2022年3月30日水曜日

足半(あしなか)

 

 写真は、治療院での履物で、つま先だけの草鞋、足半(あしなか)である。草鞋と足半は指が外にはみ出て、土に着く(草履は指が外に出ません)。指を、足半のへりに食い込ませて歩きます。

 通販でいろいろ売っていますが、指がはみ出るのが正式です。写真のは、竹の皮を編んだもので、思いのほか丈夫で、長持ちします。冬は指が冷たくなって、ふ向きですが。

 指先が仕事をすると、足首も仕事をし、膝も仕事をし、股関節も仕事をし、腰も仕事をします。足全体の運動になるのです。大抵の動物は指先で歩きます。馬は中指の尖端で歩いていますし、鶏は三本指で歩いています(鶏の膝に見えるところは踵です)。

 というわけで、足半は、動物歩きするのに、とても良いのです。

真岡鉄道


 先日、茨城県の真岡鉄道久下田駅まで行ってきました。故荒木正胤先生のお宅へ。今は、娘さんと旦那さんが、治療院をしています。今回は、その旦那さんのひろしさんと研究の打ち合わせ。荒木正胤先生は、ちかくの芳全寺(曹洞宗)の後継者だったそうですが、転じて漢方の世界に入ったとのこと。

 おどろいたのは、真岡鉄道の切符が、写真のようなもので、日付・料金が手書きです。地方の私鉄の経営は大変だそうですが、ほほえましい切符でした。

 みなさんが、乗ってあげれば、経営の足しになるのではないでしょうか。

 ちなみに、宮城県塩釜市の市営渡船は、おなじような切符ですが、乗ったところ、降りたところに、穴をあける形式で、まだ現役さんです。 


2022年3月24日木曜日

日竎さん

 古い『文芸春秋』を読んでいたら、写真のような珍しい名前に遭遇。るびがなければ、まったく読めない。『大漢和辞典』によれば、立部に属し、「ふう・ふ」と発音し、「のぼる」という意味があるという。『玉篇』「竎、登也」だけが出処のようである。この漢字を選んだ初代は、よほど漢字好きか。

 ありがたいころに、日本人の名字用の漢字は、ほとんど表記できる。神様の、伊弉冉(いざなみ)、伊弉諾(いざなぎ)の弉も珍しいけど、表記できる。ネットで調べると、廾部の7画なのだが、『大漢和辞典』で見つからず。探し方が悪いのか。

 ほとんど表記できるのもありがたいが、めったに使わない漢字を用意しているのは非効率。こういうお国柄なのです。


2022年3月15日火曜日

月刊文芸春秋


  なぜか月刊「文芸春秋」2005年4月号が出てきた。

 家内の血筋のあるお宅を訪問すると、月刊「文芸春秋」があって、その人は重役さんだったので(のちに社長さんもやった人なので)大人の香りがしました。おそらく60歳くらいだったのでしょう。僕の30年の人生の中で、月刊「文芸春秋」があるお宅に遭遇したことがありませんでした。そんな憧れあって、時々買っていたのです。その1冊が、なぜか残っていました。

 好きな記事は、写真の「蓋棺録」で、要するに追悼コーナーなのです。「蓋棺」とは、心で始めてその人の功業がわかる。人は死ぬまで努力して事を為すべきで、死んで見なければ、其の人の偉大さはわからない(『大漢和』)という意味だそうです。

 何名か取り上げられていたが、知っている名前といえば中尊寺ゆっこさん。漫画家で、小学生のときコンテストで優勝。審査委員長の谷岡ヤスジさんに褒められたとのこと(谷岡ヤスジも懐かしい名前)。タレントとしても活躍したようで、三波伸介の名前もでてくる。

 結腸癌で42歳で亡くなったそうである。

 本来は捨てられた雑誌であるが、いま読んでもおもしろいから、捨てるもんではないと思う。が溜まっていくから、買うもんでもないとも思う。

*谷岡ヤスジのアシスタントのかまちよしろうさんには、鶯谷の中華屋で二度ほど会い、「哀愁の犬サブレ」を聞かせてもらいました。



さくらんぼ開花


 我が家の小さい庭にサクランボが満開。気が付かないうちに。日当たり悪いけど、せっせと、毎年、けなげに、開花しています。

 隣の建物が建つときに、根を切られて、毛虫だらけになりましたが、その後は勢いが復活しました。昭和61年に苗を買ってきて植えたものです。年齢35歳です。

2022年3月12日土曜日

東京の美々卯

 東京の美々卯は、大阪の美々卯ののれん分けで、おなじ会社ではないとのこと。その東京の美々卯が、コロナの影響で全店閉店したとのこと。

 美々卯のうどんすきは有名で、一度だけ行ったことがある(京橋店)。その時、印象に残ったのが鍋。写真の右の鍋(類似品)。深い皿のようで、鍋の端までうどんを引き寄せ、そこに小鉢を添えれば、うどんを暴れさせずに移すことができるもの。

 打ち出してあるし、取っ手も無いので、洗うのが便利。30年来の道具です。

 5人家族、うどんとチャーハンをよく食べていたので、火力が強いものということで、業務用コンロを備えました。
 

2022年3月8日火曜日

みつまた、開花


 我が家の第二代のみつまたが開花しました。これから、わりと長く咲きます。若いので花数は少ないのですが、長く咲くので、印象的です。

 こうぞとともに、和紙の材料になる木です。

 北鎌倉の浄智寺のみつまたは、りっぱなもので、3月の丸山先生の墓参のときに、見ることができます。直に植えてあるのは強く、生命は長い。我が家は花壇の中なので、一等劣るようです。

 

 

2022年3月4日金曜日

仙台方言「めぐせ」

  田舎で、はずかしいことを「おしょすい」といい、みっともない、体裁がわるいことを「めぐせ・めぐさい」という。

 「おしょすい」は、「おお笑止」とのことで、人が笑う、→はずかしい。

 「めぐせ」は、「見、くさい」とのことで、人が見苦しい、見たくない→体裁がわるい。

 どちらも、世間の評価、他人の目線を気にしている表現となる。

   そんな格好しておしょすい。

   そんなふるまいしておしょすい。

   そんな恰好は、めぐせ。

   めぐせがら、かくしておけ。

 こんなふうに、子供のころに、母親に、小言されたようなきがする。世間の評価、他人の目線を気にするのは、いまも直っていないから、深刻な能力なのである。

  

2022年3月3日木曜日

大谷哲夫著『道元』


 大谷哲夫著『道元』の216頁に、次のようにある。

  道元は、大仏寺を永平寺と改める上堂において、つぎのように宣言します。

 天に道有りもって高く清し、

 地に道有りもって厚く寧らかに、

 人に道有りもって安穏なり。

 この宣言は、『老子』三十九章の「昔の一を得るものは、天は一を得て以て清なり、地は一を得て以て寧なり」と類似する。

 そもそも、仏教+道家思想=禅宗であるから、『老子』と重なるところがあってもおかしくないのだが、『老子』を参考にして宣言したのか、宗教的帰結として偶然『老子』と似たのか。

「言うは易し、行うは難し」というように、頭でわかったこと(『老子』の思想)が、できるようになるために、禅宗の修行が用意されたのだ、と『道元』を読んでなんとなく理解した。

『老子』の真意は「いかに行動するか・いかに生きるか」である。修行という行動を続けてきた禅僧が、『老子』の証なのである。『老子』を哲学する、という本もあるが、こういう面で、ものたりない。