2016年6月27日月曜日

和田東郭先生

 今年60歳。和田東郭(1742--1803)先生に近い年齢になった。けれども、和田先生の気高さには、足元にも及ばない。何もかにも及ばないのだが。

 和田先生は、さきに吉益東洞に入門し、その人柄を嫌って辞し、最終的には折衷派の大家となった。古方を学び、後世方を学び、最終的にそれを混ぜ合わせたのが折衷派。そう思っていたけど、彼の塾の「医則」を読んでみると、そうではないことに気づいた。

 「医則」には、彼我の分が無い、死地に陥いんと欲する者は活路を得ん、色を望むに目を以てせず、とかあり、ここから老子の思想が読み取れる。「医則」に入れるくらいだから、相当に読み込んでいるのであろう。

 老子が影響しているのであれば、古方と後世方の区別は、和田先生には無いことになる。おそらく、一つの医学の、A面が古方で、B面が後世方であり、分けるべきではない、そう思っていたはずである。

 和田先生は「一」に復帰したのである。だから、両者のいいとこ取りして、折衷派を作ったのではない。和田先生は、まことに純粋である。沢庵の『老子講話』を歩み、森共之の『老子国字解』をたどり、和田先生に至り、感慨ひとしおである。

 日本鍼灸も「一」に復帰すべきではないだろうか。

 


2016年6月20日月曜日

『鍼灸OSAKA』121号

 『鍼灸OSAKA』121号は、「触診力をつける」を特集し、中身が濃い。30年前は、こういう親切丁寧な本がなかったし、誰も教えてくれないので、力がある人は自立できたが、そうでない人は自滅していました。この特集をよくよみ、練習をつめば、相当よい治療家になれるのではないだろうか。

 こういう特集を組んでくれる発行者はとても貴重である。定期購読をして支援してあげましょう。自分の好みの特集だけを購入するのも良いが、活動を支援するという意味で定期購読してあげましょう。

 この中で、94ページの「津島さんのバリア」が、いちばん印象的でした。太宰治の娘である津島佑子さんにまつわるエピソードである。津島さんの周りの人の思いこみが、津島さんのバリアを形成するという話。「病者は、色眼鏡でみないで、素直に直観すべき」と啓発されました。

 三旗塾の金子朝彦先生が登場する「フィリピン・スービック地区での鍼灸治療3日間」という対談も興味深かった。金子先生は問診を主とするが、言葉が通じないので、六部脈診を使った診察治療をしてきたと言う。経絡治療的に、「六部の凸凹を平らにする」という治療法。ぼくと同じようなことを考えている。

 言葉が通じないという状況で、対応できる汎用性があり、理論理屈をとり除いたという意味では、無心であり、臨機応変に対応できるという意味では、たくましい。金子先生、すごいな。

 触診では、谷岡賢徳先生の、既成の理屈を容れず、ただ皮膚を観察し、そこから見えてきた事実だけを積み上げてきているのは、すばらしい。この優れた人の言葉を読めるのは、幸せである。「触診の神さま」でしょうね。

 121号はおすすめです。ついでに定期購読しましょう。鍼灸を純粋に考えてくれる編集者を応援しましょう。

2016年6月13日月曜日

潮目

 情勢が変化するその境目のことを潮目という。

 東日本大震災は、日本の潮目だったような気がする。無駄遣い生活から、質素倹約の生活に転換しなければ成らなかったのかも知れない。大きな企業、シャープやら、東芝やら、あるいは潮目の読み違いだったかも知れない。あるいは、潮目を読まなかったのかも知れない。経営が順調で、慢心していれば、行け行けどんどん、潮目なんぞ読んでいなかったかも。

 清涼飲料水の自動販売機があちこちにあるけれど、そんな国は他には無いらしい。一時ののどごしのために、膨大なエネルギーを捨てているのだから、気が狂っているとしかいいようがない。そういうことを反省しないで、行け行けどんどん、邁進しているようでは、危ういのではないか。

 『霊枢』の天年篇には、人生の潮目が書いてある。100歳を天年(自然の寿命)とし、前半の50年が「実」の人生で、後半の50年が「虚」の人生だという。すこしずつ増えていく人生と、少しずつ失っていく人生に分けられる。増えるのが良い、減るのが悪いというのではなく、ごく当たり前のこととして、増える・減るのであるから、それをきちんと認識して人生を送るべし、という風に解釈できる。

 50歳が潮目だとすれば、「日なたの人生」から「日かげの人生」に変わったことになる。動から静へ行き方を変えるべきなのかも知れない。たしかに、50歳代は、40歳代と同じように仕事ができるけれど、疲労回復が遅い分、身体へのダメージは大きいような気がする。という意味で、仕事量を減らしたり、悩み・苦労の量を減らしたりして、後半戦に余力を残しておくべきなのかも知れない。50歳代は、むずかしい年代である。

 一昨年、自分が思っている以上に、身体が蝕まれていたので、日本伝統鍼灸学会の副会長職を辞した。人生の潮目という意味では良かったと思っている。『内経』を読んで天年を知っているのであれば、何はさておいて、天年を全うするのが勤めであろう。

 

 

 


2016年6月6日月曜日

想定外

 北海道で、7歳の男児が行方不明になっていたが、6日ぶりに発見された。しつけという意味で、父親と同じようなことをしたかも知れないと思うと冷や汗がでてくる。捜査にかかわっていなかった自衛員が、演習場内にいるところを偶然に発見したので、最悪の事態が回避された。

 夕刊には「先入観で捜査範囲を狭ばめる?」という見出しがついていた。10キロ離れたところに7歳がいるはずがないと誰しもが思い、現場周辺だけを集中的に捜査したのだが、見つからなかった。 

 人智による想定は、当てになると思っていたが、意外にあてにならないものらしい。よくかんがえれば、人智の及ぶ範囲はたかがしれているのだから、非人智をも想定していないと安心できないのではないか。

 7歳の男児の常識的な行動を予測する。その他に、まるっきり見当はずれの行動の予測もしておき、両方をあわせ持てば、もっと早くに見つかったのかも知れない。

 昨日の温灸セミナーは、「選ぶツボ」と「探すツボ」を説明し、両方備えておくべきだと説いたが、おなじ構造のような気がする。「ツボを選ぶ」のは、人智である。しかし、万事その通りに行かないこともあるので(想定外)、裏の手として、非人智の「ツボを探す」すべも備えておきたいところである。
 

2016年6月2日木曜日

出石の町

 4月30日に登った有子山から撮った出石の町の写真です。この写真の右端中央あたりが、宗鏡寺です。森の中で見えませんが。ごくごく小振りの町です。