2020年7月26日日曜日

拝むのは

 葬儀にいくとき、加地伸行の『儒教とは何か』(中公新書)の「はじめに」を思い出しました。
 
 拝むのは誰かという話で、仏教式葬式なら、本尊である。葬儀場に本尊を持ってこれないから、それに替わる「南無阿弥陀仏」「南無釈迦牟尼仏」と書いてある掛け軸でもよいのだそう。

 それを拝むのであり、お坊さんでも、棺でも、位牌でも、写真でもないのだそう。島田美智子さんの葬儀では、掛け軸がなくて、困りました。しかたなく、型通りに前を向いて拝みましたが。

 喪服は、親族はフルバージョンで、その他は簡易でいいのだそうです。親族は、故人を失って、着ている服を考える間もなく、おしゃれの気持ちも無いのだから、決まった喪服をきればいいのだそう。お化粧はしてはいけない。ほつれ髪ぐらいがいいのだそう。

 親族以外は、それほど心を失っていないので、華美にならない程度の衣服でよいのだそうです。ネクタイを黒くしたり、黒い腕章をまいたりするぐらいで。親族でもないのに、親族と同じフルバージョンなのは、僭越にすぎるのだと言っています。

 そんなことを思いだし、喪服はやめて、黒の上着と、グレーのズボンで行ってみました。

 葬式の本来の意味を知ると、現代社会の風習、葬儀やさんがつくった儀式などが、意味ないことがよく分かります。
 


2020年7月25日土曜日

島田美智子さん逝去

 7月21日、島田隆司先生の奥さん、美智子さんが逝去しました。85歳とのこと。

 25日、告別はに行ってきました。30人の参席。親族以外は僕1人でした。まあ、準親族みたいなものですから。

 1992年5月に上海で学術交流会をしたのですが、島田先生と同室でした。その時、五十肩に罹患していて、シャツを脱いだり着たりに難儀していました。また、脊柱管狭窄症も患っていて、痛ましい状況でした。先生59歳。

 上海から帰ってから、毎週火曜日、七時に治療を終わってから、車で板橋まで往診することにしました。成果があがらないので、1年くらい続きました。そのころ、長男さんが池袋の治療院を手伝い始めたので、バトンタッチ。

 その間に、『素問 霊枢 総索引』ができあがり、「四季桜」というお酒で乾杯したのを覚えています。

 その間に、お子さんが結婚したり、お孫さんがうまれたり、いろいろありました。そんなわけで、準親族な気分なのです。

(菩提寺の高坂の広済寺の)曹洞宗式葬儀は、45分の長丁場で、なかなか感動的でした。

2020年7月23日木曜日

人災か、天災か

 コロナ禍は、人災か、天災か。
 豪雨被害は、人災か、天災か。
 地震被害は、人災か、天災か。

 老子ならば、災害という考え方がおかしい、というでしょう。
 都合がよければ文句をいわず、都合が悪くなると災害というのは、人間のひとりよがりだと。

 長くつづく雨があがって晴れるとよろこぶが、晴れが続くと恨めしくなる。晴れが続いて、雨がふるとよろこび。でも雨が続くと恨めしくなる。

 昨日、悪んだ人が、今日、私を助けてくれるかもしれない。今日の善人が、明日の悪人になるかもしれない。そう思うと、善悪はあるとしても、固定観念にしてはいけないとつくづく思う。老子は、いろいろな体験をした人なのかもしれません。

 ウィズコロナ、という言い方は、老子的ですねえ。
 


梅雨と湿証

「日本は湿気が多いから湿証が多い」と聞くが、理屈としてはおかしい。日本から乾燥地にいって、乾燥で苦しめられるのはわかる。

 日本で生まれて、日本の湿気に損なわれるというのは、やはりおかしい。北極ぐまが、北極で風邪引いているのと同じ。

 湿気が多い、とくに梅雨時の過ごし方をわすれたから、調子が悪いのだとおもう。さて、どのように過ごしたらいいのだろうか。

 ①昔の人の知恵・昔の生活
 ②中国医学の知恵
 ③近代医学の知恵
 ④湿気の多い諸国の知恵

 一番、危険なのは、②中国医学の知恵というもので、湿-脾-甘という枠組みを決定論にしてしまう、わたしたちの悪い癖。1つの考えかたとして参考にして、①~④を整理して、合理的な答えが欲しいところ。

 個人的には、
 皮膚を冷やさない、クーラーをさける、衣服でふせぐ。
 冷飲冷食しない。
 温飲温食し、小まめにうごく、発汗をいとわない。
 
 ほかにもあるとおもいますが・・・


 



2020年7月12日日曜日

上仙みそ

 宮城県のみそといえば「仙台みそ」。みそ屋さんの屋号が上仙というので、「上仙みそ」ともいいます。上仙しょうゆ、というのもあります。その上仙みそが、近くのスーパーで売っていたので、早速購入。

 ひと嘗めして、しょっぱい。しょっぱいのに弱いわけでないけど、それでもしょっぱい。だから、味噌汁につかう量は、少ない。いつも使っている「越後一みそ」の半分くらい。

 味噌汁で、味噌がうすい。味噌たっぷりで慣れているので、味噌の存在感が薄いのは物足りない。買ったものの、どう使うか、思案中・・・




2020年7月11日土曜日

雑草だましい

 駅から家に向かう道。歩道と車道を分ける縁石に雑草が生えています。土はないのですが、いつの間にか土を集めてきて、着実に根を下ろしています。

 そのこともすごいと思うのですが、雑草も好き勝手しないで、節度をもって、良いところで成長を止めているところが、すごい。

 ボーボーになれば、近所の人が役所に連絡して、役所は雑草狩りするに決まっているので、苦情が出ない程度に、節度を持って伸びているところに、雑草のプライドをみました。

 『老子』に「つま立つものは立たず」(つま先立ちは、ながく立っていられない)というのを、読んでいるかのよう。


2020年7月3日金曜日

古典の現代語訳その2

 前回と同じ本(『クラシカル素問』)をなにげに開いていたら、王冰序で、
「惇于は、魏にあっては、張公華」
と訳しているところにぶつかった。全く意味不明。

 不安になり、原文を調べると、
「則周有秦公、漢有淳于公、魏有張公、華公」
であり、倉公淳于意を知らないから、惇于(とんう)とし、張公が張仲景、華公が華陀と知らないから、張公華としてしまったんだろうね。「則周有秦公」も省いてしまっているし。

 この先、読み進むのを、ためらってしまう。


 

古典の現代語訳

ちかごろ、右のような、意訳本がでました。
 
 上古天真論の「上古之人、知道者」を「上古の人は自然の道理をわきまえており」というが、「道」はどうみたって『老子』のいう「道」である。自然の道理だというのは、あきらかに間違っている。

『老子』の言う「道」を知っているとは、上古の人は純粋素朴なので、「道」のことを教えてもらっただけで信用したという意味である。

 極楽浄土が有るか無いかと思うのは、不純なこころを持っているから、そう思うのであり、純粋なこころの人で有れば、極楽浄土が有るといえば、素直に有るのである。

 大昔のひとは、『老子』が道を説けば、道を素直に信じたので、100歳まで長生きしたのです。疑いを持たないことを無心ともいうのだが、大昔の人は素のままで無心だったのです。疑いを持たないで素直に信用するのを、ここでは「知」と言っているのです。

『素問』の冒頭は、奥深いので、古典の現代語訳は、とても難しいのでした。