いよいよ、お蔵入りです。

 一番下がごはん用、一番上がおしんこ用。なんと6段重ねです。

 たまに、和食のお店で、ピカピカなお椀をみると、大事につかわれているなあ、とあこがれてしまいます。



正木晃「仏教入門」

 だいぶ以前に、ある勉強会で、正木先生の講演があるというので、予習のために買った本ですが、たまたま目に着いたので読み返してみました。

ブッタの場合も、「古代マガタ語」で説法していたにもかかわらず、仏典は「古代マガタ語」では書かれずに、「古代マガタ語」とは系統が異なる「パーリ語」で記述するということが行われています。

 今回は、前回と違って、こんなところが気になりました。いろいろな言語を経て、さらには漢訳されて、そうして日本に到達したのですから、仏教の本当のところはわかりにくいのだと思います。日本で発行された仏教関連の本は、都立中央図書館では、幅5メートルの書棚の5面か6面にいっぱい詰まっています。わかりにくい分、研究が進んでいるのでしょう。
 中国医学古典は、ずっとおなじ漢語で書かれていますから、古代人との意思疎通がはかりやすいと思います。はかりやすいなら、もっと研究が進んでよいと思うのですが、研究はほとんど進んでいません。ざんねん。