2020年11月29日日曜日

白磁の湯飲み茶碗

 長らく使っていた、白磁の湯飲み茶碗(日本民芸館の売店で買ったもの)が、落ちて、割れてしまいました。コーヒーでも、お茶でも、同じもので飲んでいました。

 しかたなく、グリーンのカップでコーヒーを飲んでいましたが、どうも、コーヒーの味がいまいち。コーヒーは、コーヒー色だから美味しいもよう。コーヒー色は、白地は映えるが、グリーンでは映えず。色味が味に影響するのだ、という学習になりました。

 ちかくのホームセンターで、白地のを買ってきました。また、しばらく、お世話になります。

 同じ理屈とすれば、脈診力を損なう「何か」も有りそうです。それを知らずに・・・

 また、課題ができてしまった・・・

 〔ふとひらめき、目をつぶって、脈診すれば、脈診力を損なうことがない。視覚障害者の名人がたくさんいますので、たぶん正解だとおもいます。〕

2020年11月28日土曜日

肉利用研究室

 大学では、3年生になると肉利用研究室(にくけん)に所属していました。

 東京農業大学、農学部、畜産科、畜産物利用額研究室、肉利用研究室

 室長は、鬼原新之丞教授で、千葉県茂原市在住でした。毎日、夕方4時か5時ころには帰路につき、小田急線経堂駅→新宿駅→東京駅→茂原駅と乗り継いでいたようです。3時間はかかっていたのではないでしょうか。

 研究室には、教授の部屋があり、夕方には不在となるので、教授の部屋は、学生の部屋に早変わり。夜まで、お酒のんだり、麻雀したり。土日を挟むと、泊まり込んだり。ぼくらはばれないとおもっていましたが、教授はわかっていたのでしょう。

 卒論を書くために実験をしていたので、よく徹夜しました。卒論も、実験も、徹夜も、何のやくにも立っていないのですが、役に立たないことを一生懸命やれたのは、とても良い経験でした。

 今思うに、役に立つことをやっても役に立たないことが多いし、もうけようと思ってももうからないですから、役に立つ立たない、儲かるもうからないと分別する必要がないのですが、分別グセはなかなか消えないものです。




2020年11月22日日曜日

柳都

 新潟駅から信濃川に向かい、川を渡った先は、新潟島と呼ばれ、昔は堀が縦横にあって、堀の端には柳が植えられていたので、新潟市の別名を柳都というらしい。

 ぬれせんべい「しっとりもち りゅうと」(雪国あられ)を買ったら、商品名の由来が書いてありました。

 東洋鍼灸専門学校で教えていたころの課外授業で、ぬれせんべい大会(参加者各自がぬれせんべいを持ち寄って一等賞を決める)をしたとき、購入したのです。10年ほど前でしょうか。

『懐かしい風景』(日本文芸社)をめくっていたら、大正10年代の新潟市の古写真にめぐりあう。解説によれば、朝市の写真だそうで、右下に柳の木があり、根元は掘のようである。

広い通りの真ん中に堀があり、その端に柳の木が植わっているようである。現在の、西堀通り、東堀通り、新堀通りなどは、堀が埋められて、広い車道になっているが、かつてはこの写真のようになっていたのだ。いま、通りには街路樹として柳の木が植わっているが、柳都と呼べないさびしさ。



2020年11月17日火曜日

奇妙な体験

  母方の実家は、宮城県松島湾の中の離島にありましたが、三陸災害で亡失。今は、その跡を残すのみ。お墓だけは残っているので、機会をみてはお線香あげに行っています。

 11月15日に今年2回目の墓参に行きました。島には、尾根道の旧道と、平地の新道がありますが、行きは旧道、帰りは新道ということにしています。

 旧道で奇妙な体験。歩いていると、首の付け根から(ツボでいうと風門穴あたり)、体内の汚れた気が引き抜かれて、爽快になり、気分がせいせいしました。(前回も体験していたかもしれません。)

 帰り道では感じず。平地だからかなとおもってましたが、パワースポットと言われている塩竃神社では感じませんでした(202段の階段あり)。てっきり、気のせいかと思っていたら、仙石線松島海岸駅のホームで、また体験しました。

 ちなみに、近所の桜は寒くなってからニオイを発していないですが、実家の島のサクラはなおムンムンと発しています。寒さは関係ないみたい。 

 真相を明らかにするために、また行かねば。


ピラカンサ

  今年もピラカンサがたわわに実り、豊作。例年なら、鳥が来て、あっという間に、丸裸にしていくのですが、まったく音沙汰無し。これから来るのか、営巣地が無くなったのでもう来ないのか。




2020年11月9日月曜日

赤緑色弱

 

 新聞に載った、色分けの州地図ですが、赤緑色弱にとって、トランプ氏と未確定は、まぎらわしく、よく見ないと区別がつかない。

 翌日の新聞は、未確定は白になおしているので、クレームがついたのだと思う。

 新聞のカラーは、色調が曖昧なので、とくに見分けがつきにくい。

 見分けがつきにくいのを、見分けようとするのは、わずらわしいので、放擲することになる。善と悪の区別も、まぎわらしいので、区別するのを放擲すると、気が楽。

 

2020年11月6日金曜日

骨を折る

 山脇東門の『東門随筆』を読むと「骨を折る」ということばが3箇所でてくる。

「後世家と称する医は、骨を折て穿鑿せざる故、其の技精細ならず」

「(福井の奥村良筑は)一体骨を折りたる者故、長じたる所には益有ること多し」

「近世にも名医と称せられたる人余多あり。…一体骨を折りたる者ゆえ、格別の事どもあり」

 苦労する、突き詰める、力をつくすという意味。骨を折ることは、スポーツでいえば毎日の練習ですから、骨を折るのは当然なのです。

 著作物によれば、鍼灸の名医たちも、みなさんだいぶ骨を折ったようです。その情景がみえないので、やすやすとやっているように見えます。鍼を刺す、お灸を据える、やっていることが2つしかないですから。

 やすやすやっていそうなので、(学生は)やすやすできそうだと勘違いしているようです。やはり教育が大事なのだけど、教育する中身が無ければ、いかんともしがたい。中身は、現場の先生方が造りあげるしかない。かの中医学、その初めは現場の先生方が知恵を出し合って作ったとか。